全部聞き終えて、それでもまだ、オレは信じられない気分だった。
「最初はタケルちゃんから話を聞いて、あれ? ってちょっと引っかかったぐらいだったんです。中身もほとんど違ってたし、それに私はタケルちゃんと一緒に過ごしてたからたまたま似た夢を見ただけなのかな、って。けどさっきみんなの話を聞いてたら、あれもこれも私全部知ってる……ってなって来て」
「榊たちとの話を聞いてるうちに、鑑の中で記憶情報が関連付けされたのね」
事も無げにそう言って、それから夕呼先生は立ち上がり、棚から無地のカップを二つ取り出した。
「飲む?」と訊かれ、今度は断らなかった。
長くなるわよ。夕呼先生が、そう言ってるような気がしたから。
「でも、みんなとは微妙に違うところもあるんです。私のは――そう、夢のはずなのに、ずっと真っ暗なところにいて。いろいろ何か、良く分からないまま自分がグシャグシャになってるみたいなことがずっと続いてて」
そう語る純夏の背に、オレはオレの見た夢の光景を重ねてしまう。
基地内の薄暗い部屋。そこに置かれた青白いシリンダーに浮かぶ脳髄。
純夏の夢ってのがあの状態だった純夏が見てたものだってんなら、そりゃあ――真っ暗で、グシャグシャで、当然だろう。
「そんなある時、いつなのか覚えてないんですけど、夢を見たんです。その夢は私たちのいる『この世界』とそっくり同じで、みんないつも通り学校に通って授業を受けてて。だけどタケルちゃんは何だか様子がヘンで。どうしてなのかは分からなかったけど、家の近所の公園で、私とタケルちゃんが抱き合って泣いてたのは覚えてます」
「『夢』の中で『この世界』の夢を? ――ふぅん」
黒々とした液体を湛えるカップをオレたちの前に置いた先生は、そこで何やら意味深長な相槌を打つ。
『夢』で見たもう一つの『この世界』。その記憶はオレにもうっすらとある。何故そんなことをしていたのかまでは純夏と同様判然としない。けれどその時、泣きながらオレを抱き締めてくれた純夏の温もりを、流した涙の優しさを、オレは心のどこかで憶えていた。
「そこから目が覚めた時、最初は何が何だか分からないんです。ただ私は暴れて泣き叫んでばっかりで。けどだんだん意識がハッキリしてきて、そう……そのとき私の傍にはタケルちゃんと、霞ちゃんがいました」
――ああ。そう言やあの頃、純夏の意識は『ハレーション』ってやつを起こしてたんだったな。その瞬間、教室で委員長たちの話を聞いた時と同じ感覚がオレを襲う。
バラバラになっていたパズルのピースが急激にピタリピタリとハマっていって、やがて一つの鮮明な像を描き出す、そんな感覚。これが『記憶の関連付け』なんだとしたら、さっきまでの純夏もきっとこの感覚を何度も味わってたんだろうな。
「そのうちに段々色んな事が分かるようになってきて……私はすぐ傍にタケルちゃんがいてくれて嬉しいって、素直にそう感じてました。それから少しして、私も軍隊の制服を着て他の人たちと一緒に過ごすようになって、そこには榊さんや彩峰さん、鎧衣さんに壬姫ちゃん、それに冥夜もいて。……なのに、その頃の私は張り裂けそうなくらい辛くて、悲しかったんです」
……ん? 何だ? 何か今、オレ……イラっとしたのか?
純夏の『悲しかった』って一言に一瞬、あの気持ち悪いBETAどもの姿が脳裏をよぎって――それと同時に頭ん中が沸騰するような奇妙な感じがした。少なくとも『夢』の光景にそういう場面は無かった、と思うんだが……?
「そこにはあたしもいたの? あっちの『香月夕呼』はどうだった?」
「すみません、正直良く覚えてなくて。けど先生のことはずっと頼りにしてたような、そんな気がします」
そりゃそうだろう。『あっちの世界』の純夏は
対BETA戦争における人類最後の切り札。
経緯はどうあれそんな宿命を背負わされちまった純夏にとって、文字通りの命綱となっていたのが『あっちの世界』の夕呼先生なんだからな。
「……覚えているのはこのぐらいです。後はみんなと同じで、最後の戦いにみんなで向かって、その後のことは……分かりません」
消え入るような声で純夏が話を結んでから数分。大して広くも無い物理準備室は、あれからずっと沈黙に包まれたままだ。せっかく淹れてもらったコーヒー……だと思われる液体……も一口も付けられぬままとっくに温くなっちまってる。けどオレにも純夏にも、そんなことを気にかける余裕なんてこれっぽっちもありはしなかった。
「……思ったより冷静ですね、夕呼先生」
この静けさをどうにか打ち破ろうと、オレは先生に問うてみる。半分くらいはカマをかける狙いもあったが。
「そう?」
「純夏までもがあんな夢を見てたって話、先生ならもっと面白がるかと思ってました」
「だって、榊たちの話にも鑑は出てきてたでしょう? むしろ『あっちの世界』に関する記憶を鑑が一つも受け取ってなかった、ということの方が考えにくいと思うけど」
「まあ、それはそうですね」
「それに……フフフ。リーディングにプロジェクション、か。……面白いわね」
あ、これはあれだ。マッドサイエンティストの血が騒ぐ、ってヤツだ。その証拠に先生の眼がギラギラ輝いてやがる。そっちに関心を持たれちまったのはだいぶ厄介だな……。どうにか話の方向を逸らさねえと、お得意の蘊蓄が止まらなくなるぞ。
「そ、それはともかくとしてですね、一つ疑問があるんですけど」
「何?」
「さっきの理屈です。オレたちの夢にはまりもちゃんや霞も出てくるわけですけど、それってつまりあの二人にも『向こうの世界』の記憶があるかも知れないってことですか?」
「さあ?」
「さあ、ってそんな無責任な」
「知らないわよ、アンタたちの『夢』の話なんてついさっき聞いたばかりだし。そもそも夢に出てきたからって、その全員がアンタたちと同レベルの記憶情報を受け取ってるとは限らないわよ。現にあたしがそうなんだし」
「あ、そっか」
「尤もそういう人間でも、アンタたちと記憶の擦り合わせをすれば思い出す可能性もあるかも知れないし。もしくは普段から『あっち』に関する言動をしてるような人間なら、ひょっとしてアンタたちよりも先に記憶情報の関連付けが済んでるのかも知れないけどね」
オレたちよりも先に、か。そんなヤツには心当たりなんてこれっぽっちも無い……そう思い掛けたその時、ん? とオレの心に何かがゴツンとぶつかった。
今にして思えば以前、『あっちの世界』とカブる言動を度々繰り返す、そんな人がどっかにいたような――誰だっけ?
うーん、思い出せん。
「そのぐらいのことは一通りの情報をまとめて考えれば、アンタのオツムでも十分推理出来るでしょ。白銀ぇ、あたしの説明ちゃんと聞いてた?」
「……聞いてましたよ、もちろん」
「もう大学生になるんだし、アンタも少しは自分の頭で考えるクセ付けなさい。でないと一生誰かに使われるがままの人生で終わるわよ」
――何かそれ、前にも似たようなこと言われた気がするな。どこでだったかは覚えてないけど。
「それで鑑、アンタはこの件についてどう思ってる?」
「ぅええ? さっき香月先生に言われた通り、『あっちの世界』っていうところで実際に私が経験したこと、なんじゃないんですか?」
首を傾げたのは純夏ばかりではない。オレにしたって一瞬、先生の言うことを完全に鵜呑みにしかけていたところに水を差された心地だ。ついさっき先生に『自分の頭で考えろ』って言われたばかりなのに。
「あたしが言いたいのはね、何事においても主体者の意志が重要、っていうことよ」
大げさに両手を開き、先生は肩をすくめる。
「鑑がその夢を『あっちの世界』で起こった事実だという認識を強めれば、記憶の関連付けはさらに進んでもっと色々なことが思い出せるかも知れないわね。でもどれだけ思い出せたとしたって、それは所詮ここではない別の世界のものでしか無い。さっきも言った通り別世界の自分から送られたメッセージだとでも思っておけば、『この世界』のアンタたちにとってはそれが紛れも無い事実になる」
けどね、と先生は席を立つ。両者の身長差のおかげで今度は夕呼先生が純夏を見下ろす格好になった。
「白銀と鑑。アンタたちだけが、榊たちとは明確に異なる質の『夢』を見ているのよ」
「異なる質?」
「榊たちの夢の内容は『あっちの世界』で起こった出来事や、自分が体験した範囲のことだけだった。だからそれが『異世界からのメッセージ』だったと言われれば、それであの子たちはすんなり腑に落とすことが出来る。でもアンタたち二人は違う。『この世界』と思われる、もう一つの並行世界に関する認識。複数の世界にまたがって存在する複数の記憶。これについては単に『あっち』という単一世界だけで起きた出来事として片付けることは出来ない」
「……もっと詳しく、教えてください」
珍しいことに、純夏が夕呼先生の話に食いついている。オレ自身も気になっているその部分を、果たして純夏は先生から引き出すことが出来るだろうか。
「小難しい説明してもアンタたちの頭には全然入って来ないだろうから、ザックリ要点だけ説明するわね」
そう告げて先生はやおら腕組みをした。白衣の裾からこぼれるボディコンタイプのスーツが腕に押し上げられた特盛りの胸をさらに強調している。相も変わらずこの人の服装センスは目に毒だ。
「まず白銀。アンタも他の連中と同じように『あっちの世界』での記憶が関連付けされている。ただしアンタの場合は途中で一度、同じ世界をやり直してるって言ったわね」
「はい。夢の中では、ですけど」
「ところがそれと同じことを『あっちの世界』からやって来た白銀武も言っていたのよ。主観時間で三年過ごした、ともね」
「三年!?」
ってことは『あっちの世界』に居たオレって奴は、少なくとも今のオレより三歳分は年上だったってことになるのか。
断片的に夢で見てただけなせいか、その辺の時間感覚についてはどうもあやふやだ。
「とすると、考えられる可能性は二つ。結果が近似する並行世界間の記憶情報を何らかの方法で同時に収集したか、あるいはアンタ自身が『あっちの世界』を一度のみならず何度もループしていたか、そのどちらかでしょうね」
「ループ、ですか」
「要するに時間遡行ってこと。並行世界があるぐらいなんだし、その狭間を渡り歩けるアンタが時間を遡行できたとしても何も不思議は無いでしょ」
「はあ……」
事があまりに複雑すぎて、もう不思議しか無いんだが。世界間移動どころかタイムトラベルまで出来るってか。それこそ都合が良すぎないか? オレっていう存在よ。
「時間遡行を繰り返すことによってアンタ自身が確率時空上の『特異点』となり、そこから枝分かれした二つの、あるいは複数の世界に関する記憶を有することになった――っていうのがループ説。この場合、アンタの主観上では『一度最後までプレイしたゲーム』を『中間地点からもう一度プレイし直してる』ようなものだから、やり直しによってプレイの結果が変わったことを認識できてるのは何ら不思議じゃないでしょ? プレスタのクソゲーみたいに」
「あー、確かに」
要は一度ゲームオーバーになった後、前回セーブしたところからロードしてやり直してるのと同じってことだろ? 夕呼先生にしては珍しく、オレのオツムでも理解できる易しい例え話をしてくれたもんだ。
……つーか、先生まだ根に持ってたんだな、例のクソゲーのこと。
「じゃあ、もう一方の同時収集っていうのは何なんです?」
「その通りの意味よ。『こっちの世界』に居ながらにして『あっちの世界』の自分を観測する、または『あっち』にいる自分に『こっちの世界』の自分を観測される。そうすることによって複数の世界に存在する二人分以上の記憶情報を同時に取得する――これが同時収集説」
「なるほど」
これも何となくゲームに例えられそうな話だ。自分の画面を見ながらプレイしつつ隣のプレイヤーの画面もチェックして、異なる二つの結果を同時に把握する、みたいなことなんだろう。
相違点としては、その『隣にいるプレイヤー』ってのが友達とか他人なんかじゃなく、別の世界に居るもう一人の自分……ってところか。
「同時収集かループか。それを特定するのは、残念だけど『この世界』を抜け出せないあたしには事実上不可能。アンタが任意に並行世界間の移動や時間遡行をすることが出来たのか、それとも他の要因によって移動を余儀なくされていたのか、ってことも含めてね」
その辺りに関してはオレも、少なくとも今日までの間に夢で見たことは無かったな。まあ仮にあったところで『あっちの世界』での謎が一つ解明されるだけで、それによってメリットを得られるのはせいぜい夕呼先生だけ。『この世界』のオレたちにはどうしようもないことだ。
「それにアンタがこうして『あっち』の自分の記憶を受け取れてるってことは、案外向こうではその謎も解決済みなのかも知れないしね」
「それはどうとも言えないですけど――って! だから人の思考を勝手に読まないで下さいよッ!!」
「読むも何も、アンタ自身の口からダダ漏れだったんだけどぉ?」
うぐ……しまった、またやっちまった。
「考える前に喋るのもアンタの悪いクセよ? 全く、あれだけ口酸っぱく言ってやったのに、そういうとこ全然直ってないんだから」
「直って――ない?」
そんなこと言われたっけ? しばしキョトンとしていたオレの反応を見て、先生の瞼が一瞬ピクリと開かれる。
「ああ、そうだったわね。ごめん。今のはこっちの話」
何か、夕呼先生にしてはどうにも歯切れの悪い物言いだな。単にオレがいつか言われたのを忘れてるだけか? それともその『あっちのオレ』とやらに説教かましたのが先生の中でゴッチャになってるとか?
「ところで白銀。『この世界』と『あっちの世界』の自分の話を聞いて、何か疑問に思うところは無かった?」
「え? ……疑問、ですか?」
「そう。『こっち』と『あっち』、並行世界にそれぞれ別個の自分がいる。そのことはもう、何となくでも理解出来たでしょ」
「はい。まあ、それは」
何てったって、夕呼先生自身がその『あっちのオレ』って奴に会ったと豪語してるんだ。この事実を否定することなんて、オレの論理展開能力じゃ逆立ちしたって出来っこない。
「だったら自分の見たその『夢』ってヤツの内容をもう一度、良く振り返ってご覧なさい」
振り返れ、って言われてもな。疑問に思うような部分なんて何かあったか?
えーっと、戦術機に乗ってBETAと戦ってだろ。
純夏と再会してだろ。
冥夜たちと一緒に過ごしてだろ。
そもそもそういうことになったのも、オレがある朝目覚めたら突然『あの世界』になっちまってたからであって……。
「――あ!」
そうか。そういうことかよ。先生が何を言わんとしてるか、解った気がするぞ。
「委員長たちの夢はどれもこれも、『あっち』での自分とそれを取り巻く状況ばっかりだった。でもみんなと違ってオレは最初から『あっちの世界』の住人だったワケじゃない。それまでは普通に『この世界』で過ごしてて、それである朝目が覚めたら『あっちの世界』に居たんだ!」
先生の目が満足げに細まったのを見て、オレはいよいよ確信に至る。つまりこういうことなんだ。
「『あっちのオレ』は並行世界間を移動して『この世界』に渡って来た、って言ってましたよね。けどそのオレは元々『こっちの世界』の住人だった。どういう理屈でかは分からないけど、オレはここから『あっちの世界』へ移動して、そして世界のループだか何だかを経験した後に『あっちの世界』からこっちへ帰って来た。そうですよね?」
「大筋ではそうね」
「でもその一方で、オレはオレとしてこの世界にも存在していた。今までと何ら変わりなく、純夏や冥夜、委員長たちと一緒に学校生活を送っていた。それも事実、なんですよね」
「それも間違ってないわ」
「じゃあ、だとしたら……オレは? 今ここにいるオレは何なんです? 『あっちの世界』に転移したオレは、先生の前に姿を現したっていう『あっちのオレ』は、今どこにいるって言うんですか……?」
もしかしてそれも、『この世界』と良く似た別の並行世界だったってことなのか?
けど夕呼先生はほぼ全面的にオレの見解を認めている。だったらある日突然『この世界』からオレが消えて『あっちの世界』に行っちまってた……なんてハズが無い。
現にオレはずっと『ここ』に居て、みんなと一緒に今日まで普通に暮らしてた。その記憶だってちゃんとあるんだ。
「その時点から『この世界』も分岐していたという可能性もあるけど……そうね。向こうのアンタが数式を求めて『この世界』に来た事実が残ってる以上、アンタという存在そのものがこっちと向こう、二つの並行世界に二重に存在していた、という説をあたしは有力視するわ」
「二重に存在、ですか」
「ややこしい説明しても混乱するだけでしょうから、要は『白銀武』の分身体が向こうの世界に飛ばされていた、とでも解釈してちょうだい」
何か、これもどっかで似た話を聞かされたな。
こっちで平穏な暮らしを送っていたオレと、血みどろの世界で必死にもがいていたオレ。二つの世界をまたいで二重に存在していた『オレ』という同一の存在。
普通なら到底理解の及ばない話だ。なのに何故か、今のオレには沁み込むように納得できる気がしてしまう。
「さて、ここまでの白銀に関する説明を下敷きにするとして」
……って、ええッ!? オレの話は下敷き扱いですかッ!
「鑑。今度はアンタに関する話よ」
「は、はい」
「鑑もまた、複数の並行世界からの記憶情報を同時に有している。そしてその情報解像度は榊たちのそれと大差ない。これが意味するところは――ここまでの説明で、もう大体分かるわね?」
「……はい」
感情を押し殺したような純夏の返事に、ドクン、とオレの心臓は軋んだ。
さっき先生は言っていた。大規模な記憶の流入現象は当事者の消滅か死亡、そのどちらかで起こるのだと。
そして純夏は委員長たちと同じく『あっち』を含めた複数世界の色濃い記憶を『夢』に見ている。
ということは……つまり――
「いちいち暗くなりなさんな。所詮は推測に過ぎないんだし因果が影響する心配も無い、って何度も言ってるでしょ」
「あ……すいません。私もタケルちゃんも、何となくそのこと意識しちゃって、つい」
「まああっちもこっちも主観上では同じ自分なわけだし、気持ちは分からなくも無いけどね。――話を戻すわ。鑑の場合は白銀と違って複数の世界間を移動していたという認識を持ってはいない。でも白銀と同様、複数の世界に関する記憶や認識は持っている。それがどうしてなのかは覚えてる?」
「それは……すみません。思い出そうって頑張ってるんですけど、自分でも良く分からなくて」
そうこぼして純夏は頭に手を当て、しばし考え込む仕草をした。純夏の見ていた『夢』の内実もきっと、オレたちのそれと似たようなものなんだろう。
ところどころ歯抜けがあって肝心なところが分からなくなってるせいで、真相がぼやけている。
ただ何と無しにさっきの先生の説明を重ね合わせて、オレはこう考えていた。仮にオレが世界をループして複数世界の情報を得ていたのなら、純夏のそれは同時収集だったんじゃないか、って。
「無理に思い出そうとしなくてもいいわよ。どうせ関連付けされるまではどう頑張っても出てこないんだし、それに、」
「……それに?」
「そもそも最初からその辺の記憶情報が流れ込んでいないのかも知れないわ。『この世界』に生きるアンタたちへの一種のセイフティ、つまり安全装置として」
安全装置? と純夏が小首を傾げる。
「榊たちや白銀の『夢』にも同じように、ところどころ欠損が出来ていた。例えば目の前で人が死んだという事実に関する記憶はあっても、死の瞬間、その克明な場面の記憶だけが無い。まるでそこだけを『誰か』が上手に切り取ったかのような的確さでね。まあ単純に、それらの記憶情報を受け取るための
「え……? レセ、プター?」
聞き慣れぬ単語の連続に、純夏とオレは二人揃って眉を八の字にしてしまう。小難しい話の連続にオレも頭がこんがらがってきたが、多分ここが堪えどころだ。
「記憶情報ってのは、流れ込んだものがそっくりそのまま認識出来るわけではないのよ。受け手側にも相応のベースがあることによって初めて意味のある形を結ぶ。見た目は0と1の羅列でしかないバイナリデータが、コンピューター上の然るべき処理を通せば文字や画像として識別可能なものになるのと同じように」
「んー……それって要するに、オレたちには扱えない形式のデータファイルが送られてきた、って感じですか。んで、そのファイルを開くためのフォーマットみたいなものがレセプターってヤツだと?」
「当たらずとも遠からずってところね。大まかな認識さえ合ってれば、細かい齟齬や語弊はどうでもいいわ」
こういう話はどうも感覚だけでは捉えにくいな。いっそさっきみたいに記憶をゲームソフト、レセプターとやらをゲーム機とでも考えた方が分かりやすかったかも知れない。いくら見かけが同じディスクでも、ハードの規格と合わないソフトは起動すら出来ないもんな。
まあつまるところは委員長たちに話してた事と同じで、オレたちが受け取った記憶情報と関連付けられるこの世界での体験やら知識やら、そういったものがレセプターと呼ばれるものの正体なんだろう。
「そのレセプターが無いのであれば、いくら記憶情報だけがあったって思い出せないものは思い出せない。気にするだけ時間のムダってことね。それにこの先、知識や経験を蓄えることで次第にレセプターが形成され、それと共に関連付けが成される日が来る可能性もあるっちゃあるし」
「んなまた適当な……。他の世界のこととは言え記憶が一部抜け落ちてるのって、個人的にはけっこう気持ち悪いんですけど。精神的な意味で」
「知識や記憶があった方が精神的に幸せ、だなんて限らないわよ? 心に負ってしまった傷のせいで、日常生活すら満足に送れなくなってしまうケースだってあるの。いわゆるトラウマとか
「ああ……なるほど」
そういうの、前にテレビで見たっけな。大きな事故とか災害に遭った人が、似たようなシチュエーションに出くわすと錯乱したり体調を崩したり、酷い時には廃人になっちまったりするっていうアレだ。
「鈍感なタケルちゃんには一番縁遠い話だね」
「あぁん? 何か言ったか純夏」
「いーえー、なんにも♪」
澄まし顔でトボけてんじゃねえよ。ったく、オレにだってトラウマの一つや二つあるっての。誰かさんお得意のドリルミルキィパンチとかな。
こないだ低軌道まで吹っ飛ばされた時に見た我らが青き
あんなものを生身で拝まされるのは二度と御免だ。
「それにね。仮に何らかの方法で人の死という事実を知ったとしても、その場面や状態を実際に見てないから心が耐えられるってことも往々にしてあるものよ」
「見てないから……か。そんなモンですかね」
「この世界での事故や災害の犠牲者にしたってそう。テレビの報道番組から情報を得る分には『Aという人が死亡した』という事実のみでおしまい。だけど実際その犠牲者がどういう死に方をしたか、発見時どんな状態だったか、なんてものを映像付きで放映したりはしないでしょ?」
「それはまあ、そうですね」
戦争ドキュメンタリーとかの番組ならそういうのも偶にあるけどな。けどそれらにしたって本当にヤバい状態なのをそのまま垂れ流しにはしてない筈だ。人間どころか車に轢かれたか何かで道路脇で死んでるカラスの死骸ですらウッてなるし、血まみれの内臓がはみ出てるのをうっかり見ちまった日にゃ当分メシが不味くなるもんだしさ。
「それと同じように、アンタたちが『夢』として見ている並行世界上の仲間や誰かが死んだ記憶も、受け取っているのは『その人が目の前で死んだ』という事実まで。それ以上のショッキングな情報は全てきれいにカットされている。テレビの例えを引っ張るなら『編集』と言い換えてもいい。こう考えてみると解るでしょ? 『誰か』による意図的かつ選択的な記憶情報のカット、という可能性をあたしが考えたくもなった、その理由が」
……なるほどな。無意識のうちにオレは頷かされていた。
『あっち』はああいう世界でああいう状況だったんだ。人の生き死にに関して目を背けたくなるほど陰惨でおぞましい光景は多分、オレたちの周囲にも溢れ返ってたと思う。『この世界』しか知らないオレたちがそれらを直視したら正気を失いかねないほどに。
オレの記憶にしたってそうだ。
オレはまりもちゃんが二つの世界で二度死んだのを憶えている。委員長たちも純夏も、『あっち』のまりもちゃんが故人となったことは認識できていた。しかもそれはオレの目の前で起こったことだった。
けど憶えているのはそこまで。その時まりもちゃんがどんな風にして死んだのか。その詳細部分はストンと抜け落ちたみたいに全く思い出すことが出来ない。多分、そっちの方が良いんだと思う。『この世界』のオレが平穏無事にオレとして生きていくためには。
つまりオレが『夢』でそういう酷な瞬間を見ずに済んでるのはその誰かとやらによる編集が掛かっているからであり、この点オレたちは『あっち』に関して思い出せないものがあることをソイツに感謝すべきなのだ――と、そういうことなんだろう。
「だから鑑や白銀は、思い出せないものを無理に思い出したり考える必要は無いの。思い出せるものは時間と経験を積み重ねるうちに自然と思い出す。思い出せないものは一生掛かったって無理、スッパリ諦めなさい」
「はあ。まあ……分かりました」
「何だか鑑はもう一つ納得出来てないみたいね。まあいいわ、だいぶ長くなっちゃったし、そろそろ結論といきましょうか」
夕呼先生はまた深々と椅子に座り直した。オレは純夏と立ち並び、先生の言葉を待つ。
「これまでに述べた通り、確率時空上には無数の並行世界があり、『この世界』は何らかの大きな介入によって今の形を取っている。そしてここに居るアンタたちは『向こうの世界』から流入した記憶の大部分を受け取り、その上で今の平和な暮らしを送っている。ここまでの話は大体分かったわね」
「はい」
「そしてそれらは何者かの意志によって全て選択的に固定された結果である、という可能性が少なくない。その選択をしたのが誰なのか。どういう意図があって今のこの状態を望んだのか。そんなことはこの際どうでも良いわ。重要なのはその全てをとても強い、決して揺らぐことの無い強い意志が成したということ。それは『より強力な意志による観測が世界の状態を決定付ける』という因果律量子論の観点から見ても、ほぼ間違いない」
ごくり、と純夏が喉を鳴らす。先生の言葉の凄みは何と言うべきか、オレや純夏に向けて直接注がれているようにも思えた。
「だから――この先どんなことがあっても、関連付けされた記憶の中にどんなものが混じっていたとしても、これだけは覚えておきなさい」
一拍の間を空けた後、夕呼先生は緩やかな笑顔と共にこう告げた。
「『世界』なんていう巨大で途方も無いものはね、ちっぽけなアンタたちの『意志』一つで決まるのよ」