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その日、珍しく早く帰宅したのは仕事がなかったからではない。月末には生徒会役員会が開かれる予定になっているし、絵美佳との対戦用のロボットのプロジェクトも遅延している状態だ。現に昨日まで要は毎日、九時過ぎてから帰宅していた。その根の詰めようは、いつもは何も言わない栄子が要を気遣って心配したほどだ。
だが今日は違う。要は急ぎ足で帰宅した。何しろ今日は特別な日なのだ。朝、食卓についた時に栄子は告げた。せっかく特別な日なのだから、今日くらいは早く帰っていらっしゃい。その言葉に従い、要は出来るだけ仕事を片付けた。本当は途中になっていた仕事もあるが、栄子が嬉しそうに告げたことを思うとどうしても時間を延ばせなかったのだ。
足取りも軽く門を開ける。要は玄関に駆け込むように家に入った。いつもより随分と早いからだろう。使用人は出てきたが、栄子の姿はない。要はさして気にも留めず自室に向かった。
不思議なことに、あれだけ付きまとっていた順はある日を境にぱったりと姿を見せなくなった。きっとお母様が追い帰したのね。要は順がいなくなったことをその程度に考えていた。だがあれだけ煩く付きまとわれたからか、いなくなってみると妙に寂しいような気がする。だがそんな自分の寂しさを要は気のせいだと片付けていた。
着替えて姿見に向かう。今日はいつもの普段着とは少し違う格好にしてみた。要は髪に結わえたリボンの歪みを直し、唇には淡いルージュを引いた。耳に飾ったパールのイヤリングは以前、栄子がプレゼントしてくれたものだ。要は姿見に全身を映してつま先でくるりと一回転してみた。淡いピンクのスカートが広がる。
ケーキは前から目をつけておいた店のものを買ってきた。本当は使用人が買いに行く予定だったのだが、要が自分で行くと言い張ったのだ。机に乗せたケーキの箱を手に、要は急いでキッチンに向かった。
予定が立てこんでいなければパーティの一つも催しただろう。何しろ今日は要の誕生日なのだ。キッチンで忙しなく働く料理人たちを避け、要は急いで料理長の元に向かった。部下に厳しい指示を出していた料理長が要を見止めて破顔する。
「お帰りなさいませ、要様」
「準備は出来ていて?」
だがきっと訊くまでもないだろう。そうは思ったが要は伺うように軽く首を傾げて見せた。すました態度で訊ねた要に料理長が微笑みかける。この初老の料理長は要の母、栄子が幼い頃から如月家で働いている。栄子の誕生日にもたくさんのご馳走を作ったのだと、かつて料理長は語っていた。
料理の準備は整っている。食卓もいつもより煌びやかに飾られ、後は栄子が戻るのを待てばいい。要は食卓について栄子の帰りを今か今かと待った。要に早めに帰るように告げたということは、栄子もそれなりに仕事を早く切り上げて帰宅するということだ。きっといつもより早く帰ってくる。両腕に一杯のプレゼントを抱えて。
刻々と時間が過ぎる。要は食卓についたまま次第に苛々とし始めた。既に九時を回っている。テーブルを指先で弾きながら要はため息をついた。窓やテーブル等につけられた飾りが何だか空しく見えてくる。
だがそれでも要は待っていた。使用人の大半が定刻だからと帰っても、それでも要は待ち続けた。もしかしたら急な仕事が入ったのかしら。それとも渋滞かしら。色々なことが要の頭を巡る。
壁にかかった時計が十一時になったことを報せる鐘を鳴らした時、要は静かに立ち上がった。食卓には空の皿が並んでいる。それを静かに見つめてから要は振り返った。食堂の入り口には執事が控えている。
「ちょっと見てくるわ」
「要様。それでしたら私が……」
困惑した面持ちで執事が告げる。だが要はそれを制して食堂を出た。コートを羽織って玄関を出る。
冷たい風が吹き抜ける。要はぼんやりと玄関先に佇んだ。空を見上げると月に雲がかかっていた。薄い雲が流れ、濃い雲が月に差し掛かる。切ない気分で要はしばらく空を見つめていた。月明かりが雲に遮られて周囲が一段と暗くなる。
冷ややかな風に目を細めて要はふと門を見た。いつの間に立っていたのだろう。門の傍に人影が見える。
「お母様!」
要は目を輝かせて門に駆け寄った。だがそこで要は目を見張って足を止めた。人影の正体は栄子ではなかった。
「やっほお、要ちゃん。はっぴばーすでー」
両手一杯の花束を抱え、順が呑気に笑う。要は絶句して順を凝視した。
「遅くにごめんねぇ。近頃、仕事が立て込んでてさあ」
相変わらずのだらしない笑みを浮かべて順が頭をかく。だが要はいつものように順を張り飛ばさなかった。不安と緊張が一気に解け、その場にへたり込む。慌てたように順がその場に屈みこむ。
「ど、どったの? 要ちゃん」
心配そうに順が要の顔を覗き込む。要は寒さに凍えた身体を自分の腕で抱き、震え始めていた。腕に巻いた時計を見やる。もう、十二時近い。こんな時間まで何の連絡もなく戻らないのは幾らなんでも変だ。
「お母様が……」
力なく告げて要は頭を上げた。順のジャケットを無意識につかむ。
「お母様が帰ってこないの!」
不安を満面に表して要は叫ぶように告げた。すると順の顔から笑みが消える。順はこれまで要に見せたことのない真剣な顔で訊ねた。
「詳しく事情を話してごらん」
その前に、と順は要の腕を取って立ち上がった。玄関に促され、要はよろけつつ家に戻った。寒さに凍えた身体が玄関をくぐるとじんわりと痺れてくる。それほど冷えていたのか、と要はのろのろと理解した。
たまにはシリアスもあるんですよー(棒