エロシーンはありません。
珍しくその日は暖かかった。のんびりと手足を伸ばして日光を全身に浴びる。そうするといつもは感じなかった風の香りまで判る気がする。立城は微笑みを浮かべて空を見上げた。
空には薄い雲が流れている。秋の高い空はすがすがしい。にっこりと笑みを空に向けて立城は傍にあった茶を取った。奈月が淹れてくれたそれを啜る。香りのよい緑茶が喉を通って胃に落ちる。
「おい」
気持ちいい秋晴れだね。立城はのんびりと告げてまた茶を啜った。布団を干したら気持ち良さそうだ。そう思いながら下を覗き込む。思った通り、庭には布団が並べられている。楽しそうに布団を叩いているのは奈月だ。
「おい!」
秋と言えば栗ご飯も美味しいよね。立城はにこにこしながら呟いた。両手で湯飲みを包んで頬にあてがう。じん、とした痛みにも似た温もりが伝わってくる。
「おいってば!」
間近で叫び声が上がる。立城はにっこりと笑いながらようやくそちらを向いた。
「嫌だなあ。聞こえているよ、黒妖牙」
傍で肩を怒らせていた青年がため息をつく。青年が黒妖牙というフルネームで呼ばれることはまずない。その名を口にしているのは立城くらいのものだ。仲間内では黒妖牙は黒と呼ばれている。
「てめえ、こんなところで接客とはどういう了見だ!?」
立城と黒は屋敷の屋根の上にいた。立城はあはは、と軽く笑って湯飲みを傾けた。やっぱり奈月さんのお茶は美味しいなあ。そう呟いてみる。すると隣にいた黒がふるふると肩を震わせた。
「だって気持ちいい天気だったから」
にっこりと笑って言うと、黒はいきなり立城につかみかかった。胸倉をつかまれて締めかけられる。立城は器用に手を動かして湯のみの中の茶をキープした。
「犯すぞ、てめえ」
「いいよ、別に」
脅し文句ににっこり笑って切り返す。すると黒が肩を落として手の力を抜いた。立城は何事もなかったかのような顔で再び空を見つめた。
ほころびた結界は修復しなければならない。が、今は水輝は留守にしている。立城自身もまだ力は完全に戻っていない。となると、別の誰かの力を用いなければならない。
「だから呼んでみたんだけど、何だか機嫌が悪そうだね」
「だからって、おい、それって説明のつもりか!?」
どうしてこう、反応がわかりやすいかなあ。そう内心で呟いて立城は茶を啜った。ほら、ともう一つの茶を黒に差し出す。黒は舌打ちをして立城の手から湯飲みを取り上げた。
今朝方、水輝は屋敷を出た。極力、気付かれないようにしたつもりだが、本当のところはまだ判らない。が、屋敷を出たということは行く先は決まっている。立城はのんびりと湯飲みを傾けてちらりと隣に目をやった。黒は不機嫌な顔で茶を啜っている。
「報酬はどうしようかな。何がいい?」
先手を打って訊く。すると黒はぴくりと眉を上げた。それから鼻を鳴らして横を向く。
「女」
「判りやすいなあ、本当に。いいかげん、飽きないの?」
苦笑しつつ立城は応えた。すると黒が眉間に皺を寄せて横目に立城を睨む。はいはい、と立城は片手を上げた。
黒は欲望を司る龍神だ。通常は現界には出てこない。冥界の王と別名で呼ばれる理由がそこにある。立城は茶を全部飲みきって立ち上がった。少し声を張って庭にいる奈月に呼びかける。
「すみません、奈月さん。お茶をもう一杯お願いしてもいいですか?」
「はい」
嬉しそうに答えて奈月が屋敷へと駆けて行く。それを見て立城はうんうん、と頷いた。水輝の不在が悪影響を及ぼすかと思ったが、今のところは問題ない。最悪の場合は機能停止するしかないと考えていた立城は奈月の様子に満足そうに頷いた。
「どーでもいいが、さっさと要件を言え」
不機嫌そうな声が飛んで来る。ああ、と立城は苦笑して屋根の上に腰掛け直した。風に吹かれてそよいだ髪を指で押さえる。
「火藍の魂と真也の魂の行方。まあ、真也の方は大体判っているから、主に火藍かな」
「……それをいつまでに調べろって?」
「今日中」
そう立城が答えた瞬間、黒の動きがぴたりと止まる。硬直した黒を余所に立城は口許に指を当てて空を仰いだ。
「そもそも、管轄なのにちゃんと見てないのが悪いと思うんだよね。だから間で別の人にさらわれたりすると思うんだ。僕は」
ぴくぴくと黒の眉が動く。そのことは判っていたが立城は更に続けた。
「おかげで僕はしなくていいことまでしている訳だし、そのことは判ってくれるよね? 幾ら君でも」
湯飲みを持つ黒の手が小刻みに震える。立城はにっこりと笑って顔を戻した。首を軽く傾げて黒を見つめる。
「僕、本当はかなり忙しいんだけれど、今の状態を保っているんだよね」
ぎこちない動きで黒が頭を動かす。立城をその目が捕らえる。黒が口許にあてがった湯のみはまだ揺れている。立城は駄目押しとばかりに微笑みを浮かべた。仲間内から恐れられている極上の笑みを黒に向ける。
「どこかのぼんくらが欲にかまけて遊んでいたからこんなことになっているんだけど、知ってるよね?」
「……それって……八つ当たり……?」
「こうでもしないと動きが取れないだろうからと思って、僕はわざわざ状態維持しているんだけど、わかってるよね?」
「で、でもな。あの」
黒の顔色は徐々に悪くなっている。立城は微笑みを浮かべたまま黒の顔を覗き込んだ。正面から見つめる。すると黒がまともに引きつった。
「僕がこの状態を維持し続けるとどうなるか、知らない訳じゃないよね?」
「う」
「ちなみに僕はとても怒っているんだけど、それもよく判るよね?」
黒の手から力が抜ける。落下しかけた湯飲みを立城はタイミングよくキャッチした。再度、黒の手にそれを握らせる。指が触れ合うと黒の体温が下がっていることが判る。立城は微笑んだまま、その冷たい指を指先で撫でた。
不意に空気が揺れる。立城はゆっくりと身体を起こして空の湯飲みを握り直した。急須を片手にした奈月が現れる。奈月は見知らぬ黒にまず頭を下げた。
この頃に書いた黒妖牙は、今よりちょっと元気ですw