Chapitre 10
2月半ばの日曜日の朝。ジュリの部屋に遊びに行く。合い鍵でドアを開けると,リビングルームのテーブルにジュリとジュンが座って待っていた。つまり,一緒に夜を過ごしたということ。
「ああ,サキ。早かったね」
「早くはないでしょう」
と言いながら部屋に上がる。
「ブランチ,どうする? 作ってもいいし,近くの喫茶店のモーニングに行ってもいいよ」
「わたしは,どちらでもいいわ」
「じゃあ,久しぶりに作ろうか。ジュンもそれでいいよね?」
「はい」
ジュリは椅子から立ち上がり,キッチンに向かいかけて,
「あっ,その前に」
と言って,わたしのコートを取りハンガーに掛けてから,わたしを抱きしめ,キスした。舌と舌を絡めあうディープキス。
「恋人どうしのあいさつよ」
「相変わらず,情熱的ね,ジュリ」
ジュリはフッと笑う。唇を離し,おでこをくっつけあい,いたずらっぽい目でわたしを見る。それから,ジュリはわたしの体から腕をほどき,キッチンに行く。わたしは
「その前に」
と言って,椅子に座っているジュンを後ろからハグする。顔を前に回し,唇に軽く触れるだけのキスをして,頬と頬をこすりあう。
「先生・・・・」
「先生じゃないって,何度も言わせないで」
「ごめんなさい。サキさん・・・・」
まじめに謝るジュンの口ぶりがかわいい。そして,声は以前よりも色っぽくなっている。その余韻を味わいながら,わたしは腕をほどき,キッチンにジュリと並んで朝食を作り始めた。
できあがったスクランブルエッグ,プチトマトとレタスのサラダ,そしてトーストをテーブルに並べる。椅子が3つある。
「サキ用に買っておいたよ」
「ありがとう」
つまり,これからも何度もこの部屋でこの3人で食事をすることがあるとジュリは考えているわけだ。それはうれしい。ジュリとジュンが向き合って座り,わたしはその間,二人と直角の位置に座る。
わたしとジュリがとりとめもないおしゃべりをしている間,ジュンは静かに食事をしている。食べながら話をするなんて不作法なことはしないんだろう。エレガントにしつけられた子だから。でも,あの心地よいハスキーボイスを聞いてみたいとも思う。自分から話を切り出すことはないだろうから,わたしから話しかけないといけないけど,話題が見つからない。こんなことを考えているうちに,食事が終わり,ジュリがコーヒーを淹れる。自分とわたしにはブラックコーヒー,ジュンにはカフェオレ。コーヒーを飲みながらジュリが話しかける。
「あけすけな話だけど,わたしまたサキを抱きたい。ハグじゃないよ。つまり,ベッドで抱きたいということ」
ほんとうに,ジュリらしいストレートなものの言い方。
「あっ,もちろん,今すぐここで,というわけじゃないよ」
とあわてて言い足したので,思わず笑ってしまった。それからゆっくりうなずいた。
「もちろん。わたしも・・・・」
それからあとの言葉が出てこない。そんなわたしを見てジュリは笑う。それからまじめな顔になって,
「サキは,ジュンとはどうなの?」
「どうって?」
「つまり,ジュンを抱きたくないの? さっきみたいな優しいハグじゃなくて・・・・」
そんなこと,考えたこともなかった。わたしはジュンを見る。ジュンもわたしを見て,恥ずかしげに顔を伏せた。
「わたしは・・・・そんなこと考えたこともなかった。ジュリに言われるまで」
「わたしに言われてからは?」
わたしはまたジュンを見る。ジュンはわたしを見つめ返す。戸惑うような表情?
「言われても,何というか,実感がない。そんな場面を想像できない」
「そうなの?・・・・サキはジュンが好きなんだよね?」
「そうだけど・・・・もちろん好きだけど,だからといって・・・・」
「だからといって,そんな欲求は感じない?」
「うん」
「そうか・・・・つまり,この3人の中でわたしだけ肉食系というわけ?」
わたしはその言い方がおかしくて,思わず笑った。
「笑わないでよ。まあ,本人たちがそれでいいって言うのなら,わたしがとやかく言うことはないけどね。わたしは,好きな人とは肌を触れあいたいよ。お互いに気持ちよくさせあって,悦びを分かち合いたい。自分がイクのも好きだし,相手がイクのを見るのも好き」
「うん。ジュリはそうだよね。・・・・でも,ジュリ,もしわたしがジュンとそうしたいと言ったら,させてくれるの? あなたの恋人でしょう?」
「サキの恋人でもあると思ってるよ。わたしはね,3人で抱きあう場面を妄想してたんだ。セミダブルじゃ狭いからキングサイズのベッドに買い換えようかと考えてもいたよ」
「ジュリ,先走らなくていいよ」
わたしは笑いながら答える。それからふと,わたしたちの会話を黙って聞いているジュンに気が付いた。
「ジュンはどうなの? わたしたちだけ勝手に話してるけど,ジュンはどう思ってるの? どうしたいの?」
わたしから問いかけられて,ジュンはわたしを見る。なんと答えていいのか分からないような,戸惑うような表情。わたしは言葉を補った。
「もしジュンが,わたしとそんなふうになりたいと願っているなら,わたしは拒みはしない。だから,ジュンの正直な気持ちを聞かせて」
「ボクは・・・・」
ジュンは言葉を発しながら,ちょっと考え込んだ。
「サキさんがそうしたいと言うのなら,かまいません」
というジュンの答えを聞いてジュリが吹き出した。
「二人して,相手から求められたらって,譲り合ってるの?・・・・ジュン,わたしとの時はもっと積極的だったでしょう」
「そんなこと,ありません。ジュリさんが,ボクの16歳の誕生日に,『ジュンは今日,今夜,大人になるんだよ』って言って・・・・」
「あっ,その先は話さないの」
ジュリがあわてて制止した。それで,わたしが笑い,つられてジュリが笑い,ジュンも声は出さないけどおかしそうに体を震わせた。笑いが収まって,わたしはまじめな口調でつぶやいた。
「わたしは,服を通して体の温もりを感じるくらいで,頬ずりをしてキスをするくらいで十分なの。ただ・・・・ジュンはどうなの? その年頃の男の子って,それなりの性欲があるものでしょう?」
「ボクは男の子じゃないんです」
ジュンはきっぱり言い切った。
「男らしくないとか,顔立ちや体つきが女っぽいというレベルの話じゃないんです。もっと本質的な話です」
「本質的な?」
ジュンはきりっとした目つきでわたしを見る。こんな表情,初めて見る。ジュンが何を語りだすのか待っていると,ジュリが話に加わった。
「ジュンは,今のこの華奢な体,滑らかな肌,可憐な顔立ちが年を取るにつれて男っぽく変わっていくのが耐えられないの。それで,最初は去勢手術を受けたいと思って知り合いの医者に相談したけど,それはできないということになって,お薬を使うことになったの。女性ホルモン剤と,あとほかに男性ホルモンの働きを抑える薬を2種類,あわせて3種類の薬をのんでいる。ホルモン的には女とまで言わないけど,男ではない,中性みたいな状態になってるの」
薬と聞いてわたしは心配になった。
「ジュン,大丈夫なの?」
「大丈夫ですよ。危ない薬じゃありません。ほかの目的にふつうに使われている薬の副作用を応用しただけなんです」
「それなら,いいけど」
確かに,ジュンが男っぽい顔つき,体つきになっていくのはいやだけど,薬でそれを抑えるというのも抵抗がある。でも,ジュン自身がそれを望んでいるのなら止めても無駄だろう。優しそうで,意外と頑固なところがあるから。
「サキ,心配しなくていいよ。わたしも初めは心配したけど,勝手に薬をのんでるんじゃなくて,ちゃんとお医者様から処方され,管理され,検査も定期的に受けているから・・・・もう1年くらいになる?」
「はい。去年の3月からだから,もうじき1年です。ジュリさんが『女とまで言わないけど』と言ったけど,女性ホルモンと男性ホルモンの数値は平均的な女性の数値なんです。だから,ホルモン的には女ですよ。男の性欲は持ち合わせていません」
「そうなの・・・・」
わたしはなんとか話の筋道を理解した。そして,逆のことが心配になった。
「ジュン,それなら・・・・つまり・・・・ジュリに抱かれるのは,いやじゃない?」
「それは,ぜんぜんいやじゃないです」
「男の本能的な性欲と,好きな人と一緒に抱きあいたい,感じあいたいという欲求は別物なのよ」
と,ジュリが説明する。
「だから,ほんとうにさっきジュンが言ったとおりなの。好きな人から求められれば拒みはしない。ねっ,ジュン」
ジュンはうなずきかけて,
「あっ,でも,男の人に抱かれるのは抵抗があります。その人のことを好きであっても。男の体って,苦手です」
「・・・・それって,ジュンは男に抱かれたことがあるの?」
「サキ,そんなにあわてなくていいよ」
ジュリが笑いながら話しかける。
「ジュンは同級生から告白されたの。去年の夏ね。その子,橘クンというんだけど,ジュンの友達,学校でただ一人の友達で,ジュンも決して嫌いではない。友達としてはいい人だと思ってるし,その子の希望を叶えられる範囲で叶えてあげたいと思ってるんだけど,恋愛的な意味で好きなわけじゃない。橘クンは恋人としてジュンを好きなの。わたしも会ったことあるよ。ジュンはこういうこと隠しだてできないから。と言うか,隠しだてすべきという発想がないんだろうね」
それは,なんとなく分かる。
「でも,ジュリはそれでいいの? その橘クンに嫉妬しない?」
「しないよ。かわいいものじゃない。思春期の男の子どうしの淡い恋なんて。ただ,その橘クンがちょっとかわいそうとは思う。橘クンは熱い気持ちでジュンを愛しているけど,ジュンは熱くはない,暖かい友情くらいだから。そのギャップは,本人にとっては辛いよね」
「ジュリは,心が寛いのね」
「心が寛いというのかなあ・・・・」
ジュリは首をかしげている。わたしはそれよりもっと大事なことがある。
「それはそれとして,ジュンはその橘クンに抱かれたの?」
「一度,きつく抱きしめられて,それで分かったんです。ボクは男の体に抱かれるのは好きじゃないって。それをはっきり伝えてからは,そっとハグしてキスするくらいです」
「キスはしてるんだ」
「それくらいは,受け入れてあげようと思ってます」
「ジュンは,優しいね」
今度はジュンが首をかしげる。
「ジュンも辛い立場かもしれないね。橘クンのことは決して嫌いじゃないけど,その熱い思いをきちんと受け止めきれないのは」
「橘クンが誰かほかの人を好きになってくれないかと思ってるんです。そして,ボクへの気持ちは以前の友達に戻ってくれればと」
「それは難しいね。橘クンはなかなかの美男子だから,橘クンを好きになる女は,ひょっとしたら男も,たくさんいるだろうけど,橘クンがその子に気持ちが向かうかどうか,それはなんとも・・・・」
わたしは二人のやりとりを聞いている。今日はほんとうに,ジュンについていろんなことを知ることができた。わたしが知らない2年のうちに,いろんな経験をしたんだね,ジュン。
昼過ぎに,ジュンと一緒にジュリの部屋を出る。出がけにジュリが
「来週はサキのうちに行くよ。またピアノを弾いて聞かせてよ。わたしも歌いたいし」
と声をかける。
「じゃあ,ブランチの用意をして待ってるわ」
途中までジュンと並んで歩く。わたしは駅へ,ジュンは部屋へ,分かれ道でハグする。腕を背中に回して抱き寄せると,胸と胸が触れあうのを感じる。わたしは腕をほどいて問いかける。
「ジュン,ひょっとして胸が膨れてるの?」
ジュンはうなずく。
「ひょっとして,薬のせい?」
ジュンはまたうなずく。まだ,驚かされることが残っていた。わたしはまじまじとジュンを見つめる。ジュンの表情に心配の色が現れる。
「サキさん,いや?・・・・ジュリさんは喜んでくれたけど・・・・」
「いやじゃないわ。ジュンは,これでいいの?」
「ボクは,うれしい」
「そう? それならいいの」
わたしはまた腕を背中に回し,抱きしめる。胸と胸を押しつけあう。一瞬,ジュリと抱きあってる錯覚におちいった。そして,唇を重ね,舌を絡ませる。すぐ目の前にとろけるようなジュンの目がある。ジュン,いつからそんな目をするようになったの? ジュリにベッドで抱かれるようになってから? そんな目を見ていると,わたしもベッドで裸で抱きあいたくなるよ・・・・。そんな思いを鎮めて,唇を離す。
「じゃあ,来週待ってるわ」
そしてわたしたちは別れた。
わたしはどうしたいんだろう?・・・・2年前に無理やり断ち切った思いをよみがえらせるのに,邪魔するものは何もない。ただ,わたしの気持ちだけ。わたしは何をためらっている?
翌週の日曜日,約束どおりジュリとジュンがやってきた。澄人さんは二人にあいさつして自分の部屋に引っ込んだ。約束どおり,わたしはブランチの用意をする。サラダは前の日に作り置いているコールスローサラダ。それに,刻んだハムを混ぜ込んだオムレツを作る。
「サキ,今日は手が込んでるね」
ジュリが手伝いながら話しかける。
「この程度で『手が込んでる』とも言えないけど,お客様がいらっしゃるから,ふだんよりは一手間かけてみました」
わたしはわざとていねいに答える。ジュリがクスッと笑う。
できあがったオムレツとサラダ,それにトーストをテーブルに並べて,3人で座る。
「椅子が3つある」
「うん。これからちょくちょくジュリとジュンが来るからね。同じものを探したけど見つからなくて,1つだけデザインが違ってるけど,がまんして」
「そんなこと,気にしなくていいよ」
ジュリとは話が弾むけど,ジュンは静かに座っている。中学生の頃からそうだった。わたしの実家に遊びに来た時も,あまり語り合うことはなく一緒に音楽を聴くか歌うほかは黙って体を寄せ合っていた。それはそれで幸せな時間だったけど・・・・そう思いながらジュンに語りかける。
「今日はワインレッドのドレスね。キー・アンド・ストリングに着てきたものよね?」
「はい」
「似合うわ。この前のマリンブルーも似合ってたけど」
「こういう格好させるとほんとうにフランス人形ね」
ジュリが話を受ける。
「ほとんど口をきかないところも,お人形みたい」
「ジュンは,食べながら話すなんて,はしたないことはしないの」
「あっ,そうね」
わたしたちは笑いあう。ジュンも笑みを浮かべている。
食事を終え,コーヒーをのんびり飲んでから,わたしの部屋に移動する。1時間くらい,わたしがソロで弾いたり,ジュリが歌ったり,ジュンが歌ったりする。そして,休憩を兼ねて,3人ベッドに座ってジュンの好きなモーツァルトのピアノソナタのレコードを聴いていると,澄人さんがそっとドアをノックし,ドアを細めに開け
「じゃあ,わたしは外出します。どうぞごゆっくり」
とあいさつする。ジュンはていねいにお辞儀をする。こういうところ,ほんとうに躾がいいというか育ちがいいというか。それにつられて,ジュリもペコリと頭を下げた。
レコードを聴き終えると,ジュリがピアノの前に座った。
「久しぶりに,ちょっと弾かせて」
「ジュリさん,ピアノ弾けるの?」
「そうか,ジュンの前では初お披露目だね。まあ,ちょっとだけ弾けるよ」
そう言ってジュリが弾きだしたのは『猫踏んじゃった』。ジュンも思わず声を出して笑う。ジュリも笑っている。それから『乙女の祈り』を弾き始めた。
「もう,『乙女』って年頃じゃないけどね・・・・ああ,ジュンは乙女真っ盛りかな」
2曲弾き終えて,ジュリはベッドに座る。
「17歳。高校2年生。もうすぐ3年生だね。そろそろ進路のことも考えるのかな」
ジュリがポツリとつぶやいたけど,その話題はそれで終わった。そしてまた,わたしの伴奏で二人が歌い始める。
そうやってまた1時間くらい過ごし,ジュリとジュンは帰る。コートを着て帰り際にジュリは話しかけた。
「サキとジュンはこれだけでいいかもしれないけど,わたしはやっぱりサキをベッドで抱きたいんだ。もちろん,ジュンも抱きたい。二人とも抱きたいんだ。肌と肌を触れあいたいんだ」
わたしはうなずいた。ジュンもうなずいている。
「だから,やっぱりベッドを買い換える。キングサイズのベッドにする。サキ,いつか土曜日の夜に泊まりにおいで。3人一緒に寝よう。サキ,大丈夫だよね? ご主人は外泊を許可してくれるよね?」
わたしはうなずいた。
ジュリとジュンが帰り,わたしはジュリが帰り際に言ったことを反芻している。7年ぶりにジュリと抱きあう。そして,初めてジュンをベッドで抱く。初体験を想像する少女はこんな気持ちなのかとも思う。そうしているうちに日が暮れていく。電話が鳴った。〔誰だろう? ジュリ?〕と思って受話器を取ると澄人さんだった。
「これから帰りますけど,まだ夕飯の支度をしていないのなら,何か買って帰りましょうか?」
「ああ,ありがとうございます。ではお願いします」
「何か食べたいものある?」
「お任せします」
「そう言われるとかえって決めにくいな。おおざっぱに,和洋中どれがいいですか?」
「じゃあ,和食で」
それから30分ほどして澄人さんが帰宅し,総菜屋さんの紙袋を手渡した。中身はぶりの照り焼き,筑前煮,そして酢の物。わたしはテーブルに並べておいた器に中身を盛りつける。
向かい合って食べながら,外泊の話をどうやって切り出そうかと思っていると,澄人さんの方から話を切り出した。
「わたしにていねいにお辞儀をしていたあのドレスを着た美しい人,ひょっとして中身は男の子ですか?」
わたしはびっくりした。
「分かりますか?」
「何となく雰囲気で」
「そうなんですか・・・・」
「あの衣装は本人の趣味? それとも,早紀さんの趣味ですか?」
「・・・・わたしの趣味です」
「趣味だけ?」
「どういう意味ですか?」
「ひょっとして,要らぬ心配をしているのではないかと。つまり,わたしがあの人を男と知ったら,わたしが好きになるのではないかと心配しているではないですか?」
わたしは軽くため息をついた。
「あなたに隠し事はできませんね。そのとおりです」
澄人さんは怒ったふうではなく,平静な口調で,むしろわたしをいたわるような口調で話を続ける。
「その心配は不要です。まず,仮にあの人がわたしの好みだとしても,あなたの大切な友達を奪ったりしません。それにそもそも,わたしの好みではありません。わたしが好きなのは美男子なんです。美少年ではありません。美男子の美と美少年の美は別物です。・・・・それに,あの人は美少年でさえない」
その言葉は,澄人さんのセリフとしても,聞き捨てならない。
「えっ? 類い希な美少年だと思いますけど」
「むしろ美少女と言うべきでしょう。まあ,お化粧しているからなおさらですが,たぶん素顔でも美少年というより美少女という方がふさわしい容貌ではないですか?」
言われてみると,納得できる部分もある。
「確かに,そう言われてみると,そのようにも思えます」
「ならばなおさら,何も心配要りませんよ。ただ,素顔も見てみたい気持ちはあります。好みではないにしても美しいことは間違いない。美しいものは見てみたいでしょう。いつか,化粧せずに来てくださるよう話してくれませんか?」
「はい,もちろん」
それから,わたしは自分の用件を切り出した。
「わたしは,これまで泊まりがけの外出はしたことなかったけど,これからは,たまにはよろしいですか?」
「もちろん,かまいません。あの美少女ふうの美少年のところですか?」
「いえ,もう一人の方」
「ああ,あちらのかたですか」
「まあ,その子も一緒に来ているはずですが」
「なるほど,3人で泊まるんですね」
「はい,わたしたち,互いにほかの二人を愛しているんです」
澄人さんはちょっと考え込む。
「おもしろい関係ですね」
「はい,自分でも不思議な気がしています」
澄人さんは微笑んだ。
「愛の形は様々です。それはわたしもよく分かっています」
ああ,こういうことを冷静に語りあえる人でよかった。
わたしはジュリに電話して澄人さんのリクエストを伝えた。
「・・・・というわけだから,今度来る時はジュンに化粧しないで,素顔で来させて」
「うん,分かった。ところで,今度の日曜日,サキも一緒にベッドを買いに行かない? サキも使うんだから。ブランチして,すぐに出かけよう」
「うちでブランチすることは既定なんだ」
「だめ?」
「ぜんぜん。ジュリとジュンのブランチくらい,毎日でも作ってあげるよ。というか,ジュリも手伝うんだし」
というわけで,日曜日,ジュリとジュンがやって来た。二人で作ったブランチを三人で食べている時,澄人さんが話しかけた。
「お二人,今日で3度目ですが,まだフルネームをうかがってませんね。教えていただけますか?」
ジュンは椅子から立ち上がり,
「篁淳[たかむら・じゅん]ともうします」
と言ってお辞儀した。ジュリもつられて席を立ち,
「柏木珠里[かしわぎ・じゅり]ともうします」
と言って頭を下げる。澄人さんは笑った。
「ほんとうに,礼儀正しいですね。食事の邪魔はしたくないので,どうぞ座ってください。食べながら聞いてください。早紀さんが友達をこの部屋に呼んだのはあなたたちが初めてです。早紀さんの数少ない友達だと思います。これからもよろしくお願いします」
2~3分の間を置いて,澄人さんはまたわたしたちに話しかけた。
「今日は3人で買い物に出かけるとのことですが,どちらまで?」
「・・・・ええっと・・・・」
わたしは答えに詰まった。代わりにジュリが答える。
「ホームセンターに行くつもりですが」
「じゃあ,車で送りますよ」
「えっ?・・・・そんなお手間を・・・・」
と言いかけてジュリがわたしと澄人さんを交互に見ている間に,ジュンが
「ありがとうございます」
とお礼を言った。それで,決まり。
マンションの駐車場で車に乗り込む。
「後部シートに3人座れますよ」
という澄人さんの言葉で,わたしを真ん中に両側にジュリとジュンが座り,澄人さんが運転席に乗り込み,発進した。しばらくして,ジュンが澄人さんに話しかけた。
「澄人さんはお医者様とお聞きしていますが,何科のお医者様ですか?」
「形成外科,というか美容形成と言う方が正しいです。まあ,美しくなりたいという欲望をカモにするヤクザな仕事ですよ」
ジュンはちょっと考えてから
「美への願望を満たしてあげる立派な仕事だと思います」
と反論した。澄人さんは
「ありがとうございます」
と言って,前を向いたまま軽く会釈した。運転していなければ,こちらを振り向いて微笑みかけたことだろう。バックミラーに映る澄人さんの表情はうれしそうだった。
「医学とか医者の仕事に興味があるんですか?」
「はい。同級生のご両親が婦人科のお医者様で,おうちに医学関係の本がたくさんあるんです。それで,貸してもらって読んでいます」
「それは熱心ですね。どんな分野がおもしろいですか?」
「初めは比較解剖学とか病跡学とか医学史がおもしろいと思っていたのですけど,最近は,病理学や生化学や薬理学もおもしろいと思ってます。それと,内分泌学も」
「それはずいぶん本格的ですね」
こんな話をしているうちにホームセンターに着いた。
「さほど時間がかからないなら,わたしはここで本でも読みながら待ってます。かなり時間がかかるようなら・・・・」
「そんなにかからないと思います。たぶん,30分もあれば」
とジュリが答える。
「じゃあ,待ってますよ」
わたしたちは寝具売り場でベッドを見る。キングサイズというのはシングル2つ分の幅。
「大きいのね。ジュリの部屋に入る?」
「そりゃあ,入るわよ。いくら何でもわたしの部屋はこれよりは大きい」
「いや,それはそうだと思うけど」
「それに,わたしは持ち物が少ないから」
「ああ,ジュリは昔からそうだったね」
こんな話をしながら見て回り,飾り気のないシンプルなベッドを選んだ。これはジュリの好み。でも,ジュンの好みでもあるのかな。
配送と今あるベッドの引き取りの手続きを済ませるまで30分はかからなかった。駐車場に向かう途中,
「ベッドは木曜日に届くから,土曜日,おいで」
とジュリが話しかける。わたしはうなずいた。
その週の土曜日の夕方6時,わたしたちはキー・アンド・ストリングで待ち合せた。軽い食事をして,ピアノを弾いたり歌ったりして,店を出て,ジュリの部屋に着いたのが8時頃。それからシャワーを浴びて,ベッドに入った。まず,ジュリがわたしを抱く。7年ぶりの抱擁。あの頃と同じように,いやあの頃以上に熱く激しくジュリはわたしを抱く。そして,ほとんど二人同時にエクスタシーに達した。そのまましばらく抱きあっていて,ジュリはジュンと場所を替わった。初めてジュンの肌にじかに触れる。さっきの熱が冷めないまま,わたしはジュンを抱き寄せる。キスをする。そして唇を顎,首,鎖骨,胸に滑らせる。ジュリがわたしにすることを,わたしがジュンにする。そんなふうにジュンを愛撫するわたしの背中や腰をジュリの手が撫でる。二人から悦びを与えられる。「めくるめく」とはこういう感覚を言うのだろうか。わたしは2度目のエクスタシーに達する。ジュンはどうなのかしら,おぼろげに意識していると,耳元で
「サキ,替わって」
とジュリがつぶやく。わたしが身をどけるとすぐにジュリがジュンに覆い被さって愛撫し始めた。わたしは,エクスタシーの余韻の中でジュリの背中や腰を撫でる。さっきそうされたように。
翌朝,目が覚めたらジュリがわたしを見ている。
「サキがうちに泊まったのは,これが初めてだね」
「うん。なんだか,新鮮な感じ」
ジュリは微笑みながら,わたしの頬のほつれ髪をそっとかき上げる。
「サキの寝顔,かわいかった。まあ,かわいいと言うなら,ジュンの寝顔だけどね」
と言って,自分の隣を指さす。ジュリの向こうに,まだ安らかな寝息を立てているジュン,その寝顔を覗き込む。
「ほんとう,かわいい!・・・・ジュリはこれまで毎週日曜日の朝,このかわいい寝顔を見てたのね」
「そうよ」
ジュリはうれしそうに答える。
「羨ましい,というか,嫉妬する」
「これからは,サキが望むなら,毎週見ることができるよ」
「毎週・・・・」
わたしは昨夜の,あの身も心もとろけるような感覚を思い出す。
「どうしたの? 澄人さんのことを気にしてるの?」
「いや,あの人は決して『だめ』と言うはずないわ。わたしが,毎週あのとろけるような,めくるめくような感覚に身をゆだねていいのかしらと思ってるの」
「刺激が強すぎた?」
わたしはフッと笑う。照れもある。そうしているうちに,ジュンがもぞもぞ体を動かし始めた。
「ジュン,目が覚めた? おはよう」
「ああ,ジュリさん,おはようございます」
それから一拍おいて,
「あっ,サキさん,おはようございます」
と,わたしにあいさつする。
「ジュン,サキの存在を忘れちゃダメよ」
「ごめんなさい」
ジュリはジュンの髪をくしゃくしゃかき回す。わたしも一緒にかき回す。
「さて,朝ご飯にする? それとも,ベッドでもうちょっとでれでれしている?」
「うーん・・・・」
と考えながら,「朝ご飯」という言葉で思い出した。
「わたし,『朝ご飯は作る』って結婚する時約束したんだ」
ジュリが笑う。
「まさか,外泊を許可した時点で,今日の朝ご飯を作ることも免除になってるよ。当然でしょう」
「もちろん,そんなことで文句を言う人ではないけど,なんとなくわたしが・・・・一応,連絡だけするわね」
「まあまあ,律儀というか几帳面というか,それともただの『のろけ』なのかな」
ジュリは笑ってる。わたしは電話を発信する。
「ああ,澄人さん,わたしです」
「ああ,早紀さん,どうしました?」
「いえ,たいしたことではないんですけど,結婚する時『朝ご飯は作る』って約束したから,今朝はそれが果たせなくてごめんなさいという電話です」
受話器から笑い声が聞こえる。
「そんなこと。外泊すれば当然のことでしょう」
「そうなんですけど,念のためと思って」
笑い声はまだ続いている。
「それはほんとうにごていねいに,ありがとうございます・・・・でも,どうしても作りたいということでしたら,食べずに待っておきますよ」
わたしは一瞬考えた。
「あら,じゃあ,そうしてください。わたし,すぐに戻ります」
わたしは電話を切り,その内容をジュリとジュンに伝える。ジュリは笑っている。ジュンも。
「じゃあ,すぐに帰らないと」
「うん」
わたしはすぐに起き出して支度する。服を着て,髪をさっと整える。化粧はいいか。それから,まだベッドにくるまっているジュリとジュンに別れのキスをする。そして,ふと思ったことを語りかけた。
「愛の形はさまざまね。ジュリに対する気持ちは愛だし,ジュンに対する気持ちも愛だけど,澄人さんへの気持ちも,これはこれで愛なんだなと思った」
日ノ出町から上大岡に向かう電車の中で,わたしはさっきの言葉を反芻していた。そして,これはきっと澄人さんに伝えようと思った。
部屋に入ると澄人さんはテーブルに着いていた。
「そろそろ戻る頃かと思って,起きてました」
「よく分かるわね。じゃあ,すぐに用意するわ」
遅めのイングリッシュ・ブレイクファーストを食べながら,わたしは澄人さんに語る。
「打算で始まった共同生活だけど,一緒に暮らしているうちに,わたしは澄人さんの人柄に惹かれるようになりました。体の関係を求めはしないけど,この思いも,名前を付けるならやはり愛だと思います。愛の形はさまざまですね」
澄人さんはにこやかに微笑んだ。
「そうですよ。性愛だけが愛ではありません」