※この作品はR-18です。

【血】東方短編集   作:slnchyt

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#自殺


狂った世界

―狂った世界―

 

 

 

狂える人々、狂える世界。狂えないのは、私だけ。

 

 

 

私の波長が狂い始めたのを自覚したのは、人間に姿を見られたせいだ。日頃の私は人間に対して常に透明であろうとしている。波長を操る私には、それができる。しかしその日は、違っていた。道行く人々が私を見ている。最初は気のせいだと思った。しかしこれは…見られすぎている。

 

私はいつもの夏服を着ていた。変装もせず、歩き回る妖怪は特に目立つ。面倒を起こしたくは…いや、既に起こしている。これ以上面倒を大きくしない為に、私は速やかにその場を立ち去った。…その時は、少しばかり調子が悪かったのだろうと、さして気にはしなかった。

 

――珍しく、今日は師匠に、一度も怒られなかった。てゐと遊んだりもしたし、更に、更に珍しく姫様にも会えた。今日はなんだか、気分がいい。皆に顔を合わせられたのだから。上り調子のまま、私は布団に潜り込む。今日は良い日だった。明日もいい日ですよね、きっと。

 

 ◇◆◇◆◇◆

 

…はたと目を覚ます。今日は鶏が鳴かなかったのか。外は薄暗くて、太陽はまったく見えない。私には時間もわかる。ぴったり九時。何事もなければ、ひとまず落ち着くような時間だ。だからこんなに、静かなんだろうか?

 

「おはようございます」…微妙な時間だが。しかし私の言葉に構わず、師匠は何やら、手元をカチャカチャしていた。「今日は実験のお手伝いでしたよね」師匠の姿が、ゆっくりと振り向く。

 

「そうね、あなたで実験させて頂戴」師匠の手にはドリル。ロープ。そして…骨ノコ。「間に合ってます!!」私は驚くほど素早く逃げ出した。師匠は追いかけてはこなかった。…ハァーッ、ハァーッ。飛び出しそうな心臓を押さえ、思考を巡らせる。あれは気紛れか? …それとも、本気で?

 

そうだ、てゐなら。…そう思った私の隣を、刃がかすめた。すべての兎はこちらを向くと…歯を向け、飛び込んできた! 「うわあっ!?」精神の障壁に弾かれ、兎達はぼろぼろと叩き落とされていく。しかし彼らは諦めない。諦めようとしない。

 

「鈴仙」私の横に、てゐが立っていた。歯をむき出しにして。「嫌ッ!!」咄嗟に障壁を張ろうとしたが、間に合わない。首筋に歯がかすめた。直に受けていれば、首を刎ねられていたかもしれない。恐怖感がそれを激しく肯定していた。私は方々の体で逃げ出した。兎達は追ってこなかった。

 

…そうだ。姫様なら。姫様なら流石に、いつも通りに接してくれるだろう。私はしめやかに廊下を渡り、姫様の部屋の前で止まった。「姫様」「どうぞ」障子を開ける。振り向いた姫様の顔は、穏やかだった。…安心のあまり、涙を流してしまいそうだ。

 

「――私、月に帰るわ」

 

私は酷く動揺した。「どうしたらいいかしら。誰かに相談――永琳?」硬直する。「――あの裏切り者め!!」足元の鉢を投げ捨てた。壁に穴が開いた。怒りは方々へと向けられた。姫様を…私にはもう、見ていられなかった。障子を閉じる。向こうからは、聞くに堪えない暴言が次々と並べられていた。

 

何かがおかしい。何かが。皆、どうしてしまったというのか。洗面台で何度も顔を拭うと、息を吐いた。…そして、洗面台の鏡を向く。どくり、どくりと心臓がうめく。見るのが恐ろしい。けれど、見なければわからない。私は恐る恐る目を開けた。今まで見た事もない瞳が、そこにはあった。

 

狂気の瞳。恐るべき波長を操るもの。それは弱まっていたのではない。限りなく強まったそれは…妖怪を、師匠を、姫様をまでもを、操ったのか?「そんな」私は後ずさった。狂気は赤より出でて赤よりも狂気し。光はますます強まり、闇の中に瞳だけを映し出している。

 

どうすればいい、私はどうすればいい? 己の力だ。狂気の解き方は心得ている。けれど今は、駄目だ。酷く強まった波長は私にも制御できない。下手に解こうとすれば、殺されてしまうのがおちではないか。私は悩み、悩み、今この場から逃げ出す方法を、理解した。

 

――そうだ。私自身も狂ってしまえばいい。狂気の世界に、私だけが取り残されるなんて、ばからしい。「そう、私も一緒に…」鏡を覗き込む。狂気の瞳が、私を狂わせるはずだった。…しかし、それは私に何の効果も現さなかった。そんな馬鹿な。二度、三度と繰り返す。…何の変調も感じない。

 

最後の希望は、失われた。頭を抱えて、私は泣いた。ただ時間が過ぎるのを待った。明日がくれば、眠ってしまえば、きっと元に戻る。狂った確信が、私の心を繋ぎとめる。一分、二分、三分、四分。四。…死。数えるのを止め、私は震えた。空が白むまで、一睡もできなかった。

 

鶏が鳴いた。朝の仕事を片付ける音が聞こえた。「…まさか」私は起き上がると、外を見た。妖怪兎達が、自分達の食事を用意している。せわしないいつもの朝だ。朝だった。何も変わらない、朝だった。私は慌てて跳んだ。皆は無事なのか。それを確かめなければならない。

 

師匠はどうなった。「はい、今日の薬よ。後で感想を聞かせて頂戴」

 

姫様は。「寝相が悪かったのかしらねえ」

 

てゐは。妖怪兎は。「餅つきが捗ってないって? 座して食べる奴が文句言うんじゃない」

 

――皆、元に戻っていた。まるで何事もなかったようだ。あれはすべて夢だったのだろうか。…ふと、傍にある水置きを見る。水面に映る、私の瞳。赤く赤く光る、狂気の瞳。その瞳の中に、昨日の姿が、狂気の姿が移り込む。「!!」夢でもない。幻覚でもない。あれは私が引き起こしたんだ。

 

思わず顔を隠す。手の内側に、狂おしくも赤い、赤い光が映る。それは今も強まり続けている。走馬灯めいて思考が無限大に加速する。――そうではないとしたら? 今、私が見ている光景こそが、偽りなのだとしたら? 私自身が作り出した、愚かしい幻覚だったとしたら?

 

水置きに向けて、狂気の瞳を開く。私自身には、しかし何の効果も及ぼさない。二度、三度と繰り返す。何の変調も感じなかった。――やはり、そうか。そういう事だったのか。既に狂えるものを、狂わせる事はできない。私は最初から、狂っていたんだ。

 

狂っているものは、狂った世界に帰らなければならない。

 

手元を振ると、そこに狂気の銃が現れる。弾丸は一発。それで十分だった。私はそれを頭に当て、引き金を、引いた。

 

 

 

狂える波長、狂える兎。狂っているのは、私だけ。

 

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