―刎ねてくれてありがとう―
首刎ね兎は、刎ねられたい。
「――どしたの、鈴仙」
「なんでもないわ」
私は医術書を紐解いていた。いつも眺めているのは――首。そう、首の項だった。いつからだろう。私の中に、首に対する執着が生まれたのは。最初は自分のそれを撫でる、癖のようなものだった。何でもない。そう思っていた。事実、私は狂ってなどいない。瞳はなんら反応を示さない。
……しかし、ナイフをス、と走らせる頃になると、もはや正常であるとは言えなかった。首の傷は日に日に増えた。一度は斬りつけ過ぎて、喉を壊す所だった。それらはすべてマフラーで隠した。私は――その行為を、痛みではなく、快楽に感じていた。冷静に考えれば、異常極まりない。
倉庫にあるマチェットを見た。よく研いで、首に当てた。じわり、と血が流れる。もし、もしも、これで斬られたとしたら――私は、どんな快感を得るのだろうか。私の頭の中は首の事で一杯になっていた。その行為を、てゐだけは気付いていたらしい。「最近おかしいよ、鈴仙ちゃん」
「私はいつだっておかしいのよ」私はてゐに微笑んでみせた。てゐは不思議そうな顔をしながら、私の肩に登った。てゐの首が、間近に見えた。私の中に静かな期待が燃え上がるのを感じた。このか弱げな首を飛ばしたら、どんな気分になるだろう。私はそれを――知りたいと思った。
「そっか」てゐは私の肩から飛び降りると、背中を向けたまま、手を振った。「私で良ければ、どんな事もしてやるよ。鈴仙ちゃん」どんな事でも。私の中にその言葉が転がりまわった。「私で良ければ、どんな事でも」たがが外れる音がした。私は手を見た。これから先、起こる事を。
―――
―――
私の目下には、てゐが転がっている。否、てゐだったものだ。それには首がなかった。私が掴んでいたからだ。それに抱き着いた。それはまだ、暖かかった。「言葉では言い表せない」私は首を振り――傷を撫でた。爪を立て、傷付けた。「はは、ははは」血だまりを踏み、前へ進む。
前とは、前だ。破滅への道。もはや何とでもなればいい。私にとっては何も重要じゃない。永遠亭を飛び出す。竹林には数多くの妖怪がいる。私はそれらを訊ね――時にあっさりと、時に無理矢理に、時には戦いを起こしながら、首を刎ねて回った。返り血のカクテルにまみれた。
私は快楽に震えていた。しかし、物足りなさもあった。誰も私の首を刎ねようとはしない。私は必ず、首を刎ねればいい、と前置きしているにも関わらず、だ。私は首を刎ねたい。けれども、多分――本当は、刎ねられたいのだ。欲求を満たすには、強い者と戦わなければならない。
―――
―――
私は知り合いの中から、もっともそれに適した者を訊ねる事にした。冥界。それはすぐに現れた。血の匂いを漂わせた者など、確かに放ってはおけないだろう。「鈴仙――何だ。何があったんだ」刀を下げた人影――妖夢は、私に問いかけた。周囲が一気に、物々しい空気に包まれる。
「あなたの首を頂戴」
鈴仙はマチェットを振り払った。それは――数多くの血で汚れながらも、凄惨な切れ味を維持していた。紅く、黒く、そして紅い。ここに至るまでに数多くの人妖の首を刈り取ってきた、最悪の証だった。彼らは私の首を取る事が出来なかった。だから、死んだ。悉く首を落とされて。
「それが嫌なら――私の首を、取りなさい!」
「物狂いめ」妖夢は楼観剣、そして白楼剣を抜いた。「その尋常ならざる妄執ごと、お前を斬る!」妖夢は一気に距離を詰め、楼観剣を一閃!――本来なら、これで勝負は決まるはずだった。しかし――剣は、私の姿だけを斬った。残像だ。妖夢は咄嗟に剣をクロスさせて防御する。
上を取った私がマチェットを振り下ろす。刃と刃が激しく打ち合った。半霊が硬化し、私の顔面を狙う。そうはいかない。私は逆の手首を振り、狂気の銃を取り出すと、それに一発の弾丸を撃ち込む。半霊はびくり、と硬直し、私とは逆方向に飛び回る。もはや制御は利かないはずだ。
二つの残像と共にマチェットを振り回す。妖夢はそれを白楼剣で打ち払おうとして――やにわに飛び上がった。幻影と入れ替わった私の刃が、背後から突き込まれたからだ。手練れだ。真正面から戦って勝てる相手でもない。しかし妖夢は、どうやら幻影と戦うのには慣れていないらしい。
後ろに飛び下がる。位相をずらし、不可視化する。妖夢は目を閉じ、感覚に集中している。残念だけど、その感覚とは容易に欺瞞できるもの。僅かな波長。微かな空間の揺らぎ。妖夢は反応しない。更なるゆらぎ。妖夢はやはり反応しない。中々の判断力だ。しかし、それもやはり悪手。
あなたが波を感じ取るという事は、すなわち波もあなたを感じ取るのだ。私は常にあなたの機先を制す。どれだけあなたが素早くとも、光より早くは動けない!――私は幻影を突撃させる。都合、四つ。四方からの同時攻撃。飛び掛かる。突き込む。足をすくう。そして薙ぎ払う。
それはすべて幻影であり、しかして本物なのだ。どれが私であるか、私が入れ替わる瞬間まで、わからない。或いは入れ替わらないかもしれない。幻影の刃は空を切るかもしれない。疑心暗鬼は心を乱す。この技で、さっきから数多くの妖怪を屠ってきた。お前も今に、錆となる。
――しかし、しかしだ。私は慌てて飛び去らざるを得なかった。入れ替わりを行なう瞬間、妖夢は限りなく正確に飛び掛かり、私の身体を両断しようとしたのだ。……なるほど、私の瞬間移動は光よりも遅いか。己が身体を通う、電気信号のラグがある。剣士の感とやらを甘く見ていた。
腹を真一文字に切り裂かれ、私はよろめきながら立ち上がる。傷は深い。再び不可視となる。ネタは割れている。四方を囲んだ幻影は命令を受けず、立ち尽くしたままだ。……ならば、これだ。私は正面に狂気の爆発弾を放った。それは紅く、紅く炸裂し、相互に視線が通らなくなる。
私はそれを突き抜けた。妖夢の真上へ飛び上がりながら、爆発弾を放った。同時に四方から幻影が散弾を放つ。妖夢は弾丸を斬り払うが、それは悪手。目の前で起きた爆発から目を逸らし、狂気に当てられまいとした妖夢に――四方からの散弾が到達する。それは偽物であり、本物だ。
狂気を帯びたあなたには、それは本物の弾丸として働く。撃たれた、という認識によって人は死ぬのだ。弾丸が殺到する。実体を得た弾丸が身体をしたたかに打ち、正常な心を破壊する。それこそは虚偽。それこそは現実。斬り払われた弾丸は爆発を起こし、更に更にと狂気に染める。
狂気に堕ちた剣は、もはや私には届かない。更に更にと飛び込んでいく弾丸が爆発し、妖夢を狂気の淵に追い込んでいく。お前はもはや、喚くだけの狂人。戦う事などできやしないだろう。私はマチェットを構えた。お前も私の首を取れなかった。失望と安堵。両方の気持ちがあった。
――だが、そうはならなかった。爆発の中から剣が、そして妖夢が飛び出したのだ!
その瞳は狂気を帯びている。そうか――こいつの狂気は、剣に対する我執。己が命への躊躇いを消し去ったのか。私は背後に跳びかわすが、妖夢は駿足で追いすがる。二刀流をマチェットで受け、後ろに飛び下がる。更に飛翔して追いすがる。狂人に論理はない。狂人は、もはや狂わない。
私は防戦一方だった。元々剣で敵おうとは思っていなかったが、押し込まれればどうしようもなく不利だ。一瞬の隙をついて狂気の銃から輪状レーザーを照射する。妖夢はそれに構わず、全身を焼かれながら突入してきた。庇おうとした腕が深く深く裂かれる。銃を取り落とした。
やぶれかぶれでマチェットを突き出す。妖夢は一切の防御を放棄していた。それは腹に突き立ったが、そのまま持っていかれた。私は完全に丸腰になった。……いいわ。元々、剣を持って戦うのは本業じゃないもの。あなたが捨て身なら、私も。私は妖夢の腹を蹴り飛ばし、距離を取った。
脚が片方、もっていかれる寸前まで切り裂かれた。返す刀で片腕が遂に斬り飛ばされた。しかし、もはや苦痛など感じない。瞳を赤らめる。手首を振る。私の手元に銃が戻った。剣が腹に突き立てられる。そうだ。その距離だ。私は――天に銃を向け、引き金を引いた!
「ルナティックレッドアイズ」
瞬間、私の周囲に凄まじい狂気の波動が放射される。それは破壊的なエネルギーを伴い、半人の心身を砕け散らせていく。狂人とて、依るべき精神が摩耗し尽くせば、狂人ではいられない。お前は抜け殻となる。お前は二度と考えない。お前は二度と感じない。お前はもう、生きていない。
それは――そう、私もだ。私の心が削りとられていくのを感じる。このまま続けていれば、お前の精神が私を凌駕すれば、私の精神が先に削り尽くされるだろう。しかして、私には未練がある。それは、首を落としたいという殺人鬼めいた願望。首を落とされたいという狂い切った願望。
妄執では決して負けない。負けるはずがない。事実、妖夢はその場に崩れ落ち、剣を取り落としていた。お前はもはや剣を取る事はできないのだ。私は掲げた手を下ろした。狂気の波動は消え去った。斬り飛ばされた腕を見もしない。妖夢の腹からマチェットを抜いた。鮮血が噴き出した。
「あなたも私の首を落とせなかった」
肩を刃で叩き、呟いた。妖夢は何の抵抗もしなかった。私は刃を振り――妖夢の首を、胴体から解放してやった。何だか、笑えてきた。私の首を落としてくれるものは、何処にいるんだ。私は、妖夢の死体に背を向けた。次は何処だ?――次は誰が、私を、私の首を取ってくれる?
――その時だった。背後に恐ろしい気配を感じたのは。振り向こうとするが、既に遅い。そこには半透明の妖夢が立っていた。妖夢は死の瞬間、己の半身にすべての力を注ぎ込んでいたのだ。本体の死に巻き込まれる寸前に。半霊は何の表情もなく、私の首めがけ、魂の剣を振り払った。
私の首が、ごろりと落ちた。
己を死を悟る暇もなかったが、その瞬間――私は、狂おしいほどの歓喜に包まれていた。そうだ。これを求めていたのだ。あなた達が感じていた快楽を。あなた達が想像もしなかった悦楽を。きっと私は、この瞬間の為に生きてきたのだ。刎ねてくれてありがとう。そして、さようなら。
瞬間は瞬時に途切れ、私は命を手放した。