僕以外の男と肝試しに行った幼馴染と真面目な委員長の浴衣の裾が、妙に乱れていた話 作:黒胡椒サラミ
「肝試しかぁ……何年振りだろ」
「わっほ~い! ドキドキしちゃうね!」
彼女が僕のほうに顔を向けると、赤いリボンで結んだポニーテールが揺れた。そこからふわりと石鹸の匂いが漂ってきた気がして、僕はどぎまぎと目を逸らしながら、それを誤魔化そうとして尋ねた。
「美奈子、怖くないの?」
「ちょっと怖いけど……でも、一人ぼっちで行くわけじゃないし」
お祭りの縁日の賑やかさやぼんぼりの明かりも、ここまでは少ししか届かない。夏の盛りの熱帯夜、近所の神社の境内裏で、僕は高校の同級生で幼馴染の佐竹美奈子と話していた。
この子は僕の家のすぐ近くに住んでいて、赤ん坊のころからの、家族ぐるみの付き合いだ。彼女の家は佐竹飯店っていう中華料理屋を経営していて、僕の家族は、そこでたびたび食事していた。
今日の美奈子は、夏祭りに相応しい浴衣姿だ。そのせいか、見慣れているはずの幼馴染が、なんだかいつもと違って見える。
(美奈子って……こんなに可愛かったっけ)
ぱっちりしたまつ毛の長い目に、眩しい笑顔が浮かんでいる。浴衣の隙間からチラチラ見える肌の色は健康的で、僕はなぜかそれを直視できない。帯に締め付けられた胸元が窮屈そうなのも、この子が「女の子」であるということを改めて思い知らされているようで、なんとなく気恥ずかしい。赤い鼻緒の下駄をコロコロ鳴らす足の指も、なんだか見てはいけないものを見ているような気がする。
町内で開かれた夏祭り、それを盛り上げるイベントの一つとして企画された肝試し大会に、僕はこの幼馴染と参加していた。それと、もう一人――
「た、田中さんは怖くない?」
美奈子の浴衣姿を直視できなかった僕は、自分の身体の左にいる彼女ではなく、右側に立っている田中さんに声をかけた。彼女も僕の同級生で、今回、この肝試し大会に参加している。
「うん……心配してくれてありがとう」
田中さんは穏やかに微笑み、僕に感謝の言葉をくれた。
「田中さんも、親に出ろって言われたの?」
「うん……参加者が少ないからって」
どうやら彼女も、僕と美奈子と同じく、町内会の縁でこの肝試しに参加させられたらしい。町内会長の爺さんが張り切って企画したこのイベントは、正直誰も自主的に参加したがらず、こうやって強制動員された僕ら以外は、ほんの数人しか人がいない。
それにしても、学校では真面目な委員長として知られている田中さんの浴衣姿は、とても新鮮に映る。
(男子たちが噂してたけど……やっぱり田中さんって美人だよな)
どこかお嬢様感のある顔立ちと雰囲気。腰まで届きそうな長さのロングヘアーは滑らかで、カチューシャが可愛らしい。桃色の浴衣も、彼女によく似合っている。
「むぅ~、どうして琴葉ちゃんに見惚れてるの?」
「み、見惚れてないって」
僕が田中さんをじっと見ていると、頬を膨らませた美奈子が、僕の腕を掴み、自分の腕に押し当てた。これは幼馴染の僕らにとっては当たり前の距離感だけど、田中さんに誤解されたら困る。
実を言えば、僕は密かに田中さんに憧れていたからだ。
「ふふっ、幼馴染だっていうのは知ってたけど、2人とも仲が良いのね」
ああ、やっぱり何か誤解された気がする。僕があたふた訂正すると、田中さんは笑顔を大きくした。
「それじゃ、今日の肝試しのルールを説明するぞ」
僕ら3人がわいわいと話していると、この場にいる全員に向かって、このイベントの企画者である町内会長が声をかけた。……ていうか、ほんとに参加者はこれだけなんだろうか。神社の境内裏にいるのは、僕と美奈子、田中さんを除くと、町内会長を入れても3人しかいない。総勢で6人である。開始前からイベントが失敗している気がするけど、町内会長のじいさんは気にせず言った。
「えー、ではこれから、お前たちにくじを引いてもらう。で、あたりを引いたら、その2人がペアになって、裏山の奥にある祠まで行ってもらう。そしたら、そこに置いてある石を一つ拾って戻ってきてもらう。――以上」
あやうく「それだけ?」って声に出して突っ込むところだった。でも、他には本当に何も仕込みは無いみたいだった。
「うわ~、なんか本格的な感じだね。ますますドキドキしてきたかも……」
「裏山って、この神社の奥の……? 真っ暗で怖そう……懐中電灯は使ってもいいのかな」
でも、美奈子と田中さんは気にしていないようだった。目的地である裏山を見上げながら、彼女たちは口々につぶやいた。
「ほれ、わかったらくじを引け。先に赤い印がついていたらあたりじゃ」
町内会長のじいさんは、淡々とイベントを進行させていく。参加者全員が集まって、町内会長が握りしめる白いヒモを、一本ずつ引っ張った。
「あ、あたりだ」
どうやら田中さんがあたりを引いたらしい。ていうことは、僕もあたりを引けば、彼女とペアで肝試しに行ける。
2人きりの暗闇で、怯える田中さんが僕に身体を寄せて、「私を守ってくれる?」なんて囁いてくる。「もちろんだよ、田中さん」と僕がうなずけば、彼女は小さく首を振り、「琴葉って呼んで」と、また囁く。僕らは一気に親密さを増し、ただの同級生から、一歩進んだ関係になる……。
そこまで妄想して、僕は自分もくじを引いた。
「……なんだ、はずれかぁ」
期待した分、すごくガックリきてしまった。
「私もはずれだ……う~ん、琴葉ちゃんと肝試ししたかったのに」
美奈子もはずれた。ということは、あたりを引いたのは僕ら以外の――
「ウィーっス。オレがアタリっスわ」
そう言って先の赤いひもを掲げたのは、なんかすっごくチャラい感じの、僕らよりも年上の男の人だった。こういうのをサーファー系っていうんだろうか。茶髪で、日焼けしてて、アクセサリーとかピアスをジャラジャラつけている。正直言って僕よりも不細工で、目つきが良くない。
「あ、キミもアタリ?」
「は、はい……」
「よろしくー。うわ、キミちょーマブくね? 名前教えてよ」
「え、えっと……」
チャラ男の馴れ馴れしい態度に、田中さんが引いている。真面目な田中さんにとって、ああいう男は対極に位置する存在だ。きっと話しかけられるのも嫌に違いない。ていうか、怯えてるんじゃないだろうか。僕が助けなくていいんだろうか。
「へぇ、琴葉っつーの? んじゃ、とりまイこーぜ? 琴葉」
田中さんが礼儀正しく名前を名乗ると、チャラ男はそう言った。
なんでいきなりファーストネームを呼び捨てなんだよ。同級生の僕だって、そんな風に呼んだことないぞ。苦々しく見ている僕の前で、チャラ男は田中さんの肩を抱こうとして、露骨に距離を取られていた。ざまぁみろだ。
そんなふうに何やかやあったあと、肝試し出発第一号のペアとして、田中さんとチャラ男の組み合わせは、境内裏から裏山に続く階段を昇っていった。
「…………琴葉ちゃん、遅いね」
約1時間後、美奈子が心配そうにつぶやいた。田中さんとチャラ男が出発してから、僕らはずっと境内裏で、彼女たちが戻ってくるのを待っていた。1時間はいくらなんでも長い。事前の説明で、町内会長のじいさんは、せいぜいで10分くらいの道のりだと言っていた。
「迎えに行ったほうが良くないかな……」
僕も美奈子と同感だった。もしも田中さんが――またはあのチャラ男が暗い石段で足を滑らせたりしたのなら、助けに行かないと。でも、そう思ったとき、暗がりの中から田中さんとチャラ男が姿を見せた。
二人とも、特に怪我はないみたいだ。僕と美奈子は、同時にほっと胸を撫でおろした。
「やー、けっこうガチで暗かったわー。な? 琴葉」
「う、うん……」
……あれ? 田中さんとチャラ男の距離が、出発した時より明らかに近い気がする。ていうか、気のせいじゃない。まるでチャラ男に抱き寄せられるように、馴れ馴れしく肩に腕を回されているのに、田中さんは、それを跳ねのけようとしていない。
「暗かったもんで、石コロがどこにあんのかも分かんなかったっすわ」
肝試しの目標である、裏山の祠に置かれた石は見つけられなかったと、チャラ男は町内会長に説明した。
そのあいだも、田中さんはチャラ男に肩を抱かれたままだった。あまりに馴れ馴れしいから、田中さんが強く言えないなら、僕が言ってやろうかと思ったほどだ。田中さんがモジモジしているのは、きっとあいつに触られるのがイヤだからに違いない。
それはそうと、心なしか、田中さんの桃色の浴衣の裾が、出発前より乱れている気がする。あれはどうしてだろう。足元が不安定な道を歩いたから、ああなったんだろうか。
「それじゃあ、次のペアを決めるぞ。早く引け」
町内会長のじいさんは、やっぱり淡々と肝試しを進行させる。じいさんに急かされて、僕はチャラ男に物申すのを後回しにし、2回目のくじを引いた。
「……またはずれか」
僕は今回もはずれを引いた。でも、田中さんと肝試しに行けるチャンスはもう失っていたから、大して落胆はしない。
「あ! 私があたりです!」
だけど、ならせめて美奈子とペアになりたいと思っていたのに、それも叶わなかった。美奈子が指の先に持っているのは、紛れもなくあたりくじだ。じゃあ、美奈子のペアになるのは――
「ボクが彼女とペアですね」
そう言ったのは、田中さんのペアになったチャラ男とは対照的な、爽やか系のイケメンだ。身長が高くスマートで、どうやら大学生らしい。そのイケメンは、ペアになった美奈子の前に進み出ると、にこやかに微笑んで手を差しだした。
「よろしくね」
「あ、は、はい。佐竹美奈子です。よろしくお願いします」
この人は、なんで当たり前みたいに、僕の幼馴染と握手してるんだ? 美奈子も素直に手を握り返してるし……これがイケメンムーブってやつか?
「美奈子ちゃん、このあたりに住んでるってことは、もしかして○高?」
「あ、はい、そうです」
「あー、じゃあ僕の後輩だ。僕もおととし○高を卒業したんだ」
「はぁ、そうなんですか……じゃあ、先輩ってお呼びしないとですね」
おいおい……爽やか系って思ったけど、この人もチャラ男と同じで、十分馴れ馴れしいぞ。でもあいにく、美奈子の好みはこういうスマートなタイプじゃない。むしろ、相撲取りとかプロレスラーみたいな、しっかり肉がついた男だ。美奈子の作る大盛チャーハンを半分も食べられなさそうなこのイケメンは、そもそもお呼びじゃないだろう。
「――ふぅ、やれやれ」
イケメンのくせに、そういうことも分からないなんてと、僕は思わず肩をすくめた。
「それじゃ、出発しよっか。暗いから気を付けて」
「はい、先輩」
そして、美奈子とイケメン大学生は2人で肝試しに出発した。
「やれやれ……また待機か…………。ねぇ、田中さん。裏山ってどんな感じだった? ――あれ?」
美奈子が戻ってくるまでのあいだ、僕は田中さんと話して時間をつぶそうと考えた。でも、いつの間にか田中さんの姿が見えない。あのチャラ男もだ。境内裏にいるのは、僕と町内会長のじいさんだけになっている。
チャラ男はどうでもいいけれど、田中さんがどこに行ったのかは気になる。
「……トイレかな?」
僕はそうつぶやきながら、首を傾げた。
「……遅いなぁ」
30分経っても、4人のうち誰も戻ってこなかった。僕はその場をそわそわ動き回り、町内会長のじいさんは目をつぶったまま、死んだみたいに微動だにしない。誰か早く戻ってきてくれないだろうか。この薄暗い境内裏で、干からびたじいさんと二人きりなんて、そっちのほうがある意味ホラーだ。
「田中さんはもしかして、縁日のほうに行ったのかな?」
案外そうなのかもしれない。田中さんはこのグダグダなイベントに見切りをつけて、神社正面の屋台が並ぶほうに行ってしまった――そう考えることもできるけど、礼儀正しい彼女が、何も言わずにそんなことをするだろうか。
色々と考えているうちに、僕がうろうろする範囲は、知らないあいだにかなり広くなっていた。
「う~ん、田中さん、ほんとにどこにいるかなぁ」
(――――ぁ♡)
「うん?」
気のせいかな。いま、何か物音がしたように思ったんだけど。
「…………?」
ここは境内裏でも、なんか色々な道具とかが積まれてゴミゴミしたエリアだ。僕はその場にとどまって、周囲の様子を観察してみた。どうやら気のせいだったみたいだ。特に何も無いし、誰もいない。
「まさか、こんなとこに田中さんはいないだろうけど……」
(――――ぁっ……やめっ♡)
「え?」
また物音がした。しかも、今度はハッキリ人の声とわかる音だ。
「誰かいるのか……? ――すいません! 誰かいるんですか?」
「…………」
「……? やっぱり気のせいか……?」
呼びかけても何の反応も無い。それでも一応、僕はこの周囲をざっくり歩きまわってみた。
「う~ん、なんだこれ? お祭りとかに使う道具か? こんなに積み上げて……もうちょっと片づけたらいいのに……」
積んである道具の中には、なんか人形っぽいものとかも混じっていて気味が悪い。恐る恐る耳を澄ませてみたけれど、僕が足音を立てなければ、縁日のほうから聞こえるかすかなざわめきの他には、虫の声しか聞こえない。
それにこれ以上進めば、いよいよ明かりが届かない真っ暗な場所に行くことになる。
「気のせいだよな……」
――もしかして、さっきのは本当に幽霊の声だったりして。今度のつぶやきは、その考えを打ち消すためのものだった。
「年寄りを一人にしておくのも危ないし……戻るかな」
空気もなんだかひんやりしている気がする。僕は不安をごまかしながら、少し足早に、元いた場所に引き返した。
(…………あっ♡ ダメっ♡ そんな乱暴にしちゃ♡ 彼に聞こえちゃう♡)
(へへへ、んなこと言って、琴葉も興奮してたっしょ? すげー締まってるしよ。ほら、唇だせや)
(――んっ♡ ちゅぅ……♡ あ……♡ はぁ……♡)
本当に、田中さんはどこに行ってしまったんだろう。あとついでに、あのチャラ男も。
==
僕は結局、町内会長のじいさんと2人きりで、美奈子たちが出発してから1時間は待っていた。肝試し大会が始まったのが8時前だったのに、もう10時を回ろうとしている。やっぱり探しに行ったほうがいいかなと考えはじめた頃に、ようやく美奈子たちが戻ってきた。
「あ~……やっと戻ってきた。美奈子、遅いってば……」
暗がりから現れた幼馴染に対し、僕はぐちぐち言いながら、内心ではすごくホッとしていた。どうやら遭難とかじゃなかったみたいだ。
「ご、ごめんね。ちょっと暗くて、道がわかりにくかったから……」
あれ? でも、美奈子の歩き方が、少しフラフラしている気がする。しかも、彼女はペアになったイケメン大学生の胸に手を添えて、あの男に肩を支えられている。どこか怪我でもしたんだろうか。
「え、美奈子、どうしたんだ? 足でもひねったのか?」
「な、なんでもないよ!」
「え――」
心配した僕が近寄ろうとすると、まるでそれを嫌がるみたいに、美奈子は大きな声を出した。幼馴染にそんな態度を取られた経験がなかった僕は、ひどくうろたえてしまった。
「あ、ご、ごめん、なんでもないの。道に迷って、ちょっと階段をいっぱい歩いたから……疲れちゃったのかも。――ごめんね」
美奈子は僕と目を合わせようとせず、きょどきょど視線を泳がせながら、今の態度の釈明をした。そこまで謝られると、かえって申し訳ない。気にしないでと僕が言おうとすると、その台詞を、美奈子の隣のイケメン大学生が遮った。
「いや、別に――」
「――美奈子は謝らなくていいよ。全部ボクが悪いんだからさ」
「――あ……せんぱい……♡」
……え? な、なんか、美奈子がこのイケメンを呼ぶ声が、出発前と違う気がする。どこが違うか、具体的にはわからないんだけど……。そう言えば、美奈子もさっきの田中さんと同じように、浴衣の裾が少し乱れている。
「み、美奈子?」
僕が名前を呼んで注意を引こうとしても、彼女は僕を見ず、ぽーっとした表情で大学生の顔を見上げている。いったい、何がどうしたらこうなるんだろう。訳がわからず、もう一度幼馴染を呼ぼうとしたとき、別方向に人の気配を感じた。
「さーせんw ちょい便所イってましたw やっぱくれーから迷っちまってw」
「…………♡♡♡」
「やー、ビビったわー」
それは例のチャラ男と、田中さんだった。
相変わらず下品で馴れ馴れしい態度のチャラ男は、なんの権利があってか、田中さんの腰に手を回している。
「なー琴葉? ちょービビったよな?」
「や……やめてください……♡♡」
ほら、チャラ男が図々しく口を近づけて囁くから、田中さんが嫌がってるじゃないか。今度こそ、こいつに抗議してやらなきゃならない。
「ちょっとあんた――……ん?」
そのとき、僕は違和感を覚えた。チャラ男の唇の周りが、妙に赤い。まるで、口紅でも塗ったかのように。こいつに興味はなかったから気付かなかっただけで、さっきもそうだったんだろうか。ああいうのが、チャラ男界の最近の流行なんだろうか。
(……せんぱい♡ だめ……♡ こんな……みんなの前で……彼が振り向いたら……)
(いいじゃん美奈子、ほら)
(――ふぁ♡ ――ちゅ……♡)
まあいいや、チャラ男が化粧をしてようがいまいが、そんなことはどうでもいい。問題は、こいつが田中さんを困らせているってことだ。田中さんの腰に回されたこいつの手の動きはいやらしくて、完全にセクハラの領域だ。こういう奴には、一度ガツンて言ってやらないと――
「ほれ、次のくじを引け」
はぁ?
「ほれ、早く」
「――え?」
チャラ男に対する僕の憤りは、急に目の前に町内会長のじいさんの干からびた手が出てきたことで霧散してしまった。町内会長は、くじを握った手を僕に差し出して、早く引けと無言で圧力をかけてくる。
「いや、そんなこと言ったって……」
あとはもう、僕しか参加者が残ってないじゃないか。もうペアも何もない。それとも、また美奈子や田中さんを加えてくじを引きなおすってことか? ていうか、町内会長が握っているくじは2本だけ。てことは両方あたりってことだろ? それって抽選の意味があるのか?
「……ああもう、わかりましたよ」
でも、老人特有の謎の「圧」に負けて、僕は大人しく白いヒモを引っ張った。その先には、赤い印がついている。
「あたりです。これでいいんでしょ?」
「うむ。――では、次はワシが……」
「は?」
「……ワシもあたりじゃな。ということは、ワシとお前がペアじゃ」
「はぁ?」
「よし、では行くぞ」
「はぁあ?」
何かの冗談かと思ったけどそうじゃなかった。僕は町内会長とペアを組まされて、男二人で肝試しに出発する羽目になってしまった。
町内会長は、裏山に向かってずんずんと歩き出す。放っておきたいけど、あんな80過ぎのじいさんを一人で夜の裏山に行かせるなんて、姥捨て山じゃあるまいし。
「マジか……」
仕方ないから、僕は小走りにじいさんのあとを追った。美奈子と田中さん、そしてチャラ男とイケメン大学生は、流石に呆気にとられた表情で、それを見ていた。
==
「はぁ……はぁ……はぁ……めっちゃ時間かかった……」
普通に歩けば10分くらいの道のりを、僕と町内会長のペアは、やっぱり1時間ほどかけてようやく行って戻ってきた。
「すまんのう」
原因は、目的地である裏山の祠に到達したところで、町内会長がバテてへばったからだ。じいさんのクセに、やたらはしゃぐからこうなるんだ。よっぽど置き去りにしたかったけど、僕は町内会長を背中に担いで山を下りた。そのせいで全身汗だくで、膝はガクガクだ。
「あ~……キッツ……」
「お、おかえり」
「おかえりなさい……」
「美奈子……田中さん……ただいま…………はぁ……はぁ……」
体力を消耗し過ぎたせいで、まともに顔が上げられない。それでも僕は、心配して声をかけてくれた二人の顔をちらっと見上げた。
(あ……あれ?)
錯覚だろうか。二人の浴衣の裾が、さっきより乱れている気がする。ついでに帯も崩れていて、まるで、一度浴衣を脱いだみたいになっていた。
「み、美奈子……ぜぇ……はぁ……」
「え、な、なにかな?」
「首のとこ、虫に、刺されてるぞ……」
「――えっ!?」
「はぁ~……ふぅ……なんでそんなに驚いてんだよ……」
美奈子の首筋に見えた虫刺されを指摘すると、彼女は酷く狼狽していた。
「こ、ここって虫が多いから――……ね? 美奈子ちゃん」
「そ、そそそ、そうだよね、琴葉ちゃん」
「……?」
なんで田中さんもうろたえてるんだ? 額から汗をポタポタ流しながら、僕はもう一度二人を見上げた。そしたら、虫に刺されているのは美奈子だけじゃなくて、田中さんもだった。首筋以外にも、乱れて少しはだけてしまった胸元のほうにまで、虫刺されあとがついている。
――いや、どこ見てんだよ、僕。そんなトコじろじろ見るなよ。
「あ~……キツい……もう限界……」
「だ、大丈夫……? 水でも買ってこようか?」
「あ~……いいや、もう帰りたい……。ありがと、田中さん……」
何はともあれ、僕と町内会長のペアは、肝試しの目的である祠まで到達し、目印の石を持ってきた。だから商品が出るわけでもなんでもないけど、じいさんが満足したっぽいから、一応は任務完了だ。
「じゃあ美奈子、帰ろっか……」
僕はヘトヘトのまま、すぐ近くに住んでいる幼馴染に声をかけた。でも美奈子は、僕が全く予想していなかった言葉を返してきた。
「あ、ご、ごめんね」
「え?」
「あの……その……ちょっとこれから、行くところがあって」
「行くところ……? もう深夜だよ? 屋台だって閉じちゃったでしょ」
僕らがグダグダ肝試しをしているあいだに、今日の縁日は片付けモードに入ってしまった。まだ境内に残っているのは、屋台を出してた業者の人くらいだろう。そう言えば、あのチャラ男とイケメン大学生も姿が見えない。きっと帰ってしまったんだろう。
「そ、そうなんだけど……」
美奈子は妙にもごもごと言いよどんでいる。本当に、今夜の彼女はいつもと様子が違う。僕がそう思っていると、田中さんが美奈子に助け舟を出した。
「あの、私が美奈子ちゃんを誘ったの。ちょっと女の子どうしで遊びましょうって」
「――あ……う、うん! そうなの! 琴葉ちゃんが誘ってくれたの!」
「田中さんが……?」
まあ、そう言われちゃ仕方ない。カラオケか何かに行くつもりなんだろうけど、女の子どうしで遊ぼうって言ってるところに無理やり割り込むほど、僕は無粋じゃない。
「けど、あんまり遅くなるなよ、美奈子。おじさんとおばさんだって心配するしさ」
「わ、わかってるよ。君も気を付けて帰ってね」
「うん……。あ~……つっかれた……早くシャワー浴びたい……」
というわけで、僕はそれで美奈子と田中さんとわかれ、一人で帰ることになった。この肝試し大会で、もしかしたらひと夏の思い出を作れるかもしれないぞっていう僕の淡い期待は、残念ながら完全なる期待外れに終わった。
(あー……でも、浴衣姿の田中さん、可愛かったな……。ついでに美奈子も……。なんか、いつもと違う色っぽさもあったし……。また3人でどっか遊びに行けないかな……)
でも、今はまだ夏休みだから、これから何か楽しいことがあるかもしれない。
「――あ、花火だ……」
どこかで打ち上げ花火が上がる。
「美奈子と田中さんも見てるのかな……」
僕はそれを見上げ、明日への希望を胸に抱きながら、家路についた。