何がバレても人間を喰っていることだけは琴葉にバレてはいけない。
ここで喰っちゃダメだ
我慢するんだ
外に出て、それから・・・・
激しい飢餓に襲われてもまだ童磨は正気を保っていた。
だから前方から廊下を歩いてくる女性信者も今は喰うつもりはない。
けれど尋常ではない様子の教祖である童磨の姿を見た女性信者の方から近付いて来てしまった。
それも二人もいるではないか。
「教祖様?どこか具合が悪いのですか?」
「ハァ ハァ ハァ ハァ ハァ」
「どこか痛むのですか?横になったほうが・・・」
この二人の女性信者は、連れ立ってトイレに行った帰りだった。
保護信者達の部屋は別の方向だが、この女性二人はまだ最近保護されたばかりで暗さも相まって方向を間違えているようだ。
「き、君達の部屋はこっちじゃないよ…俺のことはいいから早く戻ったほうがいい」
「でも…」
女性達の齢は二十代半ば程だろうか。
まだ食べ頃の範疇である。
それでも童磨はまだ我慢する。
「いいから早く戻って」
「私、教祖様をお部屋まで送ります。さ、捕まって下さいませ」
「教祖様、私も肩を貸しますわ」
女性達の手が童磨に触れた時、辛うじて保っていた我慢の糸がプツリと切れた。
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「ふんギャあぁああぁゐあぁあぁああぁあぁあ」
「伊之助どうしたの?いい子だから泣かないで」
琴葉の部屋から童磨が出て行ったあと、伊之助が突然泣きはじめた。
夜中はおっぱいを与えなくても伊之助はもうぐっすり寝てくれる優良児だ。
なぜ泣き出したかわからない琴葉は乳を吸わせてみたがペッと乳首を吐き出してしまう。
おしめも取り替えたが伊之助のギャン泣きは止まらない。
「伊之助、こわい夢でも見たの?」
「ギャあぁああぁぁああぁああん」
頼れる身内もなく、まだ十八歳になったばかりの琴葉はこんな時どうしたらいいのかわからない。
指切りの歌を歌ってみたが、伊之助は泣き止まないので抱っこして廊下に出てみた。
すると、秋の夜風が頬を掠めたせいか伊之助の泣き声は幾分か落ち着く。
琴葉はホッとして、ついでにトイレに行こうと歩を進める。
膣内から溢れ出た童磨の精液は拭き取ったが、まだ中に残っているのがわかるので、オシッコついでに一緒に出そうと思ったのだ。
廊下には足元を照らす小さな灯りが置いてあるが、幻想的と言うよりは不気味な感じがするので、できたら夜は出歩きたくないのが琴葉の本音だ。
河童に対するトラウマはもうかなり薄れているが思い出すと怖くなる。
伊之助もいるし怖くないわと自分に言い聞かせながら琴葉は伊之助を抱っこして廊下を歩く。
「伊之助見て、三日月が出てるねぇ」
「ひっく グスッ」
いつの間にか夜空が澄んで、朧だった月がくっきりと浮かんでいる。
「ばなな」
「え?あ~、ほんとだねえ…バナナみたいだねえ」
伊之助とそんな会話をしながら廊下を曲がったところで、とうとうその日は訪れる。
血生臭さが鼻を掠め、琴葉はその部屋の前で立ち止まった。
(これは…血の臭い?)
その部屋は琴葉が昨日掃除した部屋で特に誰の部屋というわけではない。
何度か昼間に童磨とエッチをしたこともある部屋だ。
暗い扉の向こうに人の気配を感じ、その気配が童磨であると琴葉は察した。
琴葉の部屋を出て行く時の童磨はなんだか苦しそうだった。
そして漂うこの血生臭さ。
童磨の身に何かあったのだと思った琴葉は躊躇わずその部屋の扉を開けた。
「教祖様?」
薄暗い部屋の中で、けれどその佇む後ろ姿はたしかに童磨である。
「教祖様?大丈夫ですか?何かあっ・・・ひッ?」
琴葉は童磨の周辺に、まるで大きな獣に喰い散らかされたような人間の死体があることに気がつく。
長い髪の毛と着物の柄で女性であることがわかる。琴葉は悲鳴をあげそうになるが、深夜だし伊之助のことも考慮してなんとか堪えた。
そして暗い上に後ろ向きなので状況がよくわからないが、童磨の向こうからドサッという音がして、人が床に倒れた。
こちらもその風貌から女性だとわかった。
「やぁ、琴葉・・・」
琴葉の方を振り返った童磨の口の回りは血だらけで、この状況証拠からどう見ても童磨が人間を喰い散らかしたように見える。
けれどそんな恐ろしいことは人間の所業ではないし、ましてや童磨がそんなことをするはずがない、できるはずないと琴葉は自分に言い聞かせる。
しかし、我に返った童磨の言い訳の仕方が悪かった。
「違うんだよ琴葉これは・・・」
童磨の声はいつものように穏やかだが僅かに上擦っている。
「この子達が俺を誘って来たから、それで俺はこの子達を救ってあげたんだ」
「???」
誘って来たから救った?
琴葉は意味がわからない。
伊之助を抱きながら大きな眼を見開いて声も出せない琴葉を見ながら、童磨は琴葉が納得する言い訳を考えていた。
しかし、童磨が何度も説明しても琴葉は首を左右に振るだけで童磨の善行を理解してくれない。
やがて堰を切ったように、
「ウソつきウソつきウソつき─────!!」
琴葉がウソつきとまくし立てて、緑の眼から大粒の涙が溢れた。
「ひどい!どうして?どうして殺したの!?」
「だから言ってるだろう、俺は救ったんだよ」
「浮気を隠すために殺すなんて正気じゃないわ!そ、それも二人!」
「へ?」
何故か浮気の疑いをかけてくる琴葉に、童磨は一瞬拍子抜けする。
「ちょっと待っておくれよ琴葉、真面目な俺が浮気なんかするはずないだろう?」
突拍子もないことを言い出す琴葉に、なんで理解できないんだ、なんでこんなに頭が悪いんだと童磨は苛つく。
琴葉はまさかその肉を食べたのかと聞きたかったが肯定されるのが怖くて聞けなかった。
やがて薄暗さに眼が慣れた琴葉はその文字に気がつく。
「弐・・・って書いてある」
「え?」
琴葉はその時、初めて童磨に恐怖を感じた。
瞳に刻まれた数字と長く伸びた鋭い爪を見てしまったのだ。
瞳の数字と爪を隠すのを忘れていた童磨は、すぐに擬態したが手遅れだったようだ。
(琴葉が俺に恐怖を抱いた?)
しかし、伊之助は童磨の方に手を伸ばして、全く恐怖を抱いている様子はない。
その手を取ろうと童磨も伊之助へ手を伸ばすが、怯えた顔の琴葉はそのまま伊之助を抱いて、
「わたし教祖様とは別れます。今までありがとうございました」
そう言って潤んだ瞳の残像を残し足早で立ち去ってしまった。
「・・・琴葉」
怯えた顔の琴葉も可愛いけれど、怖がられてしまったことに童磨はショックを受ける。
ズキズキと壊れそうな程に心臓が痛む。
こうならないように努力してきたことが全て水の泡になってしまった。
その上、別れも告げられてしまい童磨は茫然として、しばらくその場に突っ立ったまま動けずにいた。
しかし、琴葉はどこにも行く場所がない女である。ましてや赤ん坊を連れてなど無謀もいいところだ。
「琴葉、おまえは俺がいないと生きられない女なんだよ…全く手のかかる女だなあ」
女を一匹喰い散らかして、すでに飢餓状態から脱け出していた童磨は琴葉の後をゆっくりと追う。
(別れるだって?一生そばにいるって約束をおまえは破るつもりなのか?)
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「ぅ、ぉぇッ」
さっきの光景を思い出すと吐き気がして、琴葉は何度かうずくまりながらも伊之助を抱いて寺院の門をくぐり抜けた。
琴葉は童磨が何者でも構わないと思っていた。
童磨になら食べられても構わないと本気で思ったこともあった。
(ウソよね?まさか本当に食べるつもりだったの?)
そう言えば童磨のキスは血の味がしたことがあった。
女性信者が減っていくのは童磨の手によって殺されているのではあるまいか。
食事をしない童磨の食料はもしかしたら人間なのかもしれない。
あの河童の化け物と同類で夜な夜な隠れて信者を喰らっているのかもしれない。
琴葉の推理は当たっていたが、優しく微笑む童磨の顔が脳裏を掠め、やっぱりそんなわけあるはずないと思う。
だけど琴葉は初めて童磨が怖いと思った。
血の付着した唇と瞳に刻まれた“弐”という文字から言い知れぬ恐怖を感じたのだ。
別れは告げてきた。
とにかく今は童磨から離れたいと琴葉は走る。
しかし、人里に向かって走っているつもりが暗さと方向音痴も相まって全く逆の方向へ向かっていた。
「どうしよう…道に迷ってしまったわ…ごめんね伊之助…母さんバカでごめんね…きゃあッ」
そして、運悪く滑って尻餅をついてしまう。
「痛ッ、お、お尻が・・・」
すると、背後から声をかけられた。
「琴葉大丈夫かい!?そっちの道は何もないよ。危険だから帰ろう」
琴葉が振り返ると、心配そうな顔の童磨が手を差しのべていた。
琴葉は童磨が後を追って来ていることに全く気がついてなかったので眼をまるくして驚く。
「つ、付いてこないで!」
琴葉はまた走り出すが、走る琴葉とゆっくりゆっくり歩く童磨の速度が同じであることに琴葉は気がつかない。
本当に琴葉はバカだなあと思いながら童磨は琴葉がケガをしないように後を追う。
そして、辿り着いた場所は人里とは程遠い崖の上だった。
崖下を見下ろすと川が流れているようだ。
琴葉が逃げる場所は崖下の川へ飛び込む以外もうなかった。
「気が済んだかい?琴葉」
扇を携えた童磨が余裕の表情で近付いてくる。
「こ、来ないで下さい!あっちへ行って!」
「そこは危ないよ」
崖下に落ちそうになる琴葉の腕を童磨は掴んで引き寄せる。
「人を殺した手で触らないで!放してえ!」
「その件に関しては琴葉が納得するようにもっと解りやすく説明するからとりあえず寺院へ帰ろう」
「嫌よ!あなたとはもう別れたんだから帰らないわ!」
「別れたなんてひどいなあ。ずっと一緒にいるって約束したでしょう?琴葉は俺がいないと何もできないくせに、伊之助と野垂れ死にするつもりかい?」
「・・・・・」
琴葉が伊之助を見ると、伊之助はまた童磨へ手を伸ばして抱っこしてもらおうとしているようだ。
確かに童磨の言う通りで、寺院を出たらまた変な男達に捕まるか野垂れ死にしても不思議ではない。
混乱した琴葉はしくしく泣き出してしまった。
童磨はもうひと押しだなと思う。
今夜は迂闊だったが良い機会である。
自分の善行を琴葉が理解してくれさえすれば絆は更に深まるだろう。
琴葉を絶対に手放したくない。
「琴葉も伊之助もどこもケガはしてないかい?無闇なこと言ってないで帰ろう。俺は別れたなんて思っちゃいないから安心しておくれ。伊之助は俺と帰りたがってるように見えるけど?」
「え?でも、でもッ・・・」
「さあ琴葉」
琴葉が童磨の眼を見ると、弐の文字は消えておりその瞳は優しい。
琴葉の脳裏に童磨と過ごした数々の日々が蘇ってくる。
いつも優しくしてくれた。
助けに来てくれた。
毎晩愛し合った。
「琴葉は俺の言う通りにしてれば幸せになれるんだよ」
「教祖様の…言う通りに?」
「そう、琴葉は俺を信じてさえいればいい」
童磨の眼が琴葉を射貫くように見つめてくる。
その力強い眼差しに琴葉の心はぐらついた。
しかし、童磨から血の臭いは消えてはいない。
よくわからない説明で誤魔化そうとしているが童磨が女性信者を惨殺したことに間違いないと琴葉は思う。
「やっぱり嫌!!放して!!」
聞き分けのない琴葉に童磨が苛ついた時だった。
「やめろ童磨。琴葉さんは嫌がっているじゃないか」
三日月をバックに現れたのは、童磨が唯一敵うことのできない相手だった。
聞き覚えのある声にまさかと思い童磨が振り向くと、そこには小綺麗な和服に身を包んだ無惨がいた。