「だから最後は一人になった(夫)たった一人の男の犠牲の上に成り立つ、皆の幸せは、ここから始まっ た」 作:木桜 春雨
「ほら、これは、あの作家の著者の中でも」
自分の話を聞いている姿、たとえるなら熱心な学生のように見えて、正幸は少し恥ずかしくなった。
お義父さん、凄く詳しいんですねと言われて実はと種明かしをした。
「ホテルのロビーでパンフレットを見つけてね、一夜漬けだよ、そんなに感心されるとは思わなかった」
「そうなんですか、でも凄く板についてたから」
「もしかしたら、途中でばれるんじゃないかとヒヤヒヤしたよ」
ホテルの近くの資料館を出て、しばらく歩いていたが、少し休もうかと喫茶店に入った。
のんびりとした時間を過ごしながら、今頃、息子はどうしているだろうかと正幸は考えた。
仕事には熱心だ、それ以外にも。
オザキが自分のスマホに送ってきた写真を見たとき、それを見て感じたのは後悔と呆れだ。
「明日は映画、観に行きましょうね」
帰り際に割引のチケットを貰ったじゃないですかと言われて、映画かと正幸は思い出した。
「嫌いですか、映画」
いいやと首を振る。
「今はパソコンやスマホで観る人も多いですけど、やっぱり、大きな画面、映画館で観るのはいいですよね、初めてですよね、一緒に行くの」
言われてみれば嫁と舅の二人で映画を観るなど、あまり聞かないと思ってしまった。
(孝史と一緒に)
映画に行ったことはと聞こうとしたが、口にすることをやめたのは自分の知る限り、そういったものには、あまり興味がなかった気がすると思い出したからだ。
子供の頃はアニメなどの映画には何度か行った、だが、段々と友人達とカラオケや飲み会に行く事が多くなっていた気がする。
どうして、二人が結婚したのかと今更のように思う、だが、男女の仲というものは周りや他人から見て納得したり理解する事はできないことがある、そう、自分のようにだ。
翌日、シアターを出ると周りを泣いている女性が多い事にほっとしたのは隣で息子の嫁も同じように泣いているからだ。
カップルで泣いている女性がいたら写真を撮りますよという無料のサービスまである。
妙な事をサービスにするんだなとだと思ったが、映画の内容にあやかってのことだろう。
だから連れの男性もだが、女性も恥ずかしいと言いながら写真を撮って貰っている。
カップルではないのだがと思いながらも、記念にいいじゃないですかと言われてしまい、二人で並んで写真を撮ってもらった。
「恥ずかしいですね、誰にも見せられませんよ」
擦って目元と鼻の下を赤くしている女と壮年の男が並んでいる姿は確かに、知っている人間にも観られたくはない。
だが、いいじゃないかと正幸は素直に呟いた。
「大人になると素直に泣くことも難しくなるからね、じゃあ、これは私が貰っておこう」
「ええっ、見せないで下さい、誰にも、孝史さんにも」
小声で夫の名前の呟く彼女に思わず頷く。
「勿論だ、大事にしまっておくよ」
映画館をでると外は暗い、日が落ちるのも早くなったし思いながら、空を見上げた正幸は、ごらんと声をかけた。
「月が綺麗だ」
だが、そう言った後で、はっとしたのは有名な言葉を思い出したからだ。
「いや、今のは、その」
「わかってますよ、あたしは息子の嫁ですから」
ロマンティストですね、嬉しそうな顔で言われると悪い気はしない、しや、少し恥ずかいという気はするが。
「もしかしているんですか、そんな人が」
とんでもないと首を振った、即答だ。
「今は息子の嫁が、美夜さんが大事だよ」
それは心からの言葉、本心だった。
「出張、ですか」
突然の呼び出しに孝史は驚いた、予定の同行者兼通訳の人間が直前になって都合がつかなくなって困っている、それで自分が呼ばれたらしい。
「海外で一週間、もしかしたら延びる可能性もある、突然だが」
大丈夫ですと孝史は即答した、海外は初めてではない、それに香港は初めてだ、楽しみでもある。
「実は、もう一人、同行する事になっている」
名前を聞いて驚いたのも無理はない、今現在、付き合っている浮気相手の中で一番の美人で自分に熱を上げている女性だ。
もしかして自分と彼女の仲を知っているのではないかと思ったが、それはないと思った。
新幹線の中で食べる弁当というのは美味いだけではない、非日常だから特別な感じがするせいかもしれない。
最初のうちは不安だったが、温泉や名所巡り、のんびりと過ごすうちに悩んでいても仕方ないと思ってしまったのだ。
新幹線の改札口を出たときだ、おじさんと声をかけられて正幸は驚いた、迎えにきましたよと自分に近づいてきたのは息子の友人だ。
「京介君、どうしたんだ」
正幸は驚いた、何故、息子の友人がと思ったのだろう、すると、孝史の奴、出張で香港ですと言われて驚いた。
「実は、あいつのスマホも調子が悪くて、それで連絡してきたんですよ」
「そうなのか、わざわざすまないね、忙しいだろうに」
暇だったからいいんですよと京介は笑いながら車で二人を自宅まで送った。
「おじさん、蕎麦、好きでしたよね、隣町に映画館ができたんです、イ○ンシネマ、そこのレストラン街の中に蕎麦屋、なかなかですよ、一度行ったんですが、鴨南蛮に粉山椒の組み合わせがうまかったんですよ、奥さん、確か作家の池波さん、好きでしたよね、孝史が言ってたんです、もしかして、蕎麦、好きなんじゃありませんか」
「えっ、わかります、うどんもですが、蕎麦、好きです」
「二人で行ったらいいですよ、映画を観て、蕎麦を食べて」
隣のシートに座っている彼女を見ると笑っている、行きましょうね、お義父さんと言われて頷いいた瞬間、それがあまりにも自然で自分でも驚いた。
オザキが何かを企んでいます。