思わぬ呟きに双葉は目を見開いて振り向いた。
はあ~、という重いため息。今日は珍しく真剣な様子だ。
「むなしい……」
「え? 今更?」
「何そのリアクション!? もっと早く気付けよってこと!? お前はずっと前から常にむなしい奴だろってこと!?」
「うん、その通り」
「絶望したぁ!? 優しさの欠片もない友達に絶望したぁ!?」
いつになく真剣かと思いきや、いつものように絶叫する啓吾を見て、思ったよりも元気そうだと双葉は安心する。
彼が真剣に悩み込む姿など想像できない。それくらいいつもハイテンションで、認めたがらない人は居るかもしれないがムードメーカーであった。
昼食時の屋上、いつも通りの時間。
集った面子に多少の変化はあれども日常を過ごしている。
平然と弁当を食べながら、問題提起をしたいらしい啓吾を仕方なく待ってやった。
「はぁ~これだから嫌なんだ。あれか? 俺はもう成功者ですよってアピールか? お前ら小市民とはもう違いますからねって言いたいんだな?」
「何の話だよ」
「しらばっくれるんじゃねぇ! もうわかってるんだぞ! お前やっぱり朽木さんと付き合ってるんだろうが!」
「別に、そんな、付き合うとか……まあ、それは、あれだけど」
「否定しねぇじゃねぇかぁ~!! 見せつけやがってこんちくしょー!」
「今日は特別うるさいな……」
双葉の隣に座ってにこにこしている、だけならばまだしも肩が触れそうなほど近く、時折弁当のおかずを箸で摘んであーんなどと言いながら差し出してくるルキアの存在は、急な変化に対応できずにいる啓吾の心を荒ませるには十分な威力を誇っていた。
少し前まで恋愛なんかよくわからないと言っていた男だ。
今日は付き合っている事実を否定すらしなくなって、彼女からあーんと差し出されたおかずを、恥ずかしがって拒否するわけでもなく、さも当然のように受け入れている。
「おかしい! 絶対におかしいぞこの展開は! 朽木さぁ~ん、なぜ双葉なんですか!? こいつは友達に恋愛なんざ興味ございませんって言ってた奴なんですよ!」
「え? やはり好きだからではないでしょうか」
「どちくしょうっ!! 俺も言われたい!」
血の涙さえ流しかねない熱量で叫ぶ啓吾を、双葉は冷めた目で見ていた。
多分言われないと思う。そう言えばきっとさらに熱量を上げて怒られるだろう。ここは素直な気持ちを包み隠して言わない方が賢明だと判断する。
黙る双葉の口元へ、再びルキアの箸でおかずが差し出されて、彼はそれを冷静に口にした。
そもそもを言えばルキアの様子がおかしいのだ。考えてみれば双葉の方から彼女に気安い態度で接近する姿は見ておらず、噂こそあったものの、半信半疑といった生徒も少なくなかった状況下で唐突に双葉の彼女面をし始めたのである。
一体どういう心境の変化か。それとも噂はともかく本格的に付き合い始めたのか。
校内では美少女転校生の急変がちょっとした騒ぎになっており、注目する生徒も少なくない。
買ってきたパンを食べることすら忘れて啓吾がギリギリと歯ぎしりしている。
あまりに騒がしいと、嘆息するのは双葉だけではなかった。
呆れた目で彼を確認して、石田雨竜は思わず食事の手を止めた。
「前も思ったけど、彼はいつもこうなのかい?」
「まあね。でも今日は特別うるさいかな」
「気が滅入ることはないのか? 食事時にこれだけ騒がれて、友人だとしても辛いだろう」
「そりゃ辛くないって言ったら嘘になるよ。でもまあ、慣れかな。結局無視しとけばそこまでの害にはならないし」
「なるほど……」
「こらぁお前ら! 俺にも聞こえてんだからな! そういうのは俺に聞こえないように、いや聞こえないとこでも言わないでお願いします!」
「慣れるしかないのか……仕方ないな」
ふう、と息を吐いて雨竜はコンビニで買ってきたパンを食べる。
今日は啓吾の奢りではない。にもかかわらず食事を共にしているのは、以前に会った時には会話らしい会話もしていない双葉に誘われたからだ。
用事があるのかと思って質問してみれば違うのだという。ただ単に気楽に誘ってみただけだと言われてしまった。
断ってもよかったのだが、まあ別にいいか、とついてきたのである。
その結果がこれだ。
判断を早まったかもしれないと考え、次からは熟考しようと心に決めている。
「誰かが言ってたけど、石田って裁縫部なの?」
「そうだよ」
「家事とか得意?」
「まあ、一通りはできるだろうね。得意と言える基準がわからないけれど。こんなこと、他人と比べたこともないから」
「一人暮らし?」
「ああ」
「複雑な家庭っぽいよな」
「君さぁ、ひょっとして失礼な人間なんじゃない? 僕の見た目で判断してるのか? それは」
双葉が話しかけてみると、取っつきにくい人なのかと思っていたが、確かに突っぱねる感じがあるとはいえ意外にも話しやすそうだと思った。
興味を持ったのは誘った時ではなく、話を始めてみようとしたたった今だ。
双葉は続けて雨竜に質問しようとしていて、その動きを察して啓吾が焦っていた。
「あの~お二人? 俺の件がまだ終わってないつもりなんですけど。もうちょっと俺に――」
「なんか一人で居る方が好きそうだなーって思って、そういう事情があるのかと」
「確かに一人の方が好きだね。今日もよく考えればよかったと思っていたところさ。ただ、別に友達ができなくて辛く思ってるわけじゃないから勘違いしないように」
「そういうとこ、なんかよく似てる気がする」
ぽつりと呟かれた一言に興味を持ったのか、雨竜は視線を上げて双葉の顔を見た。
「誰に?」
「黒崎一護」
「……はあ。やめてくれ。そう言われるのはどんな悪口よりも屈辱的だ。インテリ眼鏡とか凛々しい眼鏡とか面白眼鏡とか言われるよりも辛い」
「えーっと、普段そんなこと言われてんの?」
「言われていないけど、あくまでも想像だよ。言われそうな言葉を羅列してみただけだ」
「ひょっとしていじめられて……」
「ない。仮にそうだとしたら学校には来ていない」
やれやれと言いたげな不機嫌そうな顔で、実際にやれやれと言いながら、怒ったまま食事を再開してパンに齧りつく。
料理も上手そうなのに買ってきたパンが昼食なのは単に面倒だったからなのだろうか。
想像する双葉とは裏腹に、焦りを覚える啓吾はわなわなと震え出していた。
「お、俺も意外と料理とか――」
「弁当とか作らないの? めんどくさがり?」
「そんなことはないけど、食に対する興味があまりないんだ」
「ふーん。まあ、俺もあんまり変わらないけど」
「姉ちゃんに命令されるからさあ、いつの間にかレパートリーが増えちゃって。ははっ」
「洋食の方が似合いそうだな。前もパン食べてたし」
「別に、パンくらい誰でも食べるだろう。それに僕は和食の方が好きだ。いや、どっちの方がというのもおかしな話だけど……和食派だとか洋食派だとか、とかく派閥を作って対立させたがる人が居るけど、僕はそういう考え方好きじゃないね。どっちも好きでいいじゃないか」
「うん、それは俺もそう思う。中華は好き?」
「俺も俺も! そう思うし中華も好き!」
「ああもちろん。作ることだってできるよ。好き嫌いがあまりないからなんでもいいと思うことが多いけれど、作るとなればどんな料理でも――」
「うおおおおいっ!! いい加減にしろお前らぁ!」
ようやく雨竜が話に乗ってきたな、と思ったところで啓吾が全力で絶叫する。
その時振り向いた二人は、あっと声を漏らし、そういえば居たなと、意識的に無視していたわけではなく彼を意識の外側へと放り捨てていたから気付けなかっただけのようだ。
ぶわっと目に涙を溜め、寂しそうな啓吾は持っていたパンを握り潰す。
「俺の話も聞けェ! お前らばっかり仲良くすんな! 俺も混ぜろオラァ!」
「あー、忘れてた……」
「何か騒がしいなと思ったら」
「この距離で!? この近距離で忘れられることがありますか!? 俺半透明じゃないよね!?」
「透明ならまだしも、半透明だったらあんまり意味なさそうだな」
「逆に存在感が出るんじゃないか? 半透明な人間なんて気味が悪いからね」
「お前ら俺のこと嫌い!? もっと優しくしろオラァ!」
普段通りの双葉はともかく雨竜の意外な姿には驚きを覚え、しかしこんなシチュエーションでは望んでいなかったとショックを受けて、啓吾は動揺する。
違うのだ。彼が望んでいるのはもっと和気あいあいとしたテンションの高いやり取りだ。彼らのように鬱々と喋っているだけの時間は理想通りではない。
助けを求めた啓吾は迷わずチャドに泣きついた。
「うわーんチャド~! ついにいじめが始まったんだ! 俺にはもう味方は居ないんだぁ~!」
「ム……俺にはそうは見えんが」
「なんで!? お前の眼にはどう映ってんだよ、この状況が!」
「仲良く喋る、友達同士」
「どこがぁ!? あいつら俺を刺しに来てるんだぞ! 刺して倒れたところをさらに滅多刺しにしようとしてやがるんだ! クレイジーだ! サイコパスだ!」
「そうか……俺にはそうは見えなかったんだが。それは確かにサイコパスだな」
「だろぉ!? あぁよかった! チャドは理解者だ! 俺のマイベストフレンドだ!」
決して真剣に考えたわけではないだろうが、チャドの呟きを聞いて啓吾は笑顔になる。
そのやり取りを聞いていた双葉と雨竜はこっそり顔を寄せ合い、やはり当然のように会話する。
「俺のマイベストフレンドって」
「ああ。頭痛が痛いみたいなものだな」
「大目に見てやってほしいんだ。残念だけどああいう奴だから」
「ふぅ、仕方ないね。流石にここまでだと指摘できそうにない」
「聞こえてるからなお前らぁ!? あんまり仲良くすんじゃねぇ! 俺抜きで!」
相変わらず騒がしい啓吾の対応はほどほどに、一護に対する態度とは違って雨竜との会話は意外にも弾んでいるようで、双葉は笑みを浮かべて話している。
その隣に居るルキアを気にして、織姫は自分の隣に居る竜貴の顔を覗き込んだ。
気付かないはずはない。来たなと思って竜貴は嫌そうに顔を歪めていた。
「ねぇたつきちゃん……」
「う、うるさい」
「あれ、ねぇ」
「わかってるってば。別に、あたしは、いいし」
「羨ましいとか……」
「思わないっ」
時間をかけて倫理を説き、あんたの考えてることは間違いだ、そう教えてやったというのにまだ織姫はルキアの提示した案に乗り気らしい。
竜貴はあくまでも真っ当に生きようと、時折顔を赤くして、妄想することがあるとはいえ、今まで頑なに断り続けている。
納得いかない様子の織姫であったが、彼女から視線を外して一護を見た途端に表情が変わる。
いつもなら彼を見て妄想でもするところだが今回ばかりは事情が違う。
普段に比べてより険しい、そしてどこか悲しげな顔をする一護は、口数も少なく、普段通りに過ごそうとしながらもできずにいる。
双葉に目を向けて物憂げな様子を見せるのは気のせいではないはずだ。
聞いてはいけないと思っていた。
無遠慮に詮索すべきではない。わかっていたとはいえ、見過ごすこともできない。
つい、悪いとは思いながら、織姫は心配するように一護へ声をかけてしまう。
「黒崎君……道野君と何かあった?」
「ん? いや、別に。なんでもねぇよ」
嘘だ。咄嗟にわかってしまった。
子供のようにくしゃっと笑って対応するらしくない姿は何かを隠そうとしている。
きっと何かあったのだ。それでも踏み込むのは許されていなくて、強引に押し入ろうとしても彼はきっと拒絶してしまう。
そこまでわかって、織姫も気遣うように苦笑する。
「そっか。じゃあ私の勘違いだね」
「あったっちゃあったっつーか、石田とああして喋ってるのが不思議で仕方ねぇんだけどな。あいつ無愛想だし頭固いし変な奴だし、よく間が持つな」
「そう? それを言ったら黒崎君もじゃない?」
「は? んなことねぇだろ。あいつよりはマシだ」
「ふふふ。そっか。そうかもね」
些細なやり取りで織姫はくすくすと笑い、一護は仏頂面で一息にジュースを飲む。
気休めにしかならないかもしれない。しかし今できることなどこの程度だ。
再度織姫が一護に話しかけようとした瞬間、それよりも早く啓吾が勢いよく振り返った。
「おぉい一護ぉ!? お前まさか今井上さんとイチャイチャしてなかったか!?」
「してねぇよ。こっち見んな」
「お前もまさかこっそりはっきり抜け駆けする気か!? そんなの許さないぞ! お前は恋愛とか彼女とか興味ございませんってキャラだろう! そうだろう!?」
「浅野君! い、イチャイチャはしてたよ!」
「ぎゃああああああっ!?」
顔を赤らめてなぜか胸を張って言う織姫に、啓吾は心の底から絶叫した。
あっちもこっちもなぜ急に。考えるまでもなく衝動的に一護へと飛び掛かる。
「お前の血の色は何色だぁ~!?」
「普通に赤だ! 近寄んな!」
「なんでお前らばっかり良い想いしやがるんだぁ! こんちくしょう! 俺だって彼女の一人や二人や三人欲しいわぁ!」
「俺は誰とも付き合ってねぇ!」
どたばたと取っ組み合いになって騒ぎが大きくなる。
うずうずした様子で、思わず織姫も飛び出してしまい、おもむろに一護へ抱きつこうとしているようだ。それを見て啓吾はさらに絶叫し、わけがわからないと一護は混乱して、ますます収拾がつかなくなる。
見ていた双葉はからからと笑い、ルキアもうふふと上品に笑って、雨竜はげんなりした様子で嘆息しており、チャドは微動だにしない。
そんな状況下において、竜貴と水色の表情だけ優れなかった。
肝心なことは言わず、誰かが何かを隠していて、気付いている人もそれを指摘しない。
みんながみんな、誰かを気遣って敢えて気付かないふりをして、いつも通りに過ごそうとしているような状況。
大声を出して騒いでいるのも、心底楽しそうに笑っているのも、飽き飽きだという顔でため息をついているのも、黙って眺めているのも、日常の当たり前を壊さないように気遣っているようにしか見えなくて、本当に心から楽しんでいるのだとは思えない。
「居心地わるー……」
誰に伝えるつもりもない水色の呟きは竜貴しか聞かなかった。
全く同意である。彼女はちらりと、無邪気に笑う双葉の顔を確認した。