「……で、例の騎士の女が本当にやって来たんだってな」
「ああ、くっそあいつ意外とすばしっこいぞ」
「オレより速いヤツ居るわけねーだろ」
「そうだけどよ……イテテ、イイ想いした分すっかりやられた」
「どうして負けたんだよ。色仕掛けでもされたか?」
「……似たような、もんかな……イイ乳してたんでつい揉んだら思いっきりガン、てね……」
「ふむふむ」
「だからあの乳と脚の速さに油断するなよ、ダンテ」
「ご忠告どーも」
ジャンヌは精霊の由来となる霊地が一つ、ジェイド山峰を上がっていく。
修行場として何度か利用したことはあるがいつもより空気が薄いのは、初めて頂上まで速足で駆けることになったからか。
魔物も、活発化している気がする。少なくともまだ昼なのに危険なマンイーターが中腹時点でうろついていたし、滅多に人前に姿を現さない種族まで狂暴性を剥き出しにしてジャンヌに襲い掛かって来たのだ。
その中から明らかにジャンヌの行く手を立ち塞がった者達も居る。例の襲撃者達の仲間だ。
彼らは確かあの後、実体化した精霊を捕まえに各地に散らばった。となると精霊の存在が近い所に彼らも…。
僅かな思慮をしながら山を上って来たジャンヌは、王家の指輪の導きの光が強まるのを感じる。
気圧が低くなっていく、これより下ると肺の負担が掛かり易くなる。
嫌な気配も近い。黒城入り口で一瞬相見えた剣士や、儀式の時にジャンヌを殺そうとした黒騎士に近い重圧が感じる。
だから一つ、落ち着いて、呼吸を整えて。……よし。進もう。
予想は的中した。
山頂で待ち構えていたのは、やはりあの時の襲撃者の一人だった。
風魔法でジャンヌから姫様を浚った男。あの仄暗い祠の中ではよく見えなかったが、腰以上の赤い髪は覚えている。青空の下でも映えるのは赤だけでなく、黒い肌をしていた。鎧らしき装備が見当たらない装束だが油断は出来ない。一目で分かる鍛えられた男性の肉体だ。風魔法のこともある。背中から垂らされる黄緑の衣が翼のようだけど、翼人ではなさそうだ。長く尖った耳からして、エルフだろうか。翠玉みたいな双眸がこちらを見据えていた。
さっきジャンヌに立ち塞がったワーウルフ……山犬師団の、ティトォ、だったか。彼がここを担当する者の名を告げていた。
ダンテ、と。
「祭壇以来だな」
「この先に風の精霊ル・フュージュが居る筈です。そこにあなたが立ち塞がるということは……」
「ご察しのいいことで」
「何故こんなことを」
「俺はメドラウドの兄貴に協力しただけだ。ってかすげぇ面白そうなことに乗っかっただけ」
「は……?」
「国に奉られる程の精霊を嬲ったりする機会なんて300年生きて一番珍しい遊戯だ。この暇潰し、よく味わっておかないとな」
「そんなことの為に……!?」
信じられない……と零した少女は次に沸々と怒りを込み上げさせていた。こんな挑発で震えるとは単純な奴だな、とダンテはゴーグルを装着した。
結局は相対した時点で避けられない戦闘だ。それに姫を黒城に閉じ込めてしまう狼藉者。一度はその裁きを与えないといけないと、ジャンヌは剣を構える。
戦いが始まった。
さて先ずは様子見と、ダンテは初手を取らせる。その誘いに乗ったというより、先手必勝と考えたジャンヌが走った。滑るような駆け方。人間にしてはかなりの瞬発力。衝力を載せるが如く、平にした刃でダンテに斬りかかる。
太刀筋は成る程、型にちゃんと嵌っていて、切れるものなら切る。そんな代物だった。仮にここまで登って来れたんだ。子供ごっこ遊びで姫付きの騎士になった訳ではなさそうだ。だがまだまだ粗削り、真っ直ぐ過ぎる剣先は読み易いし、遅い。最低限の動きで回避。連続して来る白い刃先は数cmの隙間を置いて空ぶった。
攻撃が当たってないことに一瞬慄いて、だが仕切り直すと決めたジャンヌは後方へ跳んだ。斥候に聞いた通りの身のこなし方も目にすればなかなかのものだ。そこらの雑魚なら攪乱も翻弄もされるだろう。まあダンテには余裕で追える動きだが。
「きゃ!?」
次の瞬間、ジャンヌは突き飛ばされた。荒れた岩肌に転がされる。
一瞬彼女には何が起こったか分からなかった。反射的な受け身からすぐさま起き上がれば、正面のダンテは居ない。何処へ、と見失った敵を探せば、今度は後ろから衝突された。
ダンテは移動していただけだった。ジャンヌからすれば速過ぎる動きだ。質量も当然残したままなので、触れただけで体当たりを食らっているようなもの。また赤い影のようなものが視界に入ったと思えば、側面から切り付ける風を浴びせられる。
「っ…!」
四方からなで斬りされるような攻撃を与えられ、ダンテを視界に捉えたと思ったら烈風で吹き飛ばされる。盾で凌いでいるが防ぎ切れず軽鎧も傷が増えていく。このままじわじわと体力を削られていくか。
(目で追っちゃダメ、追いかけちゃダメ)
追い詰められていると、危機感が高まるジャンヌは、そう考えていた。先手を狙って勝てる相手じゃない。自慢していたスピードも話にならない程相手の方が上だ悔しいけど認める。だけど速さが武器なら、それへの対抗策も分かっている。
ダンテが複数の烈風を生ずる。ジャンヌは片目だけを閉じて軌道を読んで交わしていく。ここは違う。ここで斬り込んでも間に合わない、移動される。
ジャンヌも駆ける。一か所に留まらない。ただの的にされてしまう。
ダンテが追ってくる。ここも違う。まだここじゃない。
追いつかれるどころか、抜き去られる、と分かっている。
脚に力を込めて留める。即サイドステップ。ダンテの予想の位置より少しだけ離れた位置にジャンヌは踏ん張る。
次は烈風か、移動か。前者の攻撃ならまた耐えて避ける。移動だったら『そこ』で。
音が耳に届く。風がジャンヌの髪を靡かせる。
赤い俊影が来る。
(――――そこ!)
ジャンヌは、後方へ跳ぶ。
移動が終わる直後の硬直。ほんの一瞬の隙を目掛けて、剣を振り上げる。
刃が、今日一番の難敵を、漸く撫で切った。
ゴーグルのすぐ下から血が垂れる。
よし、先ずは一撃。
ジャンヌはこの戦闘の勝利へのパターンを見つけたと思った。舞い上がる程の優越感。それが油断を生んだ。
ダンテは、自分の頬を撫でて、掌の血を確認して。……たった今自分を傷付けた相手を初めてちゃんと見据えた。
直後、ジャンヌは鳩尾を中心に衝撃と激痛が走った。
身体も宙に浮いて、岩肌に激突する。今度は受け身が取れなかった。
何が起こったのか。烈風に吹き飛ばされたのか。ジャンヌは激しく咳き込みながら、それでも放してなかった剣を握り直す。
「ちょっと、遊び過ぎたわ」
そんなダンテの言葉が聞こえて。
ジャンヌは咄嗟に転がれば、自分の居た岩肌が抉られた。ダンテが蹴り上げただけで。
ただの蹴りじゃない。風の魔法が集約されている。瞬発力も合わさって威力が飛びぬけている。
(こんなの、あと二回、いや一回でも当たったら……!!)
焦り、引かない痛みからも、転がりながら逃げるように、ダンテの風圧の塊のような蹴りを避けることしか出来ない。とても反撃する余裕なんて見つけられない。そして混乱に等しい程に慌てていたからか、ジャンヌはすっかり見落としてしまった。自分の退路を。
(しまった!)
なんとか起き上がれる頃にはフィールドの端まで追い詰められてしまっていた。
ここは山頂。翼人でもなければ浮遊の魔法を使えもしないジャンヌが足場を踏み外せば転落死という末路しかない。
「……で、どうする?」
ダンテも状況を分かっていた。だから攻撃を止めたんだろう。
ジャンヌからの降参を求めているのだろうか。
確かに、それが今最も賢明な判断かもしれない。だがどんな代償が支払わせるかもしれない。だから。
「でやあああああぁぁ!!!」
破れかぶれに、剣を振るった。
「バカだな」
本心から嘲って、ダンテは無謀な騎士の少女を蹴り飛ばす。
鎧と、剣が砕けた音がジャンヌの耳に聞こえた。ほぼ同時の衝撃と痛みによって意識も吹き飛ばされていく。直前に逆さになった緑と青が見えた。森が上で空が下に。と、いうことは自分は山頂から落とされたのか。やけに冷静な頭が把握していた。これが最後か。姫様、申し訳ございません。……と、無念を抱えたままに、少女は目を閉じた。
追ってきた赤い俊影、自分を落下された張本人である男によって助けられ、姫抱きでジェイド山峰を離れていく間も気を失ったままで。