質問をするのにも勇気が要った。でも言わなければ。
彼女の前で敢えて言葉にさせて聞かせるのも気が引けるとはいえ、はっきりさせなければ、いつまで経っても前に進めない。
織姫は意を決して、握り拳を作って質問する。
「朽木さんって、道野君のこと好きなの?」
死にかけの顔で飲んでいたジュースがボフッと勢いよく吐き出された。
ルキアはぼたぼたと大量の滴を顎から垂らしながら呆けた顔で織姫を見る。
同じく大量の滴を顎から垂らす竜貴もまた、驚いた表情のまま織姫を見つめて動けなかった。
「最近ね、朽木さんと道野君の仲が良いみたいだから、付き合ってるんじゃないかって言ってる人が居て、本当なのかなって気になってたの」
「つ、付き合う、って……」
「ちょ、ちょっと織姫、何言い出してんのこの子は……」
「もしよければ本当かどうか教えてほしいなって思って。どうかな?」
可愛らしく小首を傾げられても、冷静に受け止めることができない質問だ。
なぜかは自分でもわからない。激しく動揺していたルキアはしばし口をもごもごさせて返事をすることができず、しかしふと冷静になった。
何を悩んでいる。自身は死神の立場だ。
答えなど問われる前から決まっているではないか。
「道野君とは、ただの――」
お友達ですわ、と続けるはずだった。
不思議と口が動かなくなり、慣れた様子で上手く作っていた笑みが消えてしまう。
自分の言葉を上手く伝えられない。セリフは決まっているのにその通りに言えなかった。
奇妙なタイミングで急に黙り込んで何も言わず、戸惑っている様子も感じられて、愕然としているルキアを見て織姫は苦笑する。
「……ん。自分でもわからない?」
「い、いえ、そんなことは……彼とは、その」
「もしかして朽木さんって、自分の気持ちが自分でもわかってないのかな」
真剣に考え込む織姫は親身になっていたようだが本人には伝わっていなくて、ルキアは動揺し、鼓動の高鳴りが速くなっていくのを感じる。不安なのだ。自分の状態を自分自身が理解できていないことに少なからず恐怖を感じている。
ほんの一瞬で、彼女の表情には緊迫感が見えていた。
静かに口を噤んでルキアの様子を見ていた竜貴は、何を言えばいいかわからずに俯く。
あの出来事からずっと、胸の奥がもやもやしたままだ。
言いたいことはたくさんあったはずなのに、本人に近付く勇気は出ず、疑惑がある、というよりほぼ確信に近い彼女が目の前に居ても何も言えない。
自分が嫌になる瞬間だった。
居心地の悪いこの時間がただひたすらに苦痛だ。
少しの間、自分なりに考えていた織姫は一段落したあたりでようやく空気の変化に気付いた。
ルキアも竜貴もひどく落ち込んでいるみたいで余裕がない。
なんとかしなければと、また彼女はやる気を見せるのである。
「えっと、私は道野君と特別親しいわけじゃないし、今もまだよく知らないんだけど、道野君が良い人だってことはわかるよ」
褒めるために胸の前まで拳を掲げて言ってみたのだが、竜貴は呆れつつ暗い顔で何も言わずに見つめてきて、ルキアは聞いているのかもわからない様子で下を向いている。
まずい、はずした。咄嗟にそう思った。
これではいけないと、彼女はまたも話を変えようとする。
「あ、あのね、実はたつきちゃんから道野君の話を聞くことがあったの。たつきちゃんっていつも道野君の話ばっかりするから――」
「ちょ、ちょっと織姫!?」
今度は慌てて口を押さえようと竜貴が飛びかかってきた。勢いよく、しかし痛みを感じないように接触の瞬間は優しく、パシッと口元を手で押さえられる。あれ、なんだかおかしいことを言ったかもしれない、と気付いたのはその後だった。
どうやら止めるのが遅かったようだ。
顔を上げたルキアは静かに竜貴に目を向けて、見られていることを知って今度は竜貴が俯く。
「彼のことが……道野君が、好きなんですか?」
「あ、うぅ……そ、れは」
顔だけでなく耳まで真っ赤になり、普段の態度からは想像もできない弱々しさを見せて、竜貴は声を震わせると黙り込んでしまう。
ああ、なるほど。その様子を見るだけで理解した。
察したことも伝わったのだろう。竜貴は冷静ではいられず、がしがしと乱暴に頭を掻いて、羞恥心を吹き飛ばそうとするかのように唸った。
「あ゛~……! あいつとは幼馴染で子供の頃から知ってるから、その、だからっ」
「たつきちゃん。あたしはいつも思ってること全部伝えてるよ。好きな人のことも、お兄ちゃんのことも」
「うっ……」
「たつきちゃんも、もっと素直になってみて。ね?」
これが他の誰かであったなら抵抗したかもしれない。しかし織姫が相手では、心を許してなんでも話しているだけに、痛いところを突かれてしまう。
確かにそうだ。織姫は竜貴になんでも話す。隠し事がないとは言わないが、少なくとも彼女を信頼しているのは普段の態度で伝わっている。
それなのに、あたしは。そう思った途端、自然とため息が出た。
言いたいわけではない。けれど、素直にならなければいけないかもしれないとも考える。
この話し合いの場にルキアが居るのも、タイミングとしてはばっちりなのだろう。
おずおずと躊躇いながら、消え入りそうな小さな声で竜貴が呟いた。
「そりゃ……多分……す、すき……だと、思う、よ」
「そっか」
「う、ぐっ」
織姫が優しい笑顔で受け止めると、竜貴は羞恥心で押し潰されそうになってしまう。顔を上げられなくなってひどく居心地が悪い。
それでも、一度明かし始めた心情は堰を切ったように溢れ出し、徐々に変わり始める。
語り始めると少しずつ羞恥心は薄れていき、脳裏に浮かぶのは幼い頃の情景だ。
「あいつ、交通事故に遭って……一護のお母さんが亡くなって少ししてからだから、9歳の頃。なんでこんなタイミングでって思った。一護が見てられないくらい落ち込んでる時期だったしさ。でも、双葉のことがあったから一護が立ち直ったのも事実なんだ」
「うん……」
「一ヶ月近く眠ったままで全然起きなくて。何回お見舞いに行ってもそのままで……いよいよ起きたと思ったら、あいつ、何もかも忘れてたの。あたしや一護、自分の名前とか家族のこと、事故のことも、箸の持ち方も自分の足で歩くことも。日本語まで忘れて喋れなくなってて。ほんとに、生まれたばっかの赤ん坊みたいになっちゃって……」
いつの間にか緊迫した空気が流れていた。
竜貴は顔の赤みも薄れて、辛そうにも見える表情になっている。
「なんか、どうしようもなく悲しくなってさ。あたしたちが知ってた双葉はもう居ないのかもしれないって。そんなこと考えちゃいけないんだろうけど、どうしても昔のことが思い浮かぶ。あたしと一護はその頃に双葉を守ろうって決めたの。一人じゃ立つこともできないあいつを支えて立たせてやろうって」
重々しい雰囲気だ。
いつしか織姫とルキアも俯いてしまい、生半可な覚悟では口を挟むことができない。
この時ルキアは、深刻に考え込んでいた。
何を舞い上がっていたのだろう。自身は死神。現世には任務で訪れたのだ。職務を忘れて遊び呆けている事実が許されるはずがない。
他人のせいにはできない。自らの恥だ。
ルキアは数々の振る舞いを思い返し、自らの行動と腑抜けた態度を悔いていた。
「ふーっ……色々考えたんだ。あいつが自分で決めたんなら、それでいいかもしれないって」
心中は穏やかではないだろうに、深く悩み込んで見つけた選択肢の一つを、竜貴は平気な素振りで持ち出した。
顔を上げたルキアと織姫は彼女の笑顔を目の当たりにする。
「あたしは元々、恋愛とかそういうの興味ないし。今年の空手部は調子いいからインターハイも狙えそうなんだ。だから男とか付き合ってらんないんだよね」
「たつきちゃん……」
「ごめんね朽木さん。色々言ったけど別にあたしのことなんて気にしなくていいから。ただ、双葉のことは気遣ってあげてほしいんだ。昔からずっと、なんか隠してる感じがするし……」
「それでいいの?」
織姫がずいっと乗り出して顔を近付け、いつになく真剣な様子で尋ねた。
「たつきちゃんは、本当にそれでいいの?」
短い言葉だったが意図は伝わったはずだ。
悲しげな表情に気圧され、竜貴は思わず怯んでしまい、精一杯浮かべた笑みは脆くも崩れる。
再び俯いて、くしゃりと髪を掴んだ。
言葉はなかった。声を震わせずに上手く話せる自信がないのだろう。
それとなく察して、目を伏せて考えたルキアは、数秒の沈黙を作ってから目を開いた。
話さなければならない。秘めていた気持ちを明かした彼女に報いるべく、今更隠していることはできなかった。
重苦しい沈黙を破り、ルキアが静かに口を開く。
「おそらく私も、双葉が好きなのだと思います」
些か驚いた様子で織姫がルキアに振り向き、竜貴はぴくりと反応していた。
そういえば本人以外の前で双葉と呼んだのは初めてだった気がする。だが口調はそのままでも、心根を明かすならば普段の呼び方がいい。ルキアは動じずに続けた。
「実を言うと、彼の家に居候させてもらっているんです。事情があって前の家を引っ越さなければいけなかった時に、黒崎君と話し合って、どうせ一人だからと」
「え? 黒崎君が薦めたの?」
「ええ。経済的に困っていたのでとても助かりました。だけど変な噂が立つのもまずいだろうということで、みなさんには秘密にしていたのです」
織姫は質問したそうにしていたものの、追求を受ける前にルキアは続ける。
「彼と一緒に暮らすようになって、私は、いつの間にか変わっていたのかもしれません。本当はいけないことなのに、彼を想うがあまり後先を考えなくなって……」
体面を整えてはいるがセックスがしたくて堪らなかったのだ。誘ったのは双葉だ、と彼女は本気で思っている。しかし真実を告げるわけにはいかないため、二人の耳には美しい形での彼女のこれまでが伝えられていた。
ルキアがぐっと唇を噛み、言い辛そうにしながらそれでも言う。
「悪いのは私なんです。いずれ離れなければいけないのに……自分の立場も忘れて、自分勝手に行動してしまった。それで有沢さんにも不快な想いを」
「えっと……離れなきゃいけないって、どういうこと?」
「いつか、帰らなければならないんです。元居た場所へ、ここからは遠い場所へ」
儚げな雰囲気を湛えてルキアは苦笑した。笑いたい気分ではないだろうとすぐに伝わる。心配そうにする織姫に気を使ったのかもしれない。
織姫はすでに寂しげな顔をしていて、まだ別れは決まっていないというのに辛そうだ。
「それは、絶対なの? どうしても帰らなきゃいけないの?」
「ええ……おそらくは」
「だけど朽木さん、道野君のことが……」
「仕方のないことなんです。むしろ今までが良過ぎた。勝手なことをした私は罰せられるかもしれませんが、彼との思い出ができただけでも満足しないと」
「それって……あんまりだよ」
おそらくは家系の事情なのだろうと納得されたらしい。詳細を避けたためか、ルキアには自由がないのだと感じたのだろう、織姫は落ち込んで視線を落としてしまう。
竜貴も俯いたまま動かないが、少し雰囲気が変わった気がする。
ルキアはそんな彼女へ、些かしおらしくなった態度で声をかけた。
「私は多分……双葉が好きなんだろうと思います。そうした感情は必要ないと思っていたのに、ここに来て間違えてしまった。でも、いつまでもここには居られない。だからきっと、私より有沢さんの方が――」
「そういうのやめて」
気遣いのつもりか、譲るかのようなルキアの発言をぴしゃりと遮った。
顔を上げた竜貴は力強い眼差しを向ける。
ルキアは呆気にとられてしまい、言葉を失った。
「それ、朽木さんの本音じゃないでしょ? 誰にどんな気を使ってんのか知らないけど、あたしはそんなの望んでない。双葉のことも自分のことも大事にしてないじゃん」
返す言葉がない。固まったルキアの目を見て真っ直ぐ伝える。
「ほんとに好きなら、いつか帰るとか遠距離になるとかそんなのどうでもいい。本気で向き合わないならあたしは許さないよ」
「わ、私は……」
言い淀むルキアの顔を身を乗り出して覗き込み、織姫が尋ねる。
ここまできたら解決まで。腹を割って話さなければ。
「朽木さんは、どうしたいの? 道野君と別れたいの?」
「……私は」
ルキアは逡巡し、必死に考えた。
自分の本音と本能と、現世で過ごした日々、これから先に見ていた展望。様々な情報が錯綜して混乱したのだが、最終的には決断を出す。
表情を変えたルキアは、真剣に竜貴の顔を見つめ返した。
「私は……双葉と離れたくありません。今まではなんとなく関係が続いていましたが、改めて彼に告白しようと思います」
「え、してなかったんだ……」
「こうなったのも何かの縁。簡単には諦められません。彼と喧嘩して、今日離れていてようやくわかったんです。ですから、有沢さん」
驚く織姫の声を聞き流し、ルキアがそっと竜貴の手を取った。
唐突に手を握られて竜貴はわずかに怯む。
「有沢さんも付き合いませんか? 想いを伝えましょう」
「……は?」
きょとんとした顔で今度は竜貴が固まってしまう。しかしルキアは止まらなかった。
「ハーレムは男の願望。きっと双葉もあーだこーだ言うでしょうけど最後には認めてくれます。こうなったらもう同時に付き合いましょう」
「んなっ、な、何言って……!?」
「考えてみればいずれ帰らなければならないと言っても二度と会えなくなると決まっているわけではないわけで、必要であれば説得もしますし、一日二日の滞在くらいは可能なはず。そうなると私の立場からしても知らぬ間に知らない女に取られているのでは辛いですが、本当に彼を想っているあなたなら納得することができます」
「ばっ、馬鹿じゃないの!?」
竜貴は思わず叫んだ。それはもう、我を忘れて自分でも驚くほどの大声を発していた。
どうやらふざけているわけでも茶化しているわけでもなさそうだ。心底真剣に提案されているのがむしろ恐ろしい。
説得しようとするルキアに震えていた竜貴は、声を発した織姫が「その手があったか!」と言いたげな笑顔であることに愕然とした。
「それだよたつきちゃん! その手があったか!」
「違う! 織姫、あんた間違えてるよ! 頼むから乗らないで!」
「だってさ、男1VS女2なら女の勝ち!」
「あーもうこういう状況でめんどくさいけどどうしよう……! 織姫、人数が多い方が有利なのは武道の試合とかであって、恋愛はそういうのじゃないから。わかる?」
全くわかっていなさそうな織姫は小首を傾げ、テンションが上がったままで下がる様子はない。
何がなんだかわからないがとにかく凄いまずそうな気がする。
負けじと竜貴は自らを奮い立たせ、正道を伝えるべくルキアに向き直った。
「朽木さんはそれでいいの!? 双葉のこと、好きなんでしょ! だったら普通、自分だけのものにしたいとか、他の女の子は見ないでほしいとか、そういうのないの?」
「わ、私は正直、それはそれで嬉しいのだが、複数プレイも悪くはないなと……」
なぜかルキアは口元を綻ばせていて、そんな表情は初めて見た。ズゴゴゴとでも形容できそうな良くない雰囲気が全身から発されている。彼女を初めて怖いと思った瞬間だ。
助けを求めるように親友を見れば、彼女は何も心配せずに「そうだそうだ!」とルキアの提案に乗り気であり、後で本気で叱ってやらねばならない。
まさに孤軍奮闘。この場に味方は一人も居ないようだ。
「はぁ~……なんでこんな話になってんの。一旦、落ち着こう。落ち着いて話せばどんなにおかしい状況かわかるから」
「でも、それが一番いいんじゃないかな? みんなが幸せになれるんだよ」
「あんたはちょっと小学校の道徳の授業から受け直さなきゃいけないかもしれない。後できちんと倫理観とか教えてあげるからちょっと黙ってなさい」
「ふふふふ、通い妻プレイか。果たして我慢できるだろうか……ちょっと自分を抑えられないかもしれない。しかしそれはそれで」
「あぁ~……頭痛い」
竜貴は頭を抱えて唸った。
流石に織姫もルキアが何を考えているのか察したようだが、普段とは違う態度や声色に違和感を覚えて戸惑い、声をかけられずにいる。
妄想してにやけているルキアを見やり、果たしてこんな人だっただろうかなどと考えながら、我慢できずに竜貴は大きなため息をついた。