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昼食を挟んで栄子は眠りについてしまった。優一郎はそれからすぐに呉羽の部屋に向かった。今後の打ち合わせをするためだ。呉羽も慣れているのだろう。打ち合わせは何の支障もなく進み、夕方までには大体の作業過程を決めることができた。
あとは本人の承諾があれば事は進められる。栄子の夫はあっさりと承諾したらしい。その話をした時の要は怒り狂っていた。だが要自身も反対はしなかった。彼女も栄子が生きることを望んでいる。要の気持ちは優一郎にも痛いほどよく判った。
だがその最後の本人の承諾が問題だ。栄子の記憶はまだ戻っていない。高校生の頃のままだ。そんな栄子にいきなりヒューマノイドになりませんかと言ったところで簡単には納得出来ないだろう。優一郎は何度か話を切り出そうとしたが、その度に言葉を飲み込んだ。
今の栄子であれば優一郎の言うことには大人しく従うだろう。栄子が総一郎を好いていた事実を利用すれば、思っている以上に簡単に事は進みそうな気はする。だが本当にそれでいいのだろうか。優一郎は思案しながら中庭に出た。ひなたぼっこをしている患者たちに混ざってベンチに腰掛ける。
父の総一郎の存在は栄子の中ではある意味で絶対だ。総一郎のふりをして話を進めれば、最初はためらっていても栄子は最後に頷くだろう。総一郎を心から好きな栄子だから、きっとそうなる。それは優一郎にも判っていた。話を聞いているだけで栄子の気持ちは伝わってくる。きっと高校に実際に通っていた頃もそうだったのだろう。ただ総一郎はそう言った感情には全く興味がなかったようだ。現に今、伴侶に迎えている由梨佳に対してもその方面ではさほど興味を抱いているようには見えない。まあ、陰では知らないけど。優一郎はぼやくようにそう呟いた。
「あっれえ? 優一郎くん? どしたの、こんなとこで」
のんびりとした声が後ろから飛んで来る。優一郎はぎょっとして振り返った。慌てて立ち上がる。驚愕に目を見開いた優一郎に近づいてきたのは葵だった。包帯だらけの身体を引きずるようにして歩いてくる。優一郎は我に返って慌てて葵に駆け寄った。ぐらついた葵の身体を支える。
「あっ、葵さん? ご無事だったんですか!」
驚いた優一郎の声はひっくり返っていた。葵は支えられながら情けない顔で笑う。
「なんかねぇ。助かってたみたい。気付いたらここにいたんだけど」
そう言いながら葵がちら、と病棟を振り返る。優一郎は目を見張って葵の包帯だらけの身体を見つめ直した。頭にも包帯は巻かれている。
「良かった……」
葵はあのまま死んでしまったのだと思っていた。優一郎はほっとして息をついた。すると葵が力なく笑う。だがすぐに顔をしかめて胸を押さえる。どうやらあんまり笑うと痛むらしい。優一郎は葵を気遣いながらゆっくりとベンチに戻った。
「すいません。手伝っていただいばかりにこんな事になってしまって……」
命は助かったかも知れないが、葵は明らかに重傷を負っている。パジャマに隠れて判らないが、きっと全身に包帯は巻かれているのだろう。歩く時のぎこちなさがそれを物語っている。ははは、と力なく笑い、葵は優一郎を横目に見た。
「あのヒト、助かった?」
栄子のことを言っているのだろう。声を潜めた葵の問いに優一郎は小さく頷いた。葵が良かった、と息をつく。だが優一郎の顔は自然と曇っていった。先に考えていたことを思い出したのだ。
「どったの? 何か問題があったり?」
もしかしたら葵は自分が思っているよりは鋭いのかも知れない。そう思いながら優一郎は伏せていた目を上げた。
「記憶のほうが混乱されてるらしくて……。僕もくわしいことは……」
言葉を濁しながら告げる。葵は痛ましそうに顔を歪めて頷いた。
「そっかあ。何だか大変そうだねぇ。それ考えるとオレはまだ全然ダイジョブかも」
言いながら葵が力なく笑う。包帯を巻かれた手が痛々しい。胸を押さえる葵を見つめ、優一郎は目を細めた。
あの日、葵の協力なしでは栄子を助け出すことは出来なかった。その葵は今、こうして怪我をしている。それが自分の責任であることは優一郎も自覚していた。迂闊な自分の行動が招いた事態だ。だが葵は一切、その件について優一郎を責めなかった。どうやって木村の地を抜けたの、と気軽に訊ねてくる。
「いろいろ混乱してましたので、なんとか脱出できました」
そう告げて優一郎は葵の手からライターを取り上げた。火を点けるために苦労していた葵の代わりにライターを灯す。葵はありがと、と呟いて火に煙草の先を近づけた。
「なんらかの、補償ができるように、如月さんと相談します。ご迷惑でなければ、ですが。どうでしょう?」
「えー、そんな、かえって悪いじゃん。オレは好きにしただけだしさ」
紫煙が風に流れていく。優一郎は目で煙を追いかけた。風に流れた紫煙が消える。葵は煙草を唇に挟んで手を伸ばした。乱暴に頭を撫ぜられ、優一郎は慌てて目を上げた。葵がにこにこと笑っている。
どこまでも人が好いらしい。そう思いながら優一郎は苦笑した。様々な悩みもこの時だけは忘れていられた。後に優一郎はこの時の葵との会話を思い出すことになる。
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