時系列は第一部の四章終了くらいです。
第一話:暴君の騎士王と万能の才人の交渉
使用用途が良く分からない実験器具や古めかしい望遠鏡が雑多に置かれた部屋。寝具などが見当たらないので、私室と言うよりは工房が正しいのだろう。
天井からつるされた鳥の模型が二人分の人影を見下ろしていた。
万物の才人と呼ばれた男が油絵で描いた稀代の名作。"モナ・リザ"に非常に良く似た女性とホワイトブロンドの綺麗な髪を後頭部でお団子にまとめ、三つ編みで巻き付けたシニヨンと呼ばれる髪型の少女が座っていた。
モナ・リザに良く似た女性こそ、人類史上の最大の天才と名高い、万物の才人"レオナルド・ダ・ヴィンチ"その人である。生前は男性であったのだが、自身の傑作であるモナ・リザが好きすぎて、モナ・リザの姿でサーヴァントとして召喚された生粋の変人だ。
そしてシニヨンヘアーの少女こそ、かのアーサー王伝説の騎士王にして、暴君や怒りの体現者としての側面が強く現れたアルトリア・ペンドラゴンその人である。民の安寧といった理想を最期まで追い求めたアルトリア・ペンドラゴンよりも、現実主義で非情に徹しきった騎士王としての側面が強いため、アルトリア・ペンドラゴン・オルタと呼ばれる。
アルトリアオルタの表情や身に纏う雰囲気は刺々しく冷めた印象を与えるのだが、シニヨンのお団子を黒色の大きなリボンで結んでいるのが妙に可愛らしかった。スラリと長い足を組みながら木製の椅子に座っている。機嫌があまり良くないのか木製の机を人差し指でトントンと叩いていた。
「それで――――マスターの体調に関することで手助けが必要だと言われて来たのだが……一体何があったのだ? 私が見ていた限りでは、マスターが怪我や病気をしているようには見えなかったが」
その質問にダ・ヴィンチは宥めるように答える。
「まあまあ、そう慌てずに……落ち着いてくれたまえ。マスター君の体調については今すぐに命に関わることでは無いよ。これは医学や解剖学、魔術にも精通する万物の才人である私が保証しよう!」
「……本当に直ぐには命には関わらないのだな? それなら一先ずは安心だ。私に出来る範囲のことであれば、多少の助力もしよう。マスターにはハンバーガっ……こほんっ、食べ物など日頃の恩もあるからな」
先程までの刺々しい雰囲気が幾分か柔らかくなっていた。
アルトリアオルタなりに自分のマスターである"藤丸 立香"を心配していたからこそ、悠長に身構えているように見えたダ・ヴィンチに対して苛立っていたのだろう。
雰囲気が柔らくなったアルトリアオルタにダ・ヴィンチも内心でホッと胸を撫で下ろした。仮にも多数の英雄の中でも最強クラスの存在であるアーサー王に敵意を向けられるのは、精神的に堪えるものがあるのだろう。それが容赦や甘さが無くなったオルタ化しているなら尚のことである。
「ふぅ……それは良かった! このままマスター君の問題を放置していると、特異点攻略にも支障が出る可能性があったからね。それに何も対策を講じなければ最悪の場合は、命にも関わるかも知れない。だからこそ予防措置として、マスター君に一番信頼されている君に協力して貰いたかったのさ」
「一番信頼か……悪い気はしないな。それで私は何をすれば?」
アルトリアオルタ自身も無意識の内に頬が緩んでいる。きっと彼女にアホ毛や尻尾が生えていれば、嬉しそうにピコピコと揺れていただろう。
ダ・ヴィンチは内心で微笑ましいと思いながらも、大人であるからそれを揶揄ったりはしなかった。そして、一つだけ深呼吸をした後、努めて真面目に協力して欲しい内容を伝える。
「――――協力と言っても簡単なことさ。マスター君の性欲を発散するのを手伝ってあげて欲しいっ!」
「…………ふざけているのか?」
「私はいつも大まじめだよ」
「分かった。私を馬鹿にしているんだな――――叩き切ってやろうっ!」
アルトリアオルタは黒い聖剣"エクスカリバー"を鞘から抜き放とうとする。そして、このまま誰も止めなければダ・ヴィンチに向かって宝貝"
ダ・ヴィンチは慌てた様子で両手をアルトリアオルタに向かって突き出す。それは迫ってくる車を止めようとしているようにも見える。いつもより若干早口で捲し立てるように理由を説明し始める。
「待って、待ってっ! これは本当にふざけてない。とっても大事なことなのさっ」
「マスターのせっ、性欲処理のどこが大切なんだ!? 馬鹿も休み休み言わないとカルデアごと本当に切るぞっ!」
「だ・か・ら――このままマスター君が色々溜め込むと本当に死んじゃうんだってっ……ほらっ! マスター君は何度か契約しているサーヴァントの夢とかに入り込んでいるだろう? アレって実は非常に危ないことなんだよ」
「……確かにマスターが何度か夢の中で、危機に陥ったと聞いたことはある。それがどうして性欲処理と関わってくるんだ?」
アルトリアオルタは数瞬の間の後、聖剣の柄に掛けていた手を離す。
ダ・ヴィンチからちゃんとした説明が聞けると思ったから、今すぐ手を出すことは止めたようだ。勿論、下らない理由だと分かれば再度、抜刀しようとするだろう。
話を聞いてくれるようになったと思ったダ・ヴィンチは姿勢を正す。咳払いした後に人差し指を立てて、順序立てながら説明を始めた。
初めからこうしていれば、先程の争いも起こらなかったような気もするが気のせいだろう。
「一つ目、マスター君の感受性が高いからなのか、それとも別の理由があるのかは分からないけれど。無意識化でマスター君はサーヴァントの心や記憶に触れて影響を受けている。夢の中でサーヴァントの心や記憶に入っているのが分かりやすいかな。
一般人が英霊と呼ばれる超常の存在と深く繋がることが、精神に対して重度の負荷を掛けることは何となく分かるだろう?
更にマスター君の場合は数十……百近いサーヴァントと契約をしている。こんなに沢山の英霊と契約した前例は無いんだから、どんな影響が出ても不思議じゃ無いんだ。最悪の場合は、精神が摩耗して自分を無くしてしまう可能性すらある」
「……それは」
口ごもるアルトリアオルタ。
否定したかったが、否定できる要素が何一つとして無かった。少しでも戦力が必要な今の状況下で、サーヴァントとの契約を切る訳にもいかない。きっとこれからもマスターは"縁"を繋いだサーヴァント達を召喚して、契約を続けていくだろう。その結果、何が起こるかも分からないのに。
ダ・ヴィンチは人差し指の次に中指を立てて、二つ目の理由を述べる。
「二つ目、特異点を攻略していく中でマスター君は多くの"死"に触れている。訓練もされていない一般人には、本当に酷なことだよ。訓練された人間だって戦争後にPTSDを患って、苦しんでいる人間もいる位だからね。
それに全人類の命運を彼は一人で背負っている。逃げたくても折れたくても、彼はどこにも逃げられないし折れることも出来ないんだ。表面上は明るく取り繕っていても重圧は相当なものだろう。幾らロマニ……ドクター・ロマンが優秀でも、メンタルケアには限界がある」
「……マスター」
同情か憐憫か――それとも故郷ブリテンを騎士王として最期まで守り続けようとした自分と重ねてしまったのだろうか。アルトリアオルタの表情には深い悲しみが浮かんでいた。無意識で分かっていたことだが、言葉にして説明されると人類最後のマスターの境遇と運命は壮絶だ。一度でも敗北することが許されない戦いで、常に七十六億の命を背負っているのだから。
ダ・ヴィンチも悲し気な表情を浮かべながら、人差し指、中指に続き薬指を立てて、三つ目の理由を述べる。
「最後に三つ目、これは最近になって分かったことなんだけど。マスター君はあらゆる状況において"良くないモノ"を少しずつ貯め込んでいるみたい。怨念や呪詛と呼ぶしかない、人間の強い想いだったりをね。
溜まっていく"淀みの塊"や"性悪の残滓"を放置すれば、マスター君を呪い苦しめることになる」
「――――っ、それは本当に大丈夫なのか!?」
これにはアルトリアオルタも驚きの声を上げざるをえない。
人の想い。それも怨念や呪詛といったモノは強力だ。それこそ『呪い殺す』という言葉がある位なのだ。それが精神か肉体のどちらを傷付けるものかは分からないが、放っておいて良いものでは決してない。
「うん、これに関してはマスター君の中に住んでいる。『共犯者』を名乗る英霊が心の異物や呪詛をまとめて焼却してくれているから、基本的には大丈夫らしいよ」
「それは別の意味で大丈夫なのか……」
体の中にいつの間にか英霊が住み着いていると言われれば、多少なりとも恐ろしいものだろう。本人的には完全に善意で行動してそうな所と実際、有益なことしかしていないので何も文句は言えないのだが。
アルトリアオルタには『クハハハハ』という、独特な笑い声が聞こえた気がした。
「まあ、マスター君は清姫や静謐のアサシンとかに常日頃からストーカーされてるから、そんなに気にしてないみたいだよ。『守って貰えるなら心強い』って、本当に平気そうに笑ってたから」
「マスター……」
先程とはまた違った同情と憐憫をアルトリアオルタは覚える。
特異点攻略中では無いカルデアの生活でも、心の安寧が得られなさそうな状況に対してだ。自分よりも遥かに強い存在に四六時中見張られるのは、一体どんな心持ちなのだろうか。それはマスターである藤丸 立香にしか分からないことだろう。
「さて、ここからが本題なんだけど。共犯者の焼却も完璧では無いらしくてね。少しずつ呪詛の欠片のような物が蓄積していってしまうんだ。その時にマスター君が負の感情を抱えていたり、ストレスが強ければ強いほど――呪詛の欠片は強大な"モノ"に変化する。だから――」
ここまでの説明を受けて、アルトリアオルタもダ・ヴィンチの意図を察したようだ。何とも言えない表情を浮かべつつ答え合わせをする。
「――ようやく話が見えてきた。マスターが呪詛の化け物に殺されないためにも、ストレスを抱えやすい状況下でも、どうにかしてストレスを減らす必要があるのだろう」
「Exactly! マスター君にはストレスや負の感情の捌け口が必要なんだ。健全なストレス発散方法とかは既に色々試しているから……古今東西、疲れ傷付いた男を慰める方法は決まっているだろう?」
「……女の柔肌だな。高潔な騎士道には反するが、"この私"は理解も納得もある程度は出来る。円卓の騎士にも、その手の不義を働く者は少なからずいたからな……」
アルトリアオルタの脳裏には、女好きの夢魔である花の魔術師と竪琴を弓として操る嘆きの騎士、円卓崩壊の元凶でもある湖の騎士の姿が浮かんでいた。既にブリテンも滅び、英霊となった今では恨みなど無いが、あまり思い出したく無い記憶なのには変わりはない。
また、彼女には一つ疑問があった。
「何故、私なんだ? それこそ清姫や他にもマスターを好いている女はいるだろう。彼女達に頼めば、喜んで協力するだろう? 個人的に騎士として力を貸すのは良いが、女として尽くすのはまた話が別だ」
「あ~……それはマスター君の争奪戦。聖杯戦争ならぬ正妻戦争が起こるのを防ぎたかったんだよね。本当にふざけている訳じゃなくて、下手をすればカルデアが崩壊しかねないから。血で血を洗う女達の醜い争いは避けないと」
ダ・ヴィンチの説明に少しだけ違和感をアルトリアオルタは感じた。嘘は吐いていないのだが、肝心な部分を意図的にはぐらかしているような。それはどこぞの花の魔術師のような――
「――それでも私が選ばれる理由としては弱いのではないか? 正直に答えろ……私が適任だと助言した、胡散臭い千里眼持ちの夢魔がいるだろう。あの男、幽閉塔の上からこちらを盗み見るだけでは飽き足らず、下世話な話にまで首を突っ込むかっ!」
スキルとしての直感が働いたのか、それとも付き合いの長さによるある種の信頼なのか。アルトリアオルタは花の魔術師"マーリン"がこの件に関わっているとほぼ確信していた。
きっと今頃、アヴァロンにいるマーリンは『ハハハっ、バレたか。いやはや困ったな』などと笑いながら、吞気に頬を搔いているだろう。嫌、エクスカリバーで本当に叩き切られる可能性を考えて、割と本気でビビっているかもしれない。
金色の鋭い視線に晒されたダ・ヴィンチは眉を下げて苦笑を浮かべると、降参したように両手を上げた。ここで噓を吐いても自分に身の危険が及ぶだけだ。大人しく全てを告白するのが最善である。
「君の考えている通り……『カルデアがハッピーエンドを迎えたければ必要なことさ』と、ありがたい助言してくれた人物は確かにいたよ。多分、本人では無く幻だったと思うけど」
「それはそうだろう。あのいたずら好きの老人は引きこもりだからな。だが、わざわざ助言してきたと言うことは、そういうことなのだろう……」
自他共に認めるクズだが、花の魔術師は心からハッピーエンドを望んでいる存在ではある。基本的に外界とは関わらず、世界を眺めるだけを信条としている。その信条を曲げてでも今回の件に関わってきたということは、カルデアを良い結末に持っていくために必要だということだ。
アルトリアオルタもそれが分かっているからこそ、断るに断れなくなっていた。
(私である必要性は分からないが、ダ・ヴィンチの話の通りマスターは精神を病むか、呪詛によって死ぬのだろう。そうなればカルデアと人理の崩壊は確実か……)
彼女は深いため息を一つ吐いた。
「はぁ……仕方あるまい。良いだろうマスターの件、引き受けよう。元々、私に出来る範囲で協力すると言ったのは間違い無いからな」
「本当かいっ! 花の魔術師が関わっている時点でもう駄目だと思ってたんだけど」
「取り敢えずマーリンは後で必ず殺す。しかし、私怨と必要なことは別だ。マーリンが召喚されればシミュレーターを暫く借りるぞ……良いな?」
「勿論っ! 必要なだけ使って貰って構わないよ」
今日一番の笑顔でダ・ヴィンチは花の魔術師を売った。
元々、こんな事態になったのはマーリンのせいなので、完全に自業自得である。
「……マスターには今夜、私の部屋に来るように伝えろ。それと分かっていると思うが、くれぐれもマスターのモニターや盗聴、監視、それに類するモノが無いように動け。仮にそれが守られなければ、本当にカルデアを破壊する」
「それに関しては私に任せてくれたまえっ! カルデアのモニターから、電子機器や魔術的なものまで全てをどうにかしよう。万物の才人たる私が全力を尽くすことをここに約束しよう」
「良いだろう……話はこれで終わりだな。マスターへの連絡は任せたからな」
ダ・ヴィンチの工房からアルトリアオルタは去っていた。
こうしてダ・ヴィンチの命を懸けた交渉は一応の成功で終わった。マーリンの尊い犠牲は誰もが忘れるだろう。
実際、今回の件で一番苦労していたのは間違いなく彼女であった。座っていた椅子からズルズルと崩れ落ち、地面に寝転がる。
頬を地面に押し当てながら、独り呟いた。
「あ~、地面って冷たくて気持ち良いね。暫くこのままでいたい」
ダ・ヴィンチが地面に寝そべっていると工房の扉が開き、オレンジ色の髪をポニーテールにした長身の男性が両手にコーヒーの入ったカップを持って入ってきた。
「ココアを淹れたからレオナルドも飲むかい――――って、君は何をしているんだい。寝るならベッドにしてくれよ」
友人の奇行に驚く男性は、胡乱気な目でダ・ヴィンチを見詰める。
「はははっ、別に眠くはないよ。ココアも貰おう。少し、世界を救うための交渉をしていてね」
「今日はいつにもまして意味が分からないことを言うなぁ……ボクも人のことは言えないけど、たまにはゆっくり休んだらどうだい?」
ダ・ヴィンチは少しだけ逡巡した後、いつもだったら絶対に考えないことを思いついた。
「確かに休息は必要だよね。マスター君がある意味美味しい思いをするんだから、私も少しくらいは良いよね……」
「何だって? 後半が聞き取れなかったんだけど」
「いや、何でもないさ。――ところで今夜、少しだけ時間を貰えないかい? お互いのストレス発散や疲労回復のために、私の部屋に来て欲しいんだけど」
「え? 少し位なら別に良いけれど……」
ダ・ヴィンチは一瞬だけ妖艶な笑みを浮かべて舌なめずりをした後、『約束したからねっ♡』と呟いた。地面からパッと起き上がり、男性――ロマニ・アーキマンからココアを受け取った。
首を傾げるロマニが今夜どのような目に遭うのかは、その場にいた二人にしか分からない。しかし、次の日に腰を抑える妙にやつれたドクター・ロマンと肌が艶々で妙に機嫌の良いダ・ヴィンチが目撃されたことだけは伝えておこう。
――――――――――――――――――――
――時刻は夜の九時まで進み、場所はアルトリアオルタの部屋の前に移る。
首を傾げながら扉をコンコンと軽く叩く、マスター"藤丸 立香"の姿があった。
「あの……アルトリアオルタ居る? ダ・ヴィンチちゃんに来るように言われたんだけど」
「……居るぞ。取り敢えず入って来い。話はそれからだ」
「うっ、うん。お邪魔します――――」
これがマスターとアルトリアオルタの淫靡な生活の始まりだった。
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