※この作品はR-18です。

種付けファイター達也くん(未公開シーン&ボツシナリオ)   作:minnie_remon

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ボツシナリオとして最後に紹介するのは、『キングハーツ』という話です。本来なら6章(全9話)として投稿する予定でしたが、迷いに迷った挙句ボツにしました。でも26000字をこのまま封印するのはあまりに勿体ないし、何より読み物としてはこれはこれでそこそこのクオリティがあるのではないかと思ってますので、おまけとして投稿する事にします。

作中の時期としては、既にスーパースターとなっていた達也が大晦日にボクシングの元世界王者に完勝し、これからは社会に貢献していこうと考えて年明けの熊本遠征を終えた所からです。


ボツシナリオ4.キングハーツ(幻の6章)

     6-1

 

 熊本での一戦から1か月も経っていない3月の初め、達也はキングハーツというプロレス団体のリングに立っていた。

 キングハーツは日本でも一、二を争う名門プロレス団体である『ジャパンプロレス』から独立して誕生した新興団体だ。代表を務めているのはは遠藤直樹、ジャパンプロレスの次代を担うレスラーと目されていたが「ジャパンプロレスは今や見世物となり果てた」と言い残してジャパンプロレスを脱退。団体内の若手を引き連れ、「レスラーの真の強さを披露する団体」をコンセプトにキングハーツを立ち上げた。そしてこの日が、記念すべき旗揚げ興行の日だった。

 試合は第1試合から、若い選手たちによる熱いファイトが続いた。その試合内容はボディスラムなどの非現実的な技をかけ合うものではなく、本気で打撃を繰り出し関節を取り合うという、見るからに従来のプロレスとは一線を画した戦いだった。第3試合などは開始30秒たらずで関節技が極まりギブアップ決着となったが、このような秒殺劇はジャパンプロレスをはじめ旧来のプロレスではまず見られない光景だ。

 ただ、キングハーツはロープブレイクの採用や寝技での打撃の禁止など、プロレスに近いルールも採用していた。言わばレスリングと総合格闘技の中間、それがキングハーツの志向した「レスラーの強さをファンに披露する」ルールだった。

 そんなキングハーツの旗揚げ興行からの出場オファーを達也が受諾したのは、やはり先の熊本遠征と同じく、自身の力を格闘技界に還元したいと考えての事だった。達也自身プロレスにはあまり興味が無いが、遠藤直樹というレスラーの名前ぐらいは知っていた。名の広く知れた名レスラーに「旗揚げ興行に力を貸して頂けないか」と頭を下げられては無下に断る事も難しく、熊本での大成功の経験もあって「まあ少しぐらいならいいか」と軽い気持ちでOKしたのだった。

 また、達也が今回のオファーを受諾した大きな理由は、試合のルールにあった。というのも、キングハーツは達也に対して、プロレスの試合を提示したのだ。

 プロレスはあくまでプロレスであって、真剣勝負ではない。実際、キングハーツが達也に出したオファーでは「今回の試合はお互いに技を適度に出し合い、結果はタイムアップの引き分けにする」となっていた。となると達也としては、試合に臨むにあたって特段の準備は不要だ。引き分けという結果があらかじめ決まっているのであれば、それは試合ではなくショーである。達也はショーの俳優を演じるぐらいのつもりで、気軽に今回のオファーを受けたのだった。

 達也の相手を務めるのは吉村という選手だった。プロレス団体では所属選手の序列が細かく決まっているのが普通でキングハーツもそれは例外ではなく、吉村の序列は代表の遠藤に次ぐNo.2である。ジャパンプロレス時代も遠藤とはタッグメートを組んで行動を共にしており、「遠藤の直参」と言われていたレスラーだ。

 試合は「エキシビションマッチ」と銘打たれて行われた。つまりは「この試合の勝敗はキングハーツの公式記録にはカウントされない」という意味である。その扱いからも、この一戦が真剣勝負でない事が窺えた。

 とはいえ、キングハーツが「従来のプロレスとは一線を画する新たな形でのリアルファイト」を標榜して結成された団体である以上、ファンにあからさまな八百長試合を見せる訳にはいかない。達也もその辺の事情は把握しており、いきなりロープへとダッシュしてその反動でラリアットを狙うなどの極端に不自然な攻撃は封印しつつ、リアルファイト風のプロレスを演じた。吉村の寝技にかかったふりをしながらロープを掴んでブレイクしたり、あるいはもつれながらリング下に転落したり、というように。

 コアな格闘技ファンならともかく、従来のプロレスをリアルな戦いだと信じているようなライトなファンの目には、達也と吉村の試合は十分にリアルファイトに映った。少なくとも引き分けという台本が最初から存在しているようには見えず、それどころか観客たちは、キングハーツを代表する吉村が日本格闘技界のスーパースターである達也と互角に戦っている姿に大いに満足していた。そういう意味では、達也の演技は完璧だった。

 しかし、15分1ラウンド制で行われる試合が残り5分を過ぎた所で、異変が起こる。

 それは、吉村が寝技で華麗に達也の腕を取った、その直後だった。

 

「いっ、いいいいいいいいっっっっっっ……!!!」

 

 達也の悲鳴に近い声が響く。リング上では、吉村が達也の左腕に腕ひしぎ逆十字を極めた所だった。

 腕ひしぎ逆十字といえば、関節技の王様と言うべき必殺技である。リアルファイトでは極まったら最後、ギブアップ以外の選択肢は無い。世界一の強者とて、人間である以上は関節を鍛える事など不可能だからだ。

 だが、この試合はリアルファイトではなく、あくまでプロレス。結果は引き分けと決まっている。だから達也も、適度に足をバタつかせたりしながら吉村が技を解くのを待っていたのだが。

(ちょっ…まだかよ……ってかマジで痛いって…!!)

 吉村は腕ひしぎ逆十字をほどくどころか、むしろ達也の関節を逆に曲げようと力を込める。

 まるでそれは、本気で達也の腕を折ろうとしているかのような力で…

「いっ…痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いっっっ!!!」

 必死の思いで達也は足を伸ばす。するとつま先がわずかにロープへとかかった。ロープブレイクである。

 だが…

「お、おいっ、レフェリーっ!!ロープブレイクだろがっっっ!!!」

 達也は必死にロープブレイクをアピールする。だがレフェリーは気付いていないのかそれともわざとなのか、達也の訴えを無視し続ける。

「ちょっ、どこ見てんだよっ!マジで折れるって…!!」

 つま先をロープにかけながら今度は吉村の方に視線を送るが、しかし吉村は腕ひしぎをやめようとしない。それどころか達也のギブアップを促すように関節を逆方向に曲げ続ける。

(ヤバっ…マジでヤバいって…!!)

 台本とは違うけど、こりゃもうギブアップするしかないな…そう思って達也がタップしようと手を伸ばしかけた、その時。

「ちょっと、レフェリーっ!何ぼーっとしてるのっ!吉村を離しなさいっ!」

 そう言ってリングに乱入してきたのは、晴香をはじめとした達也のセコンド陣だった。不穏な空気を察知した晴香たちはレフェリーを突き飛ばさんとする勢いで吉村に飛びかかり、達也の腕に絡みついている体を引きはがす。

「達也くん、大丈夫?」

 晴香が心配そうに達也の腕の状態を確認しながら聞く。

「ええ、何とかギリギリ大丈夫っぽいです」

 靭帯や骨には異常は無い、というのが達也の感覚だった。とはいえ、めちゃくちゃ痛かった。肘をちょっと曲げただけで激痛が走り、打撃を繰り出せるような状態ではなかった。

 しかしこの時もまだ、達也は何が起こっているのか正確に把握していなかった。これもプロレスの一環なのか、レフェリーはロープにつま先がかかっているのをたまたま見逃しただけなのか、それとも何か予定外の事が起きているのか、全く判断しかねていた。

 だがそれも、試合再開後の吉村の行動を確認するまでの短い時間で。

「くっ…!」

 再開直後、吉村が狙ったのは達也の左腕だった。さっきまでのプロレスとはあからさまに違う機敏な動きで、痛めたばかりの左腕を執拗に狙う。

「マジ…かよっ…!」

 ここにきて達也も、状況を大まかに理解した。

 まず間違いなく、自分はハメられたのだと。

 引き分けなんていう話は最初から嘘っぱちで、観客にリアルファイトと見せかけたこの試合に勝利する事で、新興団体の船出を華々しいものにするつもりなのだと。

 その証拠に、吉村の表情は試合序盤とは全く異なっていた。相手を殺そうとしているような目。それが本気なのか否かは、対峙した者には嫌でも分かる。

(そっちがそのつもりなら…やってやろうじゃねえかよっ…!)

 試合を放棄してリングを下りる事も一瞬だけ脳裏によぎった達也だったが、でも、それもほんの一瞬だけ。キリキリと悲鳴を上げる肘の痛みが、試合放棄を拒否した。

 普段は優しいけど、怒らせたら恐い。それが、達也という男だから。

 

(おらよっ…!!)

 

 一転、達也が鋭いストレートを繰り出す。それまでの遊びのような打撃とは違う、本物の右ストレートがパン!と吉村の顔面を捉える。

 吉村にしても、ここまで速く強烈なストレートは想定していなかったのだろう。顔面をのけぞらせながら反射的に顔を手で覆った……その瞬間。

 

―――ゴスッッッッッ!!!!!!!

 

 一瞬達也が後ろを振り向いた…と思った直後、強烈な後ろ回し蹴りが吉村の横っ腹に突き刺さった。アバラの直下をカカトで深々と抉られ、吉村がたまらず膝をつく。

 そしてそのまま顔面をマットへと這わせ、動けなくなってしまった。

「レフェリー、カウントは?」

 達也に促され、レフェリーがゆっくりとカウントを始める。しかしどれだけ時間をかけたカウントであっても全くの無意味だった。達也のカカトはピンポイントに肝臓を打ち抜いており、吉村は立ち上がる事はおろか呼吸すら困難だったのだから。

 規定の20カウントの間、吉村は苦しみ続けた。達也の勝利が正式にアナウンスされてもまだ動けず、間もなく担架で医務室へと運ばれていった。

 一方の達也も、勝つには勝ったが左腕はだらりと伸びたままだった。そして何より、約束を破られた事に対する怒りが残ったままだった。

 

 達也とキングハーツの因縁が、この日から始まる事になる。

 

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     6-2

 

 キングハーツの旗揚げ興業は達也の参戦もあって大きな注目を浴び、イベントそのものは大成功に終わった。何より、ロープブレイクの採用やグラウンドでの打撃禁止といった「残酷過ぎない新たな形のリアルファイト」をファンに提示できたという点において大成功だった。エキシビジョンマッチとはいえ団体のNo.2である吉村が達也にKOで敗れた事も、キングハーツが掲げるリアルファイトというフレーズに一層の真実味を持たせる事になった。例えばジャパンプロレスのような旧来のプロレス団体なら、団体の顔の一人とも言うべき選手がキックボクサーに後ろ回し蹴り一発で敗れるような試合は絶対に行わない。

 旗揚げ興行の成功により一定の知名度を獲得したキングハーツは、これ以後定期的に試合を開催し、その人気を着実に拡大していく事になる。特にグラウンドでの打撃禁止というルールは総合格闘技が本来持っている『野蛮』『残酷』といったイメージを取り去り、新たなファンを獲得する原動力となった。

 キングハーツが勢力を伸ばしていく中で特にこだわったのが、「リアルファイトを通じてレスラーの強さを見せる」という点だった。ファンが望んでいるものは「強さ」に他ならないという事をキングハーツは理解していたのだ。だからキングハーツは他競技の選手との異種格闘技戦も頻繁に行った。それらの試合で勝利を重ねる事で、キングハーツの人気は日増しに高まっていった。

 そんな状況を、達也は半ば腹立たしい思いで見ていた。

 キングハーツが新興団体としてファンへの「顔見せ」に成功したのは、紛れもなく達也の力による所が大きい。達也が参戦していなければ、旗揚げ興行は大した注目を浴びる事もなかっただろう。

 ところが、その旗揚げ興行でキングハーツが達也に仕掛けたのは、まさかの約束破りによる騙し討ちだった。キングハーツは達也への恩を仇で返したのである。

 エキシビジョンマッチで吉村が達也に敗れた事によって、ファンはキングハーツの試合はリアルファイトなのだという確かな認識を持つに到った。しかしそれはあくまで偶然の産物に過ぎない。あの試合で吉村は間違いなく、引き分けにするという当初の約束を破って達也からギブアップを奪おうとした。試合後にキングハーツから達也へ何の一言も無い事が、あの試合での約束破りが当初からの計画だった何よりの証拠だ。もし本当に引き分けにするつもりだったのなら、吉村をKOした達也に抗議が為されないと理屈が合わないのだから。

 試合後は念のために病院へと直行した達也だったが、腕ひしぎ逆十字を極められた左肘は幸いにも異常無し。だが、折れていてもおかしくなかったと達也は今でも思っている。あいつらは俺の腕を折る事で、自分たちの強さを示そうとしやがった…それが達也の認識である以上、達也がキングハーツを許せる訳はなかった。

 しかしそんな達也の苛立ちなどどこ吹く風と言わんばかりに、キングハーツは達也とのエキシビジョンマッチで築き上げた土台を基に、着実に人気を拡大していった。

 そんなキングハーツの中でも圧倒的な存在感を示していたのが、団体の代表でもある遠藤直樹だった。

 旗揚げ興行からわずか2か月で、遠藤は4試合もの異種格闘技戦をこなした。結果は遠藤の4連勝である。相手の内訳はキックボクサー・空手家・柔道家・元イスラエル軍特殊部隊員と多種多様で、いずれの試合も遠藤が目指す「リアルファイトを通じてレスラーの強さを見せる」には文句のない試合だった。

 レスラーの強さを証明する―遠藤は常にそう言い続け、それをリングの上で示し続けていった。そんな遠藤の姿に、従来のプロレスファンが心を惹かれるようになっていくのは当然だった。プロレスファンの多くは、プロレスの試合が基本的には八百長であると感じながらも、本音ではやっぱりレスラーこそ最強なのだと信じたいのである。彼らプロレスファンにとって遠藤という存在は、かつて力道山やアントニオ猪木がそうであったように、レスラー最強説の体現者に他ならなかった。

「俺はいつどこで誰の挑戦でも受ける」

 遠藤は事あるごとにそう言っては、広く挑戦者を募った。それだけでなく、ある男の名前を何度も出して対戦を熱望した。

「キングハーツの歴史は屈辱から始まった。我々に屈辱を与えた小野選手との再戦を強く希望する。小野達也よ、逃げるな!キングハーツのリングに上がって来い!」

 

 

「小野達也よ、逃げるな!」

 遠藤のこのセリフは、いつしかネットやスポーツ新聞をも賑わすようになっていった。当然それは、達也の耳にも入っていた…のだが。

 この時の達也はというと…腹立たしさや怒りを通り越して、うんざりしていた。

 安易にキングハーツのオファーなんか受けるんじゃなかった…本気でそう後悔していた。腕を折られかけただけでなく、勝手に名前を出されて宣伝に利用される始末。もう、呆れて何も言えない心境だった。

 もちろん、遠藤をぶちのめしたい気持ちはあった。遠藤が強敵だとか勝てるか分からないとか関係なく、一人の男としてコテンパンにしてやらなければ気が済まないという思いはあった。しかし何より、遠藤が仕掛けてきた土俵に乗る事自体が絶対に嫌だった。とにかくキングハーツとは関わり合いたくない、勝手に吠えてやがれ…そんな気分だった。

 しかし、そんな達也とキングハーツの確執を、REALが見逃す筈もなかった。

 この時REALは依然として達也の対戦相手探しという難題を抱えたままだった。欧米の有力キックボクシング団体と交渉を試みるもことごとく不調に終わり、3月に開催した大会には結局達也を参戦させる事さえできなかった。となると中継の視聴率も伸びずにスポンサーからは渋い顔をされてとまさに踏んだり蹴ったり。達也の対戦相手の供給源の発掘がいよいよ急務になっていたのだ。

 そんな状況にあって、達也とキングハーツの確執は突然降って湧いた『金脈』以外の何物でもなかった。ここぞとばかりに達也と遠藤の試合の実現へと動いたのは当然の判断だった。

 達也としてはキングハーツとはもう関わり合いたくなかったが、REALのリングで戦うというのであれば試合の収益がキングハーツのものとなる訳ではないし、何より遠藤をぶちのめしたいと思っていたから試合を断るという選択肢は無かった。

 

 こうして5月4日(日)。達也はREALのリングに上がる事が決まった…のだが。

 その相手はキングハーツ所属の徳井という若手選手で、遠藤ではなかった。

 

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     6-3 

 

 5月4日、決戦の日である。

 この日のメイン3試合は「レスリングVSキックボクシング3番勝負」と銘打たれていた。その名の通り、レスラーとキックボクサーが互いのプライドを懸けて戦う異種格闘技戦である。

 実はこの企画はREALが考えたものではなく、所属選手を一人でも多くREALのリングに上げたいと考えたキングハーツが提案したものだった。REALとしても大会全体がより盛り上がると考えて団体戦の提案を受諾、今回のイベントが実現した。

 なのでレスリングVSキックボクシングというより、キングハーツVSキックボクシングと言った方が正しかった。その大将戦として、キングハーツの若手ホープである徳井とスーパースター・小野達也が激突する訳である。

 試合のルールは、言うまでもなく総合格闘技で行われる。キックボクシングでは敵無し状態の達也が一昨年大晦日の金田悠希戦以来の総合ルールでどんな試合を見せるのか、ファンの注目はそれこそ金田悠希戦以来の高さと言えた。

 順調に試合が消化され、ついに3試合を残すのみとなった。キングハーツVSキックボクシングの幕開けである。

 しかし、先に結果を述べると、第1戦及び第2戦はキングハーツ側の圧勝だった。

 キングハーツの選手たちがいとも簡単に連勝を飾れた最大の理由は、キックボクシング軍として出場した選手が総合格闘技ルールに不慣れだった事に尽きた。というのも今回の企画においてキングハーツは、達也戦以外の2試合に関しては総合格闘技経験がないキックボクサーを対戦相手とするよう強く申し入れたのだ。「我々が目指すべきは、他の格闘技の選手とのリアルファイトを通じてレスラーの強さを見せる事であり、総合格闘家と総合格闘技を行う事は本意ではない」というのがキングハーツの弁であり、純粋なキックボクサーとの対戦が組まれないのであればREALへの出場は見送らざるを得ないと伝えるほどの強硬姿勢を見せたのだ。

 レスラーを自称しつつも実際は普段から総合格闘技に近いルールで戦っているキングハーツの選手と、寝技の一つも知らない純粋なキックボクサーが総合格闘技の土俵で戦えば、結果は火を見るよりも明らかだ。キングハーツの選手たちはキックボクサーからいとも簡単にテイクダウンを奪い、易々と関節を極めてタップを奪った。試合に到るまでの交渉も含めて、キングハーツの完勝だった。

 という訳で、「レスリングVSキックボクシング3番勝負」はレスリング軍(キングハーツ軍)が早々に2連勝して団体戦としての勝利を決めた。しかし、ほとんどのファンは団体戦の結果など特に気にしていなかった。ファンの注目はやっぱり達也なのである。達也が1年4か月ぶりの総合格闘技ルールで果たしてどんな戦いを見せるのか…ルールが変われどやはり圧倒的な強さを見せ付けるのか、それともつい先ほどリングに上がっていたキックボクサーたちのように寝技に持ち込まれた挙げ句関節を取られてギブアップしてしまうのか…注目はその一点だった。

 そしてもっと言ってしまえば、多くのファンは、達也が負けてしまうのではないかと想像していた。

 総合格闘技においては立ち技での打撃よりも寝技の方が重要、それが多くのファンの認識なのである。達也が金田悠希を破った膝蹴りは偶然だったという論調は今もって強く、今日ここまでの2試合が共にレスラーの一本勝ちだった事も達也不利の空気に拍車をかけていた。

 

 だが、不利も囁かれたこの一戦で。

 達也はまたしても、ファンの度肝を抜く圧巻のパフォーマンスを見せ付ける事になる。

 

 試合の入りは穏やかだった。直前の2試合はゴング直後にレスラーが電光石火のタックルを見せてキックボクサーから驚くほどアッサリとテイクダウンを奪ったのだが、徳井は無理にタックルを仕掛けようとはせず、距離を取りながら達也の隙を窺う構えを見せた。

 この時徳井の頭にあったのは、一昨年の大晦日の光景だった。達也が金田悠希を出血TKOに追い込んだ膝蹴り…あれは偶然だったようにも見えるが、もしかしたら狙いすましたものだったのかもしれない…いずれにしても奴は、俺のタックルに膝を合わせようとしているに違いない…

 達也が金田悠希を相手に見せた膝蹴りは、1年4か月経った今でも確かな幻影となって、徳井の動きを縛っていた。徳井は考える。何も今こちらから攻める事はない、隙を見計らって奴が不用意な体勢になった瞬間に…と。

 そんな中、先に手を出したのは達也だった。正確には、出したのは手ではなく足なのだが。

 パシン!と強烈なローキック。それはキングハーツの選手たちが繰り出すローキックとは全くレベルが違う、本物の威力とキレを内包した蹴りだった。瞬間、徳井の神経を激痛が駆ける。

 何て強烈なローキックなんだ…徳井は咄嗟に恐怖心を覚えた。こんなローキックを受け続ければ、あっという間に足の筋肉を破壊されかねない…と。

 徳井がまた距離を取る。だがそれを見越していたように、達也がじわりと詰め寄る。そしてまた、蹴りを繰り出すような構えを見せる。

 ローキックをカットしようと、徳井の意識が自らの下半身へと下がった、その瞬間。

 

 ―――ゴンッッッ!!!!

 

 達也が繰り出した2発目はローキックではなく、ハイキックだった。長く伸びた達也の足が、徳井の顎を打ち抜いて。

 その衝撃で徳井の体は後方のロープまで吹っ飛んだ。そしてそのまま、ロープとロープの間に顔を吊るような姿で気を失った。

 レフェリーが慌てて駆け寄り、試合終了を告げる。だが、慌てる必要は特に無かったかもしれない。

 なぜなら、達也はハイキックを打ち抜いて以降、1ミリたりとも追撃する構えを見せなかったのだから。

 

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     6-4 

 

 公式記録、1ラウンド0分21秒、達也のKO勝ち。

 もはや完全に達也の代名詞となった『秒殺』だが、今回の秒殺が与えたインパクトはこれまでのどの試合よりも大きかった。何せ今回の試合で達也が繰り出した攻撃は、たった2発の蹴りだけなのだから。試合前に達也不利説が囁かれていいた事など、試合後にはもう誰も覚えていなかった。

 そして達也は、続く試合でも驚愕の強さを見せ付ける。

 徳井戦から1か月半後、達也は再びREALのリングでキングハーツの選手と相まみえた。相手は松尾という選手で、寝技主体の選手が多いキングハーツの中にあって立ち技での打撃を得意とするファイターである。

 だが、なまじの打撃スキルは達也の前では災いでしかなかった。ゴング直後から猛攻を仕掛けた松尾に対して達也は全く怯む事なく応戦。開始早々の打ち合いにファンは大いに湧いたが徐々に手数の差が開き始め、気が付けば達也が一方的に押し込む展開に。最後は松尾のガードが下がった所にやはりハイキックをクリーンヒットさせて勝負あり。試合時間は41秒と、またもや秒殺劇で試合を締めたのだった。

 小野達也は総合格闘技の世界でも頂点に立てるのではないか…ファンからそんな声が聞かれるようになったのはこの頃である。立ち技だけの選手は総合格闘技では通用しない、空手やキックボクシングの打撃など総合格闘技では無力に等しい…そんな多くのファンが持っていた共通認識を吹き飛ばしてしまうほどに、この連続秒殺劇のインパクトはとてつもなく大きかった。そして何より、ファンは皆、達也のファイトスタイルに魅了されていた。『ファイトスタイル』の部分は『美しさ』と言い換えても良いかもしれない。そう、達也の戦いは『美しい』のだ。必要以上に相手を痛めつける事なく、狙いすました一撃でKOする。戦闘不能となった相手を追撃する事もない。その勝ち方は芸術的ですらあり、ややもすれば勝利絶対主義にも映る従来の総合格闘技とは一線を画するものだった。

 達也の本格的な総合格闘技転向を望む声はファンの中で日増しに大きくなっていった。達也とREALのトップファイターが戦う所を見たい、達也がハイキックで総合格闘家たちを美しくなぎ倒す所が見たい…と。誤解を恐れずに言えば、ファンは皆、達也の美しいファイトスタイルが『最強の格闘技』を自認する総合格闘技を打ち砕く光景を見たいと、そう願っていた。

 そして、そんなファン待望のマッチメーク第一弾は、すぐに実現する事になる。

 

 

 達也の次戦は8月のど真ん中だった。REALが大晦日に次いで重要と位置付ける真夏の大会である。

 5分3ラウンドの総合格闘技ルールで、相手は浜崎という男だった。もちろんキングハーツに所属する選手だ。

 浜崎といえば、キングハーツでは代表の遠藤に次ぐ実力者と言われる、主力中の主力選手である。それどころかキングハーツをよく知るコアなファンの中では、遠藤はジャパンプロレス時代の知名度があってこその選手であり、今現在では浜崎こそキングハーツ最強…ないしはプロレスラー最強という声も少なくなかった。現に浜崎はこれまでキングハーツ主催で行われた試合では無敗であり、数々の異種格闘技戦に勝利している。また、ジャパンプロレス在籍時にはREALにも3度出場しいずれも勝利を飾るなど、総合格闘家としても申し分のない実績を誇っている。まさに、キングハーツが送る最強の刺客と言って差し支えない選手だ。

 ビッグマッチの実現にファンは色めきだった。さすがREAL、さすが真夏の大会だ、と。

 だが、キングハーツがこの時点で浜崎という最強のカードを切る決断を下したのは、真夏の大会云々などよりも、キングハーツそのものが経営的に危機的状況にあった事が何より大きかった。

 実はこの頃、キングハーツは既に経営的に火の車だったのだ。旗揚げ当初の勢いは徐々に失われ、観客動員数は低迷の一途。所属選手への給料も支払いが遅れるような状況に陥ってしまっていたのである。

 キングハーツが勢いを失ったしまった要因はいくつかあるのだが、やはり何と言っても達也への刺客として送り出した徳井と松尾が相次いで秒殺で返り討ちに遭ってしまったのが大きかった。言い逃れしようのない連敗で、キングハーツが掲げた「リアルファイトを通じてレスラーの強さを見せる」という理念は脆くも崩れ去ろうとしていた。しかも達也と戦い続ける限りファンが応援するのは常にスーパーヒーローの達也であり、キングハーツが『適役』となってしまう。達也を利用して華々しくスタートダッシュを決めたキングハーツだったが、達也を利用し過ぎた故に手痛いしっぺ返しを受け、今や団体の存続すら危ぶまれるまでになってしまっていたのだ。

 となると、キングハーツが再び勢いを取り戻す道は一つしかない。そう、達也に勝利してレスラーの真の強さをファンに見せ付けるのだ。浜崎の背中には、キングハーツという団体の存続がかかっていた。

 

 しかし、キングハーツ最強の刺客を前にしても。

 ファンを驚かせるのは、やはり達也の方で。

 

 試合では、浜崎は幾度となくタックルや組み付きを試みた。しかし達也を捕まえる事はできず、あるいは手がかかっても達也の力強い打撃に押し返され、逆にローキックやジャブで体力を削られる。常に達也が試合をコントロールしたまま時間が過ぎてゆく。

 その戦いっぷりに、ファンは目を見張った。なぜならその身のこなしは、とても総合格闘技に不慣れなキックボクサーが見せるようなレベルではなかったからである。

 そう、この時の達也は、もう既に単なるキックボクサーではなかった。

 総合格闘技初挑戦となった金田悠希戦から1年半超、実はその間、達也は継続して総合格闘技の訓練を行っていたのだ。その中で達也が特に重点的に磨いてきたのが「総合格闘技における立ち技での打撃」だった。

 キックボクシングでは判定に備えてある程度の手数なども重要となるが、総合格闘技では不用意に手数を多くしても隙が生じるデメリットが大きい。また、一口に打撃と言っても、KOを目指すのかテイクダウンを目指すのかはたまた寝技を回避するためなのかなど、目的によって必要となる打撃の質も異なる。達也が磨いてきたのは、まさしく寝技を回避し立ち技だけでKOする事を目的とした打撃だった。

 一定の距離を保ちながら素早いフットワークで打っては離れを繰り返し、浜崎の組み付きやタックルには腰を引いて避け、あるいは重心を低くして受け止めてから屈強なフィジカルで押し返す。寝技を徹底的に回避しつつ、鋭い打撃で主導権を握る。過去2戦があまりに早い秒殺決着だった為に誰も気付かなかったが、達也は確実に進化していたのだ。直線的な打撃のみのキックボクサーから、曲線的な動きを描くストライカー型MMAファイター(打撃系総合格闘家)へと。

 浜崎の打撃は空を切り、タックルは切られてもはや万策尽きたに近い状況。一方の達也は、ローキックを中心としたシャープで力強い打撃で浜崎の体力を削っていく。

 そして、1ラウンドも3分が過ぎようとした頃、試合が大きく動いた。

 達也の左フックが顔面にクリーンヒットし、浜崎がたまらずその場に崩れ落ちた。ここぞとばかりに達也が上へとのしかかり、アッサリとマウントポジションを奪う。

 この瞬間、事実上試合は決した。既に浜崎の体力は疲弊しており、なおかつ今喰らった左フックで意識が朦朧としている。そんな状況下でマウントポジションを奪われ逆転などできる筈もない。しかも1ラウンド終了まではまだ2分も残っているのだ。

 達也もそれは十分過ぎるほど分かっていた。だからこそ、胸が痛かった。今から、自分がしなければいけない事を考えると。

 マウントポジションでは、下になった者の拳は上になった者の顔には届かない。上になった者だけが、下になった者の顔面を好き放題に殴る権利がある。下になった者は、振り下ろされる拳をガードするのが精一杯。

 浜崎は必死にガードを試みるが、さっきの左フックがまだ効いているのか、顔面を隠そうとする腕は弱々しく、ガードができているとは言い難かった。

 そんな相手の顔面に拳を振り落とさなければならない事に、罪悪感を覚えながら…

 ゴツッ!ゴツッ!!と鈍い音が響く。その度に、浜崎の目から少しずつ、しかし確実に生気が失われていく。

 本来なら、ここで関節を取って試合を終わらせるべきだろう。だが達也はあくまでキックボクサー、まだ関節技に絶対の自信を持っている訳ではなかった。ヘタに関節を取ろうとして失敗してしまえば、その隙に大逆転を喰らってしまうかもしれない。

 だから…殴るしかない。

 思えば達也は、これまで馬乗りになって誰かを殴った事などなかった。幼い頃から飛び抜けて強かった達也だが、だからこそどんな事があっても他の子に手を出すような事は絶対にしなかった。充希にちょっかいをかけた男子の胸倉を掴んで謝らせたような事は何度かあるが、それでも殴ったりはしない。達也が拳を振るうのはあくまで試合の中でだけであり、正対する相手に対してだけだった。

 ほぼ無抵抗の相手に馬乗りになって、一方的に拳を振り落とす――生まれて初めての経験は、何ともおぞましく、反吐が出るほどに気持ち悪いものだった。

 拳を十数発ほど振り落とした所で、達也はレフェリーの方を見た。そして顔を小さく振って合図する。

 

 もう無意味だ、終わりにしてくれ…と。

 

 そんな達也の意思を察したのか、レフェリーが浜崎の様子を確認した。そして、試合終了を告げた。

 浜崎はまだギブアップしておらず意識も残ってはいたが、レフェリーストップの判断は妥当と言えた。ダメージは深く、これ以上続けても逆転の可能性は考えられなかった。

 

………………………………………

 

     ―達也―

 試合が終わって、ゆっくりと立ち上がる。

 強敵を相手に、完璧な勝利だった。プラン通りの試合ができた。でも…気分は悪かった。

 どうしてもう少し早く止めてくれなかったんだろう、あるいはどうして相手側のセコンドはタオルを投げ入れてくれなかったんだろう、そう思うと虚しさが込み上げてきた。レフェリーやセコンドは、あの状態から浜崎選手が形勢を挽回する事があるかもしれないと考えたのだろうか。だとしたらあまりに無責任すぎる。

 もちろん世の中に絶対は無い。でもあれ以上試合を続けたら、逆転の可能性なんかよりも浜崎選手が壊れてしまう可能性の方がずっとずっと高かっただろう。最後の十数発を俺がどれだけ手加減して殴ったか、レフェリーやセコンドは分かっているんだろうか…

 右手を掲げられ、勝ち名乗りを受ける。でも、嬉しさは全く込み上げてこなかった。それどころか、逆にひどく腹が立った。勝利者インタビューが始まっても、まだ気持ちは収まらなかった。怒りは巡り巡って自分自身にも向いていた。どうしてリスクを背負ってでも関節を極めにいかなかったんだ…あるいは、いつものようにハイキックでKOできなかったのがいけなかったのか…と。

 笑顔でインタビューを受けなきゃいけないのが辛かった。どうしてこんな試合をしてしまったんだ、どうしてこんな試合をしなければならなかったんだ…と。

 だから、最後に一言今後の抱負をお願いしますと言われて。

 怒りに任せて、つい、言ってしまった。

 

「もうこんな試合は十分です。遠藤さん、僕に逃げるなとか何とか言ってたみたいですけど、逃げてるのどっちなんですか?いつまでも逃げ回ってないで僕と勝負しましょうよ?」

 

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     6-5

(種付けシーンor充希視点)

※ここで種付けシーンか充希視点の話を入れる予定でしたが、話全体がボツになったので結局下書きすら書きませんでした。

 

………………………………………

 

 ファンは達也と遠藤の決戦を望んだが、10月に行われたREALの舞台に両者の姿は無かった。遠藤はあくまでキングハーツのリングでの試合を望んだが、達也が今さらキングハーツのリングに上がる事は有り得ない。交渉は平行線を辿った。

 そうこうしている内にも、キングハーツの崩壊は更に加速していく事になる。

 浜崎が達也に敗れ去った真夏の一戦以降、キングハーツは自前で興行を打つ事すら難しいような状況に追い込まれていた。スポンサーは相次いで撤退し、所属選手は続々と離脱した。ちょうどこの時期、遠藤は唐突に次期衆議院議員選挙への出馬を宣言した。だが周囲の反応が薄いと見るや間もなく宣言を撤回。こういったドタバタからも、遠藤がこの時既にキングハーツの将来に見切りをつけていた事が分かる。

 しかし、雪だるま式に増え続ける借金から目を背ける事はできない。この頃キングハーツが抱える債務は億単位にまで膨れ上がっており、達也がキングハーツのリングに上がるような事がない限りは到底返せる金額ではなくなっていた。言い換えれば、遠藤がREALのリングで達也と戦って得られるファイトマネーでは全く足りなかったのである。

 だが、達也がもう二度とキングハーツのリングに上がる気が無いのは明らかだ。そこで遠藤は、借金返済のために苦肉の策に打って出た。それが古巣であるジャパンプロレスとの団体対抗戦だった。

 11月1日に東京ドームで行われた『激突!ジャパンプロレスvsキングハーツ全面戦争』は5万人を超える大観衆を集め、プロレスイベントととしては異例とも言える空前の盛り上がりを見せた。大多数のライトな格闘技ファンにとってキングハーツはもはや「オワコン」だったが、コアなプロレスファンにとってはやはり遠藤は名レスラーであり、かつて袂を分かったジャパンプロレスとの対抗戦は興味をそそられずにはいられないイベントだったのだ。

 メインイベントは岡田健太(ジャパンプロレス)vs遠藤直樹(キングハーツ)。団体のトップ同士による、文字通り大将戦である。

 試合の結果は21分16秒、岡田がブレーンバスターから4の字固めで遠藤を破った。言うまでもなくブレーンバスターも4の字固めも、相手の協力が無ければ絶対に決まらない技である。岡田が敢えてゴリゴリの『プロレス技』をフィニッシュに用いたのは、遠藤がプロレスラー以外の何者でもないという事をファンに見せ付けると共に、かつてジャパンプロレスから分裂した遠藤にこれ以上ない形での屈辱を与えるためだったのだろう。プロレスをエンターテインメントとして捉えれば粋と言えるのだろうが、スポーツとして捉えればあまりにも嫌味なフィニッシュだった。

 ところでこれはもはや言うまでもないかもしれないが、この試合が岡田の勝利に終わる事は試合前から決められていた事だった。フィニッシュの技や時間まで正確に決められている訳ではないが、フォールorリングアウトor引き分けといったような大まかな結果は試合前に全て決まっている。全ての試合がそうという訳ではないが、プロレスでは少なくとも99%以上の試合において結末は最初から決まっており、プロレス業界ではこれをブック(台本)という隠語で表現する。ただし誤解しないで欲しいのだが、プロレスは試合の結果こそ八百長だがレスラーが日々行っているトレーニングはとてつもなく厳しくストイックだ。トレーニングはガチンコ(真剣)で試合は見世物という二律背反(アンヴィヴァレンツ)の世界をプロレスは生きているのである。

 

 さて、満員の東京ドームでプライドをかなぐり捨てて屈辱の姿を晒した遠藤だが、その見返りも大きく、かなりの借金を返済する事ができた。言い換えればそれは、REALのリングで達也と戦うための下地ができたという事でもあった。

 とはいえ依然として債務の額は大きく、達也との試合で得られるであろうファイトマネーだけでは完済にはまだ不十分だった。そして何より、自身の国政選挙出馬宣言などの迷走やプロレスとはいえ岡田に敗れてジャパンプロレスの軍門に下った事で、達也との決戦ムードはかなり下火になってしまっていた。つまり多くの格闘技ファンは、もはや遠藤に失望してしまい達也との試合など望んでいなかったのだ。達也との試合を実現させ大きなファイトマネーを得るために、ファンの信頼を取り戻し達也戦への機運を再び高める事が、遠藤に課せられた次なる使命だった。

 

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     6-6

 

 12月31日、大晦日。

 当初REALは達也と遠藤の試合を目玉の一つとして考えていたのだが、遠藤がファンに見放された空気を的確に読み取り予定を変更。達也はウェイン・グレゴリーというオーストラリア人選手とキックボクシングの試合とする事となった。

 グレゴリーは国籍こそオーストラリアだがヨーロッパの有力団体に属しており、通算成績は73戦52勝(23KO)5分け16敗。70戦以上して8割近い勝率を誇る戦績も去る事ながら16敗のうちKO負けはわずか2回しかなく、しかもつい最近まで当団体のチャンピオンだったという経歴を持つというかなりの実力者である。REALはかつて達也の対戦相手としてくだらない韓国人選手を選んで大炎上した経緯から、欧州の有力キックボクシング団体とパイプを築き上げる事に成功していたのだった。

 達也にとっては、これまでで最大の難敵と言えた。少なくともキックボクシングの試合においてはこれまでのどの相手よりも強敵である。

 そして試合は、やはり一筋縄ではいかなかった。

 気合十分、空手着を身にまとってリングに上がった達也だったが、今回ばかりはいつもの試合のように序盤からペースを握る事はできなかった。それどころか開始1分半過ぎにグレゴリーの左が達也の顔面を捉え、何とその衝撃で達也はその場に尻餅をついてしまった。

 達也にとってはプロになって初めてのダウン。信じられない光景にファンは言葉を失った。だが幸いにもダメージは浅く、すぐに立ち上がって試合続行。そして、そこからはダウン直後に見られがちな激しい打ち合いが展開されたのだが、これがそれはそれは本当に凄まじい打ち合いとなったのである。

 両者ほぼノーガードのまま、至近距離での壮絶な乱打戦。互いのパンチが幾度となく顔面を捉える激闘に超満員の会場は大いに湧いた。最後は1ラウンド終了間際に達也の右ショートフックがグレゴリーの顎を捉えて逆転のダウン。立ち上がれないままにテンカウントを聞いて試合終了となった。正式なKOタイムは逆転のダウンがあった2分54秒からテンカウントの10秒を加えた3分4秒だった。

 結果としては、デビュー以来の連続1ラウンドKO勝ち記録を継続した。しかし、一歩間違えれば達也が負けていてもおかしくない試合だった。ただ、そんな事は試合を見た観客にはどうでも良かった。テレビで試合を見ていた視聴者も同様である。彼らは皆、達也の男らしい戦いっぷりに酔いしれていた。先にダウンを奪われるという圧倒的に不利な状況に立ちながら、相手の猛攻を受け止め、近年稀に見るような壮絶な打ち合いの果てに大逆転KO勝利を収めた勇敢な戦いっぷりに感動し、心から拍手を送った。これぞ千両役者、これぞファンから愛されるスーパーヒーロー小野達也と言うべき、プロフェッショナルに溢れた名勝負だった。

 

 

 一方、遠藤も大晦日の4日後に試合を行っている。キングハーツがおよそ3か月ぶりに開催したイベントで、カール・バーホーベンという聞き慣れないオランダ人選手が相手だった。

 ジャパンプロレスとの対抗戦に敗れて(敗戦という結果は始めから決まっていたのだが)団体の存続はもはや風前の灯火だったが、遠藤が久々にリアルファイトを行うという事に加えてこの年の1月4日は日曜日で多くの社会人はこの日まで年始休みだったというタイミングの良さも味方し、観客の入りはまずまずだった。

 だが、いい試合を見たいと思って会場へと足を運んだ数千人のファンの期待は、遠藤vsバーホーベンの試合内容によって見事に裏切られる事になる。

 試合は開始5分過ぎ、遠藤がアキレス腱固めを極めてカールからタップを奪い勝利した。だがその内容は、遠藤が勝ったというよりもバーホーベンがあまりにも弱かったと言うべき試合だった。バーホーベンの動きはのろく、攻撃は単調。試合全体を通じてエキサイティングなシーンは一度も無く、緊張はゼロ。攻防に見るべき所は皆無で、達也が大晦日に全国のファンを魅了したスリリングな打撃戦とは比ぶべくもない大凡戦だった。

「ふざけるな、こっちは高い金を払って見に来てるんだぞ!こんな白けた試合を見せやがって!金を返せ!」

 観客はリングにペットボトルを投げ込むなどして試合への不満を表明したが、それも当然だった。

 リングアナウンサーは「やりました遠藤!見事な勝利です!これで小野達也との決戦に向けて視界が大きく開けたと言っていいでしょう!」と叫んだが、それも会場に虚しく響くだけだった。

 

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     6-7

 

 1月3日、TBS系列で毎年お正月に放送されている「スポーツマンMo.1決定戦」という特番が今年も放送された。その名の通り、スポーツ選手をはじめアクション俳優やアイドルなど運動神経に自信のあるタレントが多数出演して、様々なジャンルの競技に挑戦して総合得点で順位を決めるという番組である。

 スターが集う出演陣は毎年とても豪華なのだが、今年の注目は何と言っても達也だった。

 そして、達也の活躍は、圧巻の一言だった。

 パワー系種目はもちろん、瞬発力や持久力を競う類の種目でも軒並みトップレベルの記録を連発し、終わってみればぶっちぎりの総合優勝。トップアスリートが集う中でも桁違いの身体能力を見せ付けた。中でも特に印象的だったのがアームレスリング(腕相撲)で、アイドルや俳優が勝負にならないのはもちろん、プロ野球のホームラン王や槍投げの日本記録保持者をも笑顔で秒殺、決勝戦ではニュージーランドから帰化したパワー型ラグビー選手すらいとも簡単に下してしまったのである。まさに日本人離れ、あまりの強さに達也の活躍を楽しみにしていた視聴者も逆に引いてしまい、「小野達也は強すぎるから次回から出場禁止にするしかない」「殿堂入りだろ」といった反応がSNS上に溢れる程だった。

 そんな感じで、年が明けても達也の勢いは全く衰える所を知らなかった(番組の収録自体は昨年末に行われたものだが)。種付けの方も依然絶好調、大阪を拠点としつつも何かと東京に来る機会が多いからと都内の一等地に建つタワーマンションの一室を借りたりするなどして、公私ともにイケイケだった。

 

 

 一方、絶好調の達也とは対照的に、年始の興行でも不評を買った遠藤はいよいよ崖っぷちに追い込まれていた。

 そんな遠藤が自身の進退を懸けてリングに上がったのが、3月に開催したイベント『キングハーツ・ファイナル』だった。つまり、キングハーツの活動はもうこれで最後という事である。

 既にファンからは見放されたキングハーツだったが、ファイナルという事もありチケットの売れ行きはまずまずだった。REALのリングで達也の前に敗れ去った徳井、松尾、浜崎も揃って登場し、ファンの前で確かな雄姿を見せた。大会後、彼らは再びジャパンプロレスへと籍を移す事になる。

 そして、イベントのメインを飾るのは遠藤。その対戦相手はロシア人ファイター、イゴール・ハリトノフという選手だ。

 ハリトノフといえば、格闘技の本場アメリカ最大の総合格闘技団体UFCで10年前から5年前にかけて5年間もチャンピオンの座に君臨し、『世界最強の男』と呼ばれたほどの超大物だ。UFCとの契約が切れた直後にはREALのリングにも2度上がり、共に強敵を相手に圧倒的な強さで勝利。本場の王者だった実力を日本のファンにまざまざと見せつけた。ここ1~2年は一戦から退くような形になってはいたが、それでも昨年12月に母国ロシアで行った試合では若手選手を相手に一方的な内容で完勝しており、今なお確かな実力を有していた。

 試合前、遠藤は「この試合は自分の格闘家人生において最大の試合。キングハーツのラストを飾る試合に勝利して、改めて小野選手へ挑戦状を叩き付けたい。もし負ければ潔く引退する」と宣言した。まさに背水の陣である。

 とはいえ戦前の予想では、圧倒的にハリトノフ有利だった。そして試合も、序盤からハリトノフが遠藤を圧倒した。力強い打撃で遠藤を押し込み、テイクダウンを奪う。グラウンドでの打撃禁止やロープブレイクといったキングハーツ特有のルールに助けられる形で遠藤は危機を脱するが、しかしスタンドになるや否やハリトノフの打撃が遠藤を襲い、たちまちテイクダウン。そんな展開が続いた。

 1ラウンド終了時点での優劣は明らかだった。遠藤の必死の粘りで決定的なシーンこそ訪れてはいないが、このまま判定まで行けば勝敗をジャッジに委ねるまでもない展開だった。

 しかし2ラウンド、流れがガラリと変わる。

 1ラウンドは圧倒的に攻めていたハリトノフの動きが、極端に鈍くなったのである。先日40歳を迎えたハリトノフのスタミナが切れたと、誰の目にもそう映った。

 それを見て取った遠藤が乾坤一擲のタックル。ハリトノフは逃れようと必死にもがくが遠藤は蛇のように絡みつき、ついにテイクダウンを奪った。

 そこからの流れは、見事の一言だった。モタつくハリトノフを手玉に取るように、遠藤は流れるような動作でハリトノフの足を取り、ヒールホールドを極めたのである。

 ハリトノフがたまらずタップする。絶望的な展開だった1ラウンドからの信じられないような大逆転劇に、会場は大歓声に包まれた。この瞬間、遠藤はかつて世界最強と怖れられたハリトノフに初めて勝利した日本人となり、キングハーツはこれ以上ない大団円を迎えたのだった。

 そして試合後、遠藤リングの上から高らかにあのフレーズを叫んだ。

 

「レスラーの真の強さを今こそ示す。小野達也よ、逃げるな!」

 

………………………………………

 

 遠藤がハリトノフに勝利したという結果は、最大級の驚きをもってファンに受け止められた。キングハーツの選手たちは達也に全く歯が立たなかったが遠藤は違う、ジャパンプロレスとの対抗戦で岡田に負けたのはあくまでプロレスの試合であってリアルファイトでは遠藤こそ最強のレスラーだ、と。萎(しぼ)んでいた達也との決戦を望むムードは再び高まった。最強のキックボクサーと最強のプロレスラーの決戦を見せてくれ、と。

 当然達也にも、ファンの期待の高まりはヒシヒシと伝わってきた。本心としてはキングハーツ絡みの連中とはもうあまり関わりたくなかったのだが、以前の試合後に遠藤を挑発するような発言をしてしまった手前、今さら後に引く訳にもいかない。あーあしょーもない事言うべきじゃなかったなぁと自身の発言を後悔しつつ、遠藤との試合がもはや避けられない事を悟った。

 そしてついに、達也と遠藤の一戦が行われる事が発表された。時は5月10日、舞台はもちろんREAL、言うまでもなく総合格闘技ルールである。

 早速達也は遠藤戦の準備に入った。まずは例によって遠藤の試合の映像をチェックする事である。元より遠藤の知名度は抜群だが、その試合をつぶさにチェックした事はない。最近の2試合、即ち昨年末のカール・バーホーベン戦と直近のイゴール・ハリトノフ戦の映像を、達也はじっくりと研究した。

 まずバーホーベン戦だが、これは見る価値の無い試合だった。バーホーベンはあまりに弱く、遠藤の力を計る上で全く参考にならなかった。

 そして、ハリトノフ戦。かつて世界最強の名を欲しいままにした強敵中の強敵を破った、遠藤にとって生涯最高の一戦。

 その試合をじっくりと観察した達也は。

 あまりに色んな感情が渦巻いて何と形容していいか分からなかったが…

 敢えて一言で言うと…言葉が出なかった。

 もう一言だけ付け加えるなら、今からでも遠藤との試合を拒否する事はできないかな…本気でそう思った。

 

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     6-8

 

 5月10日、日曜日。1年以上にも渡った達也とキングハーツの因縁に、ついに終止符が打たれる日。

 メインイベントを迎えて、会場のボルテージは既に最高潮にまで高まっている。まず登場したのは遠藤。リングに上がり、ガウンを勢いよく放り投げて高々と拳を突き上げる。これぞプロレスラー、気合十分だ。

 だが、次いでリングに上がった達也の表情は、どこか気合いが乗り切っていないように見えた。笑顔でもなければ、遠藤に鋭い眼光をぶつける訳でもない。何を考えているのか分からない、冷めた表情。

 実際にこの時、達也に闘志や気合いは全く漲っていなかった。それどころか、今からでも試合中止になってくれないかなとすら思っていた。

 しかし、中止になどなる訳はない。両選手の名前がコールされ、レフェリーによる簡単なルール説明が終わって。

 

 ついに、決戦のゴングが打ち鳴らされる。

 

 開始早々、客席の到る所から大きな歓声が飛んだ。やはり達也の試合は、歓声の大きさは他の試合とは桁違いだ。

 だが、いつもは歓声のほぼ全てが達也への声援なのだが、今回の試合に関しては、遠藤に対する声援もかなりのものがあった。特に古くから格闘技を見てきたオールドファンからは、遠藤を応援する声が少なくなかった。

 達也と遠藤の戦いは、実は世代間の戦いでもあった。達也はここ数年で彗星のごとく現れた新世代のスーパースター、老若男女問わない人気を誇るが、特に若い世代からの支持が絶大だ。対する遠藤は、言わばベテランの星である。REALが現在のように圧倒的な地位を確立する以前からジャパンプロレスという伝統ある団体で活躍していたのが遠藤だ。しかし人気レスラーという安定した地位をかなぐり捨て、己の強さを示すべく新たな団体を設立した。その試みは決して成功したとは言えないかもしれないが、遠藤が歩んできた今日までの格闘技人生は、紛れもなく侍の姿だった。そんな遠藤の武骨な姿に、オールドファンは少なからず自らの人生を重ね合わせるようにして声援を送っていたのだ。

 言い換えれば、彼らは皆信じたかったのだ。自分たちがかつて夢を託した遠藤という男の強さが決して幻想ではなかったのだという事を。レスラーは本当は強いのだと、自分たちが信じてきた格闘技はレベルの高いものなのだと、若い奴らに簡単に屈するような弱いものではないのだと…

 

 ところが、そんなファンの強い思いとは裏腹に、

 試合は、至極退屈な展開を辿る事になる。

 

 試合が始まって既に2分近くが経過しようとしている。しかし、お互い距離を取ったままで攻めようとしない。一発の攻撃も繰り出さない達也に呼応するように、遠藤にも全く攻撃を仕掛ける気配が無い。タックルを仕掛けるような素振りも無い。両者共に、じっくりと距離を取ってお互いを牽制し続ける。

 そんな展開が続くうちに歓声は徐々に収まり、ざわざわとした不穏な雰囲気が会場を包み始める。2人は一体何をしているんだ、どうして攻めないんだ、と。

 緊張感が張り詰めた試合、と言うべきなのか。あるいは退屈な試合と言うべきなのか。

 ただ、一つ言える事は、この意外とも言える試合展開は、実は達也にとっては完全に想定の範囲内だった、という事である。

 やっぱりな…と達也は思う。まあ、さすがにここまで極端に攻めて来ないとは思っていなかったけど、とも。

 この時達也は、既に悟っていた。遠藤にとって何より大事なのはこの試合に勝つ事ではなく、この試合を成立させる事そのものだったのだと。だからおそらく、この試合に勝つための対策なんてロクに立てていないのだろう、と。

 ふと、達也は思い出す。遠藤の直前の2試合を…

(ホント、マジでキングハーツなんかと関わるんじゃなかったぜ…)

 ふう…と心の中で一つため息をついてから。

(そろそろ試合を動かさないと、観客がキレるかもな…)

 試合開始2分過ぎ、ついに達也が仕掛けた。ローキックから圧力をかけ、遠藤をじりっとコーナー際へ詰める。

 そして、鋭く踏み込んで組み付く構えを見せた。

 距離を取っての打撃を得意とする達也が見せた予想外の組み付きに、ファンはどよめいた。面食らったのは遠藤も同様で、慌てたように一瞬棒立ちになってしまう。

 その際、組み付こうとする達也に倒されまいと、咄嗟に右腕でロープを絡めた。それを見たレフェリーが駆け寄り、両者にブレイクを命じる。

 REALのリングでは試合の詳細なルールは各対戦カードごとに決定されるが、基本ルールとしてロープを掴んでテイクダウンを阻止する事は禁止されている。この一戦においてもロープ掴みは厳格に禁止されていた。遠藤はつい、キングハーツでは認められているロープ掴みの反則を犯してしまったのである。

 レフェリーが遠藤にイエローカードを提示した。もう一度同じ反則を犯すとレッドカード、つまり反則負けである。

 だが遠藤は重大な反則を犯しながらも、一体何に対してイエローカードが提示されているのか分からないといった表情でレフェリーに対して何かを言っていた。

 ハッキリ言って、この時。

 遠藤は自分が今立っているのが長年戦ってきたプロレスやキングハーツのリングではなく、厳格なルールの下で行われるREALのリングなのだという自覚がまるで無かった。

 

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     6-9

 

 ここで数か月、時計の針を巻き戻す。

 キングハーツで一番の実力者である浜崎が達也に完敗を喫した瞬間、遠藤は自らが立ち上げた団体にもはや未来が無い事を悟った。これ以降、遠藤はキングハーツの再興を断念し、雪だるま式に増え続ける債務の解消と団体のスムーズな清算のために苦渋の道を歩む事になる。

 遠藤の直参と言われジャパンプロレスの離脱からキングハーツの立ち上げを共にし、その旗揚げ興行で達也と戦い八百長破りを仕掛け返り討ちにあった吉村は、当時の遠藤を誰よりも知る人物だ。

「あの時の遠藤さんは本当に苦しかったと思います。試合をしても借金が増えるだけだから全く身動きが取れない。結局、ジャパンプロレスとの対抗戦で古巣の軍門に下るという決断に到る訳ですけど、その話を聞いた時には自分も身の切れる思いでしたね」

 しかし、ジャパンプロレスとの対抗戦だけでは莫大な債務を完済できなかったのは前述の通りだ。

「カール・バーホーベンとの試合は遠藤さんも本当にやりたくなかったと思いますよ。状況的には、自分たちに残された選択肢は遠藤さんと小野くんとの試合を実現させるしかないから、機運を高めるためにも前段階で遠藤さんが負ける事は許されない。だから確実に勝てる相手を探した結果がカール・バーホーベンという選手だった訳ですが、まさかあそこまで批判されるとは正直思ってませんでした。実際、遠藤さんも本音ではあんな試合やりたくなかったに決まってますよ」

 しかし遠藤は、続くイゴール・ハリトノフとの一戦で大番狂わせを演じ、この一戦が決め手となって達也との試合が実現した。吉村は遠藤が起死回生の逆転劇を演じたこの試合を「最後に最後に神様が味方してくれた」と述懐し、こう続けた。「自分たちにとっては一世一代の大博打でした。勝てないまでも接戦を演じられれば御の字、もしハリトノフに惨敗していれば遠藤さんは大袈裟ではなく首をくくっていたかもしれません」

 だが奇跡の勝利を強調する遠藤とは対照的に、ハリトノフの地元であるウラジオストックの某タブロイド紙は、遠藤vsハリトノフ戦が行われるおよそ1週間前に、気になる記事を掲載している。やや歪(いびつ)な翻訳文になるが、その記事を以下に記す。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 <イゴール・ハリトノフの出稼ぎ 日本で禁断の短期労働>

今週末から来週にかけて、ハリトノフをウラジオストックの街で探してはならない。ロシア全土でも見つけられない。なぜなら彼は、日本の地でナオキ・エンドーと試合をするからだ。しかしのこの試合は、日本で圧倒的人気を誇る格闘技団体『REAL』ではなく、『キングハーツ』という浅い歴史しか持たない小規模団体のものだ。だが、かつて世界の頂点に長く君臨した伝説の男がわざわざ日本の小規模団体に出向くのは浅からぬ理由があるようだ。ハリトノフの代理人は言う。

 

「この試合は最高の条件なのさ」

 

 最高の条件とは具体的に何なのかと弊社記者は問うたが、代理人は明確にはせず、ただ「彼(ハリトノフ)は今、経済的に豊かではない。彼の妻が重い病気に罹患し、ドイチェランド(ドイツ)での手術を控えているんだよ」と語ってくれた。

 しかし、小規模団体のリングがなぜ『最高の条件』を提示できるというのだろうか。さらに取材を進めた所、我々は別の関係者(A氏)から興味深い証言を得た。

 

「来週彼(ハリトノフ)が日本に行くのはfight(戦い)ではなくwork(仕事)のためさ。ナオキ・エンドーとの一戦はfake(八百長)なんだよ」

 

 また、A氏はこうも語る。

 

「簡単な話さ。試合は2ラウンドにエンドーがハリトノフの足を取って勝つ。フェイクに顔面の殴打は冴えないからね。ブックメーカー(賭け屋)が日本にもあれば、私は簡単に全財産を10倍にできるだろうさ」

 

 驚くべき証言だが、我々が日本の『キングハーツ』のホームページを確認した所、来たる一戦がプロレスであるという旨の確認はできなかった。つまりあくまでリアルファイトとしての位置付けであるという事だ。

 最後にハリトノフの妻であるステチェンスカ氏に取材を試みた所、彼女は苦々しい表情で「手術を控えているのは事実です。私たちにお金が必要なのです。私は夫を愛しています」と所在なく語った。

 日本の地でどのような試合が行われるかは蓋を開けてみなければ分からない。しかし証言にあったように本当にハリトノフが2ラウンドに足を取られて日本のプロレスラーに敗れるような事があれば、我々ロシア人はかつて世界の頂点に君臨した王様がこのようなリングに上がらなければならない現状を憂うしかないだろう。

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 遠藤vsハリトノフの一戦は、見る者を幻惑させるような巧妙の極致ともいうべき一戦だった。ハリトノフはプロであり、遠藤もまたしかりであった。観客は皆、ハリトノフが本気の猛攻を見せるも決めきれず、一瞬の隙をついて遠藤が逆転の足関節を極めたのだと思った。テレビ中継はもちろんネット配信すら無かった事も、誰も八百長を見抜けなかった要因となった。

 だが、達也の目はごまかせなかった。

 遠藤との試合を受諾するにあたって達也は条件をいくつか提示したが、その中の一つが遠藤vsハリトノフ戦の映像提供だった。事前の映像チェックを欠かさない達也としては何が何でも確認しておかなければならない一戦なのは言うまでもない。何せ遠藤の直近の試合であり、しかも世界的なレジェンド選手であるハリトノフに勝ったというのだから。

 だが遠藤陣営は当初、映像の提供を拒否した。しかし、ならば試合を受ける意思はないと達也が強い姿勢を示した所、遠藤陣営は一転して映像の提供に応じた。それならば最初から出しとけよと思った達也だったが、試合の映像を見て、遠藤が映像の提供を拒否しようとした理由を理解した。

 そして、思った。

 遠藤直樹などというファイターは存在しない。この男は、格闘家の恥だ。

 勝負云々以前に…こんな奴には絶対に負けてはいけないと。

 

 

 時計の針を戻す。遠藤がロープ掴みの反則を犯し、イエローカードを提示されたリングに。

 遠藤の目的は、一にも二にもこの試合を実現させる事だった。その為になりふり構わず走り回った。ジャパンプロレスとの対抗戦でフォール負けを喰らうという苦汁を舐め、さらに八百長試合に手を染めたのも、全てはこの試合で得られる莫大なファイトマネーのためだった。

 だから元より、達也に勝つための対策など二の次だった。というか、十分に対策を立てる時間も無かった。それどころか、十分な練習時間すら確保できていないような状況だった。試合に臨む遠藤の心境が「勝利」ではなく「簡単に負けない事」へとシフトするのは、ある意味では仕方がなかった。

 なので、自分からは攻めない。立ち技で勝てない事は百も承知。防御に徹して、もし隙があらば寝技へ。あるいは負けるにしても、KO負けさえ免れればとりあえずの顔は立つだろう…いずれにしても、彼がキングハーツ設立時に掲げた『レスラーの真の強さを見せる』という理念はもはや崩壊していた。

 再開後も、遠藤は攻める姿勢を見せずに距離を取り続ける。徹底してリスクを冒さぬように、絶対にKO負けだけは避けるのだ…と。

 しかし。

 達也は、そんな浅ましい願いを叶えてくれる程にお人好しな男ではない。

 再度、達也が圧力を強める。本来は距離を取って戦うのが達也の得意戦術だが、相手に応戦の気が無いとなれば話は別だ。それに、達也は怒っていた。だから敢えて接近戦ないしはグラウンドの攻防に持ち込んで、遠藤が絶対に言い訳のできないような圧倒的な勝ち方をしてやろうと思っていた。

 かたや遠藤は、ハナから勝利への執念が欠落している。しかも彼が戦っていたキングハーツはロープブレイクがあるなどプロレスに近いルールであり、真の意味での総合格闘技はこれが初めてでもある。打撃の技術は達也とは比べ物にならず、試合への準備もロクにしていない。加えて、試合の詳細なルールすらまともに把握していない。

 そんな状態では、勝負になる訳もない。

 達也が鋭い打撃から遠藤の体勢を崩し、組み付いてあっさりとテイクダウンに成功する。サイドポジションからパウンドを加え、あっさりとマウントポジションを得た。

 あるいはこの体勢のまま殴り続ければノーリスクでKOできただろう。だが達也はそうはしなかった。数発だけパンチを落とした後、ガードしようと顔面を覆う遠藤の手を取り、腕ひしぎ逆十字固めへと移行。直後、遠藤が達也の体をタップし、あまりにもあっけなくフィニッシュとなった。

 ゆっくりと立ち上がり、勝ち名乗りを受ける達也。だが、その表情に笑顔は無かった。

 

………………………………………

 

 達也と遠藤の試合は、達也の完全勝利に終わった。同時に、1年以上にも及んだ達也とキングハーツの因縁も、達也の完全勝利という形で終止符が打たれた。

 実にあっさりとした試合だった。期待したファンが拍子抜けするほどに一方的な試合だった。そんな圧倒的な勝ち方が達也の評価をさらに高めるのは必然だった。何より、不得意だと見られていたグラウンドでの攻防を自ら志向して、遠藤の腕をいとも簡単に極めてしまったその戦いっぷりにファンは衝撃を受けた。小野達也はもはや単なるキックボクサーのレベルではなく、関節技も使いこなせる万能型ファイターだ…ファンは達也をそう評価した。

 小野達也こそ日本最強の男ではないか…遠藤との試合後にはそんな声が多く聞かれるようになっていた。何せ、つい数年前まで世界最強の男と言われていたハリトノフに勝利(八百長だが)した遠藤を、ノーダメージで粉砕してしまったのだ。キックボクシングはもちろん総合格闘技でも小野達也に勝てる日本人などいない。達也こそ真のキング、格闘技界のリアルチャンピオンである、と。

 だが、そんな小野達也最強説に公然と異を唱える男がいた。小野達也など決して最強などではない、俺の方が間違いなく強い。戦えば間違いなく俺が勝つ、と。

 金田悠希である。




いかがだったでしょうか。ボツにした理由はズバリ、話の主役が達也ではなく遠藤になっているからです。ただ、話そのものはまずまず面白く書けてるのではと個人的には思ってたりしてます。また、文章そのものは本作中でも結構使い回しているのがお分かりなったでしょうか…

そしてこれにて、予定していたおまけシナリオも全て放出完了です。今後気が向いたら何かシナリオを追加で書いたりするかもしれませんが、とりあえずは少し休もうと思っています。

皆様、本作を読んで下さって本当にありがとうございました!
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