エロシーンはありません。
けたたましい音がして食器棚が揺れる。中から数点のティセットが落ちてくる。それらは違うことなく順の頭に命中した。慌てたように順が手を振る。待て、と言う制止の声を無視して都子は右手を繰り出した。こぶしが順の頬を掠めて食器棚に突き刺さる。順の頬に一筋の傷がつく。
「い、いや、あの、ね? ちょっと、都子ちゃあん!」
ひゅっ、と息を吐いて都子は身体を反転させた。左の肘が食器棚にめり込む。今度は食器棚が大きく揺れた。キッチンにいた数名の使用人が悲鳴を上げる。間一髪で都子の肘を避けた順はそのまま後ろに大きく飛んだ。
「待て! 話を聞け!」
だが都子は順の制止を無視して床を蹴った。身軽にテーブルを乗り越えて膝を突き出す。が、今度は順の手がそれを受け止めた。
「お兄さまのお話はろくでもないものばかりでしょう!」
作りかけだったクッキーの生地が跳ねる。都子は軽く床を蹴り、続いてテーブルを蹴って順の顔面に左足を飛ばした。げ、と目を見張った順の頬に都子の膝蹴りがきまる。テーブルをなぎ倒して吹き飛んだ順を尻目に都子はふう、と息をついた。髪を背中に払って腕組みをする。
木村の当主である順は殆ど屋敷には帰って来ない。何をしているのかは都子も薄々は知っていた。が、決して口は出したことがない。そして順も何故都子が口を出さないかを知っている。都子は胸を反らして順をじろりと睨みつけた。順は情けない笑い声を漏らしながら身体を起こす。
「……それでも加減したのよ?」
「判ってるって。いたいなあ、もう」
苦笑いしながら順が立ち上がる。使用人たちは恐々と二人の様子を見守っている。都子は彼女たちの視線に気付き、ため息をついた。次いで順に手招きをする。
「とにかく。私の部屋に行きましょう。話の続きはそこで伺います」
そう告げて都子は順の脇を過ぎた。順がぼやきながら都子の後に続く。きっとさっきの使用人たちは兄妹の仲が最悪なのだと認識を改めただろう。それを考えると都子は憂鬱になった。
夢の世界に閉じ込められていた間のことを都子は覚えていなかった。気付いた時にはもう、この屋敷に帰っていた。が、僅かにだけ記憶に残っていることがある。鮮やかなばらの花と、そして柔らかな微笑を浮かべる人物。そして都子はその人物のことを知っていた。
吉良瀬立城。都子は現実の世界に戻った後、その話を順に聞かせた。順が何を思ったのかは判らない。が、順はその話をした後に都子に告げた。出来るだけ屋敷にいるように、と。
どうしてなのかを都子は問わなかった。その時の順があまりにも真剣で問えなかったのだ。けれど薄々は知っていた。順は立城を恐れているのだ。そして同時に憎んでいる。
龍神に成りきれなかった者。自分たちがそう言われているのは知っている。都子はため息をつきながらドアを開けた。部屋の中に順を促す。順はまだ頬をさすっている。都子は呆れて顔をしかめた。
「そんなに強く蹴ったつもりはないのだけれど?」
「だってさあ。おもっきり入ったから……うう、痣になりそう」
わざとだろう。順は涙目になっている。やれやれと都子は肩を竦めて順に歩み寄った。本当は順が自分のためにそう言っているのも知っている。だがそ知らぬ顔で都子は順の首をつかまえた。ぶら下がるようにして順の首に抱きつく。
「何故、私がわざわざ治さなければならないんです? そもそもの原因はお兄さまにあるのにっ」
憎まれ口を叩きつつ、都子は目を閉じた。淡い空色の光が都子の身体を包む。その光ごと包み込むように順が都子の腰に手を回す。
都子の力は日に日に強くなっている。こうして少しでも消費しなければ力はやがて無尽蔵に世界に吐き出される。そもそも、都子の力は使ってこそ意味があるものなのだ。抱きすくめられた都子はそっと息をついて目を開いた。
「どうでもいいですけど、わざとらしく触るのは止めていただけます!?」
そう言いながら都子は素早く順の頬に平手を飛ばした。順が都子を抱きしめながら尻を撫でたのだ。慌てた声を上げて順が逃げようとする。が、一瞬早く都子の手が順の頬にヒットした。
「全く。お兄さまの馬鹿者さ加減は全く変わりませんわね! 木村の当主として情けなくないんですの!?」
「えー。だってオレ、財閥とか興味ないもん」
唇を尖らせて順が拗ねる。呆れ果てたため息をついて都子は順から離れた。いつまでもこの兄は。苛々としたものが心に溜まっていくのを感じる。
二人が直接、話をしたりするシーンは少ないかも。