あ、エロシーンはありません。
その屋敷は清陵町の外れの丘の上に建っている。最近までずっと家主は不在でその管理を使用人がしていたらしい。だが先ごろ家主が帰ってきた。多輝はかつて一度だけくぐった門の前で黙って立っていた。
さっきまで優一郎に抱かれていた身体が熱い。多輝はそっと息をついて自分の肩に触れた。軽く握ってみる。今でもやっぱり肩が細いと感じるのは、男だった時間が長かったせいだろう。数ヶ月が過ぎた今でも自分の身体を酷く頼りないと思ってしまう。多輝は一度、目を閉じて脳裏にかつての自分の姿を思い描いてみた。斜に構えた姿が脳裏に蘇る。度々、姿見を覗いた記憶はないから、もしかしたら瞼の裏に映った自分の姿にも多少の嘘が入っているかも知れない。何しろその姿は多輝の知る、多輝ではない誰かによく似ているのだ。
まあ、いっか。多輝は諦めのため息とともにかつての自分の姿を脳裏から追い出した。どんなに思っても時が戻ることはない。もしかしたら男のままでいれば今のような辛い思いはしなくても済んだかも知れない、というのは過去の自分が優一郎と深く結びついてはいなかったからだ。
決心して手を伸ばす。多輝は門の脇にあるインターフォンのスイッチを押した。ほどなく女性の声が返答する。
「遅れて申し訳ありません。雨宮と申しますが」
本来の約束の時間を一時間も過ぎている。そのことを悔いながら多輝は最初に詫びた。だが応答した女性が機嫌を悪くした様子はない。まあ、使用人だから当り前か。多輝が胸の内でそう呟いた時、重々しい音を立てて門が開いた。
広々とした庭には幾種もの花が植えられている。この時期に咲き乱れているのは色とりどりのばらの花だ。多輝はゆっくりと歩きながら花の群れを眺めた。赤、白、黄色。濃い原色から淡いパステルカラーまで、様々な花が一面に咲き誇っている。風に揺れる花の様を充分に楽しんでから多輝は玄関へ向かった。
ドアチャイムを鳴らすまでもなく扉が開く。待ち受けていたのは見慣れない一人の女性だった。使用人か。そう多輝が思うより早く女性が口を開く。
「ようこそ。あなたが天輝さんね?」
女性がいきなりそう切り出す。多輝は女性の質問に面食らい、反射的に首を横に振った。
「いえ、あの、おれは雨宮多輝、ですけど」
別の誰かと間違えられているのだろうか。多輝は焦りながらそう応えた。すると女性があからさまに顔をしかめる。手にしていた端末を操作する様や、白衣を着ているところを見るとどうしても別の誰かに見える。多輝は、誰だっけと記憶を探った。白衣に端末。口の中で呟くとすぐに答えは出た。この女性は絵美佳に似ているのだ。
吉良絵美佳。かつて多輝と絵美佳はとても近くにいた。知り合ったきっかけは些細なことだった。絵美佳が多輝を使って実験をしたいと言い出したのだ。当時、多輝は科学部を毛嫌いしていたため、最初はその申し出を断った。が、最終的に多輝は絵美佳に協力することとなり、絵美佳も多輝の望む通りに行動することになった。
しかし多輝にそこまでの記憶はない。絵美佳も同様だ。とある事件に関する記憶は事件に関わった者の中では優一郎しか覚えていない。それ故、多輝もどうして絵美佳と親しくなったのかをはっきりと覚えていないのだ。
「雨宮さん? 吉良瀬、天輝さんではなく?」
女性はあくまでも機械的に問い掛けてくる。吉良瀬、という名を耳にした多輝は僅かに表情を険しくした。
「おれ、吉良瀬の姓はもらってねえし、天輝って名前でもない。でもここに来るようにって言われたのはおれだけど?」
このままでは平行線だ。多輝は女性にそう答えながら半ばうんざりしていた。どうして立城が出てこないんだ。不服に感じたが多輝は思ったままを口にはしなかった。すると多輝の表情を読んだのだろう。女性が苦笑して頷く。
「なるほど。だいたい判ったわ。立城さんはあなたを驚かせようとしてたのね」
どうやら意思疎通は何とか成功したらしい。多輝は憮然としたままで頷いた。何が気に入らないかと言えば、立城が多輝を驚かすことなどいつものことだからだ。あいつはいつもいつも。多輝がそうぼやくと女性がまあまあ、と微笑む。その仕草は絵美佳よりも大人びていた。
「私は吉良由梨佳。立城さんから、あなたの教育係を頼まれているの」
吉良? 多輝はすぐにその名前に反応した。吉良優一郎。吉良絵美佳。そして目の前にいる女性が吉良由梨佳……。その名前の一致が偶然とは到底思えない。多輝は恐る恐る訊き返した。
「まさかとは思うけど……その、優一郎……くんのお母さん?」
そう問い掛けてから唐突に気付く。由梨佳から発されている気配が妙なのだ。だが多輝にとっては慣れている気配と言ってもいい。
「……まさか……。ヒューマノイド? なのか?」
震える声で続けた多輝に由梨佳が視線を投げかける。手にした端末を白衣のポケットに収め、由梨佳は事もなげに頷いた。
「最初の質問も、後の質問も、両方ともイエスよ」
優一郎たちの母親が異様なほどに若い、という情報は多輝も得ていた。だがまさか自分と同じヒューマノイドだとは思わなかったのだ。確かに科学者の一家だとは聞いた。だが母親自身がヒューマノイドになっているなどと、どうして想像できるだろう。多輝は絶句して由梨佳を指差した。意味もない行動だったが、何かリアクションせずにはおれなかったのだ。
優一郎と絵美佳の母親、由梨佳が本格的に話に入ってきます。