※この作品はR-18です。

俺の大学性活はまちがい続ける。   作:滝 

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一色いろは、脅迫する。

 

 

 白い背中が二つ、眼下に並んでいた。

 腰を動かすたびにパンパンと乾いた音が鳴り、飲み込まれてしまいそうな快楽がせり上がってくる。俺自身を受け入れてくれている彼女は、往復する度に甘い喘ぎで耳朶を慰撫した。

 

「ん⋯⋯。ねえ、八幡。そろそろ私にも⋯⋯」

「はぁ、はぁっ⋯⋯。ああ」

「あぁ、んっ♡ ヒッキー抜いちゃ、や、んっ♡」

 

 結衣の中に入っていた肉棒を引き抜くと、右手で撫でていた雪乃の尻をしっかりと掴む。雪乃の手にガイドされて、彼女の中に入っていく。結衣の前にも挿入していた雪乃の中は充分過ぎるほどに濡れていて、その狭さだけが俺という異物を押し返そうとしてくる。

 

「あぁっ♡ ん、はぁ⋯⋯♡」

 

 もちろんいくら狭いとは言え俺のものが拒絶される事はなく、すんなりと雪乃の最奥まで到達する。カリ首に絡まる膣襞の感覚を確かめながら引き抜けるぐらいまで腰を引き、そのまま一気に突き入れた。

 

「んあぁぁっ♡ ♡」

「は、あぁ⋯⋯」

 

 多少は慣れてきたところもあるが、やはり雪乃と結衣を相手に代わるがわる挿入するのは凄まじい背徳感だった。所有感を満たされる、と言ってしまっても間違いではない気持ちもある。

 一体何が俺をそれほどまでに変えてしまったのだろうと考えるが、きっと元々あった感情だったのだろう。俺にそう言う気質がなければ、こんな状況に耐えられるはずもない。

 

「あ、んっ、あ♡ あ♡ ん、はぁっ♡」

「ヒッキー⋯⋯。あ⋯⋯♡」

 

 片手で雪乃の腰を持ちながら、ペニスを抜かれて不服そうな結衣の尻をもう片方の手で撫でる。肉棒を入れてやれない代わりに中指をその中に突っ込むと、背中がびくんと仰け反った。

 

「は、あぁ⋯⋯。雪乃の中、すっげぇ締まる⋯⋯」

「あぁ、ん⋯⋯♡ そう、かしら、あ♡」

「ねえ、ヒッキー。あ♡ あたしは?」

「はぁ、う、ぁぁ⋯⋯。そうだな」

 

 俺は雪乃からペニスを引き抜くと、また結衣の後ろに来てずぶんと彼女の中に入った。中指の代わりにペニスを突き入れられた結衣は、ヒクヒクと膣内を蠕動させる。

 

「はぁ、あー⋯⋯。結衣の中も、キツい⋯⋯」

「あぁ♡ ん⋯⋯♡ ヒッキーのいつもより大きいから、余計にそう感じるのかも♡ あぁっ♡」

 

 結衣は艶やかな声音でそう言うと、後ろから突かれるたびに嬌声を漏らした。解放された彼女のたわわは、背中越しにも揺れまくっているのが見える。

 

「きっともう、射精しそうなのよ」

 

 雪乃はそう言って四つん這いのまま振り返ると、流し目を送ってくる。その目は明らかに俺のものを欲しがっていて、否応無く興奮させられてしまう。

 

「は、あぁ⋯⋯。いつでも出せるわ、これ」

「んっ、あぁぁ♡ や、んっ♡」

 

 結衣の膣奥を暫く突いた後、またペニスを引き抜いて雪乃の後ろにまわった。ぬるんと一気に奥まで突き入れると、その強烈な快感に射精しそうになっている事を強く自覚させられる。雪乃の腰を両手で持つと、わざと音を立てるように激しく腰を振り出す。

 

「ああぁぁっ♡ んっ、あ♡ あぁぁっ♡」

「はぁ、はぁっ、もう、イク⋯⋯っ。は、あぁ⋯⋯っ」

「あぁ、ん♡ いいわ♡ 私に、出して♡ ああぁぁっ♡♡」

 

 ラストスパートを始めて数秒で雪乃は先にイッてしまったらしく、艶やかな声を出しながらキュウキュウと膣内を締め付けてくる。雪乃の中から得られる最高潮の快感に吸い寄せられるがまま、俺はパンパンと音を鳴らして腰を打ちつけた。

 

「う、あぁ⋯⋯、出るっ、い、くっ!」

「出し、てっ♡ あ♡ あぁぁあぁぁ♡♡」

 

 一際(ひときわ)大きな喘ぎが響いて、また締め付けの強くなった膣内で射精する。ドクンドクンと彼女の中に、正しくは極薄の膜の中に精液を注ぎ込む。

 

「いいなぁ⋯⋯」

 

 ぞくぞくと身震いしながら雪乃の中で射精していると、そんな声が隣から聞こえてくる。裸身を露わにして四つん這いになったままの結衣は、びくびくと絶頂に達し続けている雪乃を見ていた。

 

「ヒッキー、次はあたしね」

「ああ⋯⋯」

「ん、あぁ⋯⋯♡」

 

 俺が射精の終わったペニスを引き抜くと、雪乃は可愛い声で短く喘ぎを溢した。自らの肉竿を見ると、たっぷりと白濁液の溜まったコンドームが垂れている。

 次はどの体位で入れようか──と逡巡していると、脱ぎ捨てたズボンの中から着信音が聞こえてきた。

 なんだこんな時に⋯⋯とは思ったが、小町からの緊急の電話とかだといけない。ベッドからおりて携帯電話を取り出すと、画面に表示されている名前を見る。携帯電話を鳴動させている人物の名前は、一色だった。

 

「出ないの?」

 

 ベッドで割座になった雪乃がそう問い掛けてくる。

 一色から連絡が来る時は大体がラインだ。わざわざ電話をかけてくるという事は、そこそこ急ぎの用事らしい。けどこれ、何か嫌な予感しかしないんだよなぁ⋯⋯。

 

「待ってるから、出ていいよ」

 

 結衣にそう言って貰った事で、ようやく電話に出るという選択肢が固まった。応答のボタンを押すと、携帯電話を耳に押し当てる。

 

「もしもし?」

 

 そう言いながら部屋を出て行こうとして、ぐっと後ろから手を引かれた。すとんとベッドの端に座らされる格好になって振り返ると、雪乃は試すような目で俺を見ていた。

 

『せーんぱいっ。わたしとデートしましょう!』

「は⋯⋯?」

 

 悪戯っぽい快活な声が、耳に飛び込んでくる。敢えてデートという言葉を使うなんて、一体どういう風の吹き回しだ。

 そんな事を考えていると、雪乃はベッドから降りて静かに俺の脚の間に入ってくる。それを見ていた結衣も無言のまま雪乃の隣に並ぶと、するりと薄ピンクのコンドームを取った。

 

「いや、行かないけど⋯⋯」

 

 俺は答えながら、彼女たちの行動を見守っていた。結衣は避妊具の先にたっぷりと溜まった精液を目の高さまで上げて確かめた後、使用済みのそれを逆さにして自らの口に中身を零していく。

 

『ちょっと折り入った話がありましてねー。飲みに行きましょう』

 

 結衣は雪乃と目を合わせると、どちらからともなく唇を合わせた。こちらにも見えるように舌を絡ませ合い、精液と唾液を交換する。

 ⋯⋯いやいつもの事なんだけど、なんでこっちに見せびらかすみたいにしてるの、この子たち。

 

「⋯⋯人の話聞いてる?」

 

 呆気に取られながらそのいやらし過ぎる光景を見ていると、俺の精液を分け合った彼女たちはこくんと喉を鳴らしてそれを嚥下する。

 

『聞いてますよー。聞き入れてないだけです』

 

 雪乃と結衣は出したての精液をゴックンした後、物欲しそうに俺の顔を見上げていた。雪乃の手が俺の竿の根元を握り込むと、シコシコと上下に擦り出す。彼女の目配せを受けた結衣は、無言のままかぷっと亀頭を口に含んだ。さっき君、電話終わるの待ってるって言ったよね?

 

「⋯⋯っ!」

 

 結衣がじゅぶっと竿全体を咥え込むと声が出そうになって、俺は思わず顔から携帯を遠ざけた。結衣は子犬のように愛らしい目に悪戯心を込めて、こちらを見上げている。その顔は可愛らし過ぎるし、やっている事はエロ過ぎる。

 

「⋯⋯それは聞いてるって言わないんだよ」

 

 しばらく音を殺したフェラチオの快感に耐えていると、雪乃は結衣と交代して俺のペニスを咥え込んだ。快楽に震えてしまいそうな声を叱咤していたら、どうにも固い声になってしまう。

 

『あのー⋯⋯。先輩、なんか怒ってます?』

 

 答えるまでの間だったり、その声音を聞いて不機嫌と捉えられているらしい。一色は電話の向こうで、急に声のトーンを落としていた。

 

「⋯⋯そういうわけじゃねぇよ」

『そうですか。じゃあ今度の金曜日でいいですか?』

「いや、行かないけど」

『いいんですかねー。わたし知ってるんですよ、先輩の秘密。流石に噂になっちゃうと、まずいと思うんですけど』

 

 一色の発言に硬直すると、俺の脚の間で交互に口で奉仕してくれている二人を見た。今は雪乃が頭を上下に動かして、射精へのカウントダウンを進めている。

 俺の秘密と言えば、一番に思い当たるのはこの関係の事だ。しかし何故それを、一色が知っているのだろう。もし関係性を明かすとすれば、自立して生活ができるようになる社会人になってから、という約束していたから、二人のどちらかが伝えたとは考えられない。

 

「⋯⋯なんの事か分からんけど、脅迫かよ」

 

 そう言った瞬間、俺の肉棒を咥えていた雪乃がじゅっと思いっきり吸いついてくる。また声が出そうになって、思わずマイク部分を手で抑えた。

 

『違います。先輩に選択肢がないだけです。集合場所とか時間はまた後でラインします。それでいいですね?』

 

 ちらりと彼女たちの方を見る。電話での会話が聞こえている様子もない二人は、相変わらず弄ぶかのように俺の肉棒を刺激し続けている。何にしても、断る方が碌(ろく)な事にならないのは明白だった。

 

「⋯⋯わかった」

『では金曜日、よろしくお願いしますね』

 

 電話を切ると、力無くベッドの上に携帯電話を放り出した。眼下で変わるがわる俺のペニスを咥えては口での愛撫に興じている彼女たちは、通話が終わってもその行為をやめる事はない。

 

「お前らなぁ⋯⋯」

「んっ、は、ん⋯⋯。あら、凄く喜んでいたみたいだけど?」

 

 俺のペニスから口を離すと、雪乃は試すかのような笑みでこちらを見てくる。⋯⋯まあ、下半身が喜んでいたのは一切否定できない。

 

「さっきの電話は、誰から?」

「一色からだ。なんか相談したい事があるとかでな」

 

 答える声の間に、じゅぷじゅぷといやらしい水音が混じる。結衣は以前雪乃が教えた通りにペニスに吸い付きながら、俺の方を見ていた。

 

「つまり恋人たちを差し置いて、二人で出かけると」

「ん、はぁ⋯⋯。ヒッキー、本当いろはちゃんに甘いよね」

「⋯⋯申し開きのしようもございません」

 

 がっくりと項垂れると結衣はもう一度俺の肉棒を咥え込み、初めての時に比べたら圧倒的に巧くなった舌使いでガチガチになったものを愛撫してくれる。

 しかしこれは、致し方ない部分もあるのだ。何らかの手段で一色が俺たちの事を知ったとしても、まさか本気で周囲に言いふらしたりはしないだろうが、事実を確かめる必要がある。ひょっとしたら全然別の事を指している可能性もあるが、それを確かめる為には言われた通りにするしかない。

 

「八幡」

 

 呼ばれて振り返ると、いつの間にか雪乃は俺の肩に手をかけ顔を近づけてきていた。

 

「行ってもいいけれど、浮気は駄目よ」

 

 白魚のような指がつっと頬を撫でたかと思うと、唇を奪われる。数秒の後に顔は離れていき、間近で浮かべられた艶やかな笑みにどきっとした。規格外の美人がそんな風に笑うのは、反則だ。

 

「結衣」

 

 代わって、と言う代わりに、また俺の脚の間に入った雪乃は結衣の頬にキスをした。ちゅぱっ、と結衣が俺の肉棒から口を離すと、すぐさま雪乃が奥まで咥え込む。

 

「んっ、ふ、ぁ、んっ、んぅっ⋯⋯」

「う、あぁぁ⋯⋯」

 

 雪乃は口を窄めて強烈にバキュームしながら、顔を前後に動かす。俺を射精に誘(いざな)う為だけの、ただただ強烈なフェラチオ。

 

「ね、どこに出したい?」

 

 そう訊いて見上げてくる結衣と激しい口淫を続ける雪乃を見ていると、歪んだ情動が抑えきれなくなってくる。

 

「は、あぁ⋯⋯。顔に、かけていいか?」

「うん。⋯⋯ヒッキー、顔に出すの好きだね」

 

 こういう願いを口にするのは、未だに躊躇いがある。それでも結衣は仕方ないなあと笑い、雪乃はペニスを咥え込んだまま俺を見上げ、こくっと小さく頷いた。

 

「んぅっ、ん、はぁ⋯⋯。もう出そうなのよね?」

「ああ⋯⋯」

 

 雪乃が肉棒から口を離すと、俺はそう答えてベッドから立ち上がった。彼女たちの眼前に勃起し切ったものを差し出し、ぶるんっと大きく脈打たせる。

 

「あはは⋯⋯。やっぱり、すごい硬くなってる」

「射精する直前が、一番大きいのよね」

 

 結衣が肉竿を握り込んでしごきだすと、雪乃はきゅんと上がってきている睾丸を指で転がしてくる。びくびくと今にも発射しそうになっているペニスの向こうに、射精を待つ綺麗な顔が二つ。こんなの我慢できる方がおかしい。

 

「は、あぁ、う、ぁ⋯⋯。出る、あ、イッ、くっ!」

「ふふっ。⋯⋯いいわよ。出しなさい」

「うん⋯⋯いいよ。いっぱい出して⋯⋯あ♡」

 

 雪乃と結衣に許された瞬間、俺の肉棒が大きく膨らんだ気がした。二人の手で愛撫されながら限界を迎えると、俺はビュービューと勢いよく射精する。結衣の形のいい鼻に、雪乃の桜色の唇に、結衣の上気した頬に、雪乃の濡れ羽色の前髪に、数日の間溜め込んだ濃厚な白濁液をぶちまけていく。

 

「あぁ⋯⋯♡ 熱い⋯⋯」

「う、わぁ⋯⋯。すご⋯⋯♡」

「うぁ、あぁぁ⋯⋯。まだ、出るぞ⋯⋯っ」

 

 顔射されてどこか恍惚とした表情を浮かべる彼女たちからペニスを引き受けると、シコシコとしごきながら射精を続けた。雪乃のおでこにペニスの先を擦り付けながらびゅっと放出した後、結衣の頬に鈴口をくっつけて精子を発射する。まるで彼女たちの顔に精液を塗り込むかのような行為に、ばっくんばっくんと心臓の高鳴りが止まらない。

 

「ん⋯⋯♡ 顔に出す時は、本当に量が多いわね」

「うん⋯⋯♡ ヒッキー出しすぎだから。目、開けられないよ」

 

 結衣がそう言うと、かろうじて片目だけ精液のかけられていなかった雪乃が結衣の瞼にかけられたザーメンを舐めとった。目が開けられるようになると、結衣もお返しとばかりに雪乃の鼻にかかった白濁を舐め上げる。猫が毛繕いでもし合うかのように、顔中精液まみれになった雪乃と結衣は互いの顔を舐め合っていく──。

 

「さあ、八幡」

「うん⋯⋯。きて、ヒッキー」

 

 今日、俺はあと何回出せば彼女たちを満足させられるのだろう。先に満足するのは、俺と彼女たちのどちらなのか。

 そんな事を考えながら二人に導かれ、俺はベッドに上がるのだった。

 

 

       *       *       *

 

 

「かんぱ〜い!」

 

 一色の掛け声と共に、ジョッキがぶつかり合う。彼女はゴクゴクと泡立つ黄金色を飲むと、ぷはっと息を吐いた。とてもおっさん臭い。あとなんでこいつ、他の人間がいる時は甘ったるい酒ばっかり飲んでいるのに、俺と二人だとビールなのだろう。

 

「あんま飛ばすなよ」

 

 一気にジョッキの半分ほどまで飲んだ一色を嗜めると、俺はちびりと烏龍茶を飲んだ。飲みに行きましょう、と誘われても、流石に俺まで飲む気にはなれなかった。酒が原因──と言ってしまうのは言い訳がましいが、結衣と浮気した原因を考えると当然の選択だと思う。たまたまそれが着地点を得たからと言って、繰り返すわけにはいかなかった。

 

「大丈夫ですよ、このぐらい」

 

 肩口にフリルのついたブラウスに、膝丈のスカート。女子大生然とした出立ちの一色は、テーブルに肘をつくとくすりと俺に笑いかける。

 一色が堂々と酒を飲めるようになって暫く経つが、ここまで妖艶な表情を浮かべる彼女は初めて見たかも知れない。

 

「この前みたいにずっと背負っていくのは勘弁だからな。いくら軽くてもしんどいわ」

「あー、そんな事もありましたねぇ。先輩の背中、思ってたより大きくてドキッとしちゃいました」

 

 最後に一色と飲んだ日の事を思い出しているのか、彼女は悪びれもせずにそう言った。一色の誕生日の事だ。どこぞの居酒屋で雪乃と結衣、俺と一色の四人でささやかな誕生日会を開くと、一色は勝手に飲んで勝手に潰れていた。いや俺たちも強く止めれば良かったと、反省すべき点は多々あるが。

 

「で、先輩は飲まないんですか?」

「ああ、なんとなくな」

 

 そんな適当な答えを口にすると、ふっと一色は笑った。まるで全てを見透かされているみたいで、なんとも落ち着かない。

 気を紛らわすようにお通しに箸をつけると、お待たせしましたと料理が運び込まれる。

 

「そうですか。まあわたしは飲みますけど」

 

 一色はそう言って届いた鮭皮チップスを一枚食べると、またビールを呷(あお)った。つまみのチョイスすらおっさん臭いけど、これが彼女の素なのだろう。あざとい彼女もそれはそれで癖になるが、取り繕わない姿こそ一番癖になる。

 

「で。相談したい事って、なんだよ」

「まあ先輩、そんなに急かさなくてもいいじゃないですか。折角二人きりで飲んでるんですよ?」

 

 嬉しくないんですか? とでも言いそうな表情を浮かべる彼女は、高校時代とは比べ物にならないほど男を惑わす魅力に満ちていた。薄らとひかれたルージュに、顔全体を包み込むナチュラルメイク。長い睫毛が揺れるたびに、愛想でも振りまくみたいだった。

 

「最近ゆっくり話す機会もなかったですし、まずはお互いの近況でも話しましょうよ」

「いいけど⋯⋯。一色の方は何かあったのか?」

 

 ついこの間、学食で一緒に飯を食ったはずだが⋯⋯それだけではゆっくり話すという事にはならないらしい。こちらに矛先が向かないようにそう問い掛けると、一色はえっへんと胸を張って答える。

 

「はい。入学してからなんともう十人に告白されてしまいました!」

「あ、そう⋯⋯」

 

 確かにこの子、可愛いもんね⋯⋯と深く納得してしまう。最近はその可愛さの中にも大人女子的な美麗さも加わってきているもんだから性質(たち)が悪い。世の男たちが惑わされるのも無理はないと思うが、同情してしまう。この子基本的に、世界一可愛いクソ女だからね⋯⋯。

 

「ほーんと、堪んないんですけどね。⋯⋯ゼミの中の居心地悪くなっちゃって」

 

 一色は笑顔を引っ込めると、はぁと深い溜め息をついた。こいつ絶対サークルクラッシャーになるだろと思っていたら、ゼミクラッシャーになっていましたか。

 

「そろそろ本気で彼氏が欲しいなぁ、と思うんですけど、中々いい人がいないんですよねぇ」

 

 含みを持たせた言い方に、試すような流し目。思わずどきりとしてしまって、誤魔化すように烏龍茶を飲んだ。

 

「だから、先輩。わたしと付き合いませんか?」

 

 言われた瞬間、ぶほっと烏龍茶を噴き出した。こいつ、もう酔ってるのか?

 

「あのさぁ⋯⋯。俺に彼女いるの知ってるよね?」

「ええ勿論。でも彼女が一人だけって決まりもないですよね?」

 

 確信に満ちた視線が、俺の目を縫いとめる。え、待って。こいつ、どこまで知ってるの?

 この前の電話で一色は、俺の秘密を知っていると言った。噂になると困りますよね? とも。ここまで条件が揃ってしまうとは、非常にまずい状況だ。駄目だこいつ、早くなんとかしないと──。

 

「いつから結衣先輩と付き合ってるんですか?」

 

 その発言に、身体は完全に硬直する。

 何故一色は、知っているんだろうか。記憶を辿ってみたけれど、当然彼女に伝えた事もなければ恋人らしい雰囲気も出した覚えはない。それなのに一色の言葉は確信に満ちていて、逸らす事を許されない視線は捕食者のそれだ。

 

「⋯⋯何でそうなるんだよ」

「あ、否定しないんですね。肝心なところで嘘つけないの、本当に先輩らしいです」

 

 うふふ、といい笑顔を向けられて、俺は鎌をかけられた事に気付いた。

 こいつ⋯⋯凄いな。おくびにも出さなかったはずの事を敏感に察知し、大女優も顔負けの名演技で相手の仮面を突き崩す。その手腕たるや陽乃さんに匹敵するんじゃないだろうか。一色は妙にあの人に懐いていた、というか羨望の眼差しを向けていたところがあるし、これは厄介な事になった。

 

「⋯⋯」

「いや黙らないでくださいよ」

 

 急に黙り込んでしまった俺に、一色は若干引いていた。どうやら相当深刻な表情を浮かべているらしい。

 嘘をついて、はぐらかす事は簡単だ。もしこれがどうでもいい事なら、すぐにそうしている事だろう。

 けれど結衣は、違う。

 どうでもいいはずなんてなくて、彼女の想い以上に俺は真摯に応えなければならない。この場に結衣がいなくても、付き合っていないなんて嘘はどうやっても言えそうになかった。嘘をつく相手がどうでもいい人間じゃないなら、尚更だ。

 

「別に誰かに言ったりはしませんから」

 

 ふと急に優しい笑みを作ると、一色はその表情に一滴だけ寂しさを混ぜた。そんな顔をされたら、余計に嘘なんてつけなくなる。

 俺が答えてしまえば、雪乃と結衣との約束を反故にする事になるだろう。それでもここで一色に嘘をつく事は、できなかった。

 

「⋯⋯どうして分かったんだ?」

 

 ようやく出てきた言葉は、取り違えようのない肯定だった。

 一色は少しだけ目を開くと、ふふっと小さく笑ってから語り始める。

 

「そりゃ、分かりますって。先輩たち、妙に近いですし。雪乃先輩も最近妙に上機嫌なんて話を聞いたら、ひょっとしてって思いますよ。まあそのひょっとしてが本当だったっていうのは、今でも信じられないですけど」

 

 そう言うと一色はまたぐいっとビールを呷(あお)った。

 以前から妙に鋭いところはあったが、ここまでとはこっちだって驚きだ。妙に近い、と指摘されても、その近さに慣れてしまったものだから、一体どの事を指しているのかよく分からなかった。流石に人前でベタベタなんかは、していないはずだが。

 

「ということで、先輩」

 

 ダン、と空になったジョッキを机に置くと、ほのかに頬を赤させながら一色は俺を見詰めてくる。そう言えばさっきから、妙にペースが早い。下戸と言っていいぐらい酒に弱い一色にしては、相当なハイペースだった。

 

「わたしとも付き合って下さい」

 

 その台詞はあくまで軽やかに、しかし聞き逃す事は許さないと言うようにはっきりと。

 一色はまるで言いこと思いついたから聞いて下さいよとでも言うみたいなテンションで、俺に告白していた。

 

「いや、付き合わないけど⋯⋯」

「なんでですかー。二股はよくて三股は駄目なんですかー?」

「そもそも二股だっていいわけねぇだろ⋯⋯」

 

 まったく、冗談なんだか本気なんだか分からないトーンで話すものだからどきっとする。

 そもそも俺たちの関係は、雪乃と結衣の関係性があったからこそ成り立った関係だ。一色だってそこいらの連中よりは二人と仲が深いとは言えるが、雪乃と結衣のようにぶつかりあって絆を深めた経験もないだろう。一色が果たしてその間に入れるのかと言えば──いや、そう言えばこいつ普通に入ってきてたな。一色いろは、恐ろしい子⋯⋯。

 

「そりゃ普通は相手を一人占めにしたいって思うでしょうけど。わたし、そんなに独占欲強くないので大丈夫ですよ?」

 

 いやなんで君が良ければオッケーになってるの?

 素面で相手にするのもキツいなと思いつつ、一色の真意を探ろうとその目を見る。そこまで酔ってはいないようだが、瞳の奥が割と本気だった。絡み合った視線にこれは好機と、一色は僅かに顔を俯かせる。上目遣いで見詰められると、目が離せなくなってしまう。

 

「だからお付き合い、してくれませんか?」

 

 甘えるようでいて懇願するような、男から否定を取り上げる声音。心なしか潤んだ瞳は小動物を思わせ、庇護欲をそそる。こんな風に告白されて、断れる男などいるのだろうか?

 

 ⋯⋯まあ、ここにいるんだけど。

 

「しません」

「えぇ⋯⋯断るの早⋯⋯。もうちょっと考えて下さいよ〜」

 

 一色の手練手管は、もはや俺にとって既知のもの。俺の一色耐性を舐めて貰っては困る。彼女は俺の断言にへにょんと身体から力を抜くと、気怠そうに机に肘をついた。

 

「じゃあどうしたら付き合ってくれるんです? 二人の許可があればいいんですか?」

「⋯⋯おい。それマジで言ってないよな?」

「さて、どうでしょう?」

 

 うふふ、と意味深な笑いに戦慄が走る。

 仮に彼女たちがそれを許したら、どうなるのだろう。

 一色が俺と雪乃、あるいは結衣とのやり取りに茶々を入れて、あるいは二人の嫉妬心を焚き付けるような事をして、振り回される未来しか見えない。リアルに想像できてしまうのが本当に怖い。

 

「でもまずは先輩の意思を訊くのが筋ってもんですからね。で、実際どうなんです? もし雪乃先輩とも結衣先輩とも知り合ってなかったとしたら、わたしの告白受けてましたか?」

 

 一色の言葉に、またも考えされられる。

 正直、雪乃とも結衣とも出会わなかった自分というのを上手く想像できない。結衣が支えてくれて、雪乃が正してくれて、ようやく今の俺の像が出来上がる。そんな風に思えるほど、彼女たちは俺に密接していたからだ。

 もしも俺に誰か意中の人がいる訳でも無く、あざとくも可愛い後輩がいたら──まあ間違いなく惚れていただろう。一色の手のひらでコロコロ転がされる自分が見えた。我ながらチョロ過ぎる。

 

「そもそもあの二人がいなけりゃ、一色が俺に興味持つ事がないだろ」

「そうですかねー。わたし、先輩のいいところいっぱい知ってますよ?」

「ほーん⋯⋯。例えば?」

「⋯⋯⋯⋯」

「いや、そこで黙り込むなよ⋯⋯」

 

 いっぱいあるだろ。目が腐ってるとか、口を開けば自虐しか言わないとか、基本的にネガティブとか。駄目だ俺も自分のいいところ分かってなかった。

 

「まあ、冗談はさて置き。っていうか先輩、話逸らしてますよね? もし純粋にわたしとだけ出会ってたら、付き合いたいって思ってくれますか?」

 

 急に真面目ぶった口調になって、誤魔化すなんて逃げ道を塞がれる。今日の一色は、追い込み方が容赦ない。

 

「⋯⋯思ってるんじゃねぇの。多分だけど」

 

 答えなんて、もう決まっていた。

 あざといなんて分かっていても、ひょっとしたら騙されているのかもなんて思いながら、ここまでぐいぐい来られてしまったらコロッといっていただろう。

 

「それってもう、わたしのこと好きって言ってるのと一緒ですよね?」

「いや、なんでそうなるんだよ」

「だって先輩は雪乃先輩も好きで、結衣先輩も好きってことは、一人しか愛することができない、ってこともない訳です。これはさっきの話から『わたしとだけ出会っていたら』という条件を消しても問題ないってことですよ」

 

 一色の話はトンデモ理論だったが、妙にその語り方に聞き覚えがある。⋯⋯というか、言い覚えがある。俺の詭弁論法そのまんまじゃねぇか。

 

「お前、その頭の回転の速さを勉強に使えよ⋯⋯」

「む。失礼ですねー。ちゃんと先輩と同じ大学に入ったじゃないですか」

 

 先生にも無理だなんて言われながら頑張ったんですからね、なんて愚痴を溢しながら、一色はまたぐいとジョッキを傾けた。

 一色の事を、好きかどうか。

 彼女の近くにいて、彼女の本質を知って、嫌う人間なんて居るだろうか。

 

「っていうか先輩。また話逸らそうとしましたね?」

 

 一色はジト目で俺を睨みながら、少しだけ外に跳ねた髪を揺らす。

 

 一色いろはは、クセになる。

 

 そんな簡単な事に気付かない俺ではないのだから、これ以上考えては駄目なのだ。

 

 

       *       *       *

 

 

「うぅ〜⋯⋯」

「またかよ⋯⋯」

 

 人気のない住宅街の道で、わたしは先輩におんぶされていた。

 あれから先輩が止めるのを無視して、わたしは更にビールを五杯も飲んだ。店を出たところまではよかったけど、帰り道の途中でついに歩けなくなったのだ。少し前の、わたしと誕生日会と全く同じだ。なんでお酒に強くない、というか弱いぐらいなのに、どうしてあんな飲み方したんだか。一緒にお酒が飲めることが嬉しくて、なんて言い訳をしたら、先輩は喜んでくれるんだろうか。

 

「ごめんなさい⋯⋯。でも先輩におんぶして貰うのすっごい気分いいです」

「そんな妙に素直に言われてもなぁ⋯⋯」

 

 ふっとついた溜め息が妙に優しくて、背中は広くて温かい。

 ふと見上げた先には街灯だけが煌々と明るくて、真っ黒な空に瞬く星は僅かしかない。意識しなければ見つけられないその星々は、きっとわたしだった。

 雪乃先輩は言うなれば月だった。たおやかで、ずっとそばにいて、優しいけどちょっと怖い。

 結衣先輩は言うなれば太陽だった。とにかく明るくて、やっぱりずっとそばにいて、曇り空に泣く時もあった。

 二人が月と太陽なら、わたしはその間で瞬く星だ。だからせめて一番星になって、キラリと他のどの星よりも光って、ふと手を伸ばしてくれたらいいななんて、そんな風に思っていた。

 けどもう待っているなんて考えない。だから行動を起こした。強引でも誘い出し、逃げも隠れもできないところで思いの丈もぶつけた。お酒の力を借りたのは、ちょっと失敗だった。適当にあしらってもいい雰囲気を作ってしまっていたかも知れない。

 そしてその結果が、これだ。

 可愛くてちょっと面倒くさい後輩が、ただの面倒な女の子になって、挙句にお世話までして貰っている。

 それでもやっぱり、ちょっとだけ気分がいい。今だけは先輩を一人占めできる。歩けないからって言い訳で、くっついていられる。

 

「⋯⋯先輩」

「ん?」

 

 僅かに振り返って、昔に比べたら澱みのなくなった目がちらりとわたしを見る。

 最初この目を見た時、顔には出さなかったけど、ちょっとヤバい人かもって思った。そうして付き合いが続いていくうちに、予想していたよりずっとヤバい人だと分かった。

 いつの間にかわたしの心の中に住み着いていて、いつの間にか部屋をグチャグチャにされて。なんでこんなに本気になってしまうのか、ちっとも分からない。振り回されるなんてわたしらしくないし、ちょっと悔しい。

 

 だけど。

 

 ただ一つ、分かっていることは──。

 

「大好きです」

 

 靴底がアスファルトに擦られる音が、一拍だけずれる。わたしは震えを隠すように、ぎゅっと先輩の首に腕をまわす。

 お酒がぐるぐると全身をまわって、頭が痛い。心臓はさっきからずっとうるさい。答えを聞くのが──すごく怖い。

 

 走馬灯みたいに、先輩と過ごした日々が頭の中を駆けていく。

 はぁ、と呆れたような溜め息をつく口。詰め寄られ、うっと言葉に詰まる喉。ぐっと来ているのか、心無しか生気の宿った目。時折見せる、真剣な表情。

 そのどれもが、わたしだけに向けられた、大切な宝物だった。そんな思い出が、言葉が、もっと欲しい。諦めなくていいのは、女の子の特権だから。

 

「一色」

 

 包み込むような、優しい声音だった。

 先輩は真っ直ぐ前だけを見て、歩き続ける。五秒、十秒と時間だけが経って、ひょっとしたらもう何も言ってくれないんじゃないかって、不安になってくる。

 きっと何も言ってくれなくても、きっと受け取る答えに違いなんてない。さっきまでのやり取りで、もう痛いぐらいに分かったから。

 

 わたしは月にも太陽にも、一番星にもなれなかった。

 たったそれだけの話。

 結末はもう、変わらない。

 

「ありがとうな」

 

 そうして、ぽつりと呟きが聞こえて。

 わたしの恋は終わったんだと、ようやく認める事ができた。

 

 

 

 

 △ ▽ △ ▽ △

 

 

 

 

「うぅ〜⋯⋯」

「またかよ⋯⋯」

「ごめんなさい⋯⋯。でも先輩におんぶして貰うのすっごい気分いいです」

「そんな妙に素直に言われてもなぁ⋯⋯」

 

 一色をおんぶしながら、少しだけ久しぶりの道を歩いていた。

 背中の彼女がふと、少しだけ身を起こして天を仰ぐ。つられて俺も夜空を見上げると、僅かに星が瞬いているのが見えた。

 東京は、とにかく星が見えにくい。千葉も大概だと思っていたが、東京ほど天体観測に不向きな土地柄もないと思う。

 一色はそんな夜空を見て、何を思ったのだろうか。暫く身を離して夜空を見ていたかと思うと、そっとその身体の温かさが背中に戻ってくる。柔らかな彼女の身体は、遠慮も何もなしにくっついてくる。

 彼女のアパートに近付く度に人気(ひとけ)が少なくなっていき、少しだけほっとする。一色とてご近所さまから目付きの腐った男が送り狼になっていたとか、お持ち帰りしていたなんて言われたらたまったものじゃないだろう。

 

「先輩」

「ん?」

 

 不意に神妙な声で呼ばれて、少しだけ顔を振り向かせる。視界の端に映る彼女に上手く焦点が合わず、その表情は読み取れない。

 はぁ、と少しだけ緊張したような声が漏れる。耳元で吐かれた息は妙に悩めかしく、常の彼女からは想像もできないぐらいに重い吐息だった。

 それっきり、彼女は口を開く事はない。だから俺は首筋に吹きかけられる吐息を気にしないように、微かに伝わってくる震えに気付かない振りをして、足を送り出し続ける。

 

「大好きです」

 

 その一言に、身体中の全ての動きが、一瞬止まった。

 平静を装って歩きながら、頭の中を木霊する言葉を噛み締める。

 

 付き合ってくださいとか、わたしの事好きですよねとか、そんな似たような事は今日何度目も聞いた。けれど直裁に好意を伝える言葉は、初めてだった。

 ひたすらに真摯な声が、背中から伝わる戦慄(わなな)きが、彼女の本気を伝えてくる。

 ──今日は飲み過ぎだな。

 そんな台詞を思い浮かべて、しかしそれは漆黒の空に溶けて消えた。一色の本気の告白を、茶化して有耶無耶に出来るはずなんてなかった。

 

「一色」

 

 呼び慣れた名前を殊更に、丁寧に呼ぶ。

 一色の気持ちは素直に嬉しくて、そして申し訳ない気持ちになる。

 心に決めた人がいる。それが最近、二人に増えたのだ。それが三人になっても一緒だと彼女は言うけれど、やはり違うと思う。

 

 一色いろはは、素敵な女の子だ。

 世界一可愛い、真面目で優しい女の子だ。

 

 俺と共にある事が本当に彼女の幸せに繋がるのか、正直言って自信はない。そんな事を言うと彼女たちにまた怒られそうだが、やはりそう思う。

 一色の事が大切だから、まだなんとかなると思うから、彼女が後ろ指を指される事なく幸せになる道を諦めて欲しくない。

 けれどごめんと謝るのは、違う気がした。だからこう言うのが、正しいのだと思う。

 

「ありがとうな」

 

 俺の事、ちゃんと見てくれて。嘘偽りない気持ちを、ぶつけてくれて。

 息を吸い込む音が聞こえて、僅かな時間の後。静謐とした時間の中に、押しつぶされたような嗚咽が聞こえてくる。震えながら吐き出される息が、それっきり途切れた会話が、俺の不甲斐なさを責めるようだった。

 

 一色のアパートに着くと、彼女を背負ったまま階段を上る。カンカンと外階段が無機質な音を刻み、まるで終わりの時へのカウントダウンを進めるみたいだった。

 

「ここまででいいか?」

「⋯⋯はい」

 

 一色を背中から下ろすと、少しだけよろけながらも立つ事はできるようだった。しかしいざ彼女に向き合って見ると、やはりその表情は暗い。

 一色の告白への答えがあれでよかったのかどうか、分からない。

 けれど俺からかけられる言葉は、もう何もなかった。慰めも、引っ込めたごめんという言葉も、彼女の癒しになりはしない。

 

 だから後はもう、帰るだけ。

 それだけなのに、それができない。

 

「わたし、先輩のことずっと見てました」

 

 一色は部屋の扉に背中を預けたまま、俺の胸の辺りを見ながら言った。どこか遠くから車の走る音が聞こえる。隣家の開け放たれた窓から、ガヤ芸人のダミ声が漏れていた。

 

「気付いたら先輩のことを追って、大学まで同じところ選んでました」

「⋯⋯ああ」

「そのぐらい、好きだったんですよ。ちょっと自分でも、認めたくないぐらい」

「⋯⋯うん」

「結局、責任取って貰えないままでした」

 

 そこまで言って、一色は顔を上げる。俺を見詰めてくる双眸(そうぼう)には、はっきりと涙の跡があった。その表情は俺を責める訳でもなく、ただ静かな悲しみだけが滲んでいる。

 

「正直、結衣先輩が羨ましいです。ずっと諦めなくて、それからその恋も叶えちゃって」

 

 そう言って力無く笑う一色に、ずきんと心の真ん中が痛む。訥々と語る姿は、普段の一色とは一線を画していた。

 こんな彼女は初めて見る。全部諦めたみたいに笑って、ありとあらゆる理(ことわり)に嫌気がさしたみたいに視線を落とす。

 

「けどわたしは、結局そこには入って行けないんです」

 

 その言葉が、身震いするほどの事実を俺に突きつける。

 彼女は、かつての俺だった。

 求め焦がれ、何度も傷付いて──そうやって全てを諦めていく。一人で大丈夫だと嘯いて信じ込んで、やがて孤独が当たり前になって、正直な気持ちを灰塵に帰していく。

 

 まただ。

 また俺はまちがえて、酷い思い違いをしていた。

 

 彼女に普通の幸せを諦めて欲しくないなんて、俺の押し付けもいいところだ。そこに行きたい。その場所の温かさを知りたい。そんな彼女の願いを無視した、痛いほど身勝手な、祈りに似た紛い物だ。

 

「先輩」

 

 そう言って一色が目を瞬いた瞬間、頬を雫が転がり落ちた。

 

「今までありが──」

 

 一色が言い終わる前に、その身体を抱き締める。こんな終わり方は、認められない。終わってしまう事を、許してしまいたくない。

 

「一色」

 

 俺の腕の中で、彼女の小さな身体が震えていた。

 こうする事が正しいのかどうか分からない。そうする事は駄目だと釘を刺されたというのに、突き動かす情動は大きくなるばかりで、止められない。

 次に口にする言葉を知ったら、彼女たちはなんて言うだろう。呆れるだろうか。それとも本気で愛想を尽かされるだろうか。そして目の前の女の子は、なんと答えるだろう──。

 

 

「俺と浮気してくれ」

 

 

 俺の腕の中にすっぽりと収まりながら。

 一色は俺の身体を抱き返すと、ただ身体を震わせていた。

 

 

 

 

 

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