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「いえ、逃げですね……。僕を呼んだという事は、ベストな解決策はそうじゃないと呉羽さんは思ってる。そう理解していいですよね?」
呉羽はしばし黙っていた。これまで優一郎の研究に呉羽はずっと協力してきた。そうでなければちなりやカレン、そして保美は作れなかった。この清陵中央病院は総一郎の研究室とも縁が深いため、優一郎もすぐに呉羽と協力体制を整えることが出来たのだ。そうでなければ親戚付き合いのない呉羽と知り合うことすら出来なかっただろう。
「今更だけどね。私も少しはためらうのよ。あんたみたいな子供がどうしてそうなっちゃったのか、とかね。考えたりもするし」
ふう、と呉羽はコーヒーに息を吹きかけた。もしかしたらため息だったのかも知れない。医者として優一郎の精神状態を案じているのだろう。そのことは優一郎にもよく判った。だがそれこそ今更だ。優一郎は苦笑してコーヒーを一口、飲んだ。
「ですよね。こんな事態になったことを喜んでさえいるんですから、正直、おかしいですよね」
栄子に会った時から感じていた。彼女を自分のコレクションにしたらどうだろう。それはどんな女性が相手でも思うことではない。所謂、ヒューマノイドを作り続けてきた優一郎の直感だった。
そして栄子は拉致された。とりみだす要とは対照的に優一郎は別の意味で心臓を高鳴らせた。もしも、事故が発生したら。そうしたら栄子を手に出来るかも知れない。それはある種の独占欲とも言えた。あの栄子の脳だけを残し、身体を機械仕掛けのそれに変えられたら。そうすれば栄子はある意味では自分のものになる。自分だけがその構造を知り、そして自分だけが栄子を操ることが出来る。
そう思う心の裏側で優一郎は苦悩していた。どうして栄子が大変な時にそんなことを考えてしまうのだろう。葛藤は常にあった。だが優一郎が心のどこかで願っていたことは現実になった。栄子の居場所を示すポイントが一気に散った時、優一郎は愕然とした。栄子を心配してのことではない。もしかしたら自分の望みが叶うかも知れない。そんなやましい気持ちを優一郎はすぐに否定した。だが、一度火がついてしまった欲求は止められなかった。
悩まない訳ではない。気持ちのギャップが強すぎて辛いと思う時もある。だがどうしても優一郎は望まずにいられなかった。脳だけの状態で栄子を発見出来るよう、優一郎はいつの間にか強く思うようになった。
だが実際に栄子の元に辿り着くと、彼女は五体満足でいた。せめて呼吸が止まってくれていればいいのに。硝子ケースを前に優一郎はそう思った。辛うじて思いを顔に出さずには済んだが、葵がいなければ正直に落胆していたかも知れない。
そんな自分がとても嫌だった。なのに欲望はおさまらなかった。いつもそうだ。ちなりの時も、カレンの時も、保美の時も、優一郎はいつも思い悩んでいた。栄子が助かって良かったとほっとしている筈なのに、心のどこかが暗く深く沈む。そんな自分の葛藤を誰に打ち明ければいいのだろう。
周囲の人々は優一郎がとても優秀な科学者になるだろうという。優一郎も勿論、そのつもりではいる。が、彼らの言うそれは総一郎と優一郎を重ねて見ているからだ。決して、優一郎個人を評価している訳ではない。あの総一郎博士の息子だから。常にその噂は優一郎につきまとう。
「おかしかないさ。そんなこと言ってたら、解剖できるって喜んでる私はどうすんの。医者として当り前の好奇心や興味が世間一般的には非人道的と言われるのよ? このギャップはやっぱ、いつまで経っても埋められないわね」
笑いながら告げて呉羽はカップを傾けた。優一郎はため息をついて苦笑した。もしかしたらこの呉羽は自分の心をよく知っているのかも知れない。そう思う。だが呉羽は微塵もそんな気配は見せない。いつも呉羽自身が当り前と思い、受け入れている現実の話をしてくれるだけだ。
「それでは、早急に彼女をヒューマノイド化する方向で手配を整えます。要さんを含めた家族の方の同意も必要ですし」
そう告げて優一郎は席を立った。カップを呉羽に渡す。呉羽はそのカップを見てから眉間に皺を寄せた。相変わらず可愛げのない。そう小声で言われる。優一郎のカップにはまだコーヒーが半分以上残っている。呉羽の淹れるそれは濃すぎて優一郎の口には今ひとつ合わないのだ。
「どうでもいいけど何かあったら相談くらい、しなさいよ。これでもあんたのパートナーのつもりなんだからさ」
呉羽はため息と共にそう吐き出した。優一郎はにっこりと笑って呉羽に片手を上げた。ドアを開けて廊下に出る。半開きになったドアから顔だけを覗かせ、優一郎は小さな声で礼を述べた。驚いた顔をした呉羽が唇に咥えていた煙草を落下させる。優一郎は今度こそドアを閉め、栄子の病室に向かった。
今のところ血縁的な感じでは甥と叔母になってますが……。