エロシーンはないです。
変だな。水輝は内心でそう呟いた。立城は肩で息をしながら砕けた肋を回復している。その僅かな間に水輝は立城をじっと見つめた。肺が傷ついたのだろう。立城の呼吸音には雑音が混ざっている。
「ほら、さっさと立てよ。まだ終わってねえんだろ?」
返事はなかった。立城がゆらりと身を起こす。立ち上がった立城は俯いていた。
「……そうだね」
立城が小さな声で呟いて軽く腕を振る。宙に生まれたその輝きを見止めた水輝は慌てた声を上げた。
「ちょっ、ちょっと待て! 格闘戦っつったの、お前じゃないか!」
応えはない。立城はゆらりと腕を上げてその輝きを水輝に放った。強烈な紫の力が飛んでくる。咄嗟の判断で水輝は結界を展開した。だが力の全てを防ぎきれない。結界を越えた力の破片が刃となって水輝の身体を切り裂いた。
「……てんめえ。豪快にやりやがって」
肩と首、足と顔。それぞれに深い切り傷が出来る。水輝は苛立ちに任せて煙草を吐き捨てた。どうやら立城は傷を治す時間をくれる気はないらしい。水輝は歩み寄ってくる立城を睨みながら身体を立て直した。
紫の輝きが形をまとう。立城は手に刀を握り締めていた。
「仕方ねえなあ」
立城は何も言わない。俯いたままだ。水輝はため息をついて宙に手を掲げた。何もなかった空間に眩しい光が生まれる。翠の輝きが一瞬で形を為す。水輝は素早く刀を取り、鞘から抜いた。
床を蹴ったのはほぼ同時だった。水輝は突っ込んでくる立城の刀を刀で受け止めた。片手で振った刀が宙で止まる。力が均衡し、二本の刀は合わさったまま小刻みに震えた。
近づくと立城の表情が見えた。目がいつの間にか色を変えている。京紫の瞳は静かに水輝を見つめていた。
短く鋭い呼気が喉を素早く通り抜ける。水輝は刀を強引に弾き、膝を繰り出した。ほぼ同時に立城が床を蹴る。空振りした足を戻して水輝は天井を仰いだ。天井を蹴って立城が刀を振りかざす。
本気、か。水輝は小さく笑って刀を持ち上げた。降りかかる刃を両手で受け止める。刀身を握り締めた水輝の手のひらから血が流れ落ちる。
立城は一声も発しなかった。刀が触れ合って甲高く鳴る。立城のまとう輝きはより一層強くなっている。水輝は口許に嗤いを浮かべ、手のひらに舌を這わせた。
「殺すぞ、てめえ」
元より立城はその気でかかってきている。それは対峙する水輝にはよく判っていた。飛び離れた立城が再び切りかかってくる。水輝は血だらけの左手を立城に向かって翳した。
一瞬で意志が力と化す。凄まじい轟音を立てて水輝の手から光が放たれた。それは空中で一瞬、姿を消し、次に立城の目前に現れる。
音はなかった。空気が痛いほどに震え、床が僅かにたわむ。立城は刀を水輝に向けたまま静止していた。その周囲を強固な結界が覆っている。それを見た水輝は鼻を鳴らして嗤った。どうやら読み間違いではなさそうだ。
「防御は完璧か? 相変わらず嫌な野郎だ」
結界の中の立城の髪が染まり変わる。瞳と揃いの京紫の髪が揺れる。水輝は両手に刀を握り直して床を蹴った。青い光が水輝の身体を包み、それと同時に瞳と髪が色を変える。
「殺す気で来い! でなきゃ死ぬぜ!」
刀身が翠の輝きを帯びる。水輝は立城の胸を狙って刀を突き出した。立城の服が薄く切れる。触れたその一瞬に立城は水輝の刀に紫の刀をあてがっていた。
音を立てて刀が肩に突き刺さる。翠の刀の上を滑り、立城の刀は水輝の肩に深々と突き立てられていた。激しい痛みが全身に広がる。水輝は痛みを堪えて紫の刀に手を伸ばした。刀身を素手でつかむ。
立城が声もなく仰け反る。水輝は痛みに身体を震わせながら唇を歪めた。
「……学習……しろよ。ちったあよ!」
刀を通して立城の体内に水輝の意識がねじ込まれたのだ。立城が絶叫を放つ。内部から立城を食い破るその力を水輝は以前にも使ったことがある。水輝はゆらりと顔を上げて手に力を込めた。じりじりと刀が肩から抜ける。
深く暗いやるせなさと同時に激しい感情が生まれる。水輝は肩から刀を抜き、それを立城に放り投げた。血だらけのそれを立城が震えながら取る。
「今日は治してくれる奴はいない。おれの意識を追い出せなければお前はそのまま滅びちまうぜ。さあ、どうする?」
きっと立城はそれでも立ち上がる。そしてまたあの時と同じように死に物狂いでかかってくる。水輝はこの時点でそのことを知っていた。立城が予想通りに立ち上がる。懸命に自分の中でも戦っているのだろう。額にはびっしりと汗が浮かんでいた。
「……立城」
その呟きを聞き取って水輝はぴくりと眉を上げた。立城自身がそう呟いたのだ。それを聞いたと同時に水輝の胸の中に奇妙な感覚が生まれた。既視感と呼ぶにはその感覚は余りにも強い。
立城が刀を振り上げる。畳に刀身が突き立てられる。その直後、畳にはびっしりと蔦が生えた。驚きに息を飲む間もなく蔦が水輝の足を捕らえる。
鋭く舌打ちをして水輝は唐突に刀を消した。空手になった水輝に立城がよろけながら近づく。その目には明らかに怒りがこもっている。水輝はため息をついて宙に腕を伸ばした。
あんまり使いたくないんだけどな。心の中でそう呟いて水輝は目を閉じた。瞼を上げ、立城を睨み据える。
「奈月!」
空気が弾ける。悲鳴のような甲高い音を立ててその場に一振りの刀が現れる。水輝は静かに柄を握った。目の前に現れた刀は輝いている。青い輝きを放つその刀は奈月そのものだ。水輝の意志に従って奈月は青い刀へと姿を変えていた。
ごめんな。心の中で呟く。次の瞬間、水輝は俯けていた顔を上げて鞘から刀を抜いた。青く輝く刀身を大きく振り下ろす。刀から打ち出された光は過たず立城の身体を撃った。
ほんの僅かの変化だった。足元の蔦の力が少しだけ緩む。水輝は強引に刀を蔦と自分の足の間に突っ込んだ。刃に触れた足が大きく切れる。だが水輝はそれにも構わず周囲にはびこった蔦を切り捨てた。
静かな紫の光が生まれる。床に転がった立城の身体は光に包まれていた。柔らかく暖かな光が立城を癒していくのが判る。水輝は目を細めて立城をじっと見つめた。送り込んだ意識が解けていくのが判る。
「貴様に負ける気はない」
そう吐き捨てて立城は立ち上がった。ほんの僅かの間ですっかり身体は元に戻ったらしい。水輝は無言で立城に切っ先を向けた。転がっていた刀を手に取り、立城が水輝に向き直る。
刀身が微かに震えてつばを鳴らす。もの問いたげなその様子に水輝は静かな笑みを浮かべた。刀身にそっと口づける。
「それでおれが譲ると思うのか?」
畳に広がった蔦の隙間から一斉に何かが茎を伸ばす。それはコスモスの花だった。紫の力を受けて咲いたコスモスを水輝は目を細めて見やった。色とりどりの花が立城の力が起こした風に吹かれて揺れる。
奈月は水輝の刀でもあるのです。