白くてぼんやりした物を見た。
暗闇の中でぽっかり浮かんでいるような異物感。何かが光っているわけではない。光を放つ存在なのではない。しかし明らかに闇の中に混ざらずに主張している。
或いはそれは、恐怖だったのかもしれない。
常人が見ればきゃあと悲鳴をあげて逃げ出すものだったのかもしれない。そうしなかったのは、何も勇気があるところを見せようなどと思ったわけではなく、ただ正体がわからなかったからだ。自分が見ている物を理解できなかったから逃げる機会を失ってしまった。
一体何なのだろうとじっと見つめて、見知らぬそれと向き合おうとしていた。
骨だろうか。白くて硬そうな物体が全身を覆っている。むしろそれのみで体が構成されていると言っても過言ではないだろう。
明らかに人間の形ではない。二本足で立ち、二本の腕がぶら下がっているのは確実だが、人間よりも数倍は大きく、化け物と呼んで差し支えない外見をしていた。
今見ている物が化け物であったなら、これはきっと大発見だ。
恐れを知らずに考える。それが自分を取って食ってしまわないかなどとは微塵も考えない。何よりその正体を知りたいという冒険心が勝っていたのだ。
ひょっとしたら、幽霊かもしれない。
胸が高鳴るのを感じていた。
幽霊は本当に居るのか。人々が話しているのは適当に聞き流していたが、幽霊が見えるのだという知り合いは居て、思い至った途端にもしやと思う。普段は本当だろうが嘘だろうがどちらでもいいと考えていたのに、現金な自分を叱責しながらも、確かめてみたくて仕方ない。
ついに自分にも幽霊が見えるようになったのだろうか。そんな展開があってもいいのかもしれないと思っていただけにわくわくする。
無謀にも危険か否かを考慮などせずに確かめようとする。恐る恐るではあったがゆっくり近付いていき、手を伸ばすことで「今から触れるのだぞ」と言外に告げて、止まらずに一歩ずつ進む。
幸いにも攻撃されることはなかった。並の動物など比べ物にならないほど鋭く長い爪が振り回されることはなく、眼前に立つことに成功する。
想像したよりもずっとすべすべした感触だった。
肌と言うべきか、やはり骨か、それとも鎧なのか。白く硬い外見に触れてみると意外にも艶やかで手触りがいい。さほど触った経験がない癖に、宝石のようだとさえ思った。
もっとがさがさして渇いているような印象を覚えると思っていただけに、骨ではないのかもしれないと思うのは本人にとっては必然だった。
結局その日は、少しだけその正体不明の何かに触れて、話しかけてみたりもしたのだが返答は得られぬまま、「またね」と告げて家へ帰った。
それ以降、正体がわからないままその何かを見るのが当たり前になり、きっと言ってはいけないのだろうと考え、誰にも説明することはなかった。
その後も様々な形の、例の骨のような外見の生物を見かけては声をかけ、時にはバカのふりをして親しげに近寄ってみたりもしたのだが、一度として害を与えられたことはなく、いつしかそういうものなのだろうと思うようになる。
中には言葉を話す個体も居て、唸り声を発するだけの個体も珍しくなかったが、会話をすることができると知ったのは大きな進展だった。
友達ではないが知らない仲でもない。繰り返し会う個体の名は覚えるようになる。
誰にも知らせることはなく、彼だけが知る事実として長らく継続していた。
幽霊が見えるという知り合いにそれとなく尋ねたことがあるのだが、彼は知らなかった。それが大きな衝撃となって残っていて、見えてはいけないものが見えている、と思い込んだのだろう。自慢したいという気持ちも抱かず、ただ静かに恐怖した。
その一方で、いざ彼らに会ってみればちっとも怖くないのだから、不思議だった。
振り返ってみれば、交通事故に遭った後だったのだ。あれが見えるようになったのは。
両親は即死したらしく、自身は事故の経緯や接触の瞬間の衝撃どころか、自分の名前や両親が居たことさえ忘れてしまっていたのだが、確かに彼らは存在していたらしい。車に乗っている際に起きた事故によって死亡して、彼自身も生死の境を彷徨ったのだと後になって聞かされた。
記憶を失っていたことは「ああそうか」で済ましたのだが、それ以上に衝撃的だったのが例の謎の存在で、きっとあれは、事故の影響で見えるようになったのだと今ならば思う。
子供の頃はわからなかったが、やはり見えるのは異常な状態なのだと後になって知った。
高校生になり、親の遺産と幼馴染一家の世話に支えられ、親の遺した一軒家で何不自由なく暮らしていたある日のことだ。
別のクラスに転校生が来たことは知っていた。オレンジ色の髪でやたら目立つ幼馴染からそれとなく聞かされていたし、なんだか面倒な事態になったことも聞いていた。バイトを始めたそうで、その転校生も関係者なのだという。
なんだか大変そうだと他人事のように考えていて、しばらくは無関係のままだった。
ある日の夜、きっかけがあった。
コンビニに出かけて家へ帰る途上の0時、細い路地にいつものあれを見かけた。白い骨のような何かで覆われた得体の知れない何かだ。知らない顔ではあったが、これまで何度となく見かけて、話したことさえあったため、単に初対面の個体だと思って眺めていた。
彼がしていたことと言えばただそれだけだったのに、突然消えてしまったのだ。前触れもなく頭がバカッと割れて、誰かの手で割られたかのように、それによって死んだかのように、体はさらさらと砂のような状態で風に流され、その場から忽然と消えてしまった。おそらくその場に足を止めて一分もしない間に何かが起きて終わり、彼は一部始終を見ていた。
そこに現れたのだ。件の転校生、朽木ルキアが。
いくら夜中で人通りも少ないとはいえパジャマ姿で、やけに焦った様子だった。
心配された折、おそらく意図はしていなかっただろうが、二人は互いに理解する。あれがはっきり見えているのだと。
翌日になって呼び出され、屋上に行くと朽木ルキアが一人で待っていて、一から細かな事情を説明されたのである。
噂とは違い、幼馴染が言っていた通り、日頃は猫を被っていたようだ。
「貴様が見たのは
どうやらあれは危険な存在だったらしいのだと、その時になって初めて知らされた。
誰にも言ったことがないので教えてもらえないのは当然だが、本人たちと話していてもそれらしき情報は得られなかったため、まさに青天の霹靂であった。
知ったからといって恐怖しなかったのは、これまでの経験があったからだ。一度として襲われた経験がない。素直にそう伝えると大層驚かれた。
「
きっと何か悪いことをしてしまったのだろう。ルキアは困惑し、表情を歪めて、長らく悩み込んでしまい、向き合って沈黙されるのは心苦しかった。
彼には何一つとして理解できなかったが、悩んだ挙句、まずいと思われたに違いない。
顔を上げたルキアは毅然として言ったのだ。
「しばらく貴様の様子を見ようと思う」
よっぽどの異常事態だったらしい。
あれやこれやと言う間に彼が一人暮らしであることを突き止め、幼馴染の協力を得て、なぜだか同居することになったのである。
まるで監視だ、とは思っても言えなかった。彼は黙って受け入れたのだ。
幼少期から彼が見ていたもの、
同居を始めた後も、時折彼の前に現れたがやはり危害は加えられず、しかしルキアが居ることで何かしら影響は大きかったのか、だんだんと会う機会は減っていった。
聞けば彼女は“死神”であるらしく、学生服やパジャマを着ている姿からは想像もできないが、死んで成仏できずにいる幽霊をあの世へ送る役目があるらしい。だが並々ならぬ事情があってその力を失ってしまったために、今は彼の幼馴染が代行しているのだと説明を受けた。
とてつもない情報を知らされているのではと思い、
一人暮らしだった一軒家で同居が始まり、二人暮らしになった。
ルキアは異性と暮らす環境下に好奇心が抑えられず、知られないように興奮していたが、彼は初めて感じる充実感を味わっていた。両親が居たそうだが記憶にはなく、幼馴染やその家族と親しくしていたとはいえ、自身がそう決めて一人で暮らす期間が長かった。
誰かと一緒に過ごすことを、当初の不安を忘れるほど心地いいと感じていたようだ。
その昔、両親が居た家で一人で暮らすと言い張ったのは、当時は名前も知らなかった
ルキアが来たことによってその機会は減ってしまったが、今でも気持ちは残っている。
両親を想ってではない。
「
同居することで彼の傍に居て、
その理由は彼にもわからなければ誰にもわからない。
謎は解明されないまま、原因を知るきっかけさえ得られずにいた。