第4話
「――というわけでオレたち、話を聞いてもらいに来たんです」
卓上IHに沸かされたビーカーの中で、黒い液がコポコポと泡を吹いている。それまで無言でオレたちの話を聞いていた夕呼先生はおもむろに立ち上がり、その尖った爪でビーカーを指差した。
「飲む?」
「遠慮しておきます」
平手を上げて断ったオレに「残念」などとうそぶきつつ、夕呼先生は指を下ろす。
色合いからしてビーカーの中身はコーヒー……だと思うが、この人の場合はコーヒーと偽って怪しげな薬品を飲ませる恐れさえある。ましてオレたちは今、ここの生徒とも言い難いあやふやな立場だ。
生徒じゃなければどう扱おうが問題無い。先生がそういう発想をしかねない人物なのだということを、オレたちはこの身をもって知っている。
「で、夢の話だっけ。アンタたちが疑ってるのはつまりそれがただの夢じゃなくて、あたしの『因果律量子論』と何らかの関係があるんじゃないかって、そういうコト?」
「ざっくばらんに言うと、そういうことになる……と思います」
オレたちの発言を取りまとめる委員長も口調はあやふやだ。無理もない。本来この手の話は現代科学で説明不能な超常現象か、さもなくばオカルトの部類にカテゴライズされるものの筈だ。超が付くほどの常識人である委員長にしてみれば、相談すべき相手がこの人で合ってるかどうかも半信半疑といったところなのだろう。
対する先生はやけに緩慢な動作で椅子に腰掛け足を組み、しばらく俯いて何やら沈思黙考していたかと思えば時おりうんうんと頷いたりしていた。そういう掴みどころの無い夕呼先生の一挙手一投足が、何も解らないオレたちをどうにも宙ぶらりんの状態にしたままでいる。
「……ふふ、ふふふふふ」
「あの、夕呼……先生?」
やにわに肩を震わせ始めた先生の様子をオレたちは恐る恐る窺う。と、
「――あ~~っはっはっはっはっ!!!」
今度は周囲に憚らず高笑いをし始めた。
何だ、一体どうしたってんだ!?
「いやー、さっすがあたし! これでまた一つ理論の証明と裏付けが成されたわ! やっぱ天才ってのはあるべくして天才だということなのね~」
「す、すいません先生。オレたちには何がどうなってんのか、全然サッパリなんですが……」
「なぁ~に白銀ぇ、アンタにはたっぷり聞かせた話だったでしょぉ? もしかして忘れたっていうの?」
たっぷり聞かせた、だぁ? ひょっとしていつぞやの授業のことを指してるのか? だとしたら正直これっぽっちも覚えてねえぞ、あんな小難しい話。
「……ああ、覚えてるワケ無いか。あたしがその話をしたのは『いま目の前にいる白銀武』じゃないもんね」
「――え? それって、どういう……?」
またも要領を得ない先生の物言いに、オレばかりでなく全員が訝しみの目を向ける。
「まあまあ、せっかくだからアンタたちも聞いていきなさい。恐らくはそれが、この怪現象の答えになると思うから」
「じゃあやっぱり先生はどうして私たちの身にこんなことが起こっているのか、ご存知なんですね」
「察しが良くて助かるわぁ、榊」
いたって艶めかしく、夕呼先生が委員長に慰撫の言葉を投げ掛ける。
「じゃあご希望通り説明に移りましょうか。まずはアンタたちが見たっていう、ほぼ同じ内容の夢。これについてはアンタたちの推測通りただの夢ではなく、全員が共有していた同一世界上での体験――因果律量子論における『並行世界』上の出来事である、と断定することが出来る」
「並行世界?」
「そう。アンタたちにも分かるように言い換えれば、SFなんかに良く出て来る『パラレルワールド』ってヤツね」
立ち上がり、そして夕呼先生は準備室の黒板へと向かった。先生の指に握られた白いチョークがコツンと黒板に突き立てられる。
「いい? あたしたちのいる『この世界』は、それまでに発生した無数の確率分岐から枝分かれしたうちの一つ。そしてその周囲には『この世界』が選び取らなかった、つまり異なる結果を選んだ無数の世界が並行して存在しているのよ。それが『並行世界』」
カツカツ、と乾いた音を立てて滑らかにチョークが黒い盤面を踊り、そこへ図と文字を描き出す。
『この世界』と端書きされた枝分かれの一本。その周囲に並ぶ無数の枝。
その存在を俄かには信じられずともこうして図解付きで解説されると、物理の成績がズタボロだったオレにも幾らかは理解出来る。
「要するにそれって、有り得たかも知れない別の未来、ってヤツですよね」
「そういうコトね。そして白銀たちが『夢』として見ていたのがその『並行世界』のうちの一つ。アンタたち全員に共通性のあるその夢は、言わば『この世界』とは別世界のアンタたちが実際に見て聞いて体験した、その別世界上で本当に起こっていた出来事だった」
枝分かれの内の一つに先生のチョークが二重丸を描き、そこに『→夢』と矢印付きの端書きを加える。
矢印の根元にあるのは『この世界』……つまりオレたちの居るここ、ってことだ。
「そんな、突拍子もない……」
「常識人代表の榊がそう思うのも無理ないわね。けどあたしはもっとずっと以前に、並行世界が真に存在することを理論云々じゃなく別の形で確認している」
夕呼先生のその一言に、全員が固唾を呑む。
理論と実証。その両方が揃っている。
科学至上主義の先生がそう豪語するからには、それは確かに『ある』ってことだ。
「奇しくも、と言うべきか――確認が取れたその並行世界はアンタたちが見ていた夢のそれに極めて近似した、もしくは同一の世界であった可能性が高いわ。何たってその実例がここに、この物理準備室に来てたんだからね。それも何度も」
「実例? それってその『並行世界』の住人が『この世界』に来て、実際に香月先生と会ってたってことですか?」
「そうよ」
あっさりと先生に首肯され、委員長が目を丸くする。
「言っとくけど、これは『UFOから降りて来た宇宙人に会った』なんて眉唾モンの話じゃない。実際にその影響があったからこそあたし自身が具体的に行動し、その証拠を残している。そうよね白銀?」
「……えっ?」
「なーにボケっとしてんのよ。去年の秋頃、アンタあたしに呼ばれて色々やらされたの覚えてない?」
去年の秋頃? 何かあったっけ。そりゃここには何度か呼び出されたし、奇妙なことも色々やらされてはいたけど。
「ひょっとして先生の仕事の手伝いでコピー五万枚取らされたりしたとか、ああいうことですか?」
「ご名答。おかしいと思わなかった? 急に呼び出されて、特に説明も無くあんな膨大な量のコピーを取らされたりして」
「いやまあ、おかしいっちゃおかしいとは思いましたけど」
そもそもからして常日頃、そういう無茶なことを平然とオレたち生徒に強いる人だしな。おかしいのは別にそれ限りってワケでも無いんだが。
それにしてもアレは本当にキツかった……何度も紙詰まりするわトナーは切れるわで、他の教師連中からの視線が痛かったぜ。「香月先生にやれって言われました」って言うだけで、どいつもこいつも判で押したように口をつぐんでたけどな。
「あれは『並行世界』上のとある人物に頼まれてあたしが発見した数式を印刷するためって言うのと、そのことに関する記憶情報をあたし自身が喪失しないためのデータベース化、すなわち記憶保存が目的だったのよ。せっかく並行世界の存在を証明する出来事が起こったのに、記憶ごとその事実を失っちゃあ勿体ないにも程があるでしょう? それをこの世界に留めるために、あらゆる情報を文章にして手元に残してた……ってワケ」
「そのためにオレにあんなことさせたんですか? アレ、半端じゃない重労働だったんですけど」
「何言ってんの。半分以上は白銀、アンタのためでもあったんだからね」
「――オレのため?」
先生が訳の分からないことを言っている。そんな風にポカンとするオレを放置して、先生は話を続けた。
「その作業の依頼主は、『あっちの世界』の香月夕呼。つまり並行世界上に存在するもう一人のあたし。そして二世界間の時空境界をまたいでその依頼を『この世界』へと持ち運んだのは、ある種の『資格』を持った特別な人間」
そこで夕呼先生はオレを見据え、そして、こう言った。
「白銀武。並行世界に存在するもう一人のアンタが、その運び屋だったのよ」
「――ええッ!?」
先生のその宣言に、室内が騒然となる。
「……もう一人の、オレ?」
「そうよぉ。ここまでの説明ちゃんと聞いてりゃ、大体理解はできたでしょ?」
「いや――、」
もちろん、頭では理解できてるつもりだ。
この世界にそっくりな別の世界があって、そこには『今ここにいるオレたち』と寸分違わずそっくりな『もう一人のオレたち』がいる。その『もう一人のオレ』が何らかの方法を使って『この世界』へとやって来た。理屈ではそういうことなのだろう。
けれどそれをして、オレが複数の世界を行き来できる特別な存在だったなんて、そんなマンガかアニメみたいな設定をそう簡単に受け入れられるものでもない。
「まあ信じろとまでは言わないわ。けれど実際に異なる世界からやって来た人間が居たことや、並行世界の存在が立証されたものであるということだけは、ここからの話の大前提として頭に叩き込んでおきなさい」
「……はい」
不承不承にオレは頷く。実のところ納得なんか全然出来てないが、ここは頷いておかないと話が前に進まない――そう直感した。
「あたしの数式を持って向こうの世界に戻った白銀は、その後今日まで一切音沙汰無し。詳細は分からないけど多分、向こうでの目的を果たせたんでしょうね。BETAとかいう異星生命体の根絶、あるいはその主戦力の排除、少なくともそこまでは達成できたと推察されるわ」
あっちとこっち、二つの世界の『オレ』。それを夕呼先生は何らの区別もなく『白銀』と呼ぶ。あるいは意図的にそうしているのかも知れないが、こうして聞いてると頭がこんがらがりそうになっちまうぜ。『あっちのオレ』はこのオレと、何の関係も無い筈なのに。
「ところが実際には関係あったのよ」
「うわっ! 人の心を読まないで下さいよ、先生」
「だから白銀くん、さっきから声に出てるってば」
委員長渾身の窘めも、残念ながら場の緊張をほぐすまでには至らなかった。皆の硬い面持ちを維持させたままで尚も先生の話は続く。
「あたしの理論通りなら、二つの世界は単に並列して存在しているワケじゃない。並行世界にはそれぞれ主従関係があり、主世界は従世界に片方向的な影響を与える。そしてあたしたちの今いる『この世界』は、その『もう一人の白銀武が戻った世界』を主とする従属的な立場にあった」
その辺がイマイチ分からない。『向こうの世界』が主だって言うんなら、じゃあオレたちがいる『この世界』は、今ここに居るオレたちは何だって言うんだ?
まさかひと頃ゲームとかで流行った「実はシミュレーション世界でした」みたいなオチじゃないだろうな。
「無論そんなことは無いわ。この世界だって間違いなく現実として存在するれっきとした一つの世界。ここで言う主従とはあくまで世界のあり方を決定付ける、因果律の関わりについての話なの」
「それがちょっと難しすぎて、ミキたちには良く分からないんですけどー……」
「そうね。あえて誤解を恐れずに言うなら、『向こうの世界』で起こった出来事の因果がまるで影絵みたいにこの世界でも同様の因果をもたらす。そしてその逆は起こり得ない。この関係を端的に表した言葉が因果律上の『主』と『従』である……って言えば分かるかしら?」
「何となくですけど~。つまり『あっちの世界』でボクの身に何かがあったとしたら、それと同じか似たようなコトが『この世界』のボクにも起こる、ってことですよね」
「鎧衣の解釈で大体合ってるわ。尤も、そうなるのには特殊な条件が幾つも折り重ならなければならないけどね。無数に存在する並行世界同士は本来独立した存在であって、互いの因果が互いに干渉したりはしないの。それどころか普通は認識することさえ難しい」
そりゃそうだ。オレだって理論として聞いてるから何となく分かるってだけで、実際に別世界の存在を感じたことなんて一度として無いんだからな。
「けどそんなアンタたちも並行世界の情報に触れる機会が無いわけではない。その一つが夢、ってわけ」
夢。そのキーワードが出てきた途端、みんなの緊張が一段と高まったのが分かる。いよいよ話が核心に近づいて来た。
「人は無意識下で他世界からこぼれ出た情報因子を受け取ることがある。それは『この世界』の事象と関連付けが成されない限り、ただのボンヤリしたイメージとしてそのまま無意識下に留め置かれる。だからほとんどの場合、そんなものが自分の中に存在していることにすら気付けない」
「まあ、分かるワケ無いですよね」
「でも脳の一部が発達した人間はそれを確かに知覚していて、夢や幻視といったビジョンを通じてこの世界と近似した他世界の出来事を読み取ることが出来るのよ。一種の予知能力のような形で」
――ははあ。何となく飲み込めてきた。要するにそれって比較的近しい可能性を持つ別世界で起こった物事を認識できる能力、ってことだよな? 良く当たる占い師だとか古代の予言者ってのは、案外そういう能力を持ってるヤツらなのかもな。
「予知能力者のソレとアンタたちとで明確に異なるのは、それが近い確率世界でなく限定された一個世界に関する情報のみであり、かつ極めて多量であること。通常ならばその条件下で有り得るのは膨大な記憶の中から漏れ出たほんの僅かな情報因子、言うなれば記憶の絞りカス程度のものでしかない。けれどアンタたちは『夢』とは言え明確にハッキリと、人生をなぞるように筋立てて、それらの記憶を認識できている」
「――それって……どういうことなんですか」
委員長が硬い表情を保ったまま、追って先生に尋ねる。
心境としては皆似たようなものだったろう。オレたちには誰一人として、そんな超能力じみた芸当が出来る自覚なんて無いんだから。
「『向こうの世界』を直接観測してるわけじゃないから、あたしにも確かなことは言えないけど。考えられるとしたら……そうね」
そこで一呼吸を置き、夕呼先生はおごそかに告げた。
「『向こうの世界』が丸ごと消滅したか、あるいは戦争の渦中でアンタたちが死亡したか。そのどちらか」
一斉に息を呑む音。目を見開き、口元を強張らせ、オレたちはただ夕呼先生へと意識を集中させていた。
「――それによって一個人の蓄える膨大な記憶情報が虚数領域へと溢れ出し、それを『この世界』のアンタたちが無意識下で継承した。だから『夢』という形でアンタたちがその記憶を見れている。……そんなところかしらね」
「……私、たちが……死んだ……」
震える唇からボロリと零れた彩峰の呟きが、室内に冷たい残響を刻む。
そうだ。その可能性は決して低くは無い。
オレたち全員の夢に共通していたのは、最後の最後でBETAの親玉がいるっていう本拠地に突入するところまでだ。
BETAがどんなにヤバい奴等か、それも夢の共通項としてオレたちは知っている。そんな奴らがウジャウジャと大量にひしめく文字通りの『
人類の命運を賭けた最終戦争。死と隣り合わせの特攻作戦。
その行方を、結末を、オレたちは誰一人として夢に見ていない。
ただでさえ絶望的な世界で、それに輪をかけて絶望的な戦いに駆り出されたオレたちのその後なんて、話を客観的に聞いていた夕呼先生には想像するまでも無いことだった筈だ。
「……あ、あのぅ……」
「なあに、珠瀬?」
「そのー、さっき先生が言ってた『因果』のハナシが本当だとしたら、なんですけど……」
「聞きたいことがあるならハッキリ言ってみなさい。どうせ半分以上はあたしの推測、仮説でしかないんだから」
「は、はいっ」
何かを尋ねようとするたまの顔には、それと判るほどに強い恐怖の色が浮かんでいた。他の面々もそれは同じだ。
「えと……『向こうの世界』で死んじゃったミキたちの因果が、こっちに来ちゃう可能性は……」
それだ。今オレたちが最も懸念していること。
『あっちの世界』で死んだというその因果が『この世界』のオレたちに降りかかる……それはひとえに、そう遠くないうちに自分が死んでしまうかも知れない、という脅威に直結する。
もしもそれが既に運命付けられたものだとしたら、オレたちにはもはや絶望しか残っていない。
死への恐怖。それを誰もが口には出さず、しかし青白くした顔面の裏側にべったりと貼り付けていたのは明白だった。
「そうねぇ」
鷹揚に横髪をかき上げ、夕呼先生はしばらく押し黙った。それがオレたちの不安を否が応にも増幅する。額から噴き出た汗が顎を伝って滴りかけた頃合いになって、ようやっと先生は重い口を開いた。
「その心配は、まず無いと言っていいでしょうね」
「へ?」
間の抜けた吐息を漏らしたのはオレの唇だ。みんなも同じ心地だったようで、一様にポカンと口を開けている。
「ちょっと何よーアンタたち、ハトが豆鉄砲食らったみたいな顔して」
「いやだって。さっきの夕呼先生の説明からしたら、『あっちの世界』の因果は『こっち』に降りかかる、って話だったんじゃ、」
「だから、それはあくまで特殊な条件が折り重なった場合。並行世界間に存在するあらゆる情報の中で、記憶に関する情報因子ってのは最も軽い部類なの。元々の持ち主がいなくなった時点で比較的近い立場にいる『この世界』のアンタたちがそれを受け取ったっていう、ただそれだけの話」
「はあ」
「それに考えてもみなさいな。それ以上の因果がドバドバ流れ込んでくるような状況なら『この世界』はとっくに『向こうの世界』みたく、BETAだの何だのが暴れ回ってる地獄みたいな状態になっててもおかしくないでしょ?」
「なるほど……」
言われてみりゃあ確かにそうだ。仮にそこまでは行かずとも、夢の記憶にある『あっちの世界』の歴史を辿ってみれば、何十年も昔にどっかの大国が宇宙生物の存在を公にしてなきゃ釣り合いが取れない。
「でもそれならどうして『この世界』の、しかもオレたちだけが、ここまで鮮明に記憶を受け取ることが出来てるんですか?」
「『この世界』だけかどうかなんてあたしにも判らないわよ? 他所の並行世界を観測する手段なんて、少なくとも現時点では無いんだし」
「だとしても、これだけ集中して受け取ってるのがどうにも腑に落ちません。その虚数領域とやらは他の並行世界とも繋がりがあるんですよね」
「勿論そうよ。通常なら記憶因子は虚数領域で散逸、つまり分散しながらどんどん小さくなっていって、それぞれの並行世界ではほんの僅かな欠片程度しか受け取ることが出来ない。あとの大半はそのまま虚数領域に呑み込まれて消え失せる、って感じね。分かりやすく言えばだけど」
「なのに、オレたちには連続した夢としてハッキリそれが残っている。そこがどうにも分からないんですけど」
「それについては、これもあくまで仮説でしかないけど……『あっちの世界』から『この世界』に対して既に何らかの大きな干渉があったから、ということが考えられるわ」
「大きな干渉、ですか」
「そう。具体的に言えば時空を改変するとかの、とても大きな干渉がね」
時空を、改変? それって要するにオレたちのいるこの世界の現在過去未来を無理やり差し替えるってことだろ? メチャクチャだな、もう。
「それによって上書きされた『この世界』の因果はその状態で固定、すなわち『あっち』とは切り離されて独立状態になった一方、虚数領域へ流れ出た大量の記憶情報は大きな欠損も伴わずアンタたちの無意識下へと流れ込んだ……いえ、刷り込まれた。これが可能性としては最も高いパターン」
「はあ。壮大過ぎてオレにはもう一つピンと来ない話ですけど……じゃあ、それ以外のパターンは?」
「あるにはあるけど、可能性としては低すぎてほぼ無視できるレベルね。例えば並行世界間にあるフィルタを記憶情報だけが潜り抜け、因果情報の流出については選択的に遮断された、とか。でもあまりに都合の良過ぎる話だし、因果律量子論的に言えばまず起こり得ないことよ」
そうは言われても、オレたちにしてみればそもそも並行世界なんて存在自体、あまりに現実味の無い話なんだ。
そんなワケの分からないものが、ワケの分からない現象をオレたちの身に引き起こしている。
その時点でとっくに理解の範疇なんて超えちまってる。
「いずれにしても因果情報そのものは本来の形通り、並行世界間ではシャットアウトされていると見ていい。もしも『あっち』の因果の影響を受けるとすれば、それに付随して必ず『ある現象』が発生するから」
「ある現象?」
「まあ、そんな説明をしたところでいたずらに不安を煽る要素にしかならないから、あえて言わずにおくわ」
それはそれで何となく落ち着かない気持ちにさせられてしまう。詳しいことは分からんが、その『ある現象』とやらが『この世界』では起こってないから大丈夫……ってことでいいんだよな?
「代わりと言っちゃ何だけど、何故その記憶情報を複数人が、しかも同時期に夢で見るようになったかについてはある程度説明できるわよ」
「じゃあ、そっちをお願いします」
元々聞きたかったのはむしろソレだ。そんなオレの意を汲み取ってか、夕呼先生が上機嫌に微笑む。
「簡単なことよ。記憶情報ってのはそれを受け取った側が関連付けを行うことで、初めて記憶として知覚、認識することが可能になる。これはさっきも言ったわね? それまではボンヤリとしたイメージみたいなものでしかない、って」
「はい」
「アンタたちは最初、無意識下に埋め込まれたそれを知覚することが出来なかった。けれどそれから時間が経って、様々な体験や事象を経るうちに少しずつ、記憶上のそれと似通った感情や意識との関連付けが行われていった。それらが一定以上の蓄積となって閾値に到達したタイミングで、複合的に結びつけられた情報が『夢』という形で発露した……というワケ」
「そのタイミングが全員揃って一致した、ってことですか?」
「有り体に言えばね。共通する要素が多ければ多いほど記憶の関連付けも進む。さしずめアンタたちにとっては御剣姉妹の転入やその後に起こったいろんな出来事、球技大会や温泉旅行、それに卒業式といった各種イベントが大きな要因になってたんじゃない?」
「あー? ああ……」
言われてみれば、確かにそうかも知れない。
冥夜や悠陽、そして霞が転校してきたことで、『あっちの世界』での主要な顔ぶれが『この世界』に揃った。
球技大会前の合宿における数々の特訓も『夢』で見た訓練や演習のそれと酷似していた。
加えて温泉旅行や南の島リゾートにおける様々な出来事。それらを経て『この世界』のオレたちは向こうでもそうであったように、互いの絆を深めてきたんだ。
そして先日卒業という一区切りを迎え、オレたちは例え一時ではあっても別れを噛み締め、新たな世界へと巣立ちの時を迎えた――
そう考えれば、最近になってようやく『あっちの世界』の記憶情報とオレたちの状況がマッチアップする条件が整ったとも言える。
「そして最後のダメ押しになったのが、今日アンタたちがここに集まるという約束。最近になって全員が一斉にそういう夢を見るようになったのも、それと無関係では無い筈ね」
「えっと……それってつまり、ボクたちが今日みんなと会うっていう約束を意識すればするほど、無意識下に埋まっていた『あっちの世界』の記憶情報がどんどん整理されていって、そのせいであの夢を見ることが多くなっていたって感じですか?」
「要領をきちんと掴んでるわねー、鎧衣。アンタ直感力はズバ抜けてんだから、大学に行ってからもそういう部分を大事にしつつキッチリ勉強しなさい。理論を固めて土台とするのは天才的な発想や閃きをする人物に必要不可欠な素養よ」
「えへへ。あ、ありがとうございます」
思いがけず褒められたことに美琴が狼狽し頬を赤らめる。その初々しい笑顔のお陰か、あるいは先生の濃密な解説によってあらかたの疑問が氷解したからなのか、気付けばみんなの表情も随分柔らかくなっていた。
「とまあそんなワケで、アンタたちが不安がる必要は無いってこと。『記憶』といってもそれは『この世界』のアンタたち自身のものでもないんだし、気にしなくても大丈夫。そうね、せいぜい別世界の自分からのメッセージ、とでも思っておけば良いんじゃない?」
「メッセージ、ですか」
「そう。別の並行世界にいた自分が感じたことや思ったこと。喜びや苦渋。誰かに抱いた敬意や無念。それらを無かったことにしたくなかった別世界のアンタたち自身が、『この世界』にいるアンタたちのために授けてくれたもの。そう思えば『あっちの世界』で散っていったかも知れないもう一人のアンタたちも、形を変えて今ここに生き続けているとも言えるでしょ?」
「そっかぁ……そんな風に考えるとミキ、あの夢見れて良かったかもーって思いますー」
「うん……ヘンな夢だけど、悪くない」
たまと彩峰は大筋で腑に落とすことが出来たようだ。その一方、委員長はまだ少しばかりモヤっとしたものを抱えているみたいだった。
「私もそんな悪い気はしないけど、正直ちょっと複雑ね。自分の父親が総理大臣だった、なんて、夢だとしてもピンと来ないし」
そう言や委員長の親父さんはそういう立場の人だったな。まあ現実の日本と違って『あの世界』ではさらにその上に『政威大将軍』なんていう、とんでもない肩書きを持ってるヤツが居たんだけどさ。
「それを言ったらミキのパパなんて、国連の事務次官だよー」
「私のお父さんは……陸軍の偉い人だったみたいだけど、良く分からない」
「ボクの父さんは夢の中でもふしぎな人だったな~。現実と一緒で、世界中を飛び回ってる人だったっていうのは覚えてるけど」
そういう細かいところはオレとみんなとで若干の齟齬もあるらしい。例えばオレが覚えてる美琴の親父さんは『微妙に怪しい者』とか抜かしてた通り、実は国の裏側で暗躍する凄い人だったんだよな。それはオレと美琴での主観の差、ってヤツも多分にあるんだとは思うが。
「それにボクたちが世界の命運を賭けて戦ってたなんて、なんだか照れくさいね」
「まあな……。でもさ、夢の中のお前らはすげえカッコ良かった。そのことだけはハッキリ覚えてる。苦難の度にそれを乗り越えて、オレなんかより何歩もずっと先行ってて。そういうお前らが『あの世界』に確かに存在してたんだってことを、世界改変だか何だかをしたヤツが『夢』を通して教えようとしたのかもな。オレたち自身のことを『この世界』でも、ずっと忘れずにいるために」
「急に似合わないこと言ってる。ひょっとして白銀、『あっち』の自分に影響されちゃった?」
「あんだよー彩峰。少しはオレにも語らせろって」
「顔真っ赤。かわいいね」
「お前ね……ああ、もういいや。チクショー」
彩峰に茶化されたせいですっかり調子が狂っちまった。あはは、と笑いの花が咲いたところで、みんなの夢に対する懸念と不安もおおよそ取り除かれたみたいだ。
「繰り返すけど、夢で見たような何かがアンタたちの身に起こるなんてことはまずあり得ないから、そこは安心なさい。もしどぉ~してもって言うんなら詳しく調べてあげるけど? 被験者としてあたしの研究に協力してくれればだけどぉ~」
「い、いえ――それは遠慮しますッ」
委員長は両手をぶんぶん振って強い拒絶の意を示した。
まあ当然の話だな。オレだって先生のモルモットにされるのは勘弁願いたい。この人の言うに任せれば脳みそに電極突き刺してどうこうだの、非人道的なことをされかねんからな。割とマジで。
「じ、じゃあ私たちそろそろ、神宮司先生のところへ挨拶に行きますので」
「そお? まりものトコなんか行ったって何にも面白み無いわよぉ? 学校関係以外で出てくる話と言えば男と別れただのフラレちゃっただの、そんなんばっかだし」
……まりもちゃん。相変わらず、苦労してんだな……二重の意味で。
「まあいいわ。あたしはどうせ来年もここにいるし、気になることがあったらいつでも遊びにいらっしゃい」
「はい」
「――ああそれと白銀、それに鑑。アンタたちはもうしばらくここに残ること。いいわね?」
「はい?」
ちょっと待て。なんでオレと純夏だけが?
「二人には特別な居残り授業があるわ……覚悟なさぁい、フッフッフ」
「いやいや、それなら頼もしい同級生たちも一緒の方が……ってもう居ねーし!」
オレが振り向いた時には既に、危険を察知した委員長たちは戸の向こう側へと移動済みだった。
待て、逃げんなッ! 後生だからここに居て下さい!
「それじゃ白銀くん鑑さん、私たち先に行ってるから。生きてたらまた会いましょう」
「は、薄情者ぉ~」
「鑑、ファイト」
「オレのことも心配しろ彩峰!」
「たけるさん、ちゃんと勉強しないと卒業できなくなっちゃいますよー」
「もう卒業したわッ! ってかこんなコトで落第させられるなんて、理不尽すぎるにも程がある!!」
「あはは、タケルってば往生際が悪いよー。男の子らしく覚悟決めなよ」
「お前いっぺんオレと替われ! ――つーか待てお前ら、オレたちを残して行くなー!!」
行くなー、行くなー、行くなー……。オレの断末魔は虚しくこだまし、委員長たちは振り返ることなく廊下の彼方へと消え去ってしまった。
「さーて、邪魔者もいなくなったところで、さっそく質問なんだけど」
「邪魔者って、教え子相手にそんな……」
「何か言いたそうね? ハラに溜め込んだままってのは精神衛生上良くないわよ」
「……え、」
「でしょう? 鑑」
夕呼先生の視線はオレを通り越して、その後ろ……純夏に固定されていた。
そう言えばさっきから純夏はずっと黙ったままだ。いや、ここに来てみんなで夕呼先生と夢の話をし始めて……その辺りから純夏が発言しているところを一度も目にしていない。いつもなら何かしら話に絡んできたりツッコミを入れたりしてる筈なのに。
純夏の表情はきつく固まっていた。薄桃色の唇の裏では歯噛みをしているような雰囲気さえある。翳った表情。微かに震える背中。虚ろな焦点。明らかに怯えの気色を纏う純夏は、どう見ても普段の純夏じゃなかった。
「すみ、か……?」
オレの声掛けにも反応を示さず、純夏はおずおずと、先生の前に進み出る。
「……香月先生。あの、」
「なに?」
椅子に座り直し、そして夕呼先生が純夏を見上げる。その尖った目つきはまるで獲物を捕らえた女豹のそれだ。
「実は、私もなんです」
「私も、って、何の話だよ……純夏」
一つ深く、純夏が息を吸う。それを夕呼先生は微笑みを湛えたままで見守っていた。
「私も見てたんです。タケルちゃんたちと同じ……夢」