DANCE WITH UNDERDOGS 作:R.Higher
秋山優花里は孤独だった。
小学生の時、『わたしの好きなもの』という授業があった。
優花里は大好きな戦車について話したが、優花里の戦車史は、マークⅠが発進する前に先生に止められて終わった。
クラスの男子に癖毛をからかわれた。
悔しくて悔しくて、家に帰った優花里は父親のパンチパーマを見て「これだ」と思った。
翌日、その男子はごめんなさい、と言ったきり口をきいてくれず、クラスの誰も目を合わせてくれなくなった。
中学生になり、同級生たちの話題は変化していった。
流行りのファッション、音楽、アイドル、俳優、ドラマ、映画。
そのどれもが優花里にとっては魅力に乏しく、同級生にとっては最大の娯楽だった。
優花里は頑張って同級生に馴染もうとそれらを勉強したが、どうしても頭に入らなかった。
無数にあるT34の仕様は見分けられても、5人組アイドルのメンバーは1人も覚えられない。
優花里は同級生と話すことを諦め、同級生も優花里の存在を気にしなくなった。
いじめられているわけでもないが、友達もいない。
背景にいるモブA。
それが優花里の立ち位置になった。
両親が学園艦に店を構えているので、自然と高校は大洗女子学園になった。
この頃には、本人も自覚せざるを得ないくらい、他人とのコミュニケーションがとれなくなっていた。
登校中も、授業中も、教室移動の間も、休み時間も、ランチタイムも、放課後も。
秋山優花里は孤独だった。
転校生が来るらしいよ。
いつもどおり自分の机で、母親が持たせてくれた弁当を俯きながら食べていた時、そんな話題が耳の入った。
1年生の終わり、終業式まであと数日という冬の教室でのことだった。
どんな人が来ようと自分には関係のないことだ、と思いながらも、優花里はバレないように聞き耳を立てていた。
ーなんか戦車道で有名な人なんだって。
ーえ、うち戦車道ないじゃん。
戦車、という単語に鼓動が跳ねた。
戦車道。
戦車道で有名な選手が転校してくる。
この大洗に。
喜びで叫び出しそうなのを堪えながら、優花里は卵焼きを口に運んだ。
味はわからない。
そんなことより、明らかに上がっている広角を周囲に悟られないことが問題だった。
盗み聞きしてニヤニヤする気持ち悪いやつ。
そんな評価はさすがに御免被りたかった。
しかし喜びが抑えきれず、机の端に肘を付いて顔を伏せる。
そんな状態の優花里に、さすがに気づいた1人が、秋山さん大丈夫?と声をかけた。
優花里は声も顔も上げられず頷くと、声をかけた同級生は少し不思議そうな顔をしたが、すぐに興味を失った。
優花里が教師に尋ねると、転校生の正体はすぐにわかった。
西住みほ。
下校中、ずっとその名前を反芻した。
西住みほ。
西住みほ。
西住みほ。
ああ、こんな奇跡ってあるだろうか。
あの西住みほが、同級生になる。
もしかしたら、同じクラスにだってなるかもしれない。
優花里の心は、エンジンブローを起こしかねないほど唸っていた。
2年生になっての登校初日、優花里は始業2時間前に校門に着き、その周辺をうろうろしていた。
春休みの間中、黒森峰の試合を中心にずっと高校戦車道の試合のビデオを見ていた。
憧れ、焦がれながら諦めてしまった舞台。
その中でもとびきりのスターが、もうすぐ目の前に現れる。
そう思うと居ても立っても居られず、せめて一目見ようと登校の瞬間を狙っていたのだ。
優花里が徘徊し始めてから1時間半になろうかというころ、まばらに登校し始めた生徒の中に、ついに彼女を見つけた。
慣れない様子で周囲を見回しながら、あの西住みほが、自分と同じ制服を纏って登校してきた。
その事実だけで、優花里は眩暈がしていた。
すごい、本物だ。
何度も何度も心の中で唱えながら、眩い光を放つ彼女が玄関に向かうのを見送った。
あわよくば話しかける、という目標すら忘れていたが、優花里の心はかつてない充足感であふれていた。
このまま永久に眺めていたい。
自己紹介する西住みほ、授業を受ける西住みほ、食事をする西住みほ。
そんな光景が眺められるのなら、と今まで願ったこともない神様に祈ったが、そんな都合のいい祈りは届かなかった。
優花里と西住みほは別のクラスに配置され、優花里は落胆と安堵がいっぺんに襲ってくるのを感じた。
ここまであまりの幸運が押し寄せていて、ここで同じクラスになったら、バランスをとるため手痛いしっぺ返しが来るのではないか。
そんな不安が少しだけあった。
優花里は指定された教室に入ると、新しいクラスの中でクラスメイト同士が距離と立ち位置の探り合いをしていた。
こういうとき、優花里は自分のポジションに少しだけ感謝する。
無駄なマウントの取り合いに参加せず、黒板に張り出された座席表に従い、窓際の前から2番目の机に着席する。
西住みほ。
今朝…いや、終業式前のあの日以来、優花里の頭の大部分はその4文字が占めていた。
あの姿をずっと眺めていられるなら、自分はこの学校に入ってよかったと心から思う。
始業式の最中、優花里は教師にバレないよう、視線だけで西住みほを追っていた。
緊張で強ばる西住みほ。
しかしその姿は相変わらず眩い輝きを放っている。
恍惚として彼女を眺めていると、始業式は終わっていた。
教室に戻ると、ホームルームが始まった。
今頃、西住みほは転校の挨拶をしているのだろうか。
さっきよりも緊張している西住みほを想像して、優花里はまた顔がふやけていた。
誰か録画していないだろうか。
してるわけもないが。
入学した時には自己紹介などもあったが、学年が上がっただけの今年はあっさりしたもので、担任の簡単な自己紹介の後、みんな仲良くするようにという決まりきった話のあとは、普通に授業が始まった。
数学。
現代国語。
化学。
教師が黒板に羅列した化学式を書き写していると、校庭から準備体操の掛け声が聞こえた。
あのクラスは体育か。
4時限目の体育はお腹が空くんだよな、と思いながら何気なく視線をやると、すぐに彼女が目に止まった。
西住みほが私と同じ体操服を着ている。
それだけで胸が弾んだ。
さすがというか運動神経は抜群で、きびきびと体操をした後、グローブを着けてキャッチボールを始めた。
次第に球速が上がっていき、やがて相手の子は細かくアドバイスをし始め、とうとうキャッチャーミットと防具を持ち出し、完全にブルペンみたいな状態になってしまった。
周りの生徒も手を止めて見ている。
あれは野球部に勧誘されてるな、となぜか優花里が誇らしげに微笑んだ。
昼休みになって西住みほの教室に向かうと、ちょうど彼女が数名の生徒に囲まれて出てきた。
困ったように照れ笑いをする西住みほ。
先程類稀な運動神経を見せたにも関わらず、何もない場所で躓く西住みほ。
それを助けたクラスメイトに何かを言われて顔を赤くする西住みほ。
学食のメニューに感動する西住みほ。
嬉しそうに焼き魚定食を頬張る西住みほ。
彼女の一挙手一投足が眩しく、美しかった。
ぼうっとした頭で午後の授業をやり過ごし、彼女がクラスメイトと下校する様子を見守る。
教室を出て、廊下。
玄関から校門。
クラスメイトと別れたら声をかけよう。
住宅街の中でクラスメイトに手を振る西住みほ。
通行人がいないところで声をかけよう。
あのコンビニを通り過ぎたら。
あの電柱を。
あの…。
優花里は帰宅する西住みほを見届け、大きくため息を吐いた。
これではまるでストーカーだ。
明日こそ話しかけよう。
名前を覚えてもらって、もしかしたら友達になれるかもしれない。
そうして1ヶ月が過ぎた。
学生というのは飽きやすいもので、この頃には西住みほを取り巻く人間はいなくなっていた。
相当な数の部活動に誘われていたはずだが、彼女がどこかに所属した様子はない。
わかったことは、彼女が戦車道に関わろうとしていないこと、そして結局仲の良い友達というのは作っていない、ということだった。
戦車道を離れたい理由については察しがついていた。
去年の全国大会決勝、彼女はフラッグ車の車長であったにも関わらず車両を離れ、川に転覆した味方を助けに行ったのだ。
黒森峰はその隙を突かれ敗退、大会10連覇という偉業は露と消えた。
彼女の行いを、誰が否定できるだろう。
西住みほは、その身を挺して勝利よりも尊いものを守ったのだ。
優花里が彼女に心酔するようになったのも、その試合を見たことがきっかけであった。
それまではどちらかというと姉の西住まほのファンであったが、以来妹のみほをどこか神格化しているような自覚さえある。
ともかく、優花里にとって西住みほは、優秀な選手では収まらない位置につけられているのだった。
今日も1人で家路に着く彼女を、優花里は後ろから尾けていた。
そしてその行動ひとつひとつにため息が漏れそうだった。
商店街のハムカツに心惹かれる西住みほ。
横断歩道の信号で待っているときに、隣のベビーカーを見て微笑む西住みほ。
すれ違った野良猫をずっと目で追う西住みほ。
こちらに視線を向ける西住みほ。
意を決した顔で近づいてくる西住みほ。
「あ、あのっ!」
あ。
「ずっとついてきてますよね…?」
私の人生、終わった。
まず一番に謝罪するべきだったと思う。
だが、なんと?
ごめんなさい、あなたのことを見つめたくて、転校してきてからずっと影から見ていました?
言い逃れができないレベルのストーカーである。
そして厄介なことに、それは混じり気のない真実なのだった。
同級生の、しかも同性のストーカーになってしまったと知ったら両親はどんな顔をするだろうか。
少なくとも優花里には、両親に向けられる顔は残っていなかった。
えっと、あの、その…。
なんとか言葉を紡ごうとしても、どれも言い訳のように思えてはっきりとした言葉にならない。
「とっ…友達に…なりたくて…!」
やっとの思いで振り絞った言葉がそれだった。
それでもなんとか一言だけでも話すと、少しだけ気が楽になる。
すると今度は、西住みほの顔が目の前にあるという事実で頭がいっぱいになった。
すごいかわいいすごいかわいいすごいかわいいすごいかわいい
「友達…。」
怪訝な顔だ。
当たり前である。
普通に考えて、これから友達になろうという相手にストーキングなどしないのだから。
「嬉しい…!」
奇跡が起きた。
「大洗の制服…だけど、同じクラスじゃないですよね?」
「はい!普通Ⅱ科2年C組、秋山優花里です!」
思わぬ反応にハイテンションになり、つい勢いよく答えてしまった。
「秋山さんだね!私は…」
「存じております!西住みほ殿ですよね!」
やってしまった。
お話できるのが嬉しくて、つい。
今度こそ完全に引かれた。
「わあ、嬉しい!」
天使かな。
それから2人は、大洗の町を歩いた。
とはいえ、学園艦内の町、まして優花里の案内なので、自然商店街などの地味な場所ばかりになってしまう。
それでも、西住みほは笑っていた。
優花里にとって、夢のような心地だった。
西住みほの微笑みが、弾む息遣いが、ちょっと困惑したような表情が、スプーンを持つ指先が、輝く瞳が、さらさらと流れる髪が、すべてが神々しささえ感じられ、優花里の記憶に刻まれていく。
「秋山さん、今日はありがとう!」
日も暮れかけた頃、急にそんなことを言うものだから、優花里は時間が有限であることを唐突に思い出した。
「いえ、こちらこそ光栄でした。」
名残惜しさを滲ませた言葉に、西住みほは目を瞬かせる。
そして一瞬、ほんの一瞬だけいたずらっぽい笑顔を見せた。
どくん、と心臓が跳ねたのが、自分でもわかる。
チカっと視界が真っ白になり、戻った時には、西住みほは切なげに目を伏せていた。
「お別れになんて言ったらいいかわからない。何も言葉が思いつかなくて。」
ああ、これは。
ミリタリー映画ばかり見ている優花里でもわかる。
そういうことだ。
今日だけの、特別な。
「…言わなくてもいいでしょう。」
本心だった。
別れの言葉なんか聞きたくなかった。
そう答えると、西住みほはふふっと笑う。
優しい彼女とミスマッチな、だからこそどこか艶かしささえ感じる微笑み。
「そうだよね。それじゃあ秋山さん、また明日!」
振り向きながら手を振りかけ出す彼女を、優花里は立ち尽くしたまま見つめていた。
家に帰ると、店を閉めた母親が
「あら、遅かったじゃない。」
と言った。
何も聞いてこないところをみると、戦車道ショップにでも行っていたと思っているのだろう。
違うよ、お母さん。
私友達できたんだよ。
それも私にはもったいない、素敵な友達。
そんなことをわざわざ報告すれば、今まで友達がいなかったと言っているようなもので、両親を心配させてしまう。
優花里はかつてない興奮を胸に秘め、自室に向かった。
「おはよう、秋山さん!」
夢じゃなかった。
西住みほが、自分の姿を見て微笑み、あいさつをしてくれる。
昨夜、これが夢だったら寝る時に目が覚めるのだろうか、と思考が3回転半して訳がわからなくなったのも杞憂に終わったということだ。
優花里は改めて喜びを噛み締めた。
「おはようございます、西住殿!」
ああ、西住殿!
夢じゃなかった!
授業中も、頭の中はみほでいっぱいだった。
お昼休みに迎えに行って、学食に行こう。
カフェに行って、お茶を飲んで。
それから。
それから…。
戦車道ショップに誘っても大丈夫だろうか。
『あの試合』のあと黒森峰を去り、戦車道がない大洗に転校した。
となれば、理由はひとつしか考えられない。
西住みほは、戦車道を捨てた。
それはいい。
それはもう、どうでもいい。
もう優花里は、戦車道とは遠く離れたところで西住みほのことを大切に思っている。
初めての、たった1人の友人として。
問題は、優花里の人生もまた、戦車を抜きには成り立たないことだった。
優花里が戦車を好きでいることで、西住みほを傷つけてしまうことが怖い。
優花里と西住みほと戦車道。
奇妙な三角関係ができてしまっていた。
それでも、と思う。
西住みほが望むなら、戦車どころか人生だって差し出していい。
望むなら。
望んでくれるなら。
そんな鬱々とした想いは、西住みほの笑顔が吹き飛ばしてくれた。
来週帰港するんだって、陸の大洗も見てみたいな。
昼休み、食堂でランチを食べながら嬉々としてそんなことを言うものだから、優花里もつられて笑顔になった。
「いろいろ案内してね!」
「ぜひ!」
そうだ、と西住みほが携帯電話を取り出した。
「連絡先、交換してなかったよね。」
そういえばそうだった。
というより、連絡先を交換するという発想自体がなかった。
優花里の中の西住みほは浮世離れしていて、携帯電話と結び付かなかったのだ。
優花里もそそくさと携帯電話を取り出した。
そして、そのまま2人とも固まってしまった。
「えっと…どうすればいいかな…?実は初めてで…。」
照れ笑いを浮かべる西住みほに、優花里は照れながら安堵した。
「実は私もなんです。」
ふふふ、と笑う2人。
「やっぱり、似た者同士だね。」
と西住みほが言った。
似てる?
西住みほと私が?
その意味を理解した優花里は慌てて両腕で顔を覆った。
「と……とんでもないですっ!私なんかが西住殿と似てるなんて!畏れ多くてとても!」
取り乱す優花里に、今度は西住みほが慌ててしまう。
「そ、そんな!秋山さんかわいいし、かっこいいし!あ、私は全然だけど!」
「いえ、私なんて全然!」
全然全然、お互いに慌てふためいて言い合う様子になんだか可笑しくなり、2人同時に吹き出してしまう。
「やっぱり似てる。」
「そういう部分も、あるかもしれませんね。」
今のやりとりをしておいて否定もできず、優花里は仕方なく同意した。
自室のドアを閉めると、優花里は背負っていたリュックを下ろした。
制服のスカーフを取り、セーラー服とスカートを脱いでハンガーにかける。
ブラジャーを外してタンクトップを着ると、クッションを枕にうつ伏せに寝転がり、スマホの電話帳を開いた。
父。
母。
西住みほ。
顔がニヤけるのが止まらない。
昨日からずっと夢見心地だ。
ついには連絡先の交換まで。
嬉しくて嬉しくて嬉しくて死んでしまいそうだったが、死ぬわけにはいかない。
来週の帰港日には、一緒に買い物に行く約束をしたのだ。
ふと、自分の格好を振り返る。
ドイツ軍のスプリンターパターンが施されたよれよれのタンクトップ。
さすがにこれを着ていくつもりはないが、自分の私服ではこれと大差ないバリエーションしかないのも事実だった。
優花里は装備を整えるべく、半裸のまま立ち上がった。
おしゃれは女子の戦闘服。
…らしい。
帰港当日、優花里は少し早めに起きて準備をしていた。
結局、書店でファッション雑誌を立ち読みし、学園艦内の店で近い感じにできそうなコーディネートを揃えた。
オーバーサイズのシャツ、ジーンズ。
大きなベルトを腰よりかなり上に巻き、上着を羽織る。
仕上げにキャップを被って装備完了。
普段は迷彩服ばかり映している姿見も、急に女子っぽい服装をして驚いているだろうか。
まじまじと頭のてっぺんから爪先まで見ると、意外と様になっているのではないか。
費用もさほどかかっていないし、初心者としては上出来だろう。
なんとなく忍び足で階段を降りると、台所から出てきた母親と出会した。
「…おでかけ?」
「あ…うん。友達と。」
できるだけ事もなさそうに言うと、母親は帰港の日だものね、と言った。
そうだね、と答えて通り過ぎたあと、優花里が振り返る。
「あの…お父さんには…。」
「お買い物でしょ?なんでもないわよ。」
この母親、完全に気付いている。
まあ、これまでジャージや迷彩服しか着てこなかった娘が、急にハイウエストのベルトなどし始めれば母としては思うところもあるだろう。
喜んでいるにせよ、驚いているにせよ、大袈裟にしない気遣いが優花里には嬉しかった。
「うん…。いってきます。」
「いってらっしゃい。」
今日は休日だったが、迷うといけないので校門の前で待ち合わせをした。
待ち合わせの30分前に優花里が着くと、そこには誰もいなかった。
学校名が刻まれたプレートの前に立ち、西住みほを待つ。
ふと、彼女を初めて見た朝を思い出した。
あの日もこうやって待っていると、不安そうな顔で彼女がやってきたのだ。
それでも、横顔は輝いて見えた。
きれいだ、と思った。
そんな彼女が今日は自分に会いに来る。
その事実が未だに信じられないほど嬉しい。
そんなことを考えていると、遠くで声がした。
「秋山さん!」
ハッと我にかえると、西住みほはすぐそこまで来ていた。
「おはよう!」
淡い黄色のワンピースに、おなじくピンク色のカーディガン。
そして今日も曇りのない笑顔で息を弾ませている。
そんな彼女を独占しているという感覚だけで、優花里はこの数日の努力が報われた心地だった。
「おはようございます。早いですね。」
時計を確認すると、優花里が来て5分と経っていない。
「早く秋山さんに会いたくて!」
この人は本当に、天使みたいな顔で天使みたいなことを言う。
「私もです、西住殿!」
心からそう思っている。
はたと、西住みほの動きが止まった。
まじまじと優花里を見る。
「どうされました…?」
その視線に、優花里は図星を突かれた気分だった。
やはり、付け焼き刃のファッションではボロが出たのだ。
自分のような日陰者が、人並みにでもおしゃれなど気取るべきではなかった。
ごめんなさい、西住殿。
私はやはり迷彩服で顔に泥を塗ってるのがお似合いでした。
いえ、あれはとても格好良いのですがそれはそれとして。
「秋山さんの私服って初めて見たから新鮮で。」
オブラートに包む優しさはかえって残酷ですよ、西住殿。
「その……か…かっこいいな、って…。」
顔を赤らめていらっしゃる。
西住みほが、私を見て、かっこいいと言って、顔を。
いや、落ち着け秋山二等兵。
貴様のようなやつに、西住殿がお褒めの言葉をくださるなどありえない。
まして顔を赤らめるなどと、妄想も甚だしい。
貴様があまりに無様なので、西住殿は笑いを堪えていらっしゃるのだ。
「へ…変でしょうか!?西住殿の隣に立てるよう、一応私なりに頑張ってみたのですが…!」
慌てて言い繕うと、西住みほはきょとんとしてしまった。
「えっと…素敵だなって思って。」
ああ、お優しい西住殿はこんな私まで気遣ってくださる。
これは受けねばかえって無礼というものだ。
「あ…ありがとうございます!とっても嬉しいです!」
思わず最敬礼してしまった。
米軍式だったのが救いか。
「西住殿も、大変可愛らしいお召し物で!」
自分のことで頭がいっぱいだった優花里は、慌てて西住みほの服を褒める。
無論本心からであるが、これ以上言い表せない自分の語彙力が恨めしい。
「ありがとう…!」
ああ、可愛い。
優花里が幸福感でぼうっとしていると、西住みほがその手を取った。
「行こう、秋山さん!」
微笑む彼女に、はい!と返事をして歩き出す。
ああ、明日も明後日も、ずっと今日ならいいのに。
優花里は本気でそう思っていた。
「それでね、その時ボコが…」
夕日の沈む帰り道、西住みほがクマのぬいぐるみを抱えながら、懸命にその魅力を説明している。
ぬいぐるみは、優花里がクレーンゲームで取ったものだった。
前を通りかかった時、あまりに真剣に見ているものだから、優花里は何気なく「ボコですね」とそのキャラクターの名前を言った。
あまりメジャーなキャラクターではなかったが、以前キャンプ用品とコラボしているのを見たことがあった。
すると西住みほが目を輝かせたので、優花里はついぬいぐるみをとると約束してしまった。
結局2人で3000円以上を使って、やっとの思いでそのクマをキャトルミューティレーションしたのだった。
「だから私、ボコが大好きなの!」
と、西住みほが笑った。
正直なところ、見惚れて話の大半は覚えていないが、彼女が嬉しそうなのでよしとしよう。
「でも、この子は特別!」
きゅっと、包帯が巻かれた頭を抱き寄せる。
「秋山さんとの思い出だから。」
ああ、と優花里は思った。
崇拝に近い憧れから始まったこの感情はなんだろうと、ずっと引っかかっていた。
彼女を思うと、熱いような冷たいような、不思議な充足感と焦燥感に駆られる。
彼女を見ると、これ以上直視できないという思いと、永遠に見つめていたいという思いでぐちゃぐちゃになる。
この不思議な感情は何なのだろうと、ずっとわからなかった。
でも、そんなことは全人類が知っていた。
生きる意味であり、死に至る病。
全人類がその歴史を始めた時から知っていて、優花里だけが知らなかった。
そしてひどく遠回りをして、優花里もようやく辿り着く。
ああ。
この感情は。
胸を締め付けるこの感情は。
この感情は“恋”という。