服を着替えて鞄を置くために一旦家へ帰って、案の定数々の拘束具と大人の玩具を用意して待ち構えていたウルルに絶句し、土下座をしたのだが許してもらえず、帰ってからの折檻を約束されながらもどうにか家を抜け出した後。
できれば今日は一護の家に泊まりたいなどと思いながら、しかしそれはそれで明日学校へ行けないかもしれないと考え、双葉はぶるりと震えた。
「後で迎えに行く。警戒しておくが、
「大丈夫だって。一護も居るんだから」
心配するルキアと怒りを込めて睨みつけてくるひよ里、最も危険な意思を感じさせるウルルに見送られて足早に去る。
すでに日は落ち、時間はまだ浅いとはいえ夜。
黒崎家はすぐ傍にあって、幼い頃から通い慣れた場所だ。
親を失った双葉が泊まることも多く、一護や双子の妹たちとは家族同然に育って、異様にハイテンションな彼らの父親のこともうるさいとは思いながら信用している。
ルキアとの同居が始まってしばらく経ち、黒崎家に訪れることも少なくなっていた。
ほんのつい最近の出来事でもずいぶん長かったように感じる。
色々なことがあったと振り返り、そういえば一人で夜道を歩くことなどもすっかり減って、暇を持て余していた頃はチャドと一緒に何がなくとも散歩したり、通りがかりで出会った
同じ屋根の下で住むなど、まるで家族のようだ。
一人になって振り返ったことにより、そう思って、妙に嬉しくなる。
「あれでエロいことがなければ……いや嬉しいんだけど」
呟いた頃にはすでに黒崎家の家に着いており、インターホンを鳴らす。
来ることがわかっていたからであろう、少し待つと扉が開けられ、一護が顔を出した。双葉を見ると驚きもせずに頷く。
「おう。何もなかったか?」
「ないさ。何度も来てる近所だよ」
「
「ああ」
やたら心配してくれるのは事情を知るだけでなく、共に育った幼馴染だからか。まるで兄のような振る舞いで双葉は苦笑する。
一護は少し不思議そうにしたが、家に来るのは久しぶりなため照れているのだろうと納得した。
彼が開けてくれていた扉をくぐって家の中に入る。
靴を脱ぐよりも先に、廊下の先に一護の父親、黒崎一心を見つける。
クラウチングスタートをしようとしていた。
咄嗟に一護が廊下へ上がり、敢えて道を開けておきながら双葉の前に立つ。
「もう始まってるな」
「双葉、ちょっと下がってろ」
「位置についてー、よーい……ドンっ! さあ一心選手、最高のスタートを今――!」
「切らせるかァ!」
「ぐっはーうちっ!? 顔かぁ!?」
勢いよく駆け出し、姿勢が起きるよりも先に一護が迎え撃って、顔面に蹴りを叩き込んだ。視界いっぱいが足の裏になって直撃して、一心は背中から倒れ込む。
双葉に飛びかかろうと画策していたらしい。相変わらずのコミュニケーションである。
そうした光景は黒崎家にとっては当たり前のもので、その家で育ったと言っても過言ではない双葉は見慣れており、驚きもせずに平然と笑っていた。
「息子がぁ!? 審判、息子が顔を蹴ってきました! アウトですあれは!」
「アウトなのはてめーの存在だっ!」
「ぎゃああ腹がぁっ!?」
仰向けに倒れる一心の腹の上にどすんと少女が飛び乗った。
双子の片割れ、黒崎夏梨である。運動が得意な勝気な少女で、一護ほどではないせよ、騒がしい父親を折檻する思い切りの良さは相変わらずだ。
全体重を利用したきつい一撃を与えた後、苦悶の表情で腹を押さえてぴくぴくしている一心にはまるで無関心な様子で、彼女は双葉にじろりと目を向けた。
「遅いぞ。もっと早く来れるだろ」
「え、そう? ちょっと早めに来たくらいの感覚だったんだけど」
「いらっしゃい双葉さん。夏梨ちゃんずっと待ってたから。最近会えなくて寂しかったもんね」
「余計なこと言わなくていい」
ひょっこりと顔を出した金髪の少女、黒崎遊子が双葉へ笑いかける。
母親が居ない黒崎家において家事を一手に担当し、幼いながら黒崎家の母として崇められている豪胆な少女だ。食事も彼女が作っているため、他の面々はここぞという時、遊子にだけは逆らえないのである。
少々ブラコンの気があって一護にべったりなのは気になるが、寝ている間に一護の布団に潜り込んで彼に抱きつき、全力で匂いを嗅ぐ部分に目をつぶれば、健気で素直で良い子なのだ。
「あ、お父さん大丈夫?」
「ゆっ、遊子ぅ。一護と夏梨がお父さんをいじめるんだよぉ……」
「自業自得だろ。遊ぶために殴りかかる父親があるか」
「どけ、ヒゲ。そんなとこ寝てたら邪魔だ」
「うぅぅ、双葉ぁ。お父さん家族にいじめられてるよぅ……」
「うーん、なんとなく助けたくないんだけどな」
おそらくというより確信を持って嘘泣きだが、しくしくと悲しそうに顔を伏せる一心は双葉に向けて腕を伸ばしており、掴んだ途端に引き摺り倒されそうだと予想する。
ようやく靴を脱いだ双葉が近付いた時、動き出すよりも先に一護が伸ばされた腕を踏んでやり、悲鳴を上げる一心を心配する声はなかった。
「ほら、行け。遊子がメシ作ってくれてるから」
「うん、ありがとう」
「ぎゃああああっ!? お父さん今っ! 息子に足蹴にされています! なので今すぐ家族裁判を行いたいと思いますがいかがですか裁判長!」
「一人でやってろ」
冷たく言い放つ夏梨は先にリビングへ戻り、続くようにして遊子、双葉と一護も入る。
置き去りにされた一心は寂しかったようですぐについてきた。
テーブルの上には色とりどりの料理が揃えられており、おおっと声を漏らす。流石に普段と同じではないだろう。久しぶりに来たということで歓迎してもらったのかもしれない。
「ずいぶん豪勢じゃないか?」
「えへへ、双葉さんが来るって聞いたからちょっと頑張っちゃった。おかわりもあるからいっぱい食べてね」
「ありがとう。なんか悪いな、わざわざこんなにしてもらちゃって」
「そう思うならもっと来ればいいじゃん。最近全然顔出さないし」
「そうだぞぉ! 双葉が来ないからお父さん寂しくてもうちょっとでモノポリー買っちゃうところだったんだぞ!」
「それは別にいいだろ。買うくらい」
「ヒゲもう黙ってなよ」
相変わらずのやり取りで安心する。
表情を緩ませる双葉はいつもの席へ座ろうとするのだが、その間際、そういえばさっきから夏梨の様子がおかしいなと気付いた。
「どうした夏梨? なんかあったのか」
「なんかさぁ……噂みたいなの聞いたんだけど」
「へぇ。俺の?」
「彼女できたって、何?」
びくっと双葉の肩が跳ねた。途端に夏梨が不気味に笑って額に青筋を立てる。
不穏な空気を感じて、その他の面子がさっと廊下まで下がって覗き込むように陰へ隠れる。
「ほーう……」
「いや、まぁ、彼女っていうか、その……えーっと」
「否定しないんだ」
「う……うん、あぁ、できた、かな」
「へー……ふーん……ほーう」
非常に空気がぴりぴりしている。
気配を殺して隠れている三人に止める気はなかった。
その中でも一護は不思議そうに首を捻って、真下に居る遊子が教えてやる。
「なんであんなに怒ってんだ?」
「お兄ちゃんは鈍いなぁ。夏梨ちゃんは双葉さんのこと好きなんだよ。ちっちゃい頃に結婚の約束までしてたんだから」
「そうなのか?」
「なにぃ!? お父さんそんなの初耳だぞっ!? どうして言ってくれなかったんだ!」
「お父さんに言うとみんなにバレちゃうんだもん。あーあ、あれは怒って当然だよ」
事前に準備していたのだろう、夏梨がズボンのポケットから何かを取り出す。
右手に装着されたそれを見て双葉は体の震えが止まらなかった。
「あたしもさぁ、家がすぐそこだから確認しに行けばよかったんだけど、心の整理とかメリケンサックの準備とか色々あってさ。結局中々行けなかったんだけど」
「ど、どうしてメリケンサックの準備が必要なんでしょう?」
「こんのっ……浮気もんがあああぁっ!!」
「ぎゃああああっ!?」
ついに夏梨が双葉へ飛び掛かり、どたばたと室内が騒がしくなる。
一護は呆れた顔で止めに入ることができず、遊子は心配そうにハラハラしていた。一方で一心はとても楽しそうだと心を躍らせてうずうずしている。
「埃立っちゃうなぁ……せっかく頑張ってお料理したのに」
「心配すんのはそこなのか……」
「ううん、血が騒ぐなぁ! 夏梨の奴め、いつの間にコークスクリューなんて習得したんだっ」
「騒ぐなよ。鬱陶しくなるから」
「こうしてはおられません。愛する娘に手本を示すべく、一護っ! お前で――」
「試させて堪るかァ!」
不穏な挙動を見せた一心を一護が蹴り飛ばし、こちらも暴れ始めてどたばたと転げ回る。
リビングでは一方的ではあるが騒ぎが続いている。
むっとした顔をする遊子はついに黙っていられなくなり、大声を発した。
「もうっ! ご飯が冷めちゃうでしょ! みんなやめなさーい!!」
遊子の怒声で状況はぴたりと止まった。
ビシッと料理が並ぶテーブルを指差して怖い顔で凄まれる。
「喧嘩をやめて、静かに、仲良く、みんなで食べなさい。いい?」
「は、はい」
誰ともなく返事をして、素直に従うと急いで椅子に座る。
最後にテーブルへついた時、遊子はにっこり笑って、みんなを見回すと嬉しそうにしていた。
「こうやってみんなで食べるの久しぶりなんだから。はい、いただきますしよ」
遊子に従い、手を合わせて、いただきますと声を揃えた。
争いや殴り合いの喧嘩を嫌う遊子だが、黒崎家においては絶対的な強さを誇り、気性の荒い夏梨ですら時と場合を選ばなければ今日の食事を失ってしまう。
みんなで囲む食卓は遊子によって守られており、従うことに躊躇いはない。
到着から数分が経ち、ようやく食事が始まった。
夏梨が隣の席から双葉にガンを飛ばしており、恐ろしい目で睨みつけてきている。
殴られたショックで色々と思い出した双葉は体を小さくして俯いていた。
「す、すみませんでした……」
「謝られてもほんとに済みませんがね」
「はい……」
「夏梨ちゃんとの約束忘れてたの? だめだよ双葉さん。昔ちゃんと指きりしたのに」
頬を膨らませた遊子にも怒られてしまう。
力を溜めるようにわなわなと一心が震えているが、誰も相手にしようとはしなかった。
「夏梨ちゃんが双葉さんと、私がお兄ちゃんと結婚するって決めたでしょ?」
「お前ら、何年前の話してんだよ。双葉ももう高校生だぞ。彼女の一人くらいできるだろ」
「許さぁん! 俺は許さないぞ二人とも! 結婚だなんてそんなまだ早い……! しかもお父さんと結婚するって一度も言わないのはなぜなんだ!?」
「当たり前でしょ。ヒゲと結婚したがるのなんかうちの母さんだけだよ」
「しかも相手が家族だなんて! ききき、近親相姦だとぉ!? 絶対に許さんぞ! 絶対に許さないからな! 何もするなよ!」
「うるせぇな。するわけねぇだろ」
「えっ!?」
「……なんでそこで驚くんだ? お前は」
素っ気ない態度で一護が呟いた瞬間、反射的に遊子が驚愕していた。嫌な予感を覚えて一護の表情が曇るのだが、夏梨に睨まれっぱなしの双葉は心配どころか茶化すことさえできない。せっかくの美味しそうな料理も味がわからないままだ。
子供の成長は早いと言うが、誰がここまでだと想像しただろう。
今にも倒れそうなふらふらした足取りで、不意に一心が席を離れた。壁に張り付けられた亡き妻の巨大な遺影に縋りつき、悲しみに打ち震えながら彼は呟く。
「業が深い……業が深いよ母さん。うちの子たちはすくすく育ち過ぎたみたいだ。まさか実の兄と結婚したがるだなんて……」
「双葉は血が繋がってないからいいじゃん。だからうちに住めばいいって言ったのに……」
苛立ちを隠せない夏梨はびくつく双葉の胸倉を掴んで自分の方を向かせた。
「まさか自分の家に連れ込んだりしてないよね?」
「え、えぇ?」
「泊まったりしてないよね?」
びくっと震えて双葉は視線をうろうろさせて、答えない。
さらにイラッとした夏梨は感情をコントロールすることができなかった。
「チッ」
「あ、舌打ち……あんまり、よくないん、だぞ?」
「何?」
「い、いえ……」
いつになく怒り狂っている夏梨を直視できない。目を見ただけで心臓を鷲掴みにされるかのような感覚を覚える。
しどろもどろになる双葉はそう言うことこそできなかったが助けを求めていた。しかし一護もまた自身の妹に捕まってしまったようで一向に手助けはない。
「まさか一緒に暮らしてるとか言わないよね? ねぇ?」
「あ、あの……その」
「こっち向けよ」
「お兄ちゃん、最近冷たいね。私のこと嫌いになった?」
「なってない。別に今まで通りだろ」
「だって前は一緒にお風呂入ってたし一緒に寝てたのに」
「もうガキじゃねぇんだから一人でできるだろ」
「でも妹だよ?」
「でもじゃねぇ」
なんだか雰囲気が良くない気がする。
疎外感が半端じゃなくて、遺影の妻に縋りつく一心はいまだに離れられずにいた。
「孤独だ……孤独だよ真咲。うちの家族はどうなってしまうんだ……」
「お父さん、早く食べないとご飯冷めちゃうよ」
「はーい」
ま、どうにかなるか。
料理が冷めることを気にした一心はあっさり気持ちを入れ替え、席へ戻った。
遊子が一護に甘えているのも、双葉が夏梨の尻に敷かれているのもいつものことだ。子供とはいえ自分で判断できるのだからなんとかするだろう。
停滞している食事の場を動かすべく、一心は凄まじい勢いで料理を食べ始め、途端に一護と夏梨が大声を出したことで雰囲気が変わって、ようやくいつもの風景に戻る。
ほっと胸を撫で下ろした双葉だが、また悩み事が一つ増えたと気分は晴れなかった。