エロシーンはありません。
午後から早退することに決め、絵美佳は早々にロボットを引き上げさせた。今日は優一郎が学校に来ているのだ。研究室にロボットを戻し、それと入れ替わるように絵美佳は地上に出た。
真っ直ぐに優一郎のクラスを目指す。ちなりには研究室で待っているように命じてある。もし、優一郎に直接会わせてしまえばまた暗い顔をしかねない。ちなりに会わせてしまえば、折角、優一郎のことを思い出させないようにしている絵美佳の努力が台無しになる。
急ぐ絵美佳は自然と小走りになっていた。階段を駆け上がって優一郎のクラスに辿り着く。本鈴が鳴り、授業の開始を報せる。だが絵美佳はそれにも構わず勢いよく教室のドアを開けた。
「優一郎! ちょっと来なさい!」
居丈高に叫んだ絵美佳に教室内にいた生徒たちがぎょっとしたように一斉に顔を向ける。が、絵美佳は憤然と窓際に座る優一郎を睨みつけた。優一郎も教室内の他の生徒と同様、絵美佳に驚いたらしい。だがすんなりと立ち上がって近づいてくる。絵美佳は怒りと苛立ちに任せて傍に来た優一郎の胸倉をつかんで引っ張った。
「もしかして、姉さん?」
間近で優一郎が小声で訊ねる。絵美佳はそれを無視して叩きつけるように教室のドアを閉めた。優一郎を引きずったまま、廊下を歩く。とにかくここで話は出来ない。かと言って科学部の研究室に戻る訳にもいかない。あそこはちなりが待っている。絵美佳は優一郎を引きずるように廊下を進んだ。
「とりあえず屋上に行くわよ!」
優一郎の首根っこをつかんだまま、絵美佳は大股で廊下を進んだ。優一郎が困ったように声をあげる。自分で行ける、という優一郎を絵美佳は肩越しに鋭く睨みつけた。ふん、と鼻で笑って手を離す。しばし咳き込む優一郎を腕組みをして睨み、絵美佳は再び歩き出した。
屋上には誰もいなかった。金属製のドアを開け、絵美佳は屋上に出た。後から優一郎がついてくる。
「あんたに、質問したいことがあるの。悠波ちなりって娘、知ってるわよね?」
優一郎が扉を閉めると同時に絵美佳は振り返った。怒りに満ちた目で優一郎を睨みつける。
「ちなりがどうかしましたか?」
冷たい風になびいた髪を押さえながら優一郎が平然と告げる。絵美佳は鋭く舌打ちをした。優一郎は知らないとしらを切るつもりはなかったようだが、返事を聞いても絵美佳の怒りはおさまらなかった。
以前は総一郎の面影のある優一郎を無条件に好いていた。総一郎と優一郎さえいれば、他に何も要らないとまで思ったこともある。だがこの時の絵美佳はかつてのそんな思いなどなかったかのように怒り狂っていた。
「ちなりちゃんって、あんたが改造したヒューマノイドよね? そのコ、今、どうなってるかちゃんと把握してる?」
唇の端を吊り上げ、絵美佳は優一郎に顎をしゃくった。ぴくり、と優一郎が眉を跳ね上げる。だが表情の変化はごく僅かで、すぐにその顔は平静のそれへと戻っていく。
「彼女の管理は保美先輩に任せていますけど。なにも問題はないと思われますが?」
応える優一郎はあくまでも平然としている。絵美佳は奥歯を強く噛みしめた。以前はそんな優一郎のことをとても好きだと思った。いつの間にか大人びた雰囲気をまとうようになった優一郎を誇りにさえ感じていた。
だが今は違う。絵美佳はぎらりと優一郎を睨みつけて静かに歩き出した。優一郎の目の前で足を止める。女の身体だった時には見上げなければならなかったのに、今は視線の高さが殆ど変わらない。
「じゃあ、端末で呼び出してみなさい。できるんでしょう?」
絵美佳は怒りを堪えて出来るだけ淡々と告げた。優一郎が不思議そうな顔をしつつもポケットから携帯端末を取り出す。指先が小さなボタンを押す。ほどなく二人の間近で音楽が鳴り始めた。絵美佳は半分だけ瞼を下ろし、ジャケットのポケットに手を突っ込んだ。着信音を鳴らしている携帯電話を取り出す。
優一郎が愕然と目を見張る。絵美佳は携帯電話のボタンを押して音楽を止めた。
「もしもし」
皮肉な笑みを浮かべて絵美佳はそう告げた。優一郎の手の中で携帯端末が小さな光を点滅させる。
ちなりの哀しそうな笑みが脳裏に蘇る。捨てないでとちなりは泣いていた。傍にいない優一郎に殺さないでと懇願していたのだ。絵美佳はふっ、と笑って電話を切った。優一郎は呆然と絵美佳を見つめている。
「姉さん? ちなりにいったい何を!?」
我に返って優一郎が慌てて絵美佳に迫ろうとする。その瞬間、絵美佳は歯を食いしばって右手を握り締めた。目を見張る優一郎の頬にこぶしを飛ばす。殴られた優一郎はよろけてその場にへたり込んだ。
「それはあたしの質問よ。あんた、ちなりちゃんに何をしたのよ!」
言いながら絵美佳はへたり込んだ優一郎に一歩、近づいた。ポケットにしまっておいた紙の束を無造作に優一郎に放り投げる。それはちなりが壊れた際のデータをプリントアウトしたものだ。機体各部の破損状況があからさまに記されている。
頬を押さえて顔をしかめていた優一郎が紙の束を手に取る。そして目を見開いた。震える指が一枚ずつ紙をめくっていく。
「そんな、まさか……!? どうして、こんなになるまで……」
掠れた声で呟きながら優一郎は紙面を凝視している。絵美佳はゆっくりとまた一歩、優一郎に近づいた。目を細めながら優一郎を見る。
「今更なに寝ぼけたこと言ってるのよ。ヒューマノイドの性質はアンタが一番良く知ってるでしょ?」
ヒューマノイドはシステム上、性的な快楽を必要とする。それは絶対不可欠な機体維持の条件だ。それ故にヒューマノイドは欲情しやすいように設定されている。そして効率よく機体を欲情させるために恋愛感情がそのシステムに直結されているのだ。
優一郎が息を飲む。絵美佳は腕組みをして優一郎を斜めに見下ろした。
「ヒューマノイドは人形よ。他人に支配されなければ生きられない。その事を一番良く知ってるのはあんただと思ってたんだけど」
機械仕掛けの身体で命を繋いだ後、ヒューマノイドは絶対の支配者を必要とする。それが人形であるヒューマノイドがマスターと呼ばれる存在の登録を行う理由だ。あらゆる事柄において、ヒューマノイドはマスター登録の行われた存在の安全を最優先する。言わば、ヒューマノイドはマスターを一生慕っていかなくてはならないのだ。
どんなヒューマノイドにも例外はない。あの由梨佳でさえ、総一郎をマスターとして登録しているからこそ、これまで機体を維持することが可能だったのだ。
ヒューマノイドのシステムの記録は劣化しない。人のように勝手に心変わりすることは出来ないのだ。羅木である絵美佳のものになる、と告げたちなりはある意味ではシステムに逆らった行動を取った。それ故、壊れかけていた機体は更に軋みを上げた。結果的にはちなりは必死で生きる術を探しながら、自分自身で機体の崩壊を早めてしまったのだ。
「要らないから、飽きたから、放置してたんでしょ? ちなりちゃんがどれだけ真剣にあんたを思ってたか気にもせずにのうのうと新しいオモチャで遊んでた。違う?」
言いながら絵美佳は優一郎の手にしていた紙の束を蹴った。震えていた優一郎の手から飛んだ紙の束がコンクリートに落ちる。
「ヒューマノイドを玩具扱いするのは別に構わないわ。でも、それならきちんと玩具扱いした責任をとりなさい!」
低い声で言いながら絵美佳は優一郎の胸倉をつかんだ。優一郎は言葉もなく絵美佳を見ている。
心の底から優一郎の幸せを願い、慕ってきた。時には隠れて優一郎を想いながら自慰をしたこともある。優一郎を欲しくてたまらなくて、それでも絵美佳はそんな想いを表面には出さなかった。総一郎と優一郎を見比べてしまっていることがたまらなく嫌だったから、だから想いを隠していた。
おねえちゃん。無条件に絵美佳を慕ってくれた幼い優一郎のことを思い出す。絵美佳は歯軋りをして優一郎の胸倉をつかむ手を震わせた。二度と、あの頃は戻らない。
「甲斐性無しが、人形遊びなんて十年早いってこと!」
振りかぶってこぶしを繰り出す。絵美佳のこぶしは優一郎の鳩尾に吸い込まれた。低く呻いて優一郎が俯く。どこまでも人が好いんだから。決して避けようとしなかった優一郎から絵美佳は手を離した。崩れ落ちた優一郎に背を向ける。
風に吹かれて紙の束が音を立ててめくれる。
「あんたに贈る、姉としての最後の忠告よ」
背中を向けたまま、絵美佳は掠れた声で告げた。背中越しでもわかる。優一郎は落胆したまま俯いているに違いない。絵美佳は頬を伝っていた涙を乱暴に袖で拭った。毅然と顔を上げる。
「というわけで、ちなりは今後俺が責任をもって面倒みてやる。文句は無いな?」
肩越しに振り返る。だが優一郎は返答しない。絵美佳はふん、と鼻で笑ってから屋上を後にした。
絵美佳って男らしいんですよねぇ……。