※一部センシティブな描写があります。
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❖用語解説❖
◆礼術…作品中に出てくる聖職者のほぼ全員が使用することのできる、不思議な力。
その正体は神から授かった奇跡。ひとり一人に適正、特性がある。会得への道は厳しく、大人になっても使いこなせる者は少ない。
一度使うと体力の消耗が激しいうえ、失敗すると悪魔を召喚してしまったりすることもあるのでみだりに使用してはならない。
◆混濁の1日目◆
ライカは眠っていた。
正確に言えば気絶していた。
ぐったりと、昨晩強姦された医務室のベッドの上で。
あのあと、恐怖と痛みに耐えきれず意識が朦朧としたまま夜明けを迎えてしまったライカ。しかし外であらかたの証拠隠滅を終え、部屋に戻ってきたケラレに気づかれ、口封じのため再三の暴力を受けた。
痛くて、つらくて、もう限界だった。
ロザリオを固く握りしめ助けを求め、神にすがった。その祈りもむなしく、ケラレの蹴りがライカの顎を痛めつけた。
痛さよりも恐怖で息がすっと止まり、赤く腫れあがった目はそのまま深く閉ざされた。
血が真っ白なベッドシーツを赤黒く汚し、こぼれた涙が傷んで乱れた髪を濡らした。
ちいさなシスターはそのあと数時間、まったく動かなかった。
* * *
日が少し高くなってきた頃、あまりの激痛でライカは飛び起きる。
気づけば全身アザだらけで、刺された箇所もズキズキと熱を持って痛む。自分が昨日何をされたか、どんな暴力を受けたのか、思い出したライカは震え、ベッドの端にうずくまる。
ガラガラガラ……廊下からキャスターの音が近づいたかと思うとそれはこの医務室の前で止まり、強引にドアが開かれ、薄気味悪い笑顔でケラレが入ってくる。
「おはようライカちゃん!朝ごはんでちゅよー!」
ケラレの声に、ライカの肩がぴくり……と反応する。
この人と関わったら殺される。
神へ純潔を誓ったシスターを平気で脱がせて襲って刃物で怪我をさせ、幼児のように扱い侮辱の限りを尽くし、精神が崩壊寸前になるまで心身のすべてを攻撃される。そんなひとは、医者とは呼べない。
ひとりの人間として、認めたくない。
受け答えなんて無駄……そう考えて、何を問われても答えないように自分の心に誓う。
「さぁ、今日はミルクにお砂糖入れまちたからねー。アルパ様に聞いたらライカちゃん、甘い物が好きだと聞いて。さあほら、ほら!!」
ぐりぐりと哺乳瓶を頬に押し付けられる。
ケラレは尚笑顔で催促する。
振り払おうと腕を伸ばすも、激痛が走り、思わず声にならない悲鳴を上げた。
痛くて痛くて体勢を変えることすらままならない。
気絶していたのを除けばほとんど寝ていないので、疲弊して抗う体力もない。
肩で息をし、冷や汗にまみれ、うなだれたまま、うつむく。
そんなライカの様子を見たケラレは、右手でライカの顎をくいっと持ち上げて
「大人しく言うこと聞いてくれさえすれば、痛いことなんてしなかったんだぞ?
……もしこれだけやってま〜だワタクシに反抗的な態度をとるのであれば、聖堂にいる他のシスター達に言いつけるからな。『おたくのライカくんは手の付けられんワガママで、困り果てましたよ。どんな教育してきたんだ』と!」
このひとことで、ケラレのライカへの精神的な拘束と服従は確実なものとなった。
つまりはもう“この絶対的服従から逃げ場を失った”ということになる。《たった1つのある手段》を除けば。
ケラレが先程の哺乳瓶を取り出した。
そういえば、昨日も言っていたが完食しなければシスター達から怒られるので無理にでも食べさせようとしているらしい。
「ほらミルク、今日からスタイ(よだれかけ)もちゃんと着けるでちゅよぉ。こ〜んな歳になって恥ずかちいでちゅね〜〜。はい、あーん」
……
食べなければどのみち死んでしまうので、とりあえず嫌々ながらも従う。
………あまりにも嫌すぎる。
ライカの心は張り裂けそうだった。
「んっ……く……んっ………ん……うっ、げふっ!けふ…ん…」
「もっともっと……かわいいねぇ…かわいいかわいい……
大人しく犬みたいについてくる、ワタクシ好みの男の子になるんでちゅよぉ……」
「んん……ひっ、げほっ、げほ」
哺乳瓶を持っているのはケラレである。
無理に押しつけて飲ませるので気管に入り込んでむせる。
「あーだめじゃないかライカちゃん、そんなに急に動くとまた……」
再び耐え難い痛みにのたうちまわる。
「アアアア'''''''"ッアアアアア'''''''!!!!!!!あ、ああ、は………は……ぁ……………は………………ぁ…」
「ほーら言ったのに。」
ケラレがにっこり笑い顔で、泣きかけるライカの顔を覗き込む。
「ちゃんときっちり洗脳し終わったら、街に下りてワタシと暮らちまちょうねぇ。ねっ、かわいいライカちゃん……」
ひし、と抱きしめられる。
知っている。“小児性愛者”というやつだ。今まで何度となくストーカー被害に遭ってきた。こんなやつらに囲われるのはもううんざりだ。
シスターはこの世を恨んだ。
自分のことを見捨てた母親も、守ってくれない教会の人間も、
教皇も、こんなに苦しいのに傍にいてくれない大好きなレフ神父も、街の人も、主も、聖母マリアも、聖霊も天使も……
────ただ思春期こじらせただけなのに、こんなになって笑っちゃった。
今はもうただ、この冗談みたいな苦しい時間が過ぎ去るのを待つだけだった。
そして、こんな生活が、このあとも2日続いた。
ロザリオに祈ることも忘れ、ライカは耐え難い現実に絶望し、苦しんだ。
3時間おきに強制排泄として、ケラレにローブを捲られ、恥部を触られる。
動けないからと好き放題やって、満足して帰っていく。
そんなふうに穢されていく自分が何よりも嫌で、情けなくて……
◆混濁の3日目◆
早朝。いつの間にか日が入り込んでいた。
遠くから、重い足音と車輪の音がする。
…………そっか、今日も……………。
………食事を終えしばらくするとケラレが部屋から出ていった。
足音が完全に遠ざかったことを確信すると、全身の痛みに耐え、ライカはベッドから降り、医務室を出て、
壁に手をかけゆっくりゆっくり、足を運ぶ。
……………どうか、どうかケラレに見つかりませんように。
まだ春の手前だというのに嫌に汗が滴る。
ドクドクという心臓の鼓動が、響く。
やがて、衰弱しきったシスターは、安堵のあまり司教の部屋の前で倒れた。
胸元に大切な人と撮ったロケット(写真の入るペンダント)をぶら下げて。
❁ ❁ ❁
「目的地まであと何時間かかりそう?」
「レフ神父、まあそう慌てないで…もともとあさっての予定なんですから。」
馬車がガタゴト揺れ、草木の生い茂る田舎道を征く。
「はは、まぁそんなことわかってるさ。ただ久しぶりに逢うのでな。あの子に。」
エメラルドよりも深い、透き通るような緑色の瞳に、空と針葉樹ばかりが映る。
「前に逢ったときはチェスでボロ負けしたな。3連敗だ。」
「神父様が?」
「ああ、強いんだ。ライカくん。昔からね。」
思い出し、神父ははにかんで、目を伏せた。頬が薄ら紅に染まる。柔らかなミルクティー色の長い三つ編みを、馬車が小刻みに揺らす。
彼らは《ヨハネ・フォッグフォード》の、大きな教会に従事するレフ神父、そして付き人の見習い修道士オートである。
二人はライカのいる街へ向かう途中であった。
少しずつ歩みを進めるうち、何かの気配を感じ取った。
川のせせらぎが突然消えたかと思えば、途端に日は陰りカラスの合唱が始まる。昼だというのに嫌に冷たい風が吹く。
「礼術か。」
「そのようですね。」
馬車は停止し、神父は降りて礼術を待つ。
間もなく宙(そら)から、手紙が一通だけ落下してくる。
神父が両手でうけ、開封し、目を通す。
段々と空が元の姿へ戻っていき、小鳥の声と木々のざわめく音が流れ出す。
しばし無言の間、付き添いの見習い修道士は不安にかられていた。
手紙を読む、神父の顔に笑顔などまるで無かった。
「神父様、メモには何が…」
「唐突ですまないが、一刻でも早く街に到着できないか?」
遮るように言葉を放つ神父。
「ライカが……なんてことだ。」
複雑な心情が隠せない。
怒りに震えた両手が、手紙をくしゃっと握り締めた。
「明日着けなどと無茶な事は言わん、とにかく予定より早く着かなければならん。私は礼術で返事を送る。時間がかかる。その間オートは街へのなるべく短い道のりを考えておいてくれ。多少山道を回ることになっても構わん。」
修道士は頷き、馬車へ地図を探しに戻ろうとする。
一歩立ち止まり、そういえば…と呟いた。
「レフ神父、虫が嫌いだそうですが本当に山道突っ切っても良いんですね!?」
「……ああ、大丈夫。よろしく頼んだ。」
「承知しました!ここから見えるあの村の向こうの、まだ少し先に確か山に繋がる裏道があったはずです。6時間は短縮できると思いますよ。」
「6時間……もっと早く着かないのか?」
オートが地図を広げ、なにやら顔をしかめる。
「し、神父様が食事も抜いて一睡もしなくていいのなら、1つも村や街を通らずに別のオートを考えますけど、うーん、それにしても削って24時間……あっ、24時間で着くってわけじゃなくて、あくまでも短縮できる時間の話ですからね!」
水色の空を綿雲が通り抜けていく。
遥か遠くのあの子の街へ、風は流れていく。
こんな瞬間にも、彼はきっと苦しんでいるのだ。
私の助けを、何よりも待っているのだ。
寝ている暇などどこにもない。
「それでいい。早く着こう。
ただ、すぐそこの村は寄ってくれ。店に用事がある。」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
親愛なる レフ司祭殿
急な連絡を失礼致します。
わたしたちの修道院にいるシスターライカが、
酷く、凄惨ないじめを、派遣医から受けていました。
教会の誰ひとりとして気づかれなかったことが悔やまれます。
彼は貴方に助けを求め、苦しんでいます。
非常に身勝手ながらお早い到着をお願いを申し上げます。
簡素ではありますが、礼術を通してお伝えします。
明日は雨との伝達が、街から入っています。足元がぬかるみますので、どうぞお気を付けて。
ライカと、司祭、見習いのオート修道士に、身の上の祝福がありますように。
聖カリオフィルス教会
代表 シスターアルパ
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
──教会内部──
「司教様、レフ神父よりあさって着くとの連絡が……」
「そうか……あさってか。到着までに、あの子の身体が持てばいいが……。」
教会内には不穏な空気が流れている。
同じ空間に、子供に手を上げる人間が居る事実に、痛むような緊張感が張りつめた。
ケラレはシスターと司教の話を盗み聞きし、ひどく腹を立てた。
ドスドスを音を立て、廊下を渡る。
「どうしてワタクシが……!あんなことで司教にチクるなんて、本当にしつけがなってないんじゃないのか!!」
やがて、医務室の前に立つと勢い良く扉を開け、うおっほん、とわざと大きな咳払いをする。
「ライカくん、ライカくん、君は本当に嫌な子だ。顔ばかり良くて、他に何の取り柄がある?」
ライカは、シスターたちによって清潔にされたベッドですやすや寝息をたてていた。助祭によって担ぎこまれ、礼術による治療を受けていた。助祭の大きな手が、ライカの傷だらけの腕をさすっている。
同伴していた見習いシスターのうち1人が、ケラレの顔を見るなり「ひっ」と悲鳴を上げたが、咳払いで誤魔化した。
しばし沈黙の後、助祭が口を開く。
「ケラレさん、あんまりうちの子を虐めないでください。」
間を置かず、見習いシスターも
「この子は酷く疲れています。今は休ませてあげてください。」
と言った。
初めは助祭とシスターの厳かな空気に気圧されるケラレだったが、次第にむらむらと癇癪をおこし、バン!と扉を強く叩いた。
「ですので、この場は静粛に…」
「ええい黙れ!うるさい!!うるさい!!ワタシは医者だ!!その甘ったれガキはワタシが治療をする!そこをどけろ!」
白衣の袖をぶんぶん振り回す。
鞄から薬の入ったアンプルを数本取りだし、パキ、と音を立て開封する。
部屋中に異臭が漂い始める。
シスターたちは頭を抱え怖気づいた。
「ケラレさん、落ち着いて……」
「自分たちの子供ひとり助けられん間抜けな聖職者たちめ、ワタシの手にかかれば治せない子供など居ないと言うに!」
助祭の静止を振り払い、ケラレは、寝ているライカの顔を覗き込む。
殴った跡は治療によってきれいに治されていた。
それを見て、ニタリと笑う。
「これは“良い子”になるためのお・く・す・り………」
アンプルを傾け、ライカの口へ注ぎ込む。
「あんたは……ケラレさん!うちの子に何させるんですか!?」
カラになった瓶を適当に放り投げ、次の瓶を飲ませる。
「何って………そりゃ治療ですよぉ。見てわかりません?
ほぅら御覧なさい、“良い子”の顔つきになってきた。やはりワタクシが調合した薬は素晴らしい!
さて、可愛いライカちゃん、ワタクシの診療所でゆっくりお茶しましょーねー。」
目を開け、ライカは起き上がる。
ゆっくりと立ち、そのまま真っ直ぐ────ケラレの目の前まで来て立ち止まる。
「おお、可愛い可愛い…さ、こっちだライカちゃん。君の帰る家は……」
こくりと頷いて、呆気にとられていた助祭、シスター達に一礼してその場を去った。
ふらりとした、安定しない歩き方でケラレに着いていく。
目は輝きを失い表情から一切の感情が消え去っていた。
魂が抜き取られ、自我のない人形のようであった。
後ろから、聖堂の人間が追い掛けて来る。
「ちっ、ここまで来て邪魔ななんぞさせるか!」
ケラレはさっきとは別の、大きなアンプルをへし折り自分へ向かってくる者たちへと投げつけた。
バリン、と大きな音を立て、それは地面で割れる。
5本ほど行ったあと、辺りには吐瀉物、薄黄色の煙と猛烈な異臭が有るのみで
もうこちらへ来る者は居なかった。
それを確認したケラレはニイッ………と不気味な笑みを浮かべた。勝ち誇ったような、最高の満面の笑みでもあった。
「ライカちゃん、診療所はこっちだ。手を繋いで一緒に行こう……」
自我を失ったライカが、遠くなる聖堂を見つめていた。
* * *
──ケラレの診療所──
街なかにある、古びた一軒の建物。
『こどもメンタルクリニック』という小さな看板があるのみで、ぱっと見診療所とは分からない。
扉がギィ…と軋む音を立て、ケラレとライカが入ってくる。
机と椅子、ベッド、元気のない観葉植物、薬の棚。
もはや殺風景と言っても差し支えないような、がらんとした部屋である。
「少々物足りないが、まあここはあくまでも診療室、ワタシたちが暮らす部屋は2階にある。聖堂にいない時間でキミの好きなように改装しておいた。」
二人は2階に上がる。急な傾斜の階段を進むと、細い廊下に青と赤のドアが並んでいた。
ケラレは赤の扉のドアノブに手を掛けた。
「ここが、キミの部屋だ」
『ライカ仕様』────というその部屋は、ピンク色でふわふわのラグが敷いてあり、一面おもちゃ、ぬいぐるみが溢れかえり、どこからか聖歌が流れ、ぴかぴか光る電飾のついたカーテンでデコレーションされている、なんともメルヘンな部屋であった。
「これは……」
ライカが口を開く。
「キミのお・部・屋♡好きなだけ自由に使ってくれたまえ!
─────ベッドはクイーンサイズで、フリルのカーテンも付いてるし、こっちの棚にはトイピアノが2種類も置いてあって………」
とても数日で用意できるような部屋ではない。
ケラレの洗脳を受けぼんやりとした意識の中、ライカはこの家具や玩具たちが若干傷んでいることに気付く。
シーツや枕は真新しくても、キズが目につくベッド。
化粧の取れたお人形。角が少し折れたトランプ。クレヨンで薄汚れた積み木。車輪が1つない汽車の模型。
窓際の本棚は日焼けして、やや青い背表紙が並ぶ。
「昔ここに誰か住んでたんですか」
ケラレはギクッとし、
「いや、まあな、ワタシが商人から安く買い揃えた玩具だから、それなりに汚れているかもしれんが!大丈夫!直すものは直してある!」
……………これでも『直すものは直してある』ようだ。
「さあて夕食の買い出しの時間だ。ワタシはちょっと露店に行く。ライカちゃんは部屋に入って待っててくれ!キミの弱った心が治るよう良いものを用意しよう!」
そう言い終わると、無理矢理室内に押し込まれたライカ。
この部屋にはたくさんの秘密がありそうだ。
例えばこの、少し壁と隙間の空いた金の額縁の裏────────
「男の子の写真………、いっぱい……ある……?」
目に飛び込んできたものは、13歳には早すぎるものだった。
ケラレとどこかの少年が裸で重なる写真。
また別の少年の、自慰を隠し撮りした写真。
メイドの服を着せられ、恥ずかしそうに顔を伏せる少年の写真。
器具をお尻に入れられて苦しそうな顔をする少年の写真。
数枚なんかじゃない。何十枚とある。
多少玩具やレイアウトは違うものの、すべてこの部屋で撮られていたものだった。
催眠が効きすぎて“良い子”のままのライカだったが、衝撃的すぎるこの光景に頭が少し醒め始める。
ケラレが小児性愛者であることはわかっていたが、やはり事実であったことに戸惑いを隠しきれない。
うわ、これとか乳首吸われてるし……。
「こんなとこに居たら……やばい、逃げなきゃ………ん?この写真日付が8年前………?
じゃあこっちは………3年前、この子は………2ヶ月前!?」
そう、ここは何年もの間、ケラレが洗脳して連れてきた男の子を飼い慣らし、好き放題犯すための部屋だった。
寒気がした。冷や汗が垂れる。
一刻も早く出なければ。仕事もあるし、神父様も来るし、
これ以上シスターの純潔を穢されるわけにはいかない。
「駄目っ、窓も扉も開かない!やだ、こんなところで、僕を殴るよう怖いな医者に襲われたくない、嫌だよ、やだ………っ!」
少し経つとケラレが素晴らしい笑顔で帰宅した。両手に、ありったけの物を詰めた籠(かご)を持って。
2階からライカのすすり泣く声が聞こえると直ぐさま駆けつけ、頬に好き放題チュウをする。ついでに太ももも触る。お尻も触る。
「ひとりがそんなに寂しかったのでちゅか?ごめんねぇライカちゃ〜〜ん!んー可愛い!ちゅっ!今夜いっぱい遊んであげるねえ!」
シスターの尊厳は何処へ。『額縁の裏を見た』ことを知られると、何をされるのかわからないため慌てて涙を拭いて落ち着きを取り戻す。
そして、『良い子の薬』が効いているフリをする。
「ただいま、ケラレさん、淋しくて………」
ぎゅうと抱き着く。
「おお、可愛い我が子よ」
ケラレの腕の中で恐怖に震えていた。
神父様、逢いたいです。
優しいレフ神父……
本当なら貴方の胸に抱かれていたはずなのに────。
* * *
夜。
ライカは(ケラレが用意した明らかに量がおかしい)夕食を終え、シャワーを浴び、自室でここから逃げ出す方法を考えていた。
ケラレは耳がいい。この部屋とトイレ以外の場所に行けばすっ飛んでくるだろう。
薬を飲まされてからかなり時間が経ったので、効き目は既に切れている。意識もはっきりして、ふらふらせずに移動できる。
窓から伝って降りるのはどうだろう?
ふと思い、カーテンを開いて窓をあける。
2階とはいえ地上までかなりある。このまま落ちたら天からお迎えが来ることになる。
いつもであれば礼術を利用してゆっくりと降りればよいのだが、身体が本調子ではないため失敗すると術が暴走して一晩中夜空で上昇と下降を繰り返しながら、鳥たちと過ごさねばならなくなる。
(聞こえは良いけど、外は寒いので……)
バタン。
「さーて、ライカちゃん、そろそろ薬の効き目が切れた頃だな……おいで……」
「…………ぁ…………」
急に部屋に入ってきたケラレに驚いて、息が止まる。
「"夜のお楽しみ"のためにはこれが欠かせないんだよねぇ〜〜キミみたいな子はすぐ逃げようとするからねェ………!」
例の薬が入ったアンプルを持ち、不気味な笑みでにじり寄るケラレに、ただただ腰が抜けて座り込むライカ。
様々な記憶がフラッシュバックする。
たったこの数日でどれだけの命の危機を感じただろう。
どれだけこの人に心を傷つけられただろう。
もう痛いのは嫌だ。
ぽろり、ぽろり……
無意識のうちに頬に涙が垂れる。
「ん〜〜ライカちゅわん、こわくな〜いでちゅよ〜よーし、よしよし………」
頭が真っ白になり、その場で硬直したライカに、ケラレが薬を飲ませる。
途端、何をされたのか気付いたライカは意識を取り戻す。
「げふ、コホッ!こほ、え、これは………」
そう言われ、誇らしげにアンプルを見せびらかすケラレ。
「ワタクシが……昔少しかじった礼術で作る、とっておきの秘薬………どんな動物、人間も思いのまま…………『良い子になる薬』だよ。
ヒヨコの骸と生きた白鳩、ユリの根をヤギの乳で炊き、4ヵ月ゆっくり冷やし固め半月の夜に祈りを掛ける──────なんと不思議なことに、腐らない、効き目の強い液状の催眠薬となる。偶然作れたときにはそれはもう嬉しくて──────」
「そんなことに礼術使わないで!僕たち聖職者の特権なんだよ!?」
ケラレが、片手をライカの頭の上にそっと乗せる。
「ワタシも昔は……神父だった。落ちこぼれのな…………
さて!そろそろ薬が効いてくる頃じゃあないか?楽しもうライカくん、夜は始まったばかりだ。」
なんとか反論する言葉を探していたが、そのうち頭が曇ったようになり“良い子”になって行くシスター。
ゆっくり脱力し、顔から感情がなくなり、目がすわる。
「ライカちゃん、ワタクシと一緒に遊んでくれるかね?」
「ケラレ………さん、はい、僕で良ければ……喜んで…………」
「うむ、じゃあ移動しよう………」
お姫様抱っこでライカを抱え、ベッドに座らせた。
慣れた手つきで服を脱がせる。
まだ何も知らない13歳の男の子の華奢な身体。
ケラレはそっと、ライカの陰部を揉む。少しづつ膨らんでいく。
そのうちカメラのシャッターボタンを押し────────
* * *
◆混濁の5日目◆
──教会内部──
「やあ、シスターアルパ。お久しぶりです。」
「よく来てくれました。レフ神父……そしてブラザーオート。お疲れでしょうが、司教様がお呼びです。応接間に案内いたします。」
昼すこし手前。
町を抜け、山を渡り、レフ神父と修道士オートの二人はライカが住む聖カリオフィルス教会に到着した。
「その前に着替えさせてもらってもいいですかね、ちょっと向こうで雨に振られちゃいまして………」
口を開くオート。小さく頷くレフ神父。はねた泥が服の裾に付いている。
殆ど休み無しで駆けつけて来たため、かなりやつれていた。
「これは失礼いたしました。では中へ、着替え、お休みの部屋はこちらに………」
久々の空気。
この教会は日当りが良い。庭からは若芽が萌える匂いがする。
着替えた二人は司教の部屋を訪ねる。
「………失礼します。」
「おお、レフ神父、ブラザーオート。来たばかりで申し訳ないが、二人に話さねばいけないことがある。」
「なんでしょう、司教様。」オートが尋ねる。
「ライカくんは……この教会にシスターライカは居ない。あの医者に逃げられてしまった。うちの子を洗脳して連れて行ってしまった………おお、なんと、哀れな………」
壁に掛かった十字架の飾りに、手を合わせ祈る司教。
かなりの間が空いて、ようやく言葉を紡いだのはレフ神父であった。
「…………何、言ってるんですか…………?ライカくんはまだ13歳、修道院暮らしで世の中の右も左も分からないような子を…………暴力振るう医師に誘拐されたまま放置してるんですか……………?一体私が来るまで何をしていたんでしょう……………」
またしばしの沈黙のあと、レフ神父はオートの腕を掴み退室を促す。
「あの子を守ってあげられるのは私達だけだ。途中で力尽きるといけないから、2時間だけ寝て、街に出て居場所を探そう。診療所ならそこまで多くは無いはずだ。」
神父の真っ直ぐな目付きを、見習い修道士は受け止めた。
「わかりました。では司教様、ぼくらはこれで失礼します。お話はまた落ち着いてから────。」
「神父様、顔色が宜しくないようですが………。」
「……………」
「神父様?」
「………っ、なんでもない、寝不足なだけだ。」
二人は来客用の寝室に向かって歩き出す。
(ライカくんが相当心配なんだろうなァ……会ったことないけどそんなに良い子なんだろうか………?)
見習い修道士は首を傾げていた。
「ふふ、どうした首なんか傾げて。ライカの事を考えていたのか?小さくて元気いっぱい、甘えん坊の可愛い子だよ。疑う事を知らない無垢な男の子だ。そして……小さい頃から泣き虫だ。今、どこかでひとり泣いてると思うと………」
そう話す神父の横顔があまりに淋しそうだったので、オートはそれ以上なにも喋れなくなってしまった。
二人は眠った。
たった二時間の、深い深い眠りだった。
太陽が真上を少し過ぎた頃────
「おはようございます。起きてましたか、神父様……」
「やあ、この通りすっかり三つ編みが崩れてしまってな。明日の朝にはライカくんに結び直してもらおうか。さて、顔を洗って出発しよう。君も早くライカに会ってみたいだろう?」
* * *
セントコロン。
ライカたちの住む、多民族が集まって暮らす小さな街。
レフ神父は診療所はそんなに無いはずだ、見つけ出すのは簡単だろうと思っていた。
誤算だった。
ケラレの診療所は、セントコロンから少し歩いた場所にある"ライフランチェス"というやや大きな街にあった。
それに気が付いたのは日が沈む直前。今からライフランチェスに向かって聞き込みを行おうとすると、レフ神父自身が襲われる可能性があった。
キリスト教無信仰者も多く、神父からの聞き込みに関しても非協力的。なんと言っても治安があまり良くない。夜に行くのは避けたほうがいい────
「では、このままもう一晩ライカくんを放っておけというわけか。オート。」
「決してそういう事ではなく、助けに行く人が襲われたら元も子もないでしょうという話です、神父様。」
二人の疲労はピークに達していた。
珍しくレフ神父も八つ当たりをして、行き場のない憤りを後輩にぶつける。オートもオートで先輩に対して素っ気ない態度をとる。
少しの間言い争ったあと、無言の時間が続く。
「………喧嘩なんて、聖職者がやるなんて駄目なことだな………やっぱり……………」
神父が横でブツブツ言うのを、うわのそらで聞き流すオート。
間もなく日は暮れ、薄紫に塗られた空には無限に星が広がり始める。
冷たい風が吹いて、二人のローブの裾をなびかせる。
次第に街頭に灯りがともる。
とうとう何かを決心したレフ神父は、力強い声で、
「私はここに残り、ライフランチェスに向かい手掛かりを探す。夜明けまでには帰る。オートは部屋に戻って明日の準備を整えておいてくれ。起きたらすぐ出発だ。良いか?」
と言った。
流石のオートも溜息をついた。
「もう好きにしてください………じゃあぼくは帰って寝ますよ………」
「いくら知らぬ子供であろうとも、ひと一人想えぬとは何事か。寝る前に主に問いかけてみてくれ。私だって伊達に15年近く聖職者やってるわけじゃない。」
「そうですか……それもそうですよね、そのくらいの心の強さが無いと神父やってられないッスよね………ノリで入った世界なのに厳しいなァ………」
「まあ、そういう事だ。もう暗いから、帰り道には気をつけて。私は今からライフランチェスに向かう。ではオート、私の我儘に付き合ってくれた優しい君に神の祝福あれ。アーメン。私の事はシスターアルパに伝えておいてくれ。」
レフ神父が十字を切る。街頭に照らされた2つの影は別々の方向へ進み出す。
ゆっくりと、光の溢れる街の方向へ歩み出す神父。
「37歳にもなると体力がな………もしライカくんが今日のうちに戻ってこれても一緒に遊ぶ元気は無いかもしれないな……そうなると悲しそうな顔されるし…………」
やはりブツブツつぶやきながら、雪溶けでぬかるんだレンガの橋を渡っていった。