常識なんて、幻想でしかない。
そう語ったのは、小学生の頃に見たテレビの中の誰かだった。
常識は普遍的な真理ではなく、時代、土地、家庭、集団によって変わる仮の基準にすぎないのだとか、そういうのだ。
それを聞いた時に俺は、「自分が正しいと思うことを他人に押しつけず、目の前の事実をもとに自らの頭で考えろ」と言われたように感じて、強く同意したものだ。
すでにはみ出しものだった俺に、酷くフィットした言葉だったということもある。故に俺は、それから常識や固定観念を疑うことを覚えたのだと思う。
つまり、何が言いたいかと言うと。
「せんぱーい? どうしたんですか? 難しい顔して」
もしも俺たちがおかしいというのであれば、その常識を疑うべきだ、という話である。
とあるカフェのその一角で、恋人である一色いろはは俺の顔を覗き込んでいた。白いその手には、パフェのクリームといちごをのせたスプーンがある。
「はい。なんか変な顔してる先輩にお裾わけです」
「変な顔って⋯⋯、むぐっ!」
半開きになっていた口にスプーンを突っ込まれ、思わず変な声を出してしまう。
それを見てため息をついたのは、俺の向かい座っていた雪ノ下雪乃だった。
「また何か、面倒くさいことを考えていそうな顔ね」
「あはは⋯⋯。面倒くさいって」
そのあんまりな言い草に苦笑を漏らしたのは、雪乃の隣に座った結衣だった。
もう説明するまでもないと思うが。
二人も俺の恋人だ。この関係性を雑に、語弊を恐れることなく表現するなら、公然とした三股、ということである。であるじゃねぇよって感じだが、これは紛れもない事実だった。
「せっかく先輩の誕生日に、みんなでお出かけしてるんですよ? もうちょっと楽しそうにしてください」
「楽しみを強要される誕生日って何なんだろうなぁ⋯⋯」
俺がこんなよそよそしい感じになってしまうのは、三人が注目を集めすぎてしまうからだ。
大学生になって美しさと可愛さに磨きをかけた三人が揃っているだけで、自然と衆目を集めてしまう。そこにきて男が俺だけという特殊な状況のせいで、嫉妬と羨望の目が痛い。そういう視線に晒されるたびに、俺は世間でいう常識とは大きくかけ離れたことをしていると実感するのだ。
「ところでいろは? あなたばかり、八幡にかまっている気がするのだけど」
「えー。それは雪乃さんがタルトなんて、食べさせにくいもの頼むからじゃないですか?」
ニッコリと笑いながら釘を刺す雪乃に、負けじと笑みで応えるいろは。
こんな呼び名で呼び合う間柄になっても、あまりやりとりは変わっていない気がする。っていうか俺、祝われる立場なのに肩身狭すぎでは? あとそれを見てアワアワする結衣は、可愛すぎるからちょっと控えてくださいね!
「そもそもあまり外でだな⋯⋯むぐっ!」
あからさまなイチャつきは誰ぞからの瞬発的な敵意を生んでしまうというのに、いろはは止めるどころか続けてスプーンを突っ込んでくる。
いやもう、こういうの慣れたけどね? 慣れたくなかったなぁ⋯⋯。
「八幡も、いろはに甘すぎるのよね」
「まあ、それは前からだしね」
結衣のフォローするつもりがあるのかないのか分からない言葉に、雪乃は額に手をやり頭イターのポーズを取る。
彼女たちは気にしてもいないが、あーんされているこっちも相当恥ずかしいんですよ? 特に外でとなると、いつまで経っても慣れない。
「さて、そろそろ行きますか」
目の前のパフェやらタルトやらが無くなったところで、いろははそう言った。
今日は一応、俺の誕生日を祝うためのお出かけ、ということになっている。しかしどこに行くとかは知らされておらず、今のところ行き当たりばったりに過ごしているように見えた。
「次はどこに行くんだ?」
「ふっふっふ」
「それは着いてからのお楽しみね」
しかし実は計画があったのか、結衣と雪乃は連携よくそう答えた。まあ結衣といろははともかく、雪乃がノープランというのも考えにくい話か。
俺たちはカフェを出ると、駅に向かって電車に乗った。そこから数駅、山手線に揺られて着いた先は──。
「わー、ここも外国人の観光客多いですねー」
俺たちが駅を出て立っているのは、建て替えられて幾らかの時間が経ったラジオ会館の前。そう、秋葉原である。
ちなみに向かいにあるアトレは青い背表紙のライトノベル原作のアニメともよくコラボレーションしている。って、それはともかく。
「なんで秋葉原⋯⋯?」
彼女たちにしてはチョイスが謎すぎて、さっぱり分からない。
それに三人の格好たるや、完全に原宿か渋谷のような若者の街に溶け込むファッション。ここでは浮いてしまうほど、彼女たちの出で立ちは洗練されている。秋葉原に似合う格好と言ったら、メイド服かゴスロリだからな(偏見)。
「えっと、こっちでいいんだっけ?」
「はい。わたしが案内します」
どうやらこの行き先を決めたのはいろはだったらしい。連れ立って歩きながら、俺はいろはに問いかける。
「なあ、ここで何するんだ?」
「何って、先輩への誕生日プレゼントを買うんですけど?」
当たり前じゃないですか、みたいな調子で言われてしまったが、俺はアニメグッズやら電子パーツを欲しがった記憶はない。いや誕生日にトランジスタとか貰っても困るんだけど。
マジで意味が分からん、と思いながら歩くと、いろはは「ここです」と言って店に入った。明らかにアダルトな雰囲気の、その店に。
「⋯⋯マジか」
「そこで立ち止まっている方が恥ずかしいわよ」
雪乃は思わずためらってしまった俺の腕を掴むと、店に引っ張り入れてくる。若干俯いているあたり、雪乃も多少は恥ずかしいらしい。
「うわ、すご⋯⋯」
そこには大人のデパート、と掲げられた看板に相応しい商品が、所狭しと並んでいた。つまり人工的な穴とか、ブルブル震える棒とか、そういうものが。
ちょっといろはす〜? と彼女の方を見ると、それらの商品には目もくれずに階段に向かう。
「こっちは後ですよ。目的の場所は上の階です」
あ、ここも後で見るんですね⋯⋯。なんて考えながらも、俺は逃げるようにその背中を追う。
こんなフロア、たとえ恋人とでも一緒に見るものじゃない。否、カップル客も多いし、正しい買い物の仕方なのだろうか? 八幡、モウワカンナイ⋯⋯。
いろはの案内に従って階段を上っていくと、やがてコスチュームフロアに着いた。どうやらここが目的地らしく、フロアを少し歩いてからいろはが振り返る。
「さあ、先輩。好きなの選んでいいですよ」
「あはは⋯⋯。恥ずかしいけど」
「私たちに着てほしいものを、ね」
その言葉に、ようやく合点がいった。
俺へのプレゼントとは、そういうことか。言ってみれば、プレゼントの包装を俺に選べと。
「なるほどな⋯⋯」
と難しげな顔をして言ってみるが、ちっとも様になっていない。何せこの場所は人間の本能と欲望に
見渡せば定番のナース服にバニーガール衣装、レースクイーン衣装にセクシーな下着なんてものもある。
それらを認めた上で、俺は──。
「各々の感覚に任せ──たっ!?」
踵を返した俺の腕を、すかさず結衣が掴んだ。そしてグイグイと、フロアの奥の方へと連れて行かれてしまう。
ちょっと由比ヶ浜さん、強引じゃありません? あと当たってるから。柔らかいのが、思いっきり。
「ねぇねぇ、これどう?」
俺の意向をまるで存在しなかったもののように扱いながら、結衣は女教師ものの衣装を指さした。
それで俺は、いつかの買い物で結衣がメガネを試着して見せてくれたのを思い出す。えっちな女教師・結衣ちゃん──アリだと思います!
「あー、うん。いいですね。良い⋯⋯」
しかしそんなテンションで肯定しようものなら全員からキモがられること必至なので、俺は控えめに同意しておいた。
それにしても、さっきからチラチラと向けられる視線が痛い。カップルだけではなく、一人で買い物に来ているオジサンとかね⋯⋯一体どういう用途で買って行かれるのでしょうね⋯⋯。
「サンタ⋯⋯は季節外れすぎるわね」
そんな俺のいたたまれなさが彼女たちに届くことはなく、雪乃はミニスカサンタの衣装を手に真剣な顔をしていた。
それはクリスマスプレゼントあたりでお願いしたいところだが⋯⋯というか、そういう問題じゃない。
「先輩、これどうですか?」
そう言っていろはが見せてきたのは、猫耳と尻尾のセットだった。うーん、チョイスがあざといですね⋯⋯。
「女装スターターセット、なんてものまであるのね」
「先輩、やってみます? 案外似合うかもしれませんよ?」
「あ、それいいね!」
「何にもよくないんだよなぁ⋯⋯」
種類が多すぎるせいで⋯⋯というか周りが気になってなかなか決まらず、フロアをうろついている間に何度もジロジロと見られてしまっている。あれこれと提案してくるが、何が正解なのかも分からない。
「ほら先輩、もうそろそろ決めてくださいよー」
そう言いながらいろはは『あぶない水着』と書かれたパッケージを押し付け。
「ヒッキーの直感で決めていいから」
結衣はチョーカーやら何やらの拘束具セットを手に迫り。
「あなたの誕生日プレゼントなのだから。ほら」
雪乃はチアガール衣装を手に若干恥ずかしそうな顔をしている。
それを見て、俺は──。
「チョイスは任せたっ」
──俺は全力で、その場を逃げ出したのだった⋯⋯。
* * *
アダルトショップを出て、十分ほどの後。
「もう。任せたって何なんですか」
「ヒッキー、流石に酷いし」
「まあ、こうなるかもとは思っていたけれど⋯⋯」
買い物袋を手にショップから出てきた三人は、それぞれ文句を口にしたり、諦めをにじませたりしながら俺の元にやってくる。
と言ってもですねぇ⋯⋯あの状況はキツすぎるでしょうよ⋯⋯。
「あれだ、プレゼントは開けるまで分からないのがいいんだろ?」
「ふーん⋯⋯」
言い訳がましくそう言うと、いろはが意味ありげにそう言った。
その手に持った買い物袋は、そういう店ということもあって何が入っているか分からないようになっている。何を買ったか気にならないではないのだが⋯⋯こんな往来で中身を聞くのも野暮だろう。
「んで、次はどうする」
早く帰ろうぜなんて言おうものなら『そんなに早く見たいんですね』と揶揄されそうだし、無難にそう言って歩き出す。すると結衣が後ろから腕を取ってきて、背後からは雪乃がクスッと笑う声が聞こえた。
「ね、ヒッキー」
ピッタリとくっついてきた結衣は、顔を上げて俺の耳元に口を近づけてくる。
そして囁くように、問いかけるのだ。
「プレゼント、早く見たくない?」
甘い蜜のように蕩けた声が、一瞬で脳をショートさせた。
結衣のその声も表情も、この後のことを想像させるには十分すぎている。
「先輩、いいんですよ?」
「うちに帰るまで、我慢できなくてもね」
追撃で誘惑のサンドイッチに見舞われ、もう他の選択肢なんて考えられなくなる。
というかこれを我慢できる男など、どこにいるのだろうか。
「⋯⋯ちょっと、寄っていきたいところできたわ」
俺がそう言うと、かわいらしくも美しい恋人たちは妖艶な笑みを交わし合う。
その姿を見て俺は、こう思うのだ。
やはり俺の誕生日プレゼントはまちがっている──と。