※この作品はR-18です。

視えている   作:アルビノ鮫

5 / 8
視えない彼女は最後まで何も視えない

 

 

 

 

 影は行冥様の後ろからぬるりと現れた。すぐ目の前にいる行冥様を一瞥もせずただ私をジッと見ていた。大きく見開かれた血走った目で、今にも殺さんとばかりに私を見ていた。

 その事に行冥様がすぐに気付き、素早く移動した後影から引き離し守るかのように私は抱き寄せられた。

 それでも未だ、腕の隙間から影が壁からどんどん出てきているのが見える。

 

 関係ないんだ、行冥様が怖くても。傍にいても、もう。

 私が一度狙いをつけた獲物だから追い詰めて弱りきった所で命を奪わないと気がすまないんだ。

 それが霊、きっと悪霊と云われる存在で根拠なのだろう。

 

 

 「……なんと、いう事だ……それ程まで……」

 

 行冥様が小さく呟いた言葉も、私の耳からすり抜けていった。

 

 

 

 

 ** 視えないまい子は最後まで何も視えない **

 

 

 

 

 「まい子」

 

 行冥様に呼ばれ、振り向こうとする前に頬を掴まれ少々強引に上を向かされる。とんでもなく離れている身長差で目線をしっかり合わせるにはそうするしかないのは解っているけれど……

 数回瞬きをして……疑問を持つ。何でまた急に?

 それも今まさにこんな、殺されそうになってる時に。いや……こんな時、だから? 

 もしやこれが何かしらの対処……?

 

 

 「私の出来る全ての事は。どう足掻いても君を傷付ける方法でしかない。すまない、すまない……」

 「ぇ……?」

 

 ポタポタと伝いこぼれ流した彼の涙が顔に落ちてくる。身長体格差で見下ろされればそうなるのは当然だし、特に問題ない。

 けれど、なぜ謝られたの?私が彼を巻き込んで、そして何に対しての涙を流させてしまったの?

 

 

 「行冥様?……どうい  」

 

 涙で潤んでいても行冥様の静かに滾るような力強い目に絡め取られ、言われた言葉の半分も理解出来ない内に強制的に口を塞がれた。

 口を、口で。

 

 

 「……!?!!」

 

 えっ、口付けを……された?されてる?……何故!?

 意味が、意図がわからなくて反射的に離れようと身を引いてしまった。なのに離れられない、距離がとれない。

 当然。行冥様の力を私ごときが微塵も動かせれる訳がない。それでも、それでもこんな。

 

 

 困惑するしかなくて何もかもわからなかった。味わった事のない未知なる大きな感覚に流されるしかなかった。

 生後すぐから出来ていた筈の呼吸のやり方を失念してしまった。なんでか酸素が足りなくて視界が明暗して堪らなくなり目を閉じる。

 

 温度のある大きな、ぬるりとしたもので埋め尽くされている。自我が無くなるような妙な感覚が。

 なにこれ。なに?なにがおきてるの。

 

 

 「ぅ……は、ふぁっ…!」

 「……ふ、…」

 

 新鮮な空気が体内に駆け巡った時、何がなんだかわからなかった。どれだけ時間が過ぎたのか、なにがどうなっているのか、何をしていたのかも。

 ただ体に力が全く入らなくて、腰砕けで後ろに倒れようとしているのを大きな腕が背を支えているのがわかっただけ。

 

 

 あれ、全力疾走したんだっけ?うん、確かにした。何かからか逃げて……いやでも、それは、今じゃなくて、今は……

 ここは?この部屋は、ここに来た理由、は。

 

 

 「すまない、苦しかったろう辛かったろう……嗚呼、南無阿弥陀仏……」

 

 目の前にいる大きな人が眉を八の字にし、涙を流していた。背を支えているのと別の大きな手が、指が下唇と顎をゆるりと撫でてきた。そのまま手の甲で自身の唇も拭っている。キラリと光ったそれは濡れて……

 

 「ぁ、ぅ……行、冥様…?」

 

 今は……ああ、そうか私は。もしや酸欠でこんなにくらくらしているの?何て言うか物凄く優しく強く蹂躙された、ような。もしかしたら軽いものだったのかもしれないけれど。

 

 苦しかった。今でも苦しい。熱い、体が兎に角……火照って熱い。顔とか頬とかじゃなく頭皮まで首筋まで熱い。

 急に鼻呼吸とか、そんな器用な事を要求するならせめて一言……

 

 けれど私は一言も発する元気が出なくてくたりと、体重そのままに彼の腕に凭れかった。行冥様なら軽く支えれるだろうから。

 

 必死に乱れた脈と呼吸を整えようと胸に手を置く。大きく何度も息を吸って、吐いて。そして数回の瞬き後に改めて行冥様を見上げれば……ギラギラと目が光っている。なに…?何を見ているの?

 

 

 ……いや、違う。違うそうじゃないだろう、私。何を混乱してるの、優しい行冥様が警戒するような存在、つまりあの影を見ているに決まっている。

 

 腕に力を入れて起き上がろうとすれば、彼はそれを素早く理解したみたい。軽く腕一本で翻され今度は彼の胸に凭れるような体勢に変えられた。

 そして行冥様の見ていた視線の先の光景を見る。考えていた通り……真っ黒の影がそこにいた。

 

 「……?」

 

 でもその様子はどうみてもおかしかった。真っ黒な霧を固めた人形のような影、それが。まるで……そう。暑い日のアイスみたいにどろどろに溶けている上、色が変わっている。あれだけ黒かったそれが向こう側が透けて見えるほど薄くなって床に染み込みかけている……?

 

 床から、あの影が出て来る。手が、目が。…でも、それだけ。

 ギョロギョロに血走っていた目は無くなってしまいそうなほどうっすらと、大きかった手も溶けて私でも捻り潰せそうなほど脆そう。

 

 ……弱って、いる?なんだろう、名作のアニメ映画でこんなのを見た事がある。まるで腐っているかのような。

 ……何が起きて、こうなったの……?

 

 

 「まい子」

 「はっ…い?」

 「本当にすまない、だが……肯定だけしてくれないか。君は、私のだと」

 「……ぇ…?」

 

 彼に凭れ抱かれた体勢で呼ばれれば、どうしても真上を見上げるような形になる。彼も真下を見るような形で、そのまま言葉を続けてきた。

 それは……何とも妙なものだった。謝罪の言葉も、その後に続いた提案も。

 

 「呑み込めないのは分かる、本当にすまない。だが一言発してくれないか。まい子は、私の……行冥の、だと」

 「………」

 

 見下ろしてくる行冥様の言葉が……本当に理解出来なかった。いや、言っている言葉の意味は何となくわかる、けれど……わからない。わかっていない。

 何でこんな事になったのかが。何でこんな事を言われて、私が言ったとて……

 

 

 ……でも。彼は、守ってくれる。約束した。彼が、そう言ったのだから。

 

 なら……何も怖くない。

 

 

 「私は、貴方のものです…」

 

 ぽつりと……そう小さく言葉に出して呟いた言葉を皮切りに、近くで金属を擦り合わせたような爆音が鳴った。

 音の衝撃に体が跳ねるようにビクリと震えた私を行冥様が優しく抱きしめてくれる。目線だけはじっと影を見つめたまま。

 

 彼の目線をなぞるよう、改めて影を見れば……まるで嘆きの言葉を叫ぶかのように、どろどろに溶けた体を何度も何度も捻るよう動かしていた。

 言葉の無い、恐らく食べる為の歯を何度も何度も強く噛み鳴らし……パシャン、とシャボン玉が割れ飽和が無くなった影は水が乾いた土壌に染み込むように溶けていった。

 

 

 ……影がいなくなり残ったのはただの壁。ただの床。

 しんとした、空間。

 

 ……た、倒した……?消えたの……?

 

 

 行冥様はふぅ、と一度大きく息を吐いた。そのまま力を抜いたのか前のめりになった行冥様の体重が少々かかってくる。……少し、重い。

 

 「……えっと、行冥様?倒せた、んですか?」

 「……"アレ"は、どうしてもまい子を自分のものにしたかった。手に入れたかった。だが私には手は出せない……だから、君を私のにした。……もう、大丈夫だ」

 「あ……ありがとうございますッ!」

 

 頭を、髪を撫でてくる大きな暖かい手のひらの熱で……やっと実感する。

 ……助かった。本当に。本当に……死ぬかと、本気で諦めるべきでないかと今日の今日まで何度も何度も思った。もう、駄目だと……!

 

 翻り、衝動のままに彼の胸に思いきり抱き付く。 

 そして……ああ、もう情けない。涙が止まらない、どれだけ泣けばいいんだろう。いつも泣いてる人の胸の中で思う事ではないかもしれないけど。

 行冥様に抱きつく手の力を緩める事が出来ない、服を濡らしても何も言わずだって慰めてくれるように頭を優しく撫でてくれるとか……本当になんて優しいのだろう……

 

 その逞しい身体にしばらく抱きついていたかった。あの影に食べられ、死んでないという証拠にこのまま彼の熱を感じていたかった。ぐりぐりと顔を押し付け、熱に触れていたかった。

 でも、それは行冥様によってあっさり離される。私の力なんか行冥様にとって爪の無い仔猫みたいなものだから当然だけど。

 

 

 行冥様は軽く私を引き離した後ベッドの上を拳を使い後ろの方へとにじり離れた。柔らかなシーツの上で正座している彼を不思議そうに見ていれば目が合い。

 

 そして彼はそのまま一寸の狂いもないような見事な土下座をした。

 

 一瞬目の前で行われている単語は頭に思い浮かべども意味がわからなくて、頭の片隅でピシリと伸びている背中は屈んでいても大きいのだなと場違いな事を考えてしまった。

 

 

 ……。……え?  

 

 「……え……ぇっ!ちょっと!?」 

 「本当に……何と声をかければ良いのか。このような形で強引に奪ってしまい、本当に申し訳ない……」

 「と、とんでもないです行冥様!頭を上げて下さい、迷惑をかけた側に対して謝罪など…!」

 

 ポロリと漏れた声がやっと意識を取り戻させ、慌てて彼に近寄り肩を掴んで止めさせようと頑張る。が、当然に微動だにもしない。ああ本当になんて強い人!

 寧ろ私こそがしなければならないのに、なぜさせてしまっているのか。愚かでしかない、彼に迷惑をかけた上こんな……!

 

 「助けて頂いたのに、助けを願った私との約束を実行してくれたそれをどうして……謝られましょうか。私は兎も角約束を守る為とはいえ、貴方こそ、その吐き気を催す程不快で無かったのですか!?」

 「……待て」

 「待ちません!」

 

 何せこれは行冥様に迷惑をかけ、優しい人ゆえに望まぬ行為と謝罪をさせているのだから。

  

 

 「だってこれは貴方に全く関係無かったのに巻き込んで、挙げ句強要したようなものなのではないですか。私は行冥様の事はとてもとても慕っていますがこのような── 「待て、落ち着きなさい」

 

 下げていた頭を上げ、シーツの上から微塵も動かなかった手がいつの間に私の肩を掴んでいた。困惑している表情を浮かべ、涙を流していた。

 

 「……ぁ、す、すみませ、ん。急に捲し立てて……」

 「それは良い、こちらこそ慌てさせるような事をした。自己満足の謝罪で……云わせてしまった。だが……その、変わらないのか?今でも、このような事をした私を……?」

 「え?……。……!!」

 

 ポロポロと涙を落としながら少しだけ首を傾げた彼と同じ方向、同じ角度で首を傾げた。変わらない?行冥様に対して、何が?

 云わせて……って、私は今何を云った?何を口走っ……

 

 

 そこまで思考して、思い出す。完全に無意識の上で心情の暴露を……告白をした事を。

 弁明をしようと口を開いて……何も言わずに閉じた。唇が震える、顔が熱い。

 

 

 ………。けれど。

 そうこんな事になるから言わなかった、だって。私のこの気持ちはもうとっくの昔に……

 

 「……気付いていたのでしょう、聡い行冥様なら」

 

 私の恋心なんて。あまりの羞恥に目線を合わせれなくて俯いたまま口を尖らせ、言葉を続けた。それに返答するように彼は小さく息を吐いた。

 

 「……もっと相応しき者が、だとか。いずれ離れる可能性があるなら、と……だが、手放せなかった」

 「貴方は優しいから私の気持ちに気付いて、例え嫌わなくても……その、遠回しに振られて、今の関係でいようということなのかと」

 「いや。いや……すまない、そうだな……互いに口に出さねばならなかった……話し合えばすぐにでも解決する単純な事だったのだろう」

 

 ポツリと呟かれた穏やかな彼の声に引かれるように目線を上げ、彼を見上げた。行冥様は何度も惹かれたその時と同じように優しい穏やかな表情を浮かべていた。

 

 

 「………今この時ではなく、改めて然るべき際に改めて云わせてもらうが、これだけ伝えたい……まい子」

 「は、はい!」

 

 「嫁いでくれるだろうか、私の元へ」

 

 涙の流れていない穏やかな瞳と絡み合った視線が、一も二もなく返事をしようとした言葉を静止した。

 返事をするのは簡単、でもそうではない。言葉が足りなかった私達の間で言葉での回答はここで私がすべき事ではない。

 それはまた改めて然るべき時にすべきだ。

 

 

 だから今はただ何も言わずに頷いて、抱き付いた。行冥様の抱き返してくれた強い腕の感触を背に感じる。

 

 ああ……こんな日があって良いんだろうか。

 

 

 霊なんて見えないけど、感情なんて何も見えないけど。幸せ。

 

 

 見なくともわかる大粒の涙を流している彼の震えが体の僅かな振動で伝わってきて、私は涙混じりに声を上げて笑った。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 「ぅうん……ホッとしたのか何だか眠くなってきました……」

 「少し寝ていくか?丁度……ぁ、いやこの連れ込み宿でこの言い方は宜しくないな。決してそういうつもりでは……」

 「連れ込み、って、ふふふ何ですその言い方。……そういう、つもりで寝てみます?」

 「!?」

 「なんて、冗談ですよ勿論」

 「……そうだろう、南無阿弥陀仏…」

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。