こちらが正規の人物像であり、覚書は改変を加えたものです。
華美な装飾に彩られた長い廊下。絨毯の上を本を乗せた台車を押して歩く。
「兄様!」
快活な声と共に、ぱたぱたと廊下を走る音が聞こえる。
後ろを見ると、何冊かの本を胸に抱え赤いドレスに身を包んだ少女がいた。
「ああ、フラン。そっちも終わったのか」
「ええ!それはもうバッチリ」
「お疲れ様。朝から悪いな」
「いえいえ。兄様のお願いならどんなことだって!」
「ほどほどにな」
苦笑して彼女の頭を撫でる。
目を細めて嬉しそうに微笑む表情はいつ見ても自然とこちらの頬も緩む。
フラン。
俺がそう呼ぶ彼女には記憶が無い。
彼女の故郷で起きた悲しい事件。その心的なショックで記憶の一部が失われ、彼女は家族と自身の名前を忘れてしまった。
「飲み物でも作ろうか」
「いいんですか!じゃあ私はミルクティーがいいです!」
フランシアと言うその名前は、この国の王族の風習に従い、彼女の未来が幸せな炎に照され明るくなるようと願って付けた名前だ。
「兄様。お昼は何にしましょうか」
「まだ早いだろう」
「いいじゃないですか。せっかくですし図書館で何を作るか一緒に考えましょう」
「本棚の整理が終わったらな」
話題が尽きなくなったのはいつだったか。
今でこそお喋りになったが、初めは何もかもが今の彼女からは考えられないほど大人しかった。
料理の話をしながら台車を押す。
フランはカゴから本を取り出してはペラペラと捲り、何か考え込むように頷いている。
「兄様のは歴史書ばかりですね。他に読まれないんですか?」
「読み出すと止まらないんだよ。魔術の本も少しは読んでるけど、どうしてもな」
「私、町で良い本を見つけたんです。今度読みませんか?」
「いいな。紅茶と菓子も用意しよう」
「やったー!」
図書館の扉を開くと、フランは抱えた本を棚に戻す為、俺から離れた書架へと走っていく。
「.......」
今でも不安になる事がある。
彼女に誓った事を俺は守れているのか。
いつかその記憶に染み付いた悪夢から彼女を解放出来るのか。
「兄様。どうかしましたか?」
「ん、いや」
悩んでも仕方がない。
一度口にした事を投げ出してはならない。
「兄様ー。全然片付いてないじゃないですか」
「ああ、ごめん」
「仕方ないですねー。手伝ってあげますから。一緒に行きましょうね」
フランは台車を対面から引っ張りながら急かす。
全く後ろの様子を気にしていないようだが。
「ちゃんと前を見ないーーー」
「きゃっ」
派手に転倒する。
「大丈夫か!」
フランに駆け寄ると、彼女はむくれた様子で俺を睨む。
「兄様が早く本を仕舞っていればこんなことになりませんでした」
「む、それは悪かった」
「起こして下さい。私もう立てませーん」
「なっ.......わがままを」
「はーやーくー。責任取って下さいよー兄様ー?」
「わ、分かったから大声を」
バタバタと暴れる彼女に手を差し出すと、その表情がいたずらっ子のように崩れる。
「もらったあ!」
手を掴まれ、勢い良く引き寄せられる。
咄嗟に残った左手を突いて体を支える。
「フラン。何を!?」
「むぅ!!」
フランは更に不満そうに頬を膨らませると、今度は俺の頭を掴む。
「何で耐えるんですか!」
「何でって!」
「馬鹿兄様!」
そういうや否や、フランは俺の頭を掴んだままの手を引っ張る。
「むぐッ!?」
頭からフランの体に突っ込み、柔らかい感触に包まれる。
「ッ!?」
「罰です!」
柔軟剤と香水の甘い匂いに混じり、女性特有の匂いが鼻を刺激する。
完全に彼女の胸に顔を埋める形になっているのだが、本人はそれを気にするどころか、寧ろ楽しそうにしているようにすら感じる。
「女の子をこんなにホコリまみれにして。駄目じゃないですか兄様?」
「んがっ!モガッ!」
「暴れないでください。どうせ逃げられませんから」
フランは俺の頭を抱き締めるような形で固めており、暴れれば暴れるほどその胸の中で動き回ることになる。
「どうです?兄様。悪い狼さんにはお仕置きですよ!」
「ンンーッ!」
フランの肩を叩いて抵抗するも、彼女はなかなか俺を離そうとしない。
「いやですー。まだ止めてあげません。窒息するまで我慢ですよ」
普通はご褒美なのだろうが、突然の事で頭が真っ白になっている俺には、ただ訳も分からず妹に殺されかけているようにしか考えられない。それに彼女の甘い匂いも加わり、混乱で目がチカチカとしてくる。
「はい終わり!。残念でした」
フランが手を離すと同時にバネの様に顔を上げ、思い切り息を吸い込む。
「あっはは。兄様、真っ赤ですよ」
「し、死ぬかと思った」
馬鹿みたいに速い鼓動の意味は一つではないだろう。
荒い息でフランを見下ろす。揺らめき、チカチカと点滅する視界。獣にでもなっているかのような気がした。
「フラン.......何を」
「え?スキンシップですよ。何を思い詰めていたのか知りませんけど、あんな兄様の顔はみたくありませんから」
「.........」
自分でも意識していない所で気を遣わせていたようだ。
「ニコニコしてて誰にでも好かれる人気者。その癖裏では誰よりも悩んで前も見えなくなる。自分だけの命でもないのに、皆が兄様を必要としているのにそれを知らないみたいに自分を傷付ける」
フランに押され、経たり混むように床に座る。
彼女はそれまでのおどけた態度を一切感じさせない顔で俺を見つめ
「そういう兄様。私は大嫌いです」
はっきりとそう言った。
「兄様はどう思ってるか知りませんけど。私は兄様は完璧な人じゃないと思います」
「......」
「そのために私がいるんじゃないんですか?。兄様が妹だと言ってくれた私が。それとも、私はやっぱり本当の家族じゃないんですか?」
「それは違う」
「っ.....」
咄嗟に出た言葉に、フランの表情が固くなる。
「フランは俺の家族だし、大切な妹だ。それだけは間違いない」
「.......そういう事何でさらっと言うんですか」
「間違ってほしくないからだ。家族じゃないだとか軽く言うな」
あっという間にしおらしくなったフランが顔を伏せる。
「フランが言うように、俺はまだ頼り無い奴かもしれない。だが」
「もういいですよ!。ちょっとからかおうとしただけだったのに。そんな真顔で答えられたらバラしにくくなるじゃないですか」
すっかり弱々しくなった声でブツブツと呟く彼女の頭に手を乗せ、乱暴に撫でる。
「ちょっ、ちょっと兄様!止めてください!」
「ほら、さっきまでの元気はどこだ?。いつもみたいに笑った!」
「兄様!ちょっと!」
「はは!仕返し仕返し!」
嫌がりはするものの、手をはね除けようとはしない。彼女も楽しんでいる節があるようだ。
「よし。今度こそ本を仕舞わないとな」
ひとしきりフランの頭を掻き回し、勢い良く突き放してやる。ぐわんぐわんと揺れる頭を止め、彼女はまたむくれる。
「せっかくメイドにセットしてもらったんですよ!酷いです兄様!」
「ははは、ごめんごめん。さっきはやりたい放題やられたからな。ちょっとしたお返しのつもりだったが」
「だからってこんなことしなくたって......って、何逃げようとしてるんですか!」
台車を押す俺の後ろで抗議するフラン。
こういう子供っぽい所がたまに見られるのは嬉しい。
「もう知りません!。兄様は1人寂しく本棚整理でもしていればいいんです!」
「ああ、終わったら昼食にしよう」
「勝手にしてください!」
「フルーツサンド作って置くからな。ああ、ミルクティーも」
「.......馬鹿兄様!」
何かを迷うように震えた後、お決まりの罵倒を残して廊下へと駆け出していくフラン。その背中を見送り、台車に乗せた本を棚に戻していく。
「とびきり美味いやつにしてやらないとな」
最後の本を納め、台車を図書館の入口に帰す。
図書館を出るのは普段より遅くなった。
少し速足で台所へと向かい、昼食のサンドイッチを作る。
これは俺と妹の物語。
嫌われ者の赤ずきんと、優しくて人気者の狼のお話。
昼食。庭でサンドイッチを頬張る俺の隣には、少しだけ不満そうに、しかし嬉しそうにフルーツサンドを食べるフランの姿があった。
始まっちまったよ恥さらしの時間が。
やりだした以上はやるけどさ。