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「お姉さんだってば。こんな近くにいて別の女に声かけてる訳ないじゃん」
「わっ、わたし?」
彼女は驚きに目を見張ったまま自分を指差してみせた。今日は特別な日だ。何しろ彼女の誕生日なのだ。だから彼女は彼氏である男とここで待ち合わせていた。だが男は急に都合が悪くなったとかで約束をキャンセルしたのだ。急に電話をしてきた男の相手をしていた彼女が次に電話をしようとした先はレストランだった。そう、今日は彼女の誕生日だからということで、二人はわざわざホテルのレストランに予約をしていたのだ。
それだけのことを水輝は既に知り得ていた。だが顔には少しも出さない。戸惑いながら俯く彼女に再度、声をかける。
「そ。第一、おれノーマルだしさあ。ここらへん、お姉さんの他には野郎しかいないじゃん」
そう言いながら水輝は軽く顎をしゃくった。確かにこの時、彼女の周辺にいたのは男性ばかりだった。水輝は同意を求めるために彼女にな、と声をかけた。すると彼女が緊張に強張っていた顔に微かに笑みを浮かべる。
そう、あんたで間違いないんだよ。お姉さん。だっておれの声を聞いただろう? 水輝は内心でそう呟きながら彼女に笑いかけた。
「で、でも、あの……わたし」
「それともおれがガキだから嫌?」
さりげなく近づいて彼女の頭のすぐ脇に腕をつく。囁くように告げると彼女が真っ赤になった。確かに年の差は少しあるだろう。だが気にするほどではない。彼女がどこかの会社に勤めている事はわかっているが、年齢が二十歳過ぎだということも水輝は理解していた。
赤いルージュがどことなく浮いて見えるのは、きっと彼女が愛らしい顔の作りをしているからだ。薄く施された化粧はよく似合っている。
「そんなこと……ないけど」
「じゃ、いいじゃん。付き合ってよ」
彼女は困惑した面持ちで電話と水輝を見比べる。その間にも傍を行く人々が興味深そうに二人を眺めて過ぎる。水輝は自分の容姿が人の目を惹き付けることをよく知っていた。彼女も自分たちが注目されていることには気付いているらしい。戸惑ったような目で通行人を見ては慌てて電話に目を落とす。
渋る彼女に水輝はねえ、と笑いかけた。
「それとも彼氏と待ち合わせ?」
淡いピンクのセーターが微かに揺れる。彼女は強く電話を握り締めて俯いた。彼女が先ほどの会話を思い出していることが水輝には手に取るように判った。それと共に彼女の心の中に小さな闇が生まれる。水輝はそれを見止めて口許に嗤いを刻んだ。彼女が顔を上げる直前に嗤いを消す。
「いいわ。付き合う」
小声で彼女が応える。水輝はやった、と指を鳴らして嬉しそうに笑った。照れたように彼女が微笑む。だがその心には彼氏である男に対する復讐したいという気持ちが芽生えていた。背中がざわつくような感覚が水輝を襲う。だがそ知らぬ顔で水輝は彼女を促した。
彼女は未亜と名乗った。水輝は歩きながら未亜ちゃんかあ、と笑った。
「あなたは?」
未亜に訊ねられて水輝はああ、と応えた。
「おれ? おれは水に輝くって書いて水輝ね」
そう言いながら水輝はさりげなく未亜の手を取った。驚いたように目を見開く未亜の手のひらに指を乗せる。水輝は自分の名前をその手のひらに指で書いてみせた。ね、と笑いかける。すると未亜は何故か顔を真っ赤にして手を握り締めた。
「水輝くん、ね。可愛い名前」
「よく言われる」
照れ隠しの未亜の言葉に水輝は事もなげに笑ってみせた。未亜はまだ水輝がさっき触れた手をしっかりと握っている。水輝はそれを見て口許を微かに歪めた。煙草を咥え直して未亜の手をさりげなく取る。驚く未亜を余所に水輝はその手をしっかりと握った。
「手、繋ぐの嫌い?」
驚きと恥ずかしいという気持ちが手を通じて流れてくる。未亜のほっそりとした手をしっかりと握り、水輝は人の流れに合わせて歩いていた。未亜は困ったような笑みを浮かべて水輝の横を歩く。
未亜は水輝をとあるホテルへと促した。そこは未亜が男と約束していた場所だった。だが水輝は知らん顔でわざと驚いてみせた。
「こんな高そうなとこでいいの?」
食事をしに行こうと持ちかけたのは水輝だった。だがその場所を未亜は特定してきたのだ。確かに食べたいって言ったけど。水輝は言葉尻を濁して呟くように未亜に告げた。だが未亜は少し大人びた笑みを浮かべて水輝を促す。
「いいの。予約してあるから」
そう言って未亜は水輝の先を進む。ホテルのドアをくぐってためらいなくエレベーターに向かう。そんな未亜を水輝はうろたえる振りをしつつ追いかけた。こんなとこ入るの初めてだし。どうしたの、と問う未亜にそう応える。すると未亜は水輝ににっこりと笑みかけた。最初に見せたためらいは今の未亜にはない。
「ほんとはね。彼氏と来ることにしてたの」
エレベーターに二人きりで乗り込んだ後、未亜はぽつりとそう告げた。無言で頷く水輝を見つめ、未亜が照れたように笑う。だがその笑みには哀しい思いが込められていた。
「だからいいの。一人きりじゃ寂しいから水輝くん、付き合って」
「そりゃ、おれは嬉しいけど、でもいいの?」
ホテルの中ではまあまあかな。水輝は内心でそう呟きながら当り障りのない答えを口にした。一度、立城が街のど真ん中に建つ高級ホテルを丸ごと借り切ったことがある。その時は会社のパーティか何かだったような気がするが、水輝はその会場にこっそりと紛れ込んだのだ。
ホテルのレストランのどこに入っても飲食は無料。文字通り食い放題、飲み放題だった。しかもパーティが終了した後、参加者たちは各自土産と称して一つの箱を持たされた。その中に納まっていたのは金のカトラリーが一式、ついでのように添えてあったのは銀のスプーンだった。幸運を呼ぶとかなんとか言ってたっけ。水輝はぼんやりとその時のことを思い出した。
「水輝くん?」
呼び声に我に返る。水輝は慌ててエレベーターを降りた。ドアが閉まる直前に駆け出した水輝を未亜が困ったように笑っている。水輝は照れくさそうに頭をかいた。
水輝は食欲大魔神な感じなので食い放題は嬉しかったと思いますが……。
躾けに厳しいのがいるから煩かったと思いますw