「道野、あんた今日帰んな。もうやばい顔してるよ。授業になんないから」
一限目が始まる前に越智先生に言われて、追い返されるように学校を出ることになった。
ため息交じりにとぼとぼ歩く双葉は言われた通りに帰宅することにしたのだ。
「羽目を外すのはいいけど死ぬなよ」と言って越智先生は笑っていた。以前から細かいことを気にしない性分ではあったがそれはそれでどうなんだと思う展開である。だが双葉は感謝していた。
若さなど関係なく限界はある。できれば教師に車で送ってほしかったところだが自分から言い出すこともできず、越智先生も彼を追い出して授業を始めてしまった。疲れ果てていても自らの足で帰らなければいけない。
それはそれで辛いものがあり、普段と違って歩みは亀のようにのろかった。
普段の倍は時間がかかったのではないかと思いながらも時計を確認する余裕もなく、双葉は自宅に辿り着いて中へ入った。
「はあ~……考えものだな。あの感動が遠い昔のことみたいだ」
何も考えずにリビングへ向かってソファへ倒れ込む。
自室は二階。階段を上がる気力もない。誰も居ないのだし、ここでいいだろう。
目を閉じた双葉は眠ろうとする。
体の力が自然に抜けていき、意識を手放すまで数秒もかからなかった。
不意に手を握られる。そっと優しく、包み込むように。体温は決して高くない、むしろ冷たいくらいだったが、なぜか触れた瞬間にほっとした。
双葉は目を開き、眠そうな目で辺りを見る。
ソファで仰向けになる彼の隣、床に膝をついて屈む制服姿のルキアが居た。
普段と同じクールな様子で落ち着いている。昨夜とはまるで別人だ。だからこそ安心して視線を合わせることができた。
どうやらそれだけではない。彼女が傍に居ることで安堵している。
ふうっと息を吐き出して、双葉はしかし不思議そうに尋ねた。
「なんでここに居んの?」
「おはようの前にそれか? 帰ったと聞いたから様子を見に来たんだ。体は平気か?」
「ああ、うん。大丈夫……」
「よかった」
ルキアの左手が額に触れ、そっと頭を撫でられる。
お互いの右手は繋いだまま。
まるで母親のようだと、知りもしないのに双葉は思っていた。
「そんなにすぐ来なくても……」
「もう昼だ。食事もせずに帰ったのだぞ」
「え? 昼?」
首を動かして壁に掛けられた時計を確認する。
12時をすでに回っていて、自身が帰ってきた朝ではないのは確実だ。
ほんの一瞬の出来事だった。穴に落ちるように意識を失い、次の瞬間には数時間が過ぎていて、理解するのに数秒を要する。
自身の体感よりも早く時間が進んでいたようで、少しの時間をかけて納得した後、双葉は大きく息を吐いて脱力する。
体はまだ疲弊している。全快というわけにはいかなかった。
「絶対……昨日のが響いてるよなぁ。やり過ぎ」
「し、仕方ないだろう。私はただよかれと思って……」
「まだ動きたくない。悪いけど、昼飯は自分で用意してくれる?」
「ああ、そのつもりだ」
ルキアはそう言いながらもその場を動かない。彼の手を握って、穏やかに頭を撫でてやり、自然に瞼が閉じてしまう顔を眺めていた。
普段通りで昨夜とは違う、そう思ったがやはりそのどちらとも違う気がする。
今の彼女は普段とも昨夜とも違って、やけに優しい。表情や目つきさえ違っている。彼女に触れられるのが驚くほど心地いい。
「学校、戻らないのか?」
「流石に放ってはおけないだろう」
「そうだな……まあ、原因ははっきりしてるけど」
「言うな。そ、そうだ。貴様のために知人から良い物をもらってきた。怪しい強欲商人だがその分手は広い。人間にも効く薬がある」
そう言ってルキアは制服のポケットから錠剤が入った小瓶を出した。
掌に一粒出して、気だるそうな双葉の顔の傍へ差し出し、見せる。
「飲めば回復力を高められるそうだ。少し眠ればよくなる」
「え……怪しくない?」
「怪しいと言えば怪しいが、幽霊や
「そう言われても、結構勇気いるんだけど」
「万が一死んだら
「いや、安心できないって」
死んだ場合のことなど考えたくもない。しかしルキアは冗談ではなく善意で言ったらしく、げんなりした表情の双葉を見てきょとんとしていた。
言ってもわかってもらえなさそうだ。
観念した双葉は錠剤を受け取り、水を求めるとすでにルキアが用意していたようで、コップを渡されて仕方なく飲む。
本当にこれで死ななければいいが。
起こした体を再び横たえ、考えるのをやめてもう一度眠ろうとする。
何にしても、寝れば全て解決するはずだ。彼はそうして睡眠に頼る機会が多かった。風邪をひいても大抵は薬を飲まずに寝て治そうとする。それで幼馴染に怒られたことも多い。
双葉が落ち着いたのを見て、そういえばとルキアはもう一つ小瓶を取り出した。
後でもいいが眠るまでに伝えておいてもいいかもしれない。
ルキアは表情を変えて嬉々として言った。
「こういう物も受け取ったぞ。強力な精力剤で、飲めば精子の製造が捗る上に媚薬の効果もあるらしい。この二つがあれば一晩でも二晩でも――」
「飲まない」
「なぜだっ!?」
「……何考えてんだよ」
じとりとした目で双葉が見れば、途端にルキアは焦り始めた。
彼女の欲求はこの程度で治まるものではない。衝動的とはいえ一度目を経験し、激しい衝撃を覚えてしまった今、それを抑制することなどできようか。
恥じらいを覚えつつも、やはりルキアは意見を改めることができなかった。
「し、しかしだな。その……我慢はよくないぞ。今後のためにも発射は大事だ。また倒れないためにも飲んでおいた方がいいのではないか?」
「俺がなんで倒れたのかわかってないみたいだな」
「うぐっ……ま、まあ、焦る必要はないし、少し休んでからにするか」
「どうあっても諦めないつもりなんだな……」
呆れる双葉をそっちのけに、大事そうに小瓶をテーブルへ置いてルキアが向き直る。
悶々としているのは間違いないのだろうが、辛そうな彼を見て無理強いするほど心を失ったわけでもない。いずれチャンスはあるだろうと一旦落ち着くことにした。
ルキアはしばし、目を閉じて眠りにつこうとする双葉を見つめていた。穏やかな表情で安堵しているのがわかる。
これまでは何かと気にする点が多かったため、今更になって気付くこともある。
意外にもまつ毛が長いことや、肌がすべすべしていること、髪の毛が少し硬めなのだと知って梳かすように指先で撫でてやる。
「ベッドで眠らなくていいのか?」
「そうしたいけど、動くのがめんどくさい」
「まったく……それでは回復などできないだろう。肩を貸してやるから、きちんと寝ろ」
「そうだな……動きたくないけど、行くか」
ルキアが腕を引っ張り、面倒だという気持ちは薄れさえしなかったが、観念した双葉は素直に従うことにした。
体を支えてもらって二階にある自室へ向かう。
こういう時、原因にも関わっているとはいえ彼女が居てよかったと思うのだ。
「心配するな。少し眠れば目覚めた時にはいつも通りになっている」
「本当かよ。だといいけど」
部屋に入ってベッドへ寝かしてもらい、双葉はすぐに四肢を投げ出した。
うつらうつらと視界が歪み、今すぐにも意識を手放しそうだ。
そんな状態だというのに何やら動いているルキアが気になって仕方なく、即座に眠りにつくわけにはいかない。双葉の視線は半ば勝手に動いていた。
断りを入れず、恥じらいもせず、遠慮せずに双葉の服を脱がしているのである。まず先に学校指定の制服のズボンをえいやと一気に下ろして、興味などなさそうにベッドの下へ捨ててしまい、次はまるで焦らすようにして下着をゆっくり下ろしていく。
やけに鼻息が荒く、昨日に比べれば穏やかだが興奮が抑えられていない。
躊躇うことなく足から抜いてしまって、疲れた様子でしょぼくれているペニスを見つめ、見るからに好奇心を窺わせておおっと声が出た。
一体何をやっているんだか。
万全だったなら間違いなく硬くなっている状況だろうに、残念ながら横になったままだ。
呆れる双葉は無視をしようかとも思ったが流石にそうはできず、仕方なく口を開いた。
「何やってんの?」
「ん? いや……人肌で温めてやろうと思ってな」
「遭難したんじゃないんだから。寒くないし」
「だが落ち着くだろう?」
言っても聞かないようだ。
続けてルキアは双葉の上半身から服を剥ぎ取り、裸にしてしまう。それから自身も服を脱ぐと瞬く間に裸になり、彼の隣へ横になった。
肌は吸いつくようにぴったりと触れ合い、なるほど、確かに安心する。
人肌で温められるのも悪くない。彼女の思惑通り、まんまとそう思ってしまった。
「あー……確かに、落ち着く、かも」
「そうだろう」
「なんでそんなに自信満々なんだか」
ルキアが彼に抱きつくように腕を伸ばしてくる。
昨日の暴走はどうしたことか。確かに手で肌をするりと撫でているのだがいやらしさは感じず、時折柔らかいペニスをそっと掴みはするが、触れられることに安堵を覚えた。
幼い頃から一人だった彼は幼馴染の親に面倒を看てもらったことはあれども、自らの両親と過ごした記憶を持っていなかった。
幼馴染が居て、友人が居て、幼馴染の妹に懐かれてもいて、寂しいと思った経験は少ない。しかし決してなかったわけではなくて、そのことを思い出す。
一人ではないのだ。今はルキアが居る。
裸で抱き合う状況は健全ではないがそれもまたよし。深く息を吐いた。
「ありがとう」
「うん? 構わんさ。早くよくなれよ。でないと私も退屈だ」
そう言ってルキアは双葉の頬にちゅっとキスをして、肌を伝うように移動して耳たぶを噛む。
本当に、あの一件以来は人が変わってしまったかのよう。
苦笑する双葉だが嫌がってはいなかった。
「それって何か期待してんの?」
「なっ、ば、馬鹿を言え!? 私はただ……同居人がいつまでも疲れた顔をしているとこっちまで気が病むから、早くよくなれと、そういう意味で……!」
「はいはい」
必死に言い訳をする彼女の腰に手を回すと、嘘のように大人しくなる。目を閉じていても彼女が胸元に頬を置き、体から力を抜いたのがわかった。
双葉は今度こそ眠りにつこうとする。
その腕はしっかりとルキアを捕えていて、彼女もどこか嬉しそうに、静かに目を閉じた。