≪一年前≫
「それじゃあ、名前を聞かせてもらえるかな?」
「……セイジ。誠に、児童の児で、誠児。苗字は、思い出せない」
「年齢は? 見たところ、まだまだ子供の域を出ないように見えるが」
「多分、14。だけど確証はない。そこら辺っていう、ぼんやりとしたことしか思い出せない」
「なら他に覚えていることはあるかね?」
「とびしろじょうたろうへの、殺意」
そう答えると、黒い長髪の男性、望月正宗は小さく唸りながら顎に手を当てた。扱いに困るのも当たり前な話だ。覚えているのは名前と年齢、そして顔も思い出せない男への殺意だけなどという少年など、本人ですらも怪しいと思う。
望月によって叩きのめされ正気に引き戻された誠児は、戦闘によって開いた傷口と、新たに出来上がった傷の処置を受け、問題なく会話できるまで回復した。そこから始まる問診は、意識がどこまでハッキリとしているのか、どこまで自分のことを理解しているのかというものだった。
「あの……もういいですか。覚えてることは全部言いました。他に教えることなんて……」
「む、そうだな。起き抜けに済まない。この後、脳の検査があるから案内させよう」
また検査だ。ここに来る前は全身のスキャン。今は記憶のすり合わせと精神鑑定。そして今度は脳の検査ときた。受けること自体に文句はないのだが、こう何度も立て続けに受けさせられると溜息も漏れてしまう。そんな誠児を見ながらも、望月は嫌な顔一つしない。むしろ穏やかに笑いかけ、不安を和らげようとしてきた。
「すまないな。だが、次の検査が最後だ。私たちを安心させるために、よろしく頼むよ」
ここで君のためだ、などと言われれば疑いの目を向けていたことだろう。しかしながら望月の口調や声音からは、純粋な善意しか感じ取れなかった。舌打ち交じりに溜息を吐いた誠児は、小さく頷いて彼の提案を了承した。どちらにしても行く当ても無いのだから、望月の善意に応えたい。
そうしていると、診察室をノックする音が聞こえてきた。先ほど言っていた案内をする誰かだろう。望月がそれに返事をすると、ドアを開けて入ってくる人影があった。
「どうも、お取込み中でしたか? それともグッドタイミング?」
「グッドタイミングだ。来てくれてありがとう」
入ってきたのは女性だった。二十歳に行くかどうかといった年若い美女。顔は小さく、茶色い髪を短く切り揃えた彼女は、お気楽そうな笑みを浮かべながら部屋へと入った。歩くたびに顔よりも大きなメートル越えの胸部が揺れ、短いスカートからは肉感的ながらしなやかな筋肉を備えた生足が覗く。
すれ違った十人が十人とも欲情するような肢体と美貌を持った彼女を見た誠児は、目を見開いて硬直した。見惚れていないと言えば嘘になる。若さだけでなく、彼女自身の魅力に息を呑んだ。
しかし、誠児が硬直した理由はそれだけではない。
「紹介しよう誠児くん、彼女は狭霧友子くんだ。少しの間、君の護衛と世話を頼もうと思っている」
望月が女性、友子を紹介したが誠児はガタリと立ち上がり目を見開いていた。今まで靄がかかっていた記憶の中に動きが見える。空白だらけのパズルに、小さなピースが嵌っていくような感覚だ。頭痛に耐え、フラリと友子のほうへと倒れこんでしまった。
「わっ、ちょっと、大丈夫?」
だが寸でのところで友子が間に入り、誠児の顔よりも大きな乳房で受け止める。柔らかさと弾力のある乳房の感触は、男ならば誰もが夢見るものだが今の彼にはそんな余裕は微塵もない。もう少しでピースが噛み合う。その確信があった。
「あ、なたは……」
「え、なに? ごめんなさい、よく聞こえないわ」
何を言えばいいのか分からない。
頭痛が酷くなるにつれて、視界が紅く染まっていく。
絞り出すように、ゆっくりと、意味も不明瞭な単語を誠児は零した。
「あなたは、俺よりも強いのか……?」
ゾクリ、と友子が何かを感じ取ったのだろう。誠児から一歩距離を取ると、険しい視線を向けてくる。それを発した誠児はと言えば、頭痛に耐えながら自分が何を言ったのか、その言葉の意味は何なのかを自問自答していた。
「違う、そうじゃなくて、だって……狭霧、なら……なんなんだ、これ……」
分からない。分からないことが分からない。そして分からないということが怖い。また数日前のように訳が分からなくなり、荒い呼吸を繰り返してしまう。ユラリと誰かに助けを求めてしまう。誰でもよかった。いまの混乱から助けてさえくれれば。
すると――
「よく、分からないけれど。落ち着いた方が良いわ。過呼吸って、意外と辛いものだから」
そんな彼の肩に手を置き、落ち着かせるように抱きしめて背中をさすってくるものがいた。友子だ。溜息を吐き、困惑気味ではあったが、目の前で苦しんでいるものを放ってはおけなかったのだろう。
その優しさや厚意が、記憶の中で靄がかかった記憶に繋がりそうな気がしてくると、軽く咳ばらいをした望月がある提案をした。
「誠児くん、もし君がよければ、狭霧くんと手合わせをしてみるのはどうかな?」
**********
どうしてこんな展開になったのか。それは十割方自身の不甲斐なさと不安定さが招いたことだと、誠児は理解していた。だが、まさか出会って数分も経たない女性と試合をすることになるとは、名探偵ですら思わないだろう。
「なんで、こんなことに……」
「あら、自分よりも強いのかって聞いてきたのはキミの方でしょ?」
文句、というよりも愚痴をこぼした誠児に、友子が楽観的な声をかける。軽く伸びをするだけで揺れる爆乳に、思わず目が行きそうになるのをこらえる。咳払いをした誠児は自分の手に握られた鋼の刃に視線を移した。刃引きはされているが、打ち合えば痛いどころでは済まないだろう。
「……木刀じゃダメなんですか?」
「この前さいごの一本が折れちゃったのよ。今回はそれで我慢してね」
木刀はそんな簡単に折れるようなものだったろうかと疑問符を浮かべるが、用意された運動着に着替えまでしてしたったのだ。いまさら引くことは出来ない。それに、誠児は握り締めた刀にどこかしっくりときた感触を覚えていた。
全長は一メートルに届くかどうか。鞘から引き抜かれた刃は潰れているが、それでも凶器としての恐ろしさ全てが消えたわけではない。それを片手で握り、下段に構えれば友子もそれに答えた。
剣先をこちらに向けた霞の構えだ。
立ち合いをしている望月は、口出しをすることなく二人を見ている。
時計の秒針が動き、三度刻んだその時、二人が同時に駆け出した。
「グラァッ!」
「ハァッ!」
二人の激を纏う声が響き、撓った刃が火花を散らしながらぶつかり合う。記憶を失ってから戦うのは二度目、正気のままで戦うとしたら初めてだ。だというのに、誠児の身体は問題なく動く。調子が良いという感想まで浮かびそうだ。
数秒の内に何合も刃が削り合い、互いの力量を図る様に技を放っていく。誠児の逆袈裟の斬撃をいなした友子が、右足を軸にしながら刃を横薙ぎに振るう。女性とは思えない、人の命を奪うことに特化した刃。刃引きされていなかったらと考えるよりも先に、誠児が身体を捩じって飛び跳ねる。
「お見事。すばらしい反応速度ね。ここまで粘られたのは二人目よ」
「そうかよ……アンタは……っくそ、なんか引っかかる……」
刃を交える度、友子の剣技を直に感じるたびに謎の既視感を憶えて頭を揺らす。それと反比例するかのように、誠児の技の冴えは毎秒上がって行った。
首を鳴らし、下段に構えた刀を引きずりながら誠児が疾駆する。ほとんど床と並行になるほど前傾になりながら、余計な思考を置き去りにして行った。
「貴方、本当に……ッ!」
二つの刃が交錯する。
火花が散るたび、友子は口元に獰猛な笑みを浮かべて誠児の斬撃を受け止めていた。ここまでの使い手に出会ったのはいつ以来だったか。だからこそ惜しく感じる。
鋭く、重く、そして速い斬撃は、確かに脅威だ。だがそれだけ。基礎だけを身体に叩き込んだだけでは、これ以上を望むことは出来ない。
服の袖から覗く筋肉に友子の視線が行く。包帯が巻かれていても、立ち会っただけで友子には理解できた。この若い獣は、剣術を極めるための肉体を持っている。渇望と情欲にも似た感情を抱いた友子は、距離を取った瞬間に独特な、医療用メスを持つような構えを取った。
「違う……もっと、狭霧の剣は……この人じゃなくて……ッ!」
記憶が噛み合う感覚に支配された誠児が、渡されていた鞘に刀をおさめ、抜刀術の構えを取る。記憶が無くなっていても、この構えが、この一撃こそが自分にとっての必殺だと身体が理解していた。誰に教わったのか、記憶の片隅で薄っすらとしたシルエットが浮かび上がる。
「狭霧……誰なんだ……」
凹凸がハッキリとした、長い髪を持つ女性。だがしかし、それはきっと目の前にいる友子ではない。大切な、きっと記憶を失う前の自分にとって重要な相手だ。だからこそ記憶を失った今でも思い出そうとしているのだろう。
「まぁ、いいか……今は別に」
だがしかし、今の誠児は記憶の中にいる顔も分からない狭霧よりも、目の前にいる友子の方が大切だった。記憶を失ってかた、初めて芽生えた歓喜の感情。殺意と困惑では決してない、剣技を交えることによって覚えた、楽しいという単純な感情。
今は、ソレに身を任せた。
「今は、アンタと遊んでいたい」
誠児がいう。それは正しく友子の耳に聞こえたようだ。同じように笑みを浮かべ、構えを取りながら最後の瞬間を待っていた。
「それは、私の台詞よ」
友子の髪が白くなる。美しい白だ。誠児と同じような色合いで、美しく、何処か儚げで不気味な雰囲気を纏っている。
息を吸い、吐く。
二人の剣士が必殺の、互いに持っている最大の技を放ったのは、殆ど同時だった。
弾けて消えるかと錯覚するような閃光の瞬間。
二人が魅せる美しき剣戟を見守っていた望月は、小さな笑みを口元に浮かべた。
誠児の新たな顔を見ることが出来た。
それだけで、この試合は十二分の成果があったのだから。
**********
「地下施設に武道場ときて、今度は温泉か……すごいな、本当に」
友子との試合に続いて脳の検査を終えた誠児は、湯治の目的もあり温泉に浸かっていた。処置を受けた全身の傷も未だ完治しておらず、それに加えて疲労した身体にはこういった治療が安全でありがたい。そして何より、混雑してしまった思考を整理するにはうってつけだった。
「狭霧……誰なんだろうな、あれは……」
失った記憶の中に潜む美しき女剣士。名前は分からないが、狭霧という一族に連なっていることは分かる。まずはそれを思い出すところから始めようと、望月も言ってくれた。一度にすべてのことを思い出すことなど出来ないのだから、これを切っ掛けにしていけばいい。
「狭霧がどうかしたのかしら? 誠児くん」
「いや、別にアンタを呼んだわけじゃな、くて……え?」
不意に聞こえてきた色っぽい声に誠児が顔を上げる。入った時は自分だけだというのに、他人の、それも聞き覚えのある女性の声が聞こえてきたのだ。動揺しながら身体を竦め、見てはいけないと思いつつも視線を背後へと移した。
そこにいたのは、つい数時間前まで刃を交えた狭霧友子だったが、恰好が大きく違う。
温泉らしく、余計な衣服は一切ない、大き目のタオルで身体の前を隠しているだけの状態だ。
まず目に入ってきたのは、タオルに隠された爆乳だ。温泉の熱気と流れた汗で光沢を纏い、ホンノリと紅潮した横乳が強調されている。あそこに顔を埋めたのかと思うと、意識がハッキリしていなかったことが悔やまれる。
次に視線が捉えたのは、長く肉感的な生足だ。鍛えられたしなやかな筋肉と、女性としての性的魅力に富んだ組まれた脚が僅かに湯船につかっている。丁度むっちりとした太腿が誠児の顔と同じくらいの高さにある。
漂ってくる香水や整髪剤とは違う、彼女自身の臭いは甘く、汗などが混じって誠児の興奮を煽ってくる。濁り湯でなければ、彼がどれだけ興奮しているかなど隠せなかっただろう。
「なんで入ってんだよアンタは……!」
「だって汗かいちゃったんだもの。誰かさんに虐められたせいで、ね♡」
ウィンクを飛ばす友子から視線を外し、前かがみになりながら唸り声を漏らした。色艶の宿った声音に誤解のある言い方、少し動くたびに揺れる爆乳と、生唾を呑んでしまうほどの魅力にクラクラとしてしまう。だが、実際に虐められたのは誠児のほうだ。
「よく言うよ……アンタ、本気じゃなかったくせに」
最後に交えた最大の一撃は、いとも容易く友子の剣技に打ち破られた。正気でなかったとはいえ、望月に続いて二度目の敗北だ。記憶を失ったことで強さを失くしたのかもしれないと考えると、より鬱屈とした気分になってしまう。
「そうねぇ……本気だったら、もうちょっと早く終わってたかもしれないわねえ」
ハッキリとモノを言う人だ。どこか含みがあるとはいえ、嘘をついているような様子は微塵もない。一抹の自信は打ち砕かれ、再び重い溜息が漏れ出てしまう。そんな誠児をみてどう思ったのだろうか、友子はクスリと笑みを零して脚を組み替える。湯船が揺れると共にかけていたタオルがズレて秘部が見えそうになるが、鋼の意思を持って誠児は視線を向けなかった。
「だからね、誠児くん。私の弟子になってみるのはどうかしら?」
「は? いや、なんでそんな話にッ!?」
言いかけた誠児の声が裏返った原因は、友子が背中から彼の身体を抱きしめ、メートル越えの爆乳を押し付けてきたせいだった。タオルは何処に行ったのか。背中から感じる滑らかで柔らかい感触は、間違いなく一糸まとわぬ生のモノに他ならない。
それだけではなく、細くしなやかな彼女の指先が、傷跡だらけの胸板や六つに割れた腹筋を撫でてくる。
「興味があるのよ。あなたみたいな、剣術を極めるためにある身体の男の子が、何処まで行きつけるのか、ね」
耳元で囁かれる言葉に動悸が激しくなる。記憶を失くしてとはいえ三大欲求まで失くしたわけではない。背後に迫る性的魅力の塊のような美女に、十四歳の青少年が興奮するなと言う方が無理だ。身体を撫で摩られ、あと一歩で理性が消えそうという所まで来た時、誠児は何とかして声を上げた。
「な、なるから! アンタの、友子さんの弟子にでも何でもなるから、だからその、いったん離れて」
「はい、言質とったわよ♡ これからは師匠って呼びなさい、誠児くん」
そう短く言った友子は、さっさと誠児から離れて湯船から上がっていった。いったい何が起きたのか。
混乱の内から引き戻されるなく、結局のところ誠児はのぼせるまで湯船につかっていた。
だからこそ、友子がどんな表情をしていたのか気が付かなかった。火照った彼女の顔や身体が、湯船につかった以外にあることに、今は未だ気が付かなかったのだ。
話が進まないのは許してください……
一年前の誠児くんは情緒不安定です。記憶喪失、謎の殺戮衝動、超人的身体能力とくれば冷静ではいられないので、大目に見てくれると助かります。
この頃の望月先生はかなり武闘派なので、殴り合えば分かり合えるだろう的な精神です。これでいいのか……?
友子さんを軽率に痴女にする作者。でもこれぐらい余裕があった方が好きだし、年上のお姉さんに弄ばれたいのは全人類の欲望だと思う。