「これはこれは皇太子様。ご機嫌はいかがですかな」
植物園前の庭に着くと、花壇の前で背を曲げていた梟の男が俺を振り返り、小さく手を振る。
「悪くはないよ。今皆への墓参りも済ませてきた所だ」
「おや、もうそんな時期でしたか。ずいぶんと早いもので......全く年は取りたくないものですな」
「まだ60過ぎだろう。梟の獣人は長命なんだ。オウルはまだ若い方じゃないのか」
「いえいえ、体は鈍る一方。長生きというのもなかなかに辛いものですぞ?」
眼鏡のよく似合う顔にはふさふさと柔らかそうな毛が整えられており、年齢を感じさせない。
穏やかで物静かな雰囲気は、物知りで優しい人間の老人に似た印象がある。
「皇太子様も今に分かりますぞ?時などあっという間に過ぎてしまう。出来る事が多い内に人生は楽しむもの。爺めの助言です」
「はは、ありがたく受け取っておくよ」
薄く笑うオウルに苦笑いを返したところで、本題を思い出す。
「そうだ。何かフランの事で相談があるんだったか」
「おっと、そうでしたな。では取り敢えず中でお話しましょうか。北から取り寄せたハーブが届いたのです。宜しければ一服いかがですかな?」
「北のハーブか......ああ、いただこうかな」
オウルに案内され、鳥籠のような形の植物園兼工房に入る。
中は少し湿気ており、外よりもいくらか暖かい。
「苔の瘴気というのを知っておりますかな?」
「何だそのおぞましいものは」
「肺を蝕むカビを発生させる苔がありましてな。その研究をしているのです」
「それは大丈夫なのか」
「さすがにここでは栽培しておりません。ではハーブの用意をして参ります」
オウルが植物園の奥へと消えていく。
テーブルに着き、置かれていた本を開く。
色鮮やかな草花が繊細な筆跡で描かれている。
「オウル.....よくこんなに」
辞書のように分厚い本にびっしりと書かれた文字はきっちりと整列されており、読みにくさなど微塵も感じさせない。
「興味をそそられる花はありましたかな?」
夢中になって読み進めているとオウルに声を掛けられる。目を細めて笑うその表情は楽しげにほころんでいる。
「ああ、すまない。面白かったものでつい」
「お気に召したようでしたら甲斐があったと言うもの。どのような形であれ、人目に触れるのであれば整ったものでなければなりませんのでな」
お湯を入れているであろうポットとティーカップを持って現れたオウルは、慣れた手つきでテーブルに茶器を並べ、ハーブティーを用意する。
つんと鼻を刺激する優しい匂いは、じっとりとした温室の空気を忘れさせ、気の引き締まる思いがする。
「ミストレルと言うそうです。高山地域に自生するハーブで、気分転換には最適だそうですぞ」
「匂いはさっぱりとしている。これは気分もリフレッシュ出来そうだな」
「ごゆっくりお楽しみください。では本題の方に入りましょう」
対面の椅子に腰かけたオウルが、ハーブティーを口にする。
続いてハーブティーを口に含むと、清涼感に溢れた味が解放感を与えてくれる。
「ああ、フランがまたやらかしたのか。今度は何を」
「いえいえ、フランシアお嬢様はよく励んでおられますよ。最近は外の庭での指導に切り替えましたので、植物に影響は出ておりませんよ」
否定するように笑いながら手を横に振るオウル。
「なら何の相談が」
「フランシアお嬢様の様子です」
「フランの様子。何か感じる事があるのか」
「上の空と言うのでしょうかな。集中力が足りないように感じるのです」
「ふむ」
「あまり魔術に身が入らないようですとお嬢様自身の怪我にも繋がりますので、お休みを取られてはと言うのですが、本人は大丈夫だとおっしゃるものですから、良ければ皇太子様からも一声かけていただければと。それだけの事です。申し訳ありませんな。こんな簡単な事でお呼び立てしてまったようで」
「いや、そんなことはない。フランについて頼んだのは俺だ。細かな事でも聞かせてくれるだけでありがたいそれに」
ハーブティーを一口飲む。
「このハーブティー。味も文句無しだ。いいものをご馳走になったし、こっちが感謝したいくらいだよ」
カップを少し持ち上げて見せる、
「それは良うございました。北方のハーブは雪解け水を栄養にして育ち、大気の薄い環境に生えるため、中に多くの空気を溜め込むのだとか。そのため香りと味はミントのようにスッキリとしたものになるそうですぞ」
満足そうに微笑んだオウルも、事前に用意していたであろう知識を披露してくれる。
「狼の獣人の多くは北方に暮らすと聞きますし、こう言ったものは皇太子様が詳しいと思ったのですが、いかがでしょう」
「むう、確かに俺も生まれは北方だったが、暮らしていた時期は短いからな。それほど詳しくないんだ」
「おや、左様でしたか」
「人間に追われて南西まで逃げてきた。随分たったが、フォズラリアはどうなっているだろうか」
かつて暮らしていた故郷を思い出す。
雪に囲まれた山間の町はここより空気が澄み、獣の血が流れるこの体には生きやすい場所だった。
現在は獣人が去った後、その地に辿り着いた白竜の竜人が治めていると聞く。
「いつか帰ってみたいな」
「ええ、いつの日か」
カップに残った最後の一口を飲み込み、オウルに感謝を告げる。
「しかし、すっかり大きくなられましたな。皇太子様。この老骨が衰えていくうち、貴方は幾つもの苦難を越えて強く堅い心を持たれるようになられた。幼い頃の姿もいつから変わり、今では我々と共に歩む皇の器を満たしておられる。喜ばしいことです」
バティと共に幼い頃から俺の面倒を見ていたオウルには感じる事があるのだろう。微笑むその表情が暖かい。
「最近遠征続きのようですが、バロン様はお元気ですかな?」
「確かバロンなら今日帰るはずだったが」
「ふむ.....それですと」
オウルが慣れた手つきで早々と茶器を片付け始める。
「オウル?何かあるのか」
「皇太子様。お忘れですか?バロン様の性格を」
「バロンの性......」
爆発音にも似た衝撃音が響く。
俺もオウルも驚きに延び上がる。
続いてドスドスと重く間隔の短い音がする。
それがだんだんと近付き、音の大きさが増していく。
「アルト様アアアアアア!」
野太い叫び声と共に、恐ろしい量の砂埃を巻き上げて、植物園の入り口を人影が横切る。
ドア枠を灰褐色の毛並みの手が掴む。
弾丸の如き速度で何者かが植物園に飛び込んで来る。
「ただいま帰りましたアアア。アルト様アア!」
「うげぇっ」
突然抱きかかえられ、体を締め付けられ息が詰まる。
青みがかった灰色の毛。きらりと輝く金色の瞳。俺と同じ、しかし俺より獣に近い姿をした獣人の男がいた。
彼の名はバロン。俺の身辺護衛を務める騎士だ。
軍隊の事情で近隣領地の治安維持を任されることがあるのだが乗り気ではなく、帰れば真っ先に俺の下にやってくる。
「お、折れ....折れる」
「大事はありませんでしたか。襲撃はありませんでしたか。お怪我はありませんでしたか。俺が戻ったからにはもう安心ですからね!さあ何なりとご命令を」
早口でまくし立てる彼の言葉は、最後には遠吠えに変わる。
植物園を震わせる雄叫びに、激しい耳鳴りがする。
「バロン!またなのですか。陛下への挨拶を先に済ませと言ったはずです。それが何故ここに居るのですか」
声を聞きつけてか、呆れと怒りの混じった様子のバティがやってくる
「バロン.....本当なのか。と言うか離してくれ」
「む!バティ。報告を頼むと伝えたはずだぞ」
「その程度自分でしなさいこの脳筋狼!」
「俺が仕えるのはアルト様ただ一人!その主人に真っ先に顔を合わせずして何が護衛兵か」
「騎士団の者がそれでは示しがつかないと言っているのです。自覚をお持ちなさい!」
「ええい煩い!そっちこそその凝り固まった頭をどうにかしろ」
助けを探して辺りを見るが、そこにいたはずのオウルは茶器と共に姿を消していた。危機感知能力の高い男だ。
「殿下。そこの大馬鹿に何か言って下さい。これでは埒があきません」
「.......離してくれないか。あばらが痛いんだ」
「な、なんと!失礼いたしましたアルト様!」
バロンが慌てて俺を地面に下ろすと、物凄い速度で跪く。
「お許しください!いえ、お許しいただかなくとも構いません。この命、どうぞアルト様の手で」
「け、剣を出さないでくれ」
盗賊、傭兵と戦歴を積み、父に気に入られて騎士団に抱え込まれる事になったバロンだが、彼が恩を感じているのは父ではなく俺なのだ。
「お、おお。俺の過ちを許すと......」
再びの遠吠え。ガラスががたがたと音を立てる。
この狼。かなりの感激家で、何かあるとすぐに遠吠えという名の大泣きをするのだ。
「この命。一生.....貴方にッ!!」
歯を食いしばって涙を流す姿は大げさの一言に尽きる。
「まあまあ」
盗賊時代の彼と出会った時、追いつめられた彼に斬り付けられたことがあり、傭兵となった後に再会した彼とのことがそうさせるのだろう。
家族を失い、その過去から前に進むことを決意してすぐに起きた戦争。
その戦場で傭兵としてエルラド陣営に参戦していたバロンは、戦いの中で俺と共に戦い、その功績を称えられ父から騎士としての行き場を与えられた。
玉座の間で俺を見た時のバロンの青ざめた顔は覚えている。
父の前では平静を装っていたバロンだったが、いざ式が終わると彼は部屋に戻った俺の下に現れ、突然床に頭をぶつけて謝りだした。
内容と言うのは勿論盗賊時代の事故であり、それを父に隠しておいて欲しいとのことだった。
もともと咎める気もなかったため、代わりにエルラドの未来の為、共に生きて欲しいと願った。
その時の彼の遠吠えも城を騒がせた。
バロンは俺に忠誠を誓い、護衛として俺に仕えるようになったのだが、その忠誠というのが少々過剰なのが問題だ。
「.....全く。殿下、バロンをこちらに」
「バロン。とりあえずやるべき事だけ済ませてくれ。城にいるうちは俺も安全だから」
「行きますよバロン。陛下がお待ちです」
今の俺を作り、ここまで成長させてくれたバティ。
彼も元は少年奴隷であり、商人の手から逃げ出し詩人として旅をする中でエルラドに辿り着いた。
今の彼自身の手は、生きる為、がむしゃらに磨き続けたものだ。
何度も俺を支えてきた言葉も、彼の経験から来たものだろう。
バティに何度救われたかは数えられない。彼はそれを従者として当然の事だと言うが、俺にはとても心強かったのだ。
「......行ってしまった」
植物園に一人残された俺も部屋に向かう。
故郷
家族
ここには俺が居るべき場所があって、そこには俺を迎えてくれる人が居る。
俺に生きる理由と希望をくれるその場所の為に、また歩いて行こうと思う。
廊下を歩きながらふと外を見ると、魔術師の衣装を身に着けたフランが見えた。
何より大切な人の為にも、この平穏を明日に繋ごうと思うのだ。
「......フランの為にもな」
何気なく呟いた言葉にドキリとする。
一体何を言ってるんだろうか。
体が薄く熱を帯びるような感覚を覚えながら再び歩き出す。
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