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その日の夜、如月家の電話機はものの見事にぶっ壊れた。要が怒りに任せて電話機を叩き割ったのだ。要はその時のことを思い出しながら苛々と通学路を歩いていた。今日は車で出る気分ではなかった。早朝、道を行く人たちは少ない。要は胸中で文句を言いながら信号を渡った。
あの夜、要は父親に電話を入れた。栄子の容態を知らせるためにかけた電話に父親はそれ以上はないほどのんびりと出た。そもそも、妻が拉致され、さらに怪しげな研究所らしい場所に監禁され、助けた時には記憶が退行していたというのに、この父親はそんな栄子を一切、心配しなかった。それだけでも要には許しがたかった。一体、あなた方は何のために夫婦になったんですの。油断するとそう言ってしまいそうだった。
栄子の手足は別の誰かのものになっている。要は苛々しながら父親に今の栄子の状態を説明した。殆ど優一郎の受け売りとなってしまったが、それが一番わかりやすいだろうと判断したのだ。
さすがにこれはお父様も心配なさるに違いないわ。家族の同意が必要だという優一郎の言葉は忘れてはいない。が、せめて心配くらいしてもいいではないか。そう思いながら要は父親の返事を待った。
いいんじゃないか? その方が栄子にもいいんだろう?
父親の返事は驚くほどあっさりしていた。ヒューマノイドのメリットとデメリットについて要はきちんと話をした。それなのに父親は動揺することもなく、栄子のヒューマノイド化にすぐに同意したのだ。
「まったく……お父様もお父様ですわ! そりゃ、わたくしだってお母様が生きている方がいいと思いますけれど」
苛立っていた要は自然とそう呟いていた。幸い、傍には誰もいない。要は思う存分に父親に対する文句を呟いた。電話を壊したあの夜、執事は飛び上がるほど驚いていた。すぐに新しい電話機が用意されたが、執事はくれぐれも壊さないようにと要に注意した。あの執事が要に意見するのは珍しい。よほど要の出血が気になったのだろう。要はふん、と鼻を鳴らして包帯の巻かれた手を見た。
何事もなく要は学校についた。今日はどうしても外せない用事があるので栄子の見舞いには優一郎に代わりに行ってもらっている。要はため息をつきながら生徒会室に向かった。
そろそろ冬も本格的になってきている。北の方では雪も降っているらしい。要は飛んで来る挨拶に応えながら生徒会室に入った。既にボディガードの周藤と野木が生徒会室に控えている。
「おはようございます、要様」
二人が同時に頭を下げる。要はおはよう、と答えて席についた。傍に寄ってきた周藤に鞄を預け、野木にコートを差し出す。二人は手際よく要の荷物を片付けた。
いつから夫婦の間が冷え切ってしまったのだろう。先日の会議の議事録に目を通しながら要はふと考えた。父と母がすれ違うようになってから随分と経つ。父は一年のうち、殆どの日を海外で過ごしている。対する母はずっと会社で働き詰めだ。要はここ数年というもの、二人が会話をしている姿を見たことがない。
だが父は父、母は母だ。要は二人に干渉は一切しなかった。母がたとえ外で別の男と逢引していようと、父が複数の女性と生活していようと、気にしないようにした。自分には自分の人生がある。それと同様に彼らにも彼らなりの人生がある。そう思ったのだ。
でも、こんな時くらい心配したっていいじゃない。要はいつの間にか怒りの形相になって手にした議事録を握り締めていた。怯えた表情で野木があの、と声をかける。要は反射的に野木を鋭い眼差しで睨みつけてしまった。
「あ、あの、要様。そろそろお時間でございますが……」
「はっ! そうね! うっかり忘れるところだったわ」
そう言いながら要は握り潰した議事録を野木に差し出した。野木が恐々とそれを受け取る。要は机の引出しを開けて双眼鏡を取り出した。
近頃、側近たちの顔ぶれは全く変わっていない。様々なことが立て続けに起こったため、選んでいる余裕がなかったのだ。それに第一候補であった多輝は行方をくらましたままだ。要はため息をついて窓に向かった。
双眼鏡を覗き込む。生徒会室からは校舎の入り口がよく見える。生徒たちはここを通らなければ登校できないのだ。要は真剣に生徒たちの顔を見つめた。これは駄目、あれも駄目、と次々に男子生徒を検分する。
こうして思えば順が訪ねてきた日々はそれなりに退屈しなかった。要はまだこの時に至っても順が原因で栄子がああなってしまったのだと確信できなかった。優一郎の言っていることは確かに間違っていないのだろう。現に栄子も大変な状態になっている。そして栄子が拉致された時に姿を現したきり、順はまた要の許を訪れなくなった。
いつものだらしない笑みと、あの夜の真剣な顔の差は激しかった。そして要はそんな順をずっと気にしていた。だが例えもう一度会ったとしても前のように接することは出来ないだろう。きっと自分は順に真っ先に噛み付き、例の件の犯人として警察なり何なりに突き出すに違いない。だがそう判っていても要の目は自然と順を探していた。
もう少し、話をしておくんだったわ。そうしたらお母様はあんなことにならなかったかも知れない。先に自分が順の正体に気付いていれば。だがそれらは全て要の妄想に過ぎない。例え話す機会が多かったとしても、正体が判ったかどうかは定かではない。ひょっとしたら更に目を曇らされていたかも知れないのだ。要はため息をつきながら双眼鏡を下ろした。
「……要様?」
心配そうに周藤が声をかけてくる。要は何でもないのよ、と微笑んでから双眼鏡を再び目にあてがった。一人の男子生徒を見つめる。これは確か去年、見切ったのでしたわね。要はそう口の中で呟いた。次の生徒を探そうと双眼鏡を動かしかける。だが要はその寸前で眉を寄せた。先の生徒が目を見張って何かを見ている。要は怪訝に思いながらその生徒の視線の先へと双眼鏡を向けた。
それを見た瞬間、要は息を飲んだ。一人の少年がプリントを片手に歩いている。その少年の容姿は驚くまでに整っていた。これまでに要が見てきたどんな生徒より整った容姿だ。端正な面立ちはどこか皮肉な印象がある。強いて言えば多輝に雰囲気が似ているだろうか。要の手は自然と震え始めていた。
「野木! 周藤!」
要は声を張って二人を呼んだ。はっ、と声を揃えて二人が要の足元に跪く。要は双眼鏡を下ろして振り返った。
「即刻、脱靴場に向かいなさい! 学生服の違う男子生徒を捕まえてくるのです!」
「はい!」
二人が同時に生徒会室を駆け出していく。要は双眼鏡を片手に低く笑い始めた。ひとしきり笑ってから口許に手をあてがって高笑いする。
見つけましたわ! わたくしの王子様!
要の高笑いが廊下まで響く。廊下を歩いていた生徒たちがそれぞれ、顔をしかめて生徒会室の前を過ぎる。
いつでもどこでも要ですw