――……タケルちゃーん……
――……タケルちゃーん……
どんどんどん。
けたたましくも耳馴染みのある音と声。ああ、また今日も純夏が起こしにきたのか。
ゆうべ寝るのが遅かった、っていうかほぼ夜明け前だったせいで、メチャクチャ眠い。
冷静に考えりゃあ今日は大学の入学式もあるんだった。
そんな大事な日の前夜にあんなことしちゃうなんて。
認めたくないものだな、若さゆえの過ちというものを。
いやむしろ、これが若さか……。
――……タケルちゃーん……起きてよう……
――……タケルちゃんってばぁ~~……
どんどんどんどんどん。
まだ半分夢の世界に居る身としては、この五月蠅さは少々キツいものがある。
つーか、お前も寝たのはオレとほぼ同じ頃合いだった筈なのに、朝っぱらからめちゃくちゃ元気だな。羨ましいよ。
オレもそんな風に元気マックスで活動的な毎日を送りたい人生だった……。
悪い、今のはウソだ。本当はじっくり惰眠を貪る方がいい。
――……うわああああん……開けてようタケルちゃ~ん……
――……開~~け~~て~~ってば~~、タケルちゃああああん……
どどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどど。
にしても……さっきから何だ?
開けるも何もお前、オレと一緒に寝てたじゃねえか。なのにマシンガンみたいな勢いでドア叩きやがって。
あ、さてはトイレに入ってうっかりカギでも掛けちまったか? 内側から開けられるってのに。
やっぱりバカだねアイツは。
――……なんでカギがあぁぁぁ……しかも新しいタイプ……
――……もしかしてこれ……、……居るんでしょぉ……絶対そうに決まってるぅぅ……
当たり前だろ。ここにオレが居なかったらそれこそおかしい。
お前こそ何やってんだよ。昨夜は大人しくオレの腕の中だったくせに。
ほら、まだ布団の中にはお前の温もりだって……。
むにゅ。
そうそう、この柔らかさがあったんだよな。
それにしてもたった一晩でお前、ずいぶんハリのある肌になったもんだなあ……。
「これ。男子たる者、そう躊躇いもなく
あん? 何言ってんだお前。急にキャラ変したりして。
それにその口調、何だよ。
それじゃまるでアイツみたいじゃねえか……ははは……。
「尤も私としてはそなたにならば、触れられるのも吝かではないがな……」
待てよ。その一瞬で、寝ぼけていたオレの意識は覚醒状態へと切り替わる。
この感じ、覚えがある。そうだ。こういうことは前にもあった。忘れる事なんて出来ない。というか、忘れようにも忘れられない。
まさか。いやバカな。ある筈がない。
目はしっかりと瞑ったままで一旦意識を逸らすかのように、オレは反対側へと寝返りを打ってみる。
「うふふ、お寝坊さんですわね武様。そろそろ目覚めませぬと、入学式に遅刻してしまいますよ」
むにゅむにゅ。
これもだ。顔面にぶつかったこの柔らかくて温かい感触は、さっきのそれとほぼ相違ない。だがオレを挟むこの二つの柔らかな膨らみ、その内奥に漂う凛とした気配。それは切れ味鋭い刃物みたいですらある。とは言え決して不快なものではなく、むしろキンキンに冷えたソーダを思わせる痛快さ。それはアイツら特有のものだ。
それがまさに今二つ分、オレと共に布団の中にある。
「も~~ッッ! こうなったら玄関蹴破って入るからねっ! 行っくよ~~。い~~ち、に~~のォォォォ……さ~~んッッ!!」
ドグワッシャァァーーァン。
階下から何かが爆発したかのような轟音。
アイツやりやがった。
そしてこの流れも、『あの日』のそれと全く一緒だ。
まさか。まさか。
もう一度寝返りを打ち、恐る恐る、オレは瞼を開いてみる。
「ようやく目覚めたか、タケル」
「……め、め、めッ、」
そこにあったのはやはり『あの日』と全く同じ光景。勝気な笑みをその美貌に湛え。白い和装の寝間着に身を包み。心の何処かで期待していて、けれど二度と訪れることは無いと思っていた、そんな光景。
「冥夜……ッ!!?」
オレの布団に包まり寝そべっているその女は紛れもなく御剣冥夜、それそのものだった。
夢じゃ、ない。これは、夢じゃないっ!!!
「おまおま、お前っ、どどどどどうしてここにッ!?」
「どうして、とは随分な物言いだな。久しぶりにそなたに会えたと言うに」
「冥夜、そのような些事にいちいち目くじらを立ててはなりませぬ。武様とて久々にそなたの顔を見たことで興奮し、舞い上がっておられるのでしょう」
いや、舞い上がってんじゃねえ! どっちかって言ったら肝が飛び出るぐらい驚いてんだっつーの!
背後からの声にオレは心の中でそんなツッコミを入れる。
「そうは言いますが姉上、我らは久しぶりにタケルと共に朝を迎えているのです。せめてもう少し落ち着いたやり取りでありたいと、そうは思いませんか?」
「姉上。我ら。っつーことは、こっちに居るのは……」
半ばそうと確信しつつ、オレはそちらに首を巡らせる。
「おはようございます武様。本日は晴れの門出に相応しい好天でございますわね」
「やっぱり悠陽かッ!!」
たおやかに挨拶をしたのはこれまた予想通り、冥夜とそっくり同じ恰好をして寝そべる御剣悠陽だ。いや、冥夜のそれよりも悠陽の方が胸の露出度がだいぶ凄い。慌てているにも関わらず、オレの鼻先にぽろりとこぼれ出ているこの匂い立つような桜色の突起から目が離せねえ。
気品すら感じさせる表面の艶めきぶり。素晴らしく上等に盛り上がったこの形状。これがパフィーニップルってヤツなのか――……って、そんなコト言ってる場合じゃなかった。
何だこれは。もしかしてオレ、『この世界』でもあの日に、10月22日にループしちまったとでも言うのか!?
「それにしても、そなたも純夏も相も変わらぬ様子だな。あのようなあられもない姿を見てしまったことは少なからず衝撃的であったが、そなたたちの仲睦まじき寝姿は不思議と微笑ましくもあったぞ」
……ってことは、もしかしなくても――見られたのか? ゆうべ果てたまま寝落ちた、素っ裸のままのオレと純夏を!?
焦ったオレはとっさにシーツをめくる。……そこにはゆうべ二人でつけた無数のシミが、そこかしこに残されていた。
「そうですわね。さすがに四人で枕を共にするには少々狭うございましたゆえ、致し方なく鑑様にはご自宅までお運びさせていただく仕儀とあい成りましたが……」
「ということは、お前らが純夏をッ!? 二人とも少しぐらい遠慮するって発想は――いや! 今はそんなことどうだって良い!!!」
タ~ケ~ル~ちゃーん。純夏の低い唸り声は階段を駆け上がる音と共に、着々とここへ迫りつつあった。
「純夏も来たようだな。どうするタケル? 我らも起きるか?」
「起きるな! そのまま死んだように寝てろッ!!」
「何故だ?」「何故です?」
「何故もクソもあるかあッ!!!」
とぼけた顔でシンクロする姉妹二人に、オレは『お前らこそ相変わらずだ!』と心の中で悪態をつく。
この双子はいつだってこうだ。何の前置きも無しに突然現れて、やりたい放題やって、とんでもない状況に周囲を巻き込みやがって!
いや、久しぶりの再会が嬉しくない訳じゃない。そうじゃないんだ。現にオレは焦りながらも噛み締めたいほど喜ぶ気持ちを抑え切れずにもいる。また冥夜に、悠陽に会えたって。
けどな、この状況はさすがにマズいにも程があるだろ! オレ全裸。お前ら寝姿。それで一つのベッドに同衾していて、目覚めたら自宅に戻されてた純夏がすぐそこまで迫ってる。
あの頃とはワケが違うんだ。こんなところを見られたらオレもお前らも絶対タダじゃ済まないッ!!
「あがっ、ちょっ、ちょっと待って待って、落ちるのは待ってぇ~~~」
ズドンガコンバキン、と物凄い勢いで純夏が階段を滑落する音が聞こえてくる。それにホッと一息つく暇なんてありはしなかった。
ああ解ってるさ。お前はこれしきのことで諦めるようなタマじゃない。そうだろ?
純夏は這ってでもここへ来る。例え天地がひっくり返ったって、世界がブッ壊れちまったって、必ずオレに会いに来る。純夏はそういうヤツだ。だからそうなる前に急いで、オレはこの状況を何とかしなけりゃならない。
「今のうちだ、二人とも起きろ! そんで黙って窓から外に出ろ!」
「寝てろと言ったり起きろと言ったり、まったく忙しないな。まあそう急くでない。久しぶりにそなたと褥を共に出来たのだ、せめて朝食の支度が整うまではゆっくり過ごさせて欲しい」
「わたくしも冥夜に同じく。武様はもうしばし、わたくしの胸元に顔をうずめていらして良いのですよ」
「それならばタケル、私のも存分に味わうが良いぞ。先刻のアレでは少々物足りなかったであろう? 私もその、初めは少々刺激が強すぎて怖じてしまったが、今はもう腹も据わっている。姉上にしていたように、私にも遠慮なくいたせ」
「だぁ~かぁ~らぁ~、それじゃマズいんだって!」
つうか何やったんだ、寝てた時のオレ!?
そうこうしているうちに、再び階段を駆け上がる純夏の足音はもうデッドラインにまで近づいていた。破滅まであと三秒。――ええい、もうこうなりゃヤケだ! オレは意を決してベッドから飛び起き、身を翻すなり冥夜たちにガバリとシーツを被せる。
「わっぷ。一体どうしたというのだ? 突然このようなことをしおってからに、」
「いいからオレが良いと言うまでそこに居ろッ!! いいな、一言も喋るんじゃねえぞ!」
オレがそう言い放ったのと部屋のドアが勢いよく開かれたのはほぼ同時だった。着替える暇も無かったフルチン状態のオレと、昨日と同じ私服姿の純夏が、パチリと目を合わせる。
「や、やあおはよう純夏。急にいなくなったから心配してたんだぞ~、なんて」
脂汗まみれで爽やかな挨拶を交わし、オレはじりじりとベッドから後ずさる。
純夏の注意をオレに引き付けることで、ベッドに潜る冥夜たちには触れさせないまま場をやり過ごす。こないだ遊んだステルスゲームのノウハウを応用した、オレ渾身のカモフラージュ作戦。果たしてうまく行くのか?
「……タケルちゃん、隠さなくてもいいよ」
「隠すって何を? 前を?」
「居るんでしょぉ? 冥夜たち。この部屋に」
「ば、バカをお言いで。あああアイツらがここここんなとこに居るわけななななな無いじゃないか。お前だって知ってんだろ、御剣家の事情ってやつをさァ?」
「あんな手の込んだマネするの、冥夜以外あり得ないもん。窓が全部防弾ガラスになってる上に、玄関のドアだって昨日までのと全然違う、対衝撃対閃光防音構造の電子ロック式だったんだよ?」
――やっぱりか! あのマシンガンノックもどこか懐かしいと思ってたんだ。どうあっても純夏を締め出さんとする御剣家ならではの手口も、ここまで来ると一周回ってむしろ古典的だぜ!
「どこに居るの? クローゼット? 直通ドア……は無いから、やっぱりそのシーツの中?」
「い、居ないって!! それよりオレ着替えたいからさ。お前に見られながらってのも恥ずかしいし、ちょ~っとだけ外で待っててくれると嬉しいんだけどな~、って思ったり思わなかったり」
「――もうバレているようだぞタケル。さすがに純夏が相手では、その手の誤魔化しなど通用すまい」
バ、バカアアアアアッ!! 一言も喋るなって、オレ言ったじゃないですかあああああ!!!
「……そこだね」
目標を捕捉した純夏が無言でベッドへと歩を進める。どうにか止めなければ。オレの頭はその想いだけでいっぱいだった。
「ところで純夏クン。つかぬことを聞くが、玄関のドアはどうしたのかね?」
正面に立ちはだかろうとしたオレの体を、純夏の手がびしりと跳ね除ける。
「純夏くーん? 聞いているのかね~~?」
オレの問い掛けにも反応一つ示さず、純夏の手がまっすぐシーツへと伸びる。
「よしこうしよう。お前が壊した玄関のドアについては目を瞑ろう。その代わりにだな、お前もオレの……」
オレとの交渉になど一切構わず、純夏はシーツを鷲掴みにし……そのままガバリと引き剥がした。
「おはよう純夏。本日もまこと良い朝だな」
「おはようございます鑑様。お変わりないようで何よりです」
悲報。御剣姉妹、何事も無かったかのように純夏と挨拶を交わす。
しかもより不味いことに、冥夜も悠陽も寝間着の襟元が言い訳不能なレベルのはだけっぷりと来たもんだ。
もうダメだ。こうなったら、奥の手を使うしかないッ!!
「あ、あれ~~? どうしてこんなところに冥夜と悠陽がいるのかなあ~?? ずうっと部屋に居たのに、今の今まで気付きもしなかったぞぉ~~????」
「………」
その状況を、恐らく純夏は予測済みだったんだろう。混乱や動揺といった類の態度は見られない。代わりに無表情のまま、絶対零度を彷彿とさせる冷たい双眸がぬるりとオレに向けられる。
「いやぁービックリしたよねえ。だけどアレ? これって感動の再会ってヤツかなあ? ウンウン、なんか涙が出てくるよなぁ~そうだよなぁ~~。良いんだぞー純夏ぁ、オレに遠慮せず二人に泣きついても」
純夏の口の端がピクリと引きつったのが解る。
ダメか? いや諦めんなオレ! まだ打開のチャンスはある!
今はもう全力でこの方向に突っ走るより他は無いッ!
「オレもビックリだよホント。というわけでさ、ここは一つこの良き日に免じて手打ちといこうじゃないか。こんなめでたい日に些細なことで争い合うなんて、とーっても不幸なことだ。そうは思わないかね純夏クン?」
「…………タ・ケ・ル・ちゃ・ん・のォ~~~」
ゆらり。純夏の背に立ち上った真っ黒なオーラがたちまち天井を貫かんばかりに迸る。
あ、はい。ダメみたいですね、これは。
「まっ待て純夏! 落ち着いて話し合おうぢゃないかッ! これはだな、かの御剣財閥がお前のために仕掛けた一世一代のドッキリで――」
「―――おおばかものぉーーーーーーーッッ!!!」
音速を超えて放たれた純夏の拳が、オレの胴に深くめり込み、
「ゼログラヴィティィーーーーーッ!!!!」
その日、オレは恐らく人類初、生身での静止軌道到達を成し遂げたのであった。