エロなしです。
≪一年前≫
目を覚ましたら、そこはどこかてみたことが無い天井だった。少なくとも自室ではないが、ホテルや宿泊施設のようなものでもない。痛みが引かない身体を捩らせながら部屋を確認すれば、装飾をギリギリまで削った、清潔感と機能性に富んだ病院のような部屋だ。
「なんだ、ここ……っつう……!」
立ち上がろうと掛布団を取った誠児の身体を激痛が襲う。シーツに擦れ、空気に触れるだけでこれでは、立ち上がったときどうなるのか恐ろしくなる。何故ここまでの激痛に苛まれるのか、理由はハッキリしている。
「とびしろ……じょうたろう……!」
ギリリと歯を食いしばり痛みに耐えれば、フツフツと怒りが湧き上がってくる。ベッドの手すりに捕まり、身体を起こせるようになった時には痛みに身体が慣れていた。その代わりに全身を血液が巡り、今までに感じたことが無いような力が湧き上がってくる。
「どこだ……どこにいるぅ……!」
包帯で止血された身体、その傷口が赤黒く滲む。黒かったはずの髪は老人のように色素が抜け落ち、隙間から見え隠れする切れ長な瞳は赤い光を帯びていた。憎悪に塗れた眼光で探すのは、この世で最も殺意を向けるに値する相手。手すりが握力で歪み、圧し折れて誠児がベッドから転げ落ちる。
だが、痛みに苦悶することはなく、ユラリと立ち上がって部屋の中を見渡した。自分を殺そうとした奴らの姿は無い。それを確認すると、自分の格好も気にすることなく歩き始めた。その手にはベッドの手すりと思わしき棒が握られており、ガラガラと床を引きずっていく。
「殺す……殺してやる……!」
扉が邪魔だった。手をかけ、体重を乗せて押し込めば、鈍い音を立てながらひしゃげて壊される。硬い錠がかけられていたのだろうが、そんなものでは誠児の道を阻むことは出来ない。けたたましいサイレンの音声が廊下に響き渡る。
「うるさい……うる、さぁい!」
音の襲撃によって傷口が疼く。そこから目を背けるかのように吠えるが、痛みはどんどん増していくばかりだ。握りしめた鉄の棒を振るい、壁に叩きつける。苛立ちと痛みが増し、うめき声を上げながら一歩ずつ、風のする方向へと歩いていった。
「何事かと来てみれば……まさか手負いの龍が目を覚ましているとは。だが安静にしていた方が良い。塞がっていた傷口が開いてしまう」
そうして、誠児の前に誰かが現れる。白衣に身を包んだ壮年の男性だ。黒く長い髪を一本に纏め、力強さを宿した瞳でこちらを見据えてきた。獣のように狂気を振りまき、今にも暴走しそうな誠児とは真逆の、信念のある武人の佇まいだ。
「あん、たは……ッが、アァァァ!」
人の存在を認識したことによって、ほんの少しだけ正気を取り戻した誠児だったが、一歩踏み出した時の衝撃で傷口を起点に激痛が走り、再び怒りと殺意に支配されていく。
道を阻む者、立ちはだかる者、全てが殺すべき仇敵にしか見えなくなってしまっている。握りしめた鉄棒の先に手を添え、半身になって突きを打ち出す構えを取る。
「そこ、を……ドケェェ!」
踏み込み、引き絞られた身体が放たれた矢のように打ち出される。床は陥没して砕け、空気を震わす鈍い音が廊下を響き渡る。
理性を失くしているというのに、その威力は十四歳の少年とは思えず、冴えわたった練度を宿していた。眼光が火花を散らし、眼前の敵を滅ぼそうと疾駆した。
しかし――
「ふむ、やはり強化された身体能力に肉体が追い付いていない。すぐにベッドに戻らなければ、完治までさらに時間がかかることになる」
打突は軽々と避けられ、駆け抜けた最中に足をかけられる。身体はバランスを崩し、誠児の身体は廊下へと転がっていく。激痛のせいで男性の動きに対応できなかったのか。
いや違う。読まれていた。合わせられ、転ばされたのだ。しかし、行く手を阻む者だと理解しているというのに、敵意や殺意といったこちらを害する感情は突き刺さってこない。
「どけ……どけよ……! 奴を、殺しに行かなきゃいけないんだ……!」
譫言のように言葉を繋ぐ。しかしながら、と言うべきか、それともやはりと言うべきなのか。いまの誠児が吐き出した声には重みが無かった。ふらりと身体を起こした彼を見た男性は、まるで悲しいものを見るかのような瞳で見つめてきた。
「殺すか……なぜ殺す。その理由は、一体なんだね?」
諭すような口調だった。そして、誠児の隠れている何かを見透かすような優しい声だ。
問いかけられたまま答えを返すことが出来ない。
自分がどうして脳裏に浮かびあがる男を殺したいのか分からない。
そもそも、自分の名前以外に何をしていたのか。
何者なのかすらも思い出せない。
「殺した先に何がある。 大義も、理由も無いなど、単なる暴君や狂人の所業だ。君は、そんなものになりたいのかね?」
「うるさい……煩い、五月蠅い、ウルサイ……!」
ギリリと歯を喰いしばり、鉄棒を廊下に突き立てて一閃。火花をちらせば、先が研がれて刃のように鋭くなる。握っていた掌からは紅い血がしたたり落ち、筋肉が断裂する音がした。それを見た男性が、一つ溜息を吐くと、拳を構えた。
「まずは、君の殺意を受け止めよう。かかってきなさい」
武人の佇まい。それはかつての誠児が目指したものと同じだった。だが何を目指したのか、誰を見て目指そうと思ったのか分からない。今はただ、ひたすらに湧き上がる殺意と憎悪をぶつけられる相手を探している。
そして目の前にいるのならば、それをぶつける以外に選択肢はなかった。
**********
≪現代≫
『誠児くん。聞こえているかしら? 状況報告を』
耳に装備したインカムから凛とした優秀な女性の声が聞こえてくる。目を開いた誠児は、物陰から立ち上がって腰に差した打刀へと手を添える。新しく、彼専用に備えられたとある仕掛けが施された特殊な打刀だ。譲られたばかりなせいか手に馴染んではいないが、柄はやはり彼専用だ。
「オンコール。現在、目的地から数十メートルの場所で待機中。フィオナさんのおかげで快調です」
『それは良かったわ。今回は新装備の実地訓練よ。もしも危険だと感じた場合は、信号弾を上げて。こちらから援軍を送るわ』
淡々とした女性、フィオナの声に頷きながら、誠児はストレッチをして身体の硬直を解していく。両腕に装着された手甲も悪く無い。コンクリートの地面に置いてあった仮面を手に取り、改めてそれが何を模しているのかを確認する。
「これって、どんな機能が付いてたりするんですか?」
龍の髑髏を模したような厳めしい仮面は、前線で戦う誠児の正体がバレないための用途が主になっているが、フィオナ曰くそれ以外にも様々な機能を付けたと言っていた。本来ならばそんなものを付ける予定はないと言っていたが、趣味が捗ってしまったのだろう。
『暗視機能、インカムとの連動、詳細情報の視覚化、他に何か欲しい機能があれば言ってくれていいわ。有用性があれば採用してあげる』
「……アイアンマンみたいになりそうですね」
そんな軽口を叩きながら仮面を装着すると、暗がりに視界が最適化される。インカムに入っていた僅かなノイズもシャットアウトされ、適確な指示が聞こえやすくなった。視界の端に映るのは、今回の標的だ。処置が間に合わない、黒のラベルを張られた極悪人。
『ラベルはブラック。術式開始……良いわね?』
「了解、ですっ!」
手甲を付けた腕を突き出せば、そこからアンカーが射出されて誠児の身体を宙へと浮き上がらせる。近距離戦闘を主とする彼のために作られた装備で、さながら蜘蛛のように一気に目的地へと音もなく移動していく。先ほどは軽口でアイアンマンと言ったが、どちらかと言えばスパイダーマンに近いだろう。
そして、黒いコートを翼のように広げ誠児が、戦場へと降り立つ。
「な、なんだてめえ!」
「ここはコスプレ野郎の来るところじゃねえぞ!」
男たちが声を荒げる。教科書通りの反応だ。思わず笑いそうになるのをこらえながら、一人ひとりの顔を確認していった。目標は二人。麻薬の密売人に、それを売りさばくヤクザの若頭。取引を邪魔されたせいだろう、怒りに満ちた形相で拳銃を突きつけてくる。
「お前たちは救えない……残念だが、ラベルカラーはブラックだ」
仮面の下で誠児の紅く染まった瞳にバチリと電光が走る。アンカーを収納し、その手が腰に下げられた打刀に添えられた。
「これより摘出手術を行う。病巣として、斬り捨ててやるから覚悟しろ、クソッタレども」
鯉口を切った誠児が駆け出す。小さく光る電灯に照らされた黒い影が放たれる弾丸の嵐を避けていき、抜き放たれた打刀が手前にいた敵の首を斬り飛ばした。
目標は二人だが、数は十数人。邪魔してくるのならば、全てを斬り伏せる気組みでいかなければならない。斬り上げた刃が盾にされたライフルを両断し、手甲が装備された拳で敵の脳天を砕く。
「九、八……!」
血しぶきが視界を塞ぐが、仮面の隙間から赤い眼光を揺らめかせ弾丸を切り裂いていく。折れるどころか、刃こぼれする気配すらない刀身は黒く、暗闇に紛れてチンピラを斬り伏せていく。
袈裟斬り、逆袈裟、横薙ぎ、上段。
間髪入れず、無駄の一つもなく放たれる剣技を防ぐ術はない。ライフルを破壊し、その隙を突き、一秒前まで生命であったはずの存在がただの肉片へと変わる。次々に斬殺されていく部下たちを見て、標的である売人と若頭はどう思ったのだろうか。
龍の髑髏を模した仮面を被り、鋭角的な手甲を装備し、暗闇に潜む残酷な殺人者。
死の危険と言うものを与えるはずの自分たちが、圧倒的な死の恐怖に晒されている。
それに気が付いたときには、脱兎のごとく逃げ出していた。
情けなく背を向け、恥も外聞も関係なく逃げる標的の二人が目に入る。ここで取り逃がしては駄目だ。またフィオナや光姫に叱られてしまう。道を塞いだチンピラを両断し、返す刃でもう一人を横薙ぎに斬り伏せると、手甲のアンカーを標的付近へと向けて発射する。そのまま一気に身体を浮かしながらチンピラの首を斬り飛ばし、積み上げられた貨物を足場にして標的の前へと降り立った。
「この、化け物がぁ!」
「しねぇ!」
構えていたライフルと拳銃を出鱈目に乱射してくるが、狙いも勢いも定まっていない。下段の構えで地面に刀を引きずりながら弾丸を避け、銃身を斬り落とし、返す上段の一撃で一人目の脳天から股下まで両断する。
「あとは、アンタだ!」
だが切れ味は落ちない。そういう風にフィオナが設計したのだ。地面に着くかどうかギリギリの位置で放つ燕返しがもう一人の腕を斬り飛ばす。血の雨が降り注ぎ、周囲を赤く染めていく。そして剣先が向けられる。
引き絞った身体から放たれる、弾丸を越える速度の打突。一年前に半狂乱で放ったものとは違う。洗練された、戦士としての誠児が放つ黒い一撃。弾丸を両断し、生き残った標的の命を刈り取った。心臓に突き立てられた刃から逃れる術はない。
「が、ぁぁぁ……」
「じゃあな、クソッタレ」
命を失った標的から刀を引き抜き、血糊を払う。殺人という行いはそれだけで本能的な拒絶を与えると言うが、それを上回る何かがあれば話は別だ。ブラックラベルにいる人々は全員がそうだ。そこには当然誠児も含まれている。打刀を鞘へと納め、仮面の下で一息つく。
「状況終了。迎えをお願いできますか、フィオナさん」
『了解したわ。お疲れ様。気を付けて帰ってらっしゃい』
「そんな、遠足じゃないんですから……」
インカムからの声に苦笑いを零しながら仮面を取る。視界は暗く、出口まで一本道とはいえ油断すれば転んでしまいそうだ。地面が死骸に埋め尽くされ、血の海になっているのならば余計にだ。予想外の疲労に肩で呼吸をし、一歩ずつ、ゆっくりと進んでいく。
「とりあえず、アンプルゼロとしての役目は果たせたかな」
そう呟きながら、迎えに来た車を見つけた誠児は帰路へと着く。
本当に、今夜は疲れてしまった。
たぶん、望月理事長が動けた最後の年。
あの人もハイジェッターだし、たぶん暴走状態の小僧なら軽く捻れそう。
まさかの記憶喪失から始まった誠児くん。手榴弾直撃して生きてるんだから、まぁ、それくらいは大目に見てください。