「
答えを待ちきれずに優一郎は自分から問い掛けた。すると立城がカップから目を上げる。やがてその目にあった笑みが静かに消える。立城は無言でカップを戻し、深くソファに寄りかかった。腕を組んで優一郎に視線を向ける。その目に厳しいものが宿っていることに優一郎は気がついた。
「そう。はるか昔にこの世に生きていた、木龍神の長が紫翠だよ」
それから立城は紫翠にまつわる話を少しずつ語り始めた。この世界が造られてすぐに紫翠は誕生した。紫翠が世界に一番最初に現れた龍神なのだと立城は前置きした。その誕生の際に様々なことが起きたようだが、立城自身ははっきりとその時のことを記憶していないという。
「むらさきにみどりか、不思議な色の組み合わせですね」
「紫翠とは本来、山の緑のことを指す名前だよ。……もっとも、その色の組合せの名前は偶然ではなかったのだけれどね」
紫翠に続いて次々に龍神が生まれた。龍神は元来、親を持たない。強いて言えば世界が勝手に生み出すのだ。そして続いて生まれた龍神の中でも力ある存在は龍神たちのトップとして君臨するようになる。それが紫翠であり、白龍であり、火龍だった。そして力ある者にその他の龍神は導かれ、混沌とした世界を縦横無尽に駆け巡ったという。立城の語る話は優一郎にはお伽噺に聞こえた。幾百、幾千、幾万の龍の巨体が空を舞う。その姿をすぐに想像しろと言われてもスケールが大きすぎて見当がつかない。
「やがて世界は新しい力を生み出した。それまで煮えたぎっていた地表を冷やさなければならなかったからだ。……というのが表向きの理由かな」
「表向きというと。裏があるわけですか?」
その言い回しに引っ掛かりを覚えて問い掛ける。すると立城は息をついて小さく笑った。否定も肯定もしない。怪訝に思ったが、とにかく話を一度全部聞かないと理解はしにくいだろう。優一郎は仕方なく話の続きを促した。
世界が青龍である水輝を生み出した時、龍神たちは一様に驚愕したという。それまで赤く燃えてはいたが平穏だった空が真っ暗になる。そして地表には激しい雨が降り続いた。それは随分と長く続き、やがて地表は湯気を立てて冷えていった。
「僕たちは生まれた時からあらかじめ名前は決められている。そして水輝にもやはり最初から名前が存在していた。紫翠や白は水輝と出会った瞬間にその名前を悟った。輝く水に生きる者。水輝の名にはその意味が込められていたんだ」
水輝の誕生を龍神たちの多くは心から喜んだ。他の龍神たちが誕生した時と同様、生まれたばかりの水輝に彼らは挨拶をした。だがそんな中でただ一人、水輝の誕生の瞬間に嘆いた者がいた。それが火龍である
「火藍は当初、男の性をまとっていた。けれど水輝が誕生したと同時に火藍はその性を変えた。それが当人の意図したところであったかどうかは、僕にも判らない。そして火藍は彼らの前からしばらく姿を消していたんだ」
やがて世界は次々に龍神を生んだ。そして数々の龍神をこの世に送り出し、世界は一見、安定したかに見えた。
「前に話したね。力ある存在はその存在の不安定さ故に己を幾つかに分けることがある、と」
「ええ。半強制的に行われることもあるとも」
「そう。世界がその意志で半ば強制的に力を分けることもある。水輝は典型的なそのケースだった」
生まれた時から水輝はその力を世界に二つに分けられていた。だが世界が急いでいたからかも知れない。水輝は自分の力が二つに分かれていることを全く知らないままで生まれた。そして水輝の魂の双子として生まれた存在は龍神の全てを束ねる者として世界に君臨することになる。それが蒼龍と言われる天輝だった。
「蒼龍、という名の龍神はこの世に彼女ただ一人だけだった。不思議なことに蒼龍は殆ど力を持たない龍神だったんだよ」
全ての龍神の頂点に立ちながら、その力を揮う機会はなかった。もっとも、例えそんな状況になったとしても蒼龍の力は他の龍神に比べてはるかに弱かっただろう。立城はそう、付け足した。
「僕も当時の記憶を完全に持っているという訳ではないからね。ここからは僕の推論になるけれど、蒼龍天輝はその力のなさ故に天空の城に匿われていたのではないかと思う。そうでなければ白がその姿を居城に変える必要はなかった訳だしね」
要するに飾りの主かな。立城は苦笑をまじえてそんな風に告げた。だがその言葉に一体、どれだけの思いがこもっているのだろう。言葉の重さを優一郎は無言で受け止めた。立城が冷えかけた紅茶を飲み干す。優一郎もカップの中ですっかり冷たくなった紅茶を飲み干した。生ぬるい紅茶が喉を通って胃に落ちる。
力ある存在はその存在の強大さ故に不安定な状態になる。そして紫翠にもその時は訪れた。
「……紫翠がそれまでそのままで存在を保てたのは奇跡に近い。今の世界でなら確実にその力は暴走していたと思うよ。あらゆる状況が辛うじて紫翠の力のバランスを保っていたんだ」
「しかし、何かをきっかけにそれが破綻し、紫翠の力は本質から引き離されたうえに二分されたわけですね」
立城がポットを軽く持ち上げる。なみなみと注がれる紅茶を見つめ、優一郎は思ったままにそう告げた。立城が指先でソーサーを押す。目の前に出された紅茶を優一郎は手に取った。一体、どういう仕組みになっているのか、カップに注がれた紅茶はいれたてのように熱い。
紫翠(しすい)
蒼龍(そうりゅう)
火藍(からん)
白(白琅渉 はくろうしょう)
天輝(あまき)
フリガナの方がいいのかな……これ……。