雑然 作:まるまるまる
松本乱菊
頭に声が響く。男のような気もすれば女のような気もする。瞬き一つの間にそのどちらでもないような。判然としない声だった
『ここは夢の世界。これからお前はある使命とともに部屋に送られる。ただし実体ではない。お前の精神体だけだ。使命は既にお前の頭にある通りだ。使命を果たせばお前の意識は開放され現実へ戻る。期待しているぞ』
ピアノに指を滑らせるように、一時として同じ声をしなかった声の主はそれだけ伝えると初めから存在していなかったかのように消えていった。
男は一方的としか言えないその言葉を意識の中、反芻する。
これは現実なのか。夢なのか。声の主はここを夢の世界と確かに言っていた。周囲を見渡せば光のような白さで埋め尽くされることもあれば、いつの間にかすべてを飲み込んでしまいそうな黒に変わっている。
もしかすれば本当これはただの夢で、実際の自分はいつものようにベッドで眠ってるのではないか。そう考えれば合点がいく。しかし、男はどうにも納得いかずむずむずとしていると、なんの前触れもなくまぶたを下ろすように視界が狭くなっていった。
※
気づけばどこともしれぬ場所で横たわっていた。最後に感じた感覚とは違い今度は実体があるようだった。
夢から覚めたのか?
男は意識が途切れる前に立てた仮説を照らし合わす。自分が見ていたのはただの夢の景色で、横を見れば友人からもらったブサイクなぬいぐるみが――。
「……まじかよ」
言葉とは裏腹に、男にそこまでの驚きはなかった。
目覚める前の、あの空間で感じた感覚を夢で片付けるにはあまりにもくっきりとした輪郭を男に掴ませていた。
つまりあの光景も、あの声も、あの言葉も全て夢などではなく真実。であるならここには自分以外にも――。
「あら、起きたの」
自分ではない声に思考が中断される。男は反射的に肩を震わせたが、自分以外の誰かがいるというのも指命を信じるのなら予想の範疇であった。
声は女だった。どこか艶っぽさを感じさせ、自分に対する自信を感じさせるはっきりとした声だった。
男は声の方向に首を回す。声音から敵意は感じられなかった。どうか友好的な人でありますように。男は女と視線を合わせた。
「あーー、その、なんだ、俺寝てました?」
「ええ、と言っても私もさっき起きたばかりだからどれくらいかはわからないけどね」
男はゴクリと、音に聞こえそうなほどに喉を鳴らした。目の前にいたのは極上の女だった。
最初は見たこともない黒の和装に目を奪われた。しかし日本生まれ日本育ちな男だったがそんな和服は見たことがない。見た目は黒の袴としか言いようがなく、男は自分の知らない地域の伝統衣装のようなものなのだろうなと無理やり結論づけた。なぜなら男の注意は既にその服なんかではなかったからだ。
着崩しているとはいえ黒と和服という厳かさを持ってしも隠しきれないその女体。目を引くであろう派手に波打つ金色の長髪に、腫れぼったく濡れた光沢を放つ唇。唇の下にあるほくろがその隠しきれない色香をより一層際立たせている。
いわゆるそういった視線が女性にとって嫌悪の対象であることは男も重々承知していたが、性別が男で同性愛者でもない限り『これ』を目の前にしてそういった視線を向けないのはもはや失礼に当たるのではないかと、そんな馬鹿げた考えが浮かんでしまうほど、どんなモデルや女優でも太刀打ちできないような肢体だった。
女はそんな視線をなれたようにため息一つで片付けると男を見つめる。
「で、起き抜けに悪いんだけどさ」
「は、はい。なんですか?」
「一つ、質問させてもらうわ」
「質問……?」
瞬間、男は部屋の温度が下がったのを感じた。
どこからか冷気が――
そう思ったが女を見てすぐにその推測を否定する。
まるで肉食の獣と同じ檻に入っているような気分だった。さっきまで情欲の対象に見ていた女の目が値踏みするように男を睨めつけている。それだけなのに男は生きた心地がしなかった。
女が男をにらみつける。それだけ聞けばなんてことはないはずなのに。男もなんとか冷静に自分を落ち着かせようとするが、カチカチと歯がならないようにするのが精一杯だった。
きっとこの怯えも女には見透かされている。
どこか信頼めいた確信を抱いている男を見て、女は口を開く。
「ま、自分でもそんな可能性、万に一つもないと思ってるけど――」
「……」
「あんたがあたしをここにつれてきた――ってわけじゃないわよね」
「……」
「……」
「……違います。俺は気がついたらここにいました。あなたのことも知らないし、できることなら早くここから帰りたいです」
「…………はぁ、やっぱりそーよね。そーだと思ったわ」
あっけらかんと。首をゆっくりと閉めていくような空気はどこかに霧散した。男は一つ大きく息をつき整える。どうやら男の言葉を信じたというより最初から疑ってもいなかったらしい。
だったらあんなふうに威圧しないでくれと、男は損をした気持ちになったが念の為、口には出さなかった。
「さて、と。となるといよいよ手詰まりってわけね」
女が男の頭と反対側のベッドの端に腰を下ろし、右手で金色の髪をかき上げる。
「出口とかって……?」
「あんたが寝てる間に探したわ。出口どころか扉もない。あるのはあんたが寝てるベッドと仕切りもないバスルームだけよ」
言葉のまま女の奥に目をやると、本当に壁どころかシャワーカーテンもないバスルームが放り出されたかのように設置されてある。
「本当だ……」
「まっ、脱出の宛がないってわけではないんだけどね」
「そ、そうなんですか!?」
「そのことについては後で話すわ。まずはお互いを知るために自己紹介、ね? あたしの名前は松本乱菊ってーの。あんたは?」
松本乱菊。そう名乗った女の言い分に納得した男も自らの名前を明かそうと、後に続こうとした。だが――
「俺は――……」
「……」
「俺の名前は――……」
「……? 名前は? なんなのよ」
「……あの、非常に申し上げにくいのですが……」
「何よ」
「自分の名前がわからないかも……みたいな」
乾いた笑いを添える男に乱菊は驚くでもなく「……はぁ~」とまた別の問題に呆れのため息を漏らした。
「いやでもっ、記憶喪失ってわけではないみたいですよ! 多分!」
「……どういう意味?」
「なんというか、親の顔とか自分が通ってた小学校とかは思い出せるんですけど、名前とか学校名だけ靄がかかってるような、そんな感じです」
「ふーん。ま、不自由はなさそうだし面倒くさいことにならければいいわ。じゃあ私はあんたって呼ぶからよろしく」
「はい、よろしくおねがいします。乱菊さん」
それから二人は互いのことを話した。乱菊が着ている服は死覇装というだとか、最初は何気ない四方山話だったが、話してくうちにお互いの世界が違うことに気づいた。有名な芸能人に存在しない地名。別の世界の二人が集められたことを知った乱菊は自分がただの人ではなく死神だということも打ち明けた。
やることも何もない部屋で乱菊の話す死神の世界は男にとってアニメやゲームの世界で話に夢中になっていたがあることに気づいた。
「そういえば乱菊さん。その死神の力でなんとかできないんですか?」
「ん、確かに言い忘れてたわね。あんたが寝てる時にとっくに試したわ。だけどそもそも死神の力が使えないのよこの部屋。私たち死神は霊力って力を操って戦っているけど、そもそも自分の霊力すら感じなくなってんのよ」
「そう、ですか」
静寂が二人の間に漂う。男は当然のことを聞いた自分を恥じた。そんな力があるなら乱菊が試していないはずがない。絶望を再認識するだけだ。
肩を落とした男を見た乱菊は困ったように薄く笑みを浮かべた。気にしていないと言っても焼け石に水なのは誰でもわかる。ならばどうするのか。
二人はベッドをベンチ代わりに並んで腰掛けている。乱菊は男が腰の隣に置いてある右手に自分の左手を何も言わずに重ねた。突然の行動に男が驚愕の声を上げる前に頭二つほどあった距離をゼロにすると、乱菊は「えっ?」と声を上げる唇を自分の唇で塞いだ。
「――ッん!?」
「ん、ふぅ。じゅる、んちゅ、れろ♡」
男の口腔は抵抗の間も与えられず侵略を許した。突如として重ねられた唇。反射的に覆いかぶさった乱菊の肩に押しのけようと余った手を肩に添えたが、その手すらもう一つの手に絡め取られベッドへと体ごと押し倒された。
その勢いにお互いの体がベッドの上で跳ねるが乱菊は唇を離さないどころかより強く押し付けて、勢いのまま舌をねじ込んできた。段階など知らないとばかりに最初から粘膜と粘膜のまぐわい。舌を舌で縫合しているかのように表裏を乱菊の舌が行き交う。
男に抵抗という選択肢はあった。抑え込まれているとはいえ件の死神の力は無い、ただの女性の腕力。だが男がそれを選ぶことはしなかった。操を立てる相手もおらず、ましてや相手からの誘いならばわざわざ断る理由も無い。押さえつけられた手から力を抜き意識を舌へと移す。
「ちゅう、ふ、えろ♡ ――あら、思ったより早く乗ってきたわね。落ち込んでたみたいなのにもう元気なったのかしら♡」
「……そりゃあこんな最高の女なかなか巡り会えるものじゃないですからね。それも相手から誘われたとあっては断れるはずも無いでしょう?」
「ふふ、あたしとしては少し可愛げがないわねぇ。ま、どちらにせよ手間がかからなくていいわ」
それだけいうと乱菊は男を押さえつけていた手を外し、櫛のようにして男の髪をなで始めた。一も二もなく始まったあの粘膜の交わりが無かったかのように甘く穏やかな時間が流れる。お互い吐息の熱をかじられる距離で瞳に映る自分の顔を見る。
男は浸っていた。脳を直接愛撫されているかのような甘い芳香。自分の胸で歪む、衣類越しにもかかわらず薄れることのない存在感。視線、欲望、男の全てをたらし込むような美貌。その全てが一人の女に集約し男の前で情欲を昂ぶらせている。本来なら男が地面に頭を擦り付け、財産という財産の全てを投げ売っても手の届かない存在が、差し出した手を取ってくれるのを待っている。
チュッ、チュッと、わざと大きな音を鳴らし甘えるように男の唇、頬、耳、と見境なくキスの雨を降らせる乱菊。男は余った手を乱菊の腰と後頭部へと回しその密着をより深くした。
「んっ。 ――さっきこの部屋から出るあてがあるって言ったでしょう?」
「もしかしてそれ、『試練』じゃないですか?」
「……何? あんた知ってたの? なんで隠してたのよ」
「いや、隠してたわけじゃないんですよ。顔も知らない女性に本当かどうかもわからないこと言え無いでしょう? それも内容も内容じゃないですか」
「……まあ、それもそうね。『SEX』したら出られるなんて、もしあたしがあの声を聞いてなかったらあんたのことぶん殴ってたかもしれないわ」
「ははは……」
乾いた笑いが漏れる。
男はなんとなく乱菊が同じ情報を共有しているのでは、と唇を重ねているときから感じていた。そうでもなければ億万長者男から役人まで、選ぶまでもなく向こうから傅いてくるだろう乱菊のような傾国の美女が、石を投げれば当たるような平凡な男に裏もなく色目を使うはずがない。
それを当然だと思う自分もいれば、どこか残念に思う自分もいる。しかし男はもしこれが自分の世界で同じようなことが起きても美人局だとかを疑っていたのだろうなと、第三者の視点から自分の保身を分析していた。
男が少しの間思慮に耽っていると、衣擦れの音に呼び戻された。音の方に目を向ければ乱菊が体を起こして男を見下ろしながら、身に纏っている死覇装をまとめる白い帯に手をかけていた。
「あたしも半信半疑だったけど、あんたの話を聞いて確信に変わったわ」
乱菊は腰を波打つようにくねらせる。お互いの性器を衣服という隔たり越しにこすり合わせ、男の燻っている情欲の火に風を送っている。その動きと慣れた手付きでほどかれていく帯を見ているだけで男は体の熱が一段階上がったのがわかった。そしてその熱を鎮めるどころかそれとは逆のことを自分の本能がしようとしていることも。
しゅるしゅると。衣擦れの音が止んだ。乱菊が手から力を抜くと、パサリ、静かな音を立てて帯はその身を絶命した白い大蛇のように横たえた。
乱菊は腰の動きを止め、男の注意を自分へと向ける。
男は改めて乱菊を見る、というより眺めた。今更新たに言葉を並べる必要もない最上の容姿。男の欲望で作られたといっても納得する抜群のプロポーション。そしてそういった自分の武器を理解する、誇示するかのような立ち振舞。自分が他人からどう見られどういった印象を植え付けるのか。自己過信でも薄っぺらい承認欲求でもなく、実験の観測者のように淡々と現象を記録している。
乱菊は今、自分が目の前の男からどう見られ、どうすればこの性器に伝わる昂りを吊り上げ最高の状態に仕立て上げるか、頭の中では数学の難問に挑でいるかのように緻密な計算をしていた。
より扇情的に。より積極的に。より倒錯的に。男の五感が全て自分に向くように。
帯を外した死覇装は縦に裂かれ鼠径部からかけて肌色が覗いている。視線を下から舐めあげれば落ち窪んだへそすらも今の男の情欲を煽り、当然、その過程には男が見てきた中で比較対象すら思い当たらない女性の象徴が待ち構えていた。
一般的に言えば大きさ、形、ハリなどが忌憚なく性的指向に重ねられるが、もしそれらが明確化され評価されるのであれば男が目にしているのはどこをとっても文句のつけようのない至高の逸品だった。
大きさはすぎれば現実感から逸れどちらかというと瞠目してしまうが、乱菊のものは劣情を煽る範疇にとどまりその中でも理想的な大きさだった。ツンと上向きの形は乱菊の威勢の良さがでているようで、一般的な洋服よりも重そうな襦袢と死覇装を軽々しく押し上げ肌との間に拳二つほどの空間を作っているハリは確かな手応えを約束させる。
「この部屋にはあんたとあたしの二人だけ。他に脱出の手段も見当たらない。あたしは元の世界でやることがある。あんたが嫌って言うなら他の方法をまだ探すけど――どうする?♡」
答えは二つと無かった。
執筆しているとSEXしないと出れない部屋みたいなのものは読むのが好きで、書く分には原作沿いのほうが好きだとわかりました。