コンコンと窓をノックされるまで気配に気付かなかった。
あり得ない状況を理解するまで一瞬、ほんのコンマ数秒の沈黙。驚きはしたが振り返ったその時はルキアが訪ねてきたのかと思ったのだ。
一護の視線の先、窓の外には見知らぬ男が立っていた。
白い装束を身に纏い、屈強な肉体を持つ中年で、尚且つ人間ではない。
単なる霊体ならば浮遊霊かと思って適当に追い払いでもしただろう。死神になって魂葬してやるのも悪くない。近頃はそうした客は減っていたはずだ。
そうではないと気付いたのは、ほんの少しだけ、男が霊圧を表に出したからだ。
「話がある。外へ出てくれるか」
「お、前は……!」
「驚いている暇も惜しい。吾輩はドルドーニ・アレッサンドロ・デル・ソカッチオ。
名乗った男、ドルドーニは自らを
事実、先程感じた霊圧は
警戒する一護は知らぬ間に身構えていたが、人間にしか見えない彼に敵意はなかった。
「そのままでいい。危害は加えないと約束する。吾輩は敵ではない」
「
「仮面を着けていない、人間に見える、か? 君が知らない上位種というやつだ。君はまだまだ
不敵に笑うその表情は目視で理解できる。仮面を着けていない
一護は咄嗟に、外へ出ることを決めた。
行かなければ真偽はわからない。仮に罠だったとして、罠ごとぶった斬ってなんとかすることも可能なはず。とにかく行くことで状況を知れるようだ。
「家族に迷惑をかけたくはない。人目のないところまで同行願えるか」
「人目のない場所で、お前の仲間が待ち構えてるってとこか……?」
「そんなことはしない。吾輩はむしろ君の味方だ」
「味方?
「代行だろう。何があったかは知っている」
どうやら彼は一介の高校生でしかなかった一護が死神代行となった経緯を知っているらしい。
驚愕し、警戒する。だが今のままでは為す術がない。
踵を返したドルドーニは、その場を離れる前に呟いた。
「すぐそこに居る。待っているぞ」
「お、おいっ!?」
屋根から飛び降りて平然と着地し、道を歩き始める。
向かう方向はわかった。一護は素早く振り返って行動に移る。
「お、おい一護っ、まさかお前――!」
「悪いなコン。喋ってる暇はなさそうだ」
自らの意思を持って動き喋るぬいぐるみ、コンが心配そうに声をかけるも、止まる気のない一護は携行していた紙切れをコンの頭に張り付けた。すると口から小さな玉を吐き出し、ただのぬいぐるみに戻って動かなくなる。
魂魄が抜けた一護の体を動かして保護するための“義魂丸”。その玉を呑み込めばコンと呼ばれる人格が肉体に宿って動かすことができる。
もしもの場合に備え、必要があるなら義魂丸を呑み込んで魂魄を取り出し、死神化する。
戦闘も辞さない考えで部屋を出た一護は、急いで家を出てドルドーニを追った。
霊圧を辿ってすぐに見つける。小さな路地の暗がりに立って待っていた。
「罠はあったかね?」
「まだわからねぇだろ」
「安心してくれ、と言っても無駄なのだろうな。吾輩は君へのメッセージを持ってきただけだ。まずはそれを見てほしい」
「見る?」
ドルドーニは手に光る玉を持っていた。
正体は知れないがそれでメッセージを伝えるのだろう。それだけはわかった。
「これは一方的に話すだけだ。質問ならば聞き終わった後に吾輩が聞こう。伝え聞いたことのみならば
光る玉を壁に投げつけ、パリンと割れた。中からは黒い液体が現れて、ざわざわ動き出して誰かの顔を作ろうとしている。
一護は驚きを隠せず、身じろぎさえできずに眺めていた。
知らない青年の顔が模られ、絵のようでもあり映像のようでもあるそれが声を発した。
《黒崎一護。初めまして。俺は
語り出した青年は生気を感じず、淡々とした声で、やはり人の形をしていた。
頭部の左側、
息を呑む一護に向かってだろう、ウルキオラは感情を見せない声で語る。
《単刀直入に言おう。道野双葉を守ってやってほしい》
「なっ……!?」
《お前については聞いている。道野双葉の幼馴染で、死神の力を得た代行。まだ力は弱いが道野双葉の味方ではあるはずだ。彼は狙われる》
確かに単刀直入だ。まさかの発言で心臓が一際大きく跳ねたのがわかった。
なぜ双葉の名前を知っている?
それだけでなく双葉が狙われる?
混乱する一護は指一本動かせなくなり、もはやドルドーニへの警戒すらも忘れて、壁面に映し出されたウルキオラの顔を凝視した。
《俺の説明では言葉が足りず、理解し切れないだろう。知っていることはそこに居るドルドーニへ伝えておく。時間をかけて聞いてくれ。俺から言えることは、俺たちはお前の味方をする》
「どういう、ことだ……?」
《道野双葉は》
一呼吸置いて、先程までと同じ声色、しかしどこか違和感を覚えさせて語られる。
《かつて
平然と語られる幼馴染であり家族でもある少年の名は、何度呼ばれても聞き慣れない。
なぜ知っているのか。本当に
一護の疑問には答えぬまま話は続けられる。
《少し前、多数の
理解し切れない。聞かなければと思うのに受け止めきれない。
何もしていないのに呼吸を乱す一護に対し、状況はまるで伝わらず、ウルキオラは刃を突き付けるかのように語りを止めない。
《現状、
全てを忘れて聞き入った。今なら後ろから殴りかかられても対応できないだろう。
硬直した一護の頬を汗が伝い、顎まで移動して地面へ落ちる。
《放っておけば必ず道野双葉に被害が及ぶはずだ。俺も尽力するが、味方は多い方がいい。お前は道野双葉と仲がいいと聞いている。彼を想う気持ちがあるなら、たとえ俺が
少し間を開けてから、考える素振りを見せたウルキオラは一度視線を落とし、再び上げる。
《追伸、と言うそうだな……道野双葉本人にこのことが知られるようなら、お前に会いに行く犬はジャバウォックという名だと教えてやってくれ。俺が初めて名付けた、俺が最も信頼する友だ。人間になりたがるお前が読んでいた絵本から付けた、と》
バシャッと黒い液体が地面へ落ちて、メッセージは終了し、蒸発して痕跡さえ消えていく。
一護は固まったままだった。身じろぎ一つ見せずに壁を見つめている。
傍らに立っていたドルドーニは腕組みをしてしばし待ち、彼が混乱しているのを知った上で、話を前に進めるべく自ら声をかけた。
「質問がありそうだな。何か、気になることを言ってくれ。順番も大切だ」
「質問? そんなの……これは、何だ?」
「何だ、とは。大雑把な質問だな」
「俺を騙そうとしてんのか? これがあんたの言う罠ってやつか? 双葉が……
混乱は極まり、現実を受け入れることができていない様子だ。
呆れることもせず、見捨てもせずに、ドルドーニは話を始めようとする。
「順序良く説明していこう。落ち着いて聞いてくれ。受け入れるのは難しいかもしれんが、吾輩がこれから話すことが真実だ」
「真実? 真実も何も……」
「忘れるな。吾輩は
ぐっと歯を食いしばり、言おうとした言葉を呑み込んだ。
まずは聞かなければわからない。聞いてみてわかるのなら聞いてやろうではないか。
恐る恐るといった様子で振り向き、余裕のない表情で一護がドルドーニを見る。
「前提として、“道野双葉”はすでに死んでいる」
「なっ!?」
「落ち着いて聞け。幼い頃、事故にあったはずだ。お前ならば知っているだろう」
言われてすぐに思い出す。当時の映像は鮮明に蘇ってきた。
忘れるわけがない。幼馴染が死にかけて自分まで生きた心地がしなかった。過保護になったのはあの経験があったからだ。
まさか、と嫌な想像がよぎり、一護の体は震えていた。
「あの時、道野双葉は生きてはいなかった。事故の衝撃で死んでいたのだ」
「嘘だ」
「嘘ではない。それならなぜ人が駆け付けた時にまだ息があって、自分の家で応急処置をしてから病院に運ばれて助かったのか? お前はそう考えているのだろう。それには理由がある」
ドルドーニの言葉を聞いて膝から崩れ落ちそうになる。
どうして知っているのだ。その場に居なかったはずの
「あの事故は故意に起こされたものだった。彼でなければいけなかったのか? それとも偶然見かけたからそうしたのか? それはわからない。だがあれは交通事故に見せかけて、
「嘘、だろ? どうして……」
ひどく気分が悪い。胃の中の物を吐き出してしまいそうだ。
「当時、ある男が一体の
呆然とする一護から反応が消え失せる。
受け入れられないかもしれない。それでもドルドーニは迷わずに言った。
「だから言ったのだ。人間になる方法がある、と」
「待てよ。それ……なんで」
「その
「やめろよ、聞きたくないっ」
「ルザールは人間になったのだ。道野双葉だった体を手に入れ、魂を入れて一体となることで」
今度こそ一護が膝から崩れ落ちた。愕然としていて、目は見開かれたままだ。
「事故の後、奇跡的に生きていたというのはそういった理由だ」
「じゃあ……」
「ああ。残念だが、お前の知る“道野双葉”はあの日に死んでいる。今生きている彼は、ルザールであった
衝撃は大きく、嫌な言葉が脳裏に浮かぶ。
あれは双葉じゃない。
幼馴染であるのは確かだが、事故にあったあの日、中身は入れ替わっていた。リセットされてやり直したわけではない。そもそも魂が別物だった。
思わず自身の頬を殴りつける。
それがどうした。双葉は双葉だ。これまで一緒に過ごしてきた。血は繋がっていなくても長く苦楽を共にした家族なのだ。
自身にそう言い聞かせても動悸は速くなり、体の震えは止まらない。
ドルドーニはそんな一護を見下ろし、悲痛な面持ちになる。
「受け止めるのは容易ではなかろう。だが我々にはあまり時間がない。備えなければ。先程ウルキオラが言っていた通り、吾輩をも超える
「狙ってるって……」
「バラガンはルザールを目覚めさせ、戦力として利用しようとしている。自らが
理解が追いつかない展開だ。
ついさっきまで一緒に、何事もなく過ごしていたはずなのに、どうして。
双葉を心配した一護は突発的に動き出し、立ち上がった。
「このこと、双葉は……」
「おそらくまだ知らないとは思うが、ひょっとしたら、吾輩のように誰かが――」
聞き終わる前に駆け出した。
ドルドーニは止めない。そうする予感はしていた。
居ても立っても居られずに全力で走って、双葉の家を目指す。何もないならそれでいい。今はとにかく彼に会いたかった。
暴れる自分の心を諌める必要がある。息が切れようと足がもつれようと必死に走り、自分自身に何度も強く言い聞かせる。
どんな事情があれ、双葉は双葉だ。今の双葉は自分たちがよく知っている。
以前の双葉がどうなったか、わからない。きちんと成仏できたのか。それとも事故の時に
今は考えている場合ではない。とにかく急がなければ。
そうして一護は、双葉の家に辿り着く前に彼を見つけた。
見知らぬ大男と呆然としている様子のルキア。嫌な予感がする。
息を切らして立ち止まった一護に気付いて、双葉は、ゆっくりと振り返った。
「一護。俺、もう死んでるんだって」
体から力が抜けていく。
どうやら、遅かったようだ。双葉はぽかんとした顔で淡々と呟いた。
「じゃあ、ここに居る俺は、何なんだ?」
一護は思い悩み、必死に考えるのだが、その問いに答えることができなかった。