エロシーンはありません。
ちょっとお湯、変えてくる。そう言い残してちなりは部屋を出た。手早く洗面器のお湯を張り替えてタオルをすすぐ。慣れていないせいもあり、ちなりの作業は実に遅かった。ちなりもそのことをしっかりと自覚していた。だが水輝は一言も文句を言わなかった。されるがままになっていただけだ。
変なの。ちなりはそう呟いて洗面器を抱えた。感じていた不安は綺麗に拭い去られている。そのことにすら気付かず、ちなりは足取りも軽く部屋に戻った。
水輝はシャツだけを羽織った格好でベッドに腰掛けている。幾分かは気分も良くなったのだろうか。先ほどまでのように身体を重たそうにはしていない。ちなりは水輝を少し見つめ、よし、と気合を入れた。次は血だらけの部分を拭わなくてはならない。一体、どんなことをしたらこんなになるのか判らないが、とにかく拭くのだ。ちなりは何度か自分に気合を入れてから水輝に向かった。
「……気合、入れすぎて握り潰してくれるなよな」
「そっ、そんなことしないもん!」
笑いながらの水輝の言葉にちなりは即答した。やっぱり変な人。どうしてちなりのこと、子供みたいに扱うのかなあ。ちなりは不服に思いながらも片手に持ったタオルを水輝の股間にそっとあてがった。
数分後、ちなりは何とか水輝の股間を大まかには拭き終えることが出来た。どうやら傷は残っていなかったらしい。だが逆にどうして残っていないのかが気にかかる。これだけの出血をしたのだ。そんなに傷は浅くはなかったのではないか。ちなりは何度か水輝にそう問い掛けた。が、水輝は曖昧に言葉を濁すだけで答えてくれない。
「それに、何でたたないの?」
ちなりは不服をこめて告げながら水輝のペニスを軽く握った。確かにタオルで拭くだけしかしてはいない。そのつもりだ。が、ちなりの機体は元々、相手の男を欲情させやすく設定されている。直接、男の股間に触れれば当然のように機体はペニスを刺激する。ちなりは半ば拗ねた顔で水輝のペニスを指で撫ぜた。
「なんだ。欲情して欲しかったのか?」
くすくすと笑いながら水輝が告げる。ちなりは膨れ面を上げて首を振った。
「羅木くんに怒られるもん」
「じゃ、いいじゃないか」
「でも、なんだかちなりに魅力がないって言われてるみたいっ」
さらに頬を膨らませてちなりは低い声で答えた。特に水輝を意識した訳ではない。単純にプライドが傷ついただけだ。悔しいなあ、と呟くちなりに水輝が苦笑を向ける。そうやって笑うと水輝は何故か羅木に似て見える。顔は全然似てないのに。ちなりは目をしばたたいて水輝を見つめた。
「ふうん。ちなりちゃんの魅力って誰にでも振りまいていいもんなんだ?」
言われて気付く。ちなりは目を見張って首を横に振った。そうだ。羅木はちなりのことを自分のものだと言った。それはきっと別の男に媚びを売るのは止めろ、という意味なのではないか。それを考えると水輝が欲情しないのはごく自然なことなのかも知れない。ちなりは自分なりにそう答えを出した。
「うん、わかった。がっかりしないことにする」
嬉しそうに笑ってちなりはタオルを洗面器に浸した。血に塗れたタオルが湯の色を染め替えてしまう。あー、と力ない声を上げてちなりは洗面器を抱えた。
「ちょっと待ってて。すぐに替えてくるから」
洗面所と部屋とを四度ほど往復した頃には水輝の身体はすっかり綺麗になっていた。一番、手がかかったのはやはり血に塗れていた股間だった。が、水輝に言わせれば傷は残っていないらしい。ちなりが部屋に戻った時にはもう、水輝は服を整えていた。それを見たちなりはあっ、と息を飲んだ。水輝は見慣れた清陵高校の制服に身を包んでいたのだ。
「っと、格好も何とかついたし。ありがとな」
水輝はいつの間にかベッドから降りている。部屋に入ってきたちなりに近づいて頭を撫でる。ちなりはうん、と笑ってみせた。
「そうだ。ちょっと伝言を頼まれてくれないか?」
「えっと? 羅木くんに?」
だが今、羅木はいない。姿が同じ者は見かけたが、あれは恐らく羅木とは違う。ちなりは急に不安になり顔を曇らせた。
「でも、羅木くん、いまちょっと……」
「だから戻ってくるって言ったじゃん。心配は要らないって」
ちなりの不安を拭うように水輝が笑う。ちなりは眉間に皺を寄せてでも、と俯いた。確かに水輝の言う通り、羅木が戻ってくるなら嬉しいと思う。だがそう言われても簡単には信じられない。
何しろ、廊下ですれ違ったあの時の羅木の目は完全に死んでいたのだから。
「あ、いけねっ。のんびりしすぎちまった。おれ、急ぐから行くよ」
慌てた声を上げて水輝が部屋から出ようとする。ちなりは我に返って傍を行き過ぎようとした水輝の腕をつかんだ。唐突につかまれた水輝がつんのめったように足を止める。
「伝言。ちなり、羅木くんになにいえばいいの?」
水輝が振り返る。そして素早く水輝は指を伸ばした。微かに額に触れられる。ちなりは瞬く間の出来事に目を丸くした。水輝はもう手を引っ込めている。
「え? え?」
「あと、これ。渡してくれれば判るから」
そう言いながら水輝は制服のポケットから何かを取り出した。手の上に乗ったそれは透明な珠だった。まるで水晶のようなそれをちなりは不思議な気持ちで見つめた。どおしてこの人、こんな宝石とか持ってるのかなあ。心の中で呑気に呟く。水輝はそんなちなりの手を強引に取り、珠をその手に押し付けた。両手でやっと包めるほどの大きさのそれをちなりはじっと見下ろした。
そういえばこのヒト、制服なんてどこから出したのかな。ちなりははっと目を上げてドアをくぐった。だが廊下には既に水輝の姿はない。足、速いんだあ。ちなりは力なく呟いて羅木の部屋に戻ろうとした。
振り返って顔を上げる。ちなりは部屋を見て絶句した。先ほどまで荒れていた部屋の様子が元の通りに戻っている。壊れたテーブルと椅子、それにチェス盤まで元通りだ。ちなりは驚きの声を上げながら部屋に駆け込んだ。途中になっていたチェスのゲームまで再現されている。
「う、そお……」
何がどうなっているのか判らない。ちなりはその場にへたり込んでチェス盤を見つめた。そしてちなりの顔は本人が気付かないうちにほころんでいた。
最後が水輝らしい……w
女たらしめ。