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「ここなら分解出来そうだよ。ほら」
そう言って葵が身を乗り出して手を差し伸べる。一瞬だけ迷ってから優一郎は手を出した。つかまれた、と思った途端に身体が浮く。あっという間に優一郎はケースの蓋まで引っ張り上げられた。
「おもったより腕力あるんですね」
感心しつつ呟いた優一郎に葵が苦笑する。煙草を唇の端に咥え直し、葵は肩を竦めて足元の蓋を指差した。金属製の蓋には幾つものナットがはまっている。確かに分解はできそうだ。優一郎はズボンの裾に手を伸ばした。隠してあった工具を取り出す。
「んじゃ、こっちはお願いするね。オレは他に使えそうなもんがないか探すから」
そう告げて葵が蓋から飛び降りる。優一郎は目でその姿を追った。ケースは二メートル以上ある。その上から飛び降りたというのに葵は何ともない顔で歩いている。運動能力がよほど優れているのだろうか。優一郎はその様子に首を傾げたが、すぐに気を取り直して分解作業を再開した。
葵はまずロッカーに目をつけたらしい。次々に扉を開いて中を確認している。優一郎は時折、葵の様子を伺いながら黙々と作業を続けた。一つずつナットを緩めていく。が、たとえ全てのナットを緩めてもこの蓋を持ち上げなければケースは開かない。作業しながら優一郎は次にどうすべきかを懸命に考えていた。蓋をずらして重みで床に落とすのが早いか。それとも何かで叩いて少しずらし、ケースの中に入って栄子を救出する方がいいか。
「なんだ? これ。絵、かなあ」
聞こえてきた声に優一郎の思考は途切れた。顔を上げて声のした方を見る。葵が一枚の画用紙を手に奇妙な顔をしている。
「何かヒントになりそうな内容が?」
もしかしたら参考になるのかも知れない。期待を込めて優一郎は声をかけた。が、葵はまだ思案顔をしている。少し間を置いて葵はああ、と呟くように答えた。
「いや、ごめん。ヒントになるかは判らないけど……こんなの出てきた」
優一郎によく見えるように葵が画用紙を引っくり返す。そこには真っ赤なクレヨンで絵が描かれていた。幼い子供が殴り描いたような絵だ。が、それを見た優一郎は思わず目を見張った。つたない描き方ではあるが、紛れもなくそれは女性の裸体だったのだ。
硝子のケースに閉じ込められた栄子。子供の稚拙なクレヨンの絵。優一郎は唇に指を当てて少しの間、思案した。それが栄子を救い出すためのヒントになるとは思えない。だが優一郎の脳裏に閃くものがあった。そうか、この施設は。脳裏に果穂の姿が過ぎる。
とにかくそれは保管しておいてください。優一郎は葵にそう告げて作業に戻った。葵は不思議そうに優一郎を見たが、判ったと答えて画用紙を折り畳んだ。ジャケットのポケットにしまいこんで再びロッカーを探り出す。
ロッカーからは目ぼしいものは出てこなかった。数枚の白衣と雑貨、それに折れたクレヨンなどが床に並ぶ。それを横目に優一郎は最後のナットを緩めにかかった。
「うーん。何か不気味だなあ。なんなの、ここ」
床に並んだものを見つめて葵がぼやく。優一郎は作業を続行しながら答えた。
「僕の推測でよければ、後でお教えします」
言いながら力を込める。最後のナットはやけに固く締められていた。ちょうど、ケースの角だから頑丈になっているのかな。そう思いながら優一郎は強引に力をかけた。じりじりとナットが動く。
「うん、オレにはわかんないからゼヒ聞きたいなあ」
だって気持ち悪いんだもん。その葵の言葉に重なるように優一郎の手元で妙な音がした。かちん。硬質な音が部屋に響く。
唐突に足元が揺れる。
「危ない!」
何かが砕ける音が聞こえる。優一郎は傾いだ身体を懸命に支えようとした。蓋が一気に落下する。
「うあっ!」
ふわりと浮き上がるような感覚と共に優一郎は蓋に叩きつけられた。頭をしたたかに打ち付ける。痛む頭を押さえて優一郎はのろのろと身体を起こした。床に硝子の破片が散乱している。傾いた蓋から慌てて降りた後、優一郎は目を剥いた。
葵が蓋の下に身体を入れている。背中から血を流しながら低く呻く。その身体の下には栄子が倒れていた。
「は……やく、この人、引っ張って」
優一郎は慌てて栄子を蓋の下から引きずり出した。幸い、今の蓋による怪我はなさそうだ。優一郎が栄子を引きずり出した後、葵は苦笑してみせた。優一郎は硝子の破片を避けて栄子を床に横たえ、葵の許に取って返した。
「すいません、焦っていて思慮不足でした」
そう言いながら優一郎は蓋を退けようと手をかけた。葵がそれを見て苦笑する。口許にぶら下げられた煙草が微かに上下する。
「ちょおっと……無理だと思うよ。コレ、一トンくらいあるっぽい」
唇が歪む。優一郎は息を飲んで葵を見た。蓋の下に咄嗟に突っ込んだためか、葵は頭からも血を流している。
「葵さん? あなたはいったい?」
「あー……まあ、特殊なの、かなあ……判んないけど……」
いつもの情けない笑いを浮かべて葵が呟くように答える。続いてやれやれと呟き、葵はちらりと優一郎の後ろに視線を飛ばした。そこには栄子が横たわっている。優一郎は視線を追いかけてから葵に目を戻した。
「とにかく……そのヒト、先に、連れて……逃げて」
それを聞いた優一郎は慌てて首を振った。すると葵が呻いてじりじりと手を動かす。蓋の下敷きになりながら煙草に手を伸ばす。蓋が軋みを上げてゆっくりと傾いた。
「ですけど、大丈夫なんですか!?」
優一郎は叫ぶように告げて蓋に手をかけた。何とか動かそうと力を入れる。だが葵の言った通り、蓋は重すぎて動かせない。葵は蓋の陰で苦笑した。
煙草をつまんで唇に挟み直す。そして葵は優一郎を見た。頭から流れた血が頬を伝って落ちていく。
「いいからキミはさっさと行く。そんで、こっから出る方法を考えるように」
「わかりました……お言葉に甘えます」
そう告げた優一郎に葵が唇を歪めて笑ってみせる。優一郎は葵に一礼して栄子に駆け寄った。全身に傷があるがまだ息はある。優一郎は栄子を抱えてドアに向かった。とりあえず地上に出よう。そう思いながらドアを開ける。
一度だけ振り返る。同時に蓋が不気味に傾ぐ。優一郎は目で葵に礼を述べて廊下を駆け出した。その直後、激しい物音が背後で響く。優一郎は目を閉じて歯を食いしばった。
最後まで笑っていた葵の姿が脳裏を過ぎる。優一郎は栄子を抱えて階段を昇った。一段ずつ踏みしめて歩く。真っ暗な階段にすすり泣く優一郎の声が響いていた。