種付けファイター達也くん(未公開シーン&ボツシナリオ) 作:minnie_remon
設定としては、とある番組の打ち上げの席で達也は不覚にも酔い潰れてしまい、その隙にひかりにスマホを見られてしまい、種付けをしている事がバレてしまった。弱みを握られた達也はひかりの言う事を断れなくなってしまって…
―達也―
――種付けって、何?
その瞬間の事は、まるで昨日の事のようにハッキリと思い出せる。それまで頭に重くのしかかっていた酔いが一瞬にして霧散した、あの瞬間を。
俺が種付けしている事を知っているのは、実際に種付けした女性を除けば玲奈さんと未華子ちゃんと充希の3人だけだ。もちろん親にすら種付けの事は言っていないし、これからも誰にも言うつもりは無い。これは墓場まで持っていく話、そう決めていた。
だから、ひかりちゃんにメールを見られたと知った時には、ハッキリと死を覚悟した。生物としての死という意味じゃなく、社会的な死を。
実際、俺がこれまで百人をゆうに超える数の女性に種付けしてきたという事が世間に知れてしまえば、今の俺の地位は一瞬にして消えて無くなるだろう。違法な事をやっている訳ではないけど…でも…おそらくは考えるのも恐ろしいような現実に直面する事になるに違いない。
だから、ひかりちゃんにバレてしまったその瞬間から、俺は必死に頭を働かせた。どうすればひかりちゃんを上手に誤魔化す事ができるか、無い知恵を絞りに絞って考えた。
でも、正答の存在しない問題をどれだけ考えても、答えなんて見つかる筈がなくて。『種付け』という単語のパワーはとにかく凄まじくて。
しかもメールには、明後日の種付けの相手は○歳の人妻で…だとか、○人目の子どもが生まれた…とか、俺以外の人間が絶対に見ちゃいけない情報がぎっしり詰まってて。
あろう事か、俺が酔い潰れてる間にひかりちゃんはそれらを好き放題見てしまったようで…
そうなってしまってはもう、取り繕う手立てなんてある筈もない。ゲームオーバー、完全に詰み。
だからもう、俺にできる事はというと、ひかりちゃんが種付けの件を他者に口外しないよう必死にお願いするだけで。
後はひかりちゃんの良心を信じるしかない…のだけど。
「うーん、確かにこのメールが誰かに知れちゃったら、達也くんの身は一瞬で破滅しちゃいそうだよね~」
ニヤニヤと笑いながら軽い感じで言うひかりちゃんを見て、俺は自分自身の命運が、大して信頼もできない人物に握られた事を悟るしかなかった。言わば俺は、ひかりちゃんに生殺与奪の権利を握られたも同然なのだと。
ただ、僅かに救いもあって。
「大丈夫だって、そんな世界が終わったような顔しないでよ。私、達也くんの大ファンなんだから、達也くんを破滅させるような事する訳ないじゃない」
そう、ひかりちゃんは俺の大ファンらしいのだ(どこまで本気で言ってるのかは分からないけど…)。そんなひかりちゃんだから、俺を破滅させるような事はしないと思う…思いたい…というか思うしかない…
「種付けかぁ…すっごいなぁ、信じられないよぉ。でも達也くんの遺伝子を欲しいっていう女性は多いだろうな~」
そんな事を言いながらまだスマホを見続けているひかりちゃんを横目に、俺は自分自身の迂闊さを心から後悔していた。自分で自分を呪いたい気分だった。
打ち上げなんて参加するんじゃなかった…調子乗って酒飲むんじゃなかった…というかスマホにパスワードぐらい設定しとけよ…と。
それ以来、俺とひかりちゃんは切っても切れない糸で繋がれてしまった。というより、俺は首輪をつけられてリードをひかりちゃんにガッチリと掴まれた、と表現した方が正しいかもしれない。
だからひかりちゃんに「食事に行こうよ」と言われれば行くしかなかったし、「達也くんの部屋に行ってみたい」と言われては断る事なんてできなかった。俺としてはできる限り周囲にバレないよう画策したつもりだったけど、週刊誌の情報網は甘くなかった。たった1回の食事を撮られてしまうなんて…
そして今も、俺はひかりちゃんと一緒にいる。場所は、大阪府内にある某カラオケ店。ひかりちゃんが仕事のために大阪で一泊するらしく呼び出されてしまった。
ひかりちゃんと2人きりで会うのは、今日が3回目。1回目と2回目は、共に週刊誌に撮られた例の時だ。これまで2打数2安打で撮られてるんだから、今回も撮られてしまうんじゃないかと不安でならない。
でもひかりちゃんが言うには、このカラオケ店ならまず撮られないらしい。受付に従業員が常駐しておらず、入退店やお会計は機器を使ってセルフで行う仕組みになっているから誰に見つかる心配もない。それに週刊誌の記者たちも大阪まで張り込みしてる訳はないから、と。
誤解の無いよう言っておきたいけど、俺はひかりちゃんとデートしたいなんてこれっぽっちも思っちゃいない。いないけど…ひかりちゃんにどうしてもと言われると断れない…というか断る権利を持っていない。東京まで来て欲しいなんて言われればさすがに拒否するしかないけど、でもひかりちゃんが大阪に来てしまっては…そしてもし会ってくれなきゃショックで何しちゃうか分からないと言われれば、俺に選択肢は事実上無い訳で…
リッケン620頂戴~
19万も持っていない お茶の水~♪
ひかりちゃんの透き通った歌声がルームに響く。余談だけど、ひかりちゃんは歌がマジで上手い。さすがCDを出しているだけあって、掛け値なしにプロの歌唱力だ。
でも、さっきから歌ってるのは俺の知らない歌ばかりだけど…って俺が最近の流行りに疎いだけか…
明日は心も空も 素敵な青~♪
曲が終わって、それまで立って歌っていたひかりちゃんが俺の隣に座って。
「はい、次は達也くんの番」
そう言ってマイクを渡そうとしてくる。
「いや、俺はパスで」
「え~、もう、ノリが悪いなあ」
不満そうな表情のひかりちゃん。まあ、確かに俺のノリが悪いのは認めよう。でも仕方ない。だって俺、流行の歌とか全く知らないから。それに、俺の音程はマジでバツゲームレベルだっていう自覚があるから。
でも、そんな事以前に、俺の意識はカラオケどころじゃなくて。
「というか、こういう店とかって部屋に監視カメラとか設置されてるんじゃないのか?」
カラオケ店の個室って、店員さんが常に確認できるよう監視カメラがどこかについてるような印象があるんだけど…
でもひかりちゃんは、監視カメラの有無なんて全く気にしていないようで。
「もう、心配性だなぁ達也くんは。大丈夫だって。それにバレたって別に良くない?もう2回も撮られてるんだし」
「良くない!」
もしこんな密会が充希にバレたら、今度こそ確実にアウトだ。何たって、もうひかりちゃんとは2人で食事に行かないし部屋にも入れないと約束したから…
カラオケについては特に取り決めてなかったけど、まあ、ダメだろう。常識的に考えて…
「彼女さんにはちゃんと説明したんでしょ?大丈夫大丈夫、友達同士がカラオケ来てるだけじゃん」
「いや、簡単に言うけどだな…」
「ていうか女友達一人作っちゃいけないなんて、いくら何でもやり過ぎだよ。そんな束縛する彼女さんには、いっそ卒業証書渡してあげたら?」
「卒業証書とか有り得ない事言うなっ!」
それは強めに言っておく。ったく、冗談でもバカな事言うなっての。
「とにかく、せっかく久しぶりに会えたんだからもっと楽しもうよ。今日は達也くんに会えるーって、ずっと前からこの日を楽しみにしてたんだから」
そう言ってひかりちゃんがぷくっと頬を膨らませる。その仕草は…まあ、確かに可愛い。さすが人気No.1若手女優だ。
そんな日本一レベルの可愛い女の子に会いたい会いたいと言われるってのは、本音を言えば…まあ、嬉しい。嬉しくない男なんていないだろう。お世辞抜きで、ひかりちゃんは魅力的な女の子だと思う。
でも充希と比べれば…というか比べるまでもなく、断然充希だ。充希は俺にとって本当に特別な存在、代わりなんて存在しない…というかする筈がない。いくらひかりちゃんが可愛かろうが、人気No.1若手女優だろうが、充希とは全く比較にならない。
だから、こうして充希に内緒でひかりちゃんと会っている事に…充希を裏切ってる事実に…胸が痛くなる。
もちろん、自分勝手な感情だって事は分かってる。本気で胸が痛くて耐えられないというのなら、正直に全てを充希に話して、ひかりちゃんにはもう金輪際連絡しないでくれと伝えればいいだけだ。
本当なら今すぐにでもそうすべきだと思う。思うけど…
でも、選択を誤るともしかしたら充希だけでなく、今の俺の地位も含めて本当に全てを失ってしまうかもしれないっていう、そんな恐怖心に縛られて…
「そういえば達也くん、次の試合ってどこでするの?」
ふと、ひかりちゃんがそんな事を聞いてくる。
「ん、ああ、埼玉かな」
俺の次戦は8月16日、会場は埼玉スーパーアリーナに決まっている。
「試合、見に行ってもいい?」
「絶っっっっ対ダメ」
もちろん、いい訳がない。もしひかりちゃんが観戦になんてきた日にゃ、充希にどうやって説明しろというのか。
「えー、いいじゃない。応援させてよぉ」
「冗談抜きでマジでダメ。もし見に来たら、俺、試合放棄して帰る」
「それはもちろん、絶対に応援に来てっていうフリだよね」
「いやフリじゃないから。絶対に来るなよ。来たら俺、引退してひかりちゃんの連絡先も消して海外に消えるからな」
「あははは、全然脅しになってないよー」
…確かにそうかもしれない。残念ながら、俺はひかりちゃんに対する武器を何一つとして持ち合わせていない。
だから俺にできる事は、ただひたすら、絶対に見に来ないでくれとお願いし続ける事だけだった。
というような感じで、当初は種付けをしている事がひかりにバレてしまって、ひかりのアプローチを断れなくなってしまい否応なく三角関係に引きずり込まれるというような展開を考えていたのですが、これをやってしまうとストーリーが本題の格闘技から大きくそれてしまう上に、読者様からの達也の好感度も激落ちしてしまいそうなのを恐れてボツにしました。
まあ、こんなルート誰も読みたくなかったでしょうから、間違った判断ではなかったと思ってます。
「丸の内サディスティック」「あおぞら」(椎名林檎)