前編
その日私は疲れていた。もう、何も見たくなかったし、考えたく無かったの。
そんなのは逃げだと分かってるけど、現実が苦しすぎた。感情の捨て場所を持たないのである。
だから、近くに見えた島に向かい、船から降りて独りで少しだけ膝を抱えて眠ろうと思っていた。……だって、私はまた何もできないで村の人を喪ってしまったのだもの。
だけど本当に、私は何も出来なかったのかな。私は、保身に走ったんじゃないの?
なんで、守れないんだろう。その為に、私はアーロンと契約した筈なのに、どうしてっ……!
「……っ……もう、消えちゃいたい……っ」
言葉が声になって飛び出した時、余計にそれは強くそう思わされる。自分の生きてる理由さえ見失い、このまま海の中に溶けてしまいたい……と、小舟の上から海を見つめた。
その時、海水の中にいた何かと目が合った。驚き硬直した直後、水飛沫を飛ばしながら飛び出して来たのは真っ赤な髪の男で……。
「ナミ!?っゲホっ!なん、え!?」
「シャン……クス?」
涙も、絶望も、水飛沫と共に吹き飛ぶ。何が起きてるのかと、互いに互いを見つめ合ってしまう。
海面から顔だけ出してるシャンクスに驚き、それからそっと船の奥に加重をかけつつ声を掛ける。とりあえず、船に乗ってもらいたい。
シャンクスはそれに従い乗り込むから、狭い小舟はそれだけでめいいっぱいとなってしまう。これは元々、1人乗りのボートに毛が生えた程度の船なのだ。
「どうして、こんな所に?」
「ん?……そこの島に用事があって来て、島の周り泳いでたらナミが居たんだよ」
なんで、新世界にいるべき人が、東の海にいるのか。その上、楽しそうに泳いでたのか。
濡れたままでは風邪引くのではないか。そんな感じで色々思うのに、全ての語彙力が失われてしまっている。
「そっか……そう、なんだ……」
「それよりナミ、久しぶりだな。……大きくなったなァ」
そう言いつつ私の頭を撫でたかと思うと、その流れで強く抱き締めるシャンクスに、何故か泣きたくなってしまう。私に、泣く権利なんてないと言うのに。
無意識で縋り付くようにシャンクスの背中に腕を回せば、シャンクスは何かに気付いた様子でピクリと身体を揺らしたけどそれだけ。そのまま私を慰めるように頭を撫で続けてくれるシャンクスに甘えて、私は深く、深く、眠ってしまっていた。
目が覚めるとそこは見た事があるような、でも、知らない部屋のような、不思議な場所にいた。……なんだろう?
もう既にここがどこかとかではなく、この既視感に混乱している。うーん……と、少しばかり悩んでいると頭を軽く叩かれた。
「変な顔になってるぞ」
「あれ?シャンクス……?……て、事は……夢じゃ、無かったんだ?」
「なんだ。夢に見るくらい……俺が恋しかったか」
大人の色気を無駄に振りまきながら、シャンクスは笑う。前より少しは成長してるのだろうけど、あまり違いが分からない。
それとも、夢で見ていたからかな。何だか思考が上手く働かない。
「うん。結構な頻度で夢に出て来たわよ」
「……そういうとこだぞ、お前」
素直に答えたのに、何故か突然頭を抱えるからそれにより首を傾げたのは当然。ただ、シャンクスがいてくれた事でわかった事もある。
この既視感の正体。それは、シャンクスの私室に似ているという事。
でも、何かが違うのだ。それに、昔可愛がっていたとは言え、今は赤の他人である私を私室に連れ込むような大頭が居るとは考えられない。
あの頃は普通の船長だったけど、私があと数日で18歳になるのだからシャンクスは立派に四皇の筈。だとするなら、今はもう大頭だもの。
「シャンクス達はこの後何処か行くの?」
「ん?ああ、今皆で話し合ってる所だ」
「ふぅん。そっか……。私ね、用事があるからそろそろお暇させても「させるか馬鹿者」」
そう言って抱き締めてくるシャンクスの体温が高くて、妙に眠くなる。心地好く感じてしまうのは、子供の頃に何度もこの場所で守られて来たからかも知れない。
香りも、声も、あの頃のまま。そして……私を甘やかす名人な所も変わらない。
「シャンクスね」
「他の誰だ。……こんな良い男、そうそう転がっててたまるか」
「うん、阿呆な所も変わってない」
「ナミ!?」
軽口を叩き合える関係のまま、維持して貰えていた事が嬉しい。でも、もう、本当に行かなきゃ。
まさか、シャンクス達からお金奪えないもの。……この近くにカジノ系のある島は無いから、早目に何処かの海賊船から奪わなければ。
残金は約一億ベリー。今回の航海で集め切れるかは、ギリギリのライン。
でも、時間が無いの。早く……早くしないと……。
ノジコが言っていた。友人が結婚するんだと。
私はノジコからって事にしてもらって、少しだけお祝いを用意した。直接祝う事はできないから。
でも、その二人が結婚したのは、お腹に生命が宿ったからだと聞いてる。だとするなら、毎月の
この奉貢と言う言葉は後漢書東夷伝に記載のある古語、それも漢文で少し登場する。建武中元二年、倭の奴国、貢を奉じて朝賀す……が、奉貢朝賀すとして記載されており、それでは無いとするならばこの世界特有の言葉と言う事。
つまり、原作者様の造語と言う答えになる。なので、ウソップが原作でノジコから聞かされた時に、ホウグ?ってなったのは当然の反応なのよ。
「ナミ?」
「あ、ごめんなさい。少し、考え事してたわ」
「……その、肩のせいか?」
「見たの!?」
慌てて左肩を隠すようにしてベッドから飛び降りたけど、シャンクスは艶のある笑みを浮かべるばかり。そもそも、既に見られているとするならば今更隠しても、逃げても無駄である。
その事はわかってる筈なのに、左肩に置いた手を離す事が出来ない。部屋の隅に移動して少し縮こまった時、ここがシャンクスの部屋だと気付く。
ずっとあった違和感は、私が大きくなったからだったのだと唐突に理解した。私が暇潰しに折った鶴が、机に今も飾られているのが何よりの証拠。
「突然意識を失えば、診察くらいするだろ。……ナミは、俺の仲間だ」
「違うっ!私は、私には、仲間なんて……っ!」
仲間なんかいないのよ。そんな、私の弱点は存在しないの。
仲間なんて呼ばないで。私は契約しているだけなんだから。
もう少し、後少しで……全てが終わるわ。皆が、自由になれるの。
「仲間じゃなくても、兄貴であり、友である筈だ。何より俺は、ナミの師匠だろ」
「……っ!……う、ん」
抗えなかった。巻き込んじゃいけないとわかってるのに、私はシャンクスの優しい視線とその温もりに、抗う力を持たない。
いつの間にか詰められた距離から、甘やかすように優しく抱きしめて、そっと頭を撫でてくれる。そのまま啄むようなキスをされて、そう言えばシャンクスから挨拶のキスされてなかったもんねと思う。
でも、この癖直した方がいいと思うの。勘違いした女の人に、いつか刺されちゃうんだから!
「シャンクス」
「ん?」
「挨拶でキスするの、辞めた方が良いわよ」
「……待て」
暫しの沈黙の後で、シャンクスが言う。何処か焦ってる様子のシャンクスに首を傾げれば、何故かあざといな!とつのられてしまった。
「あざとさの塊か。いや、権化か」
「何言ってんのよ。もう!そんな事より、シャンクスの「そんな事!?俺はナミのあざとさで元気ハツラツなんだぞ!」」
私の言葉を遮ってまで言う事なのかしら?
シャンクスが元気なのは見てるし、会話してるから分かるわ。だけど、シャンクスが元気だからと責められる謂れはない。
「……シャンクスはいつも元気よね。風邪ひいたのとか、見た事ないわ」
「うん、そうだな。ナミはナミだったな」
私が私以外のなんだと言うのか。そう思って膨れると、頭を撫でていたその手が突然後頭部を鷲掴んだ。
そして、先程とは比べ物にならないくらい深く、激しく重ねられる唇。口腔内を動き回る舌は未知の生物のようで、それに抵抗する力を私は持たない。
歯列をなぞるように動いたかと思うと、上顎や舌の裏は勿論、私の何処が弱いのかを調べるように舌が蠢く。喉の奥に突き刺さるような勢いで舌が攻めてきて、その途中で私の身体が震える場所を見付けたらしいシャンクスがそこを入念に攻めて来た。
「んぅ……んっ……ぁ……!」
震えて力を失う私に、シャンクスは容赦する事は無い。勿論苦しさもあるけれど、何よりも気持ちが良いのだから困ってしまう。
唇が僅かに離れて銀糸が繋がるのを見ていれば、それがプツンと切れるのに合わせてシャンクスが言う。蠱惑的な笑みを浮かべて。
「これが……挨拶か?」
「だって……シャンクス、別れの時も、したもの……」
息も絶え絶えなのに、私は言い訳を口にする。そんな私をシャンクスは容赦無く追い詰めてくるから、酷いと思う。
子供が相手なのだから、手加減して欲しい。それとも、揶揄ってるだけ……じゃないわね、これは。
「身体が育ってないから辞めただけで、あの頃から変わらずに愛している。今は身体も育ってるし……続き、するか?」
「や……っ!シャンクスは大好きだけど、恋人でも無い人とそういう事したくないっ!!」
「身持ち硬いな。そんな気はしてたけどよ」
そう言いつつシャンクスは私の耳を甘噛みする。つまり声は耳元でダイレクトなのだ。
自分の声が良い事を分かっているとしか思えない。卑怯だわ!
思わず睨み付けたけど、微かに涙で滲んでるのか視界がボヤけてる。でも、そんな私の様子にシャンクスは動揺したみたいだった。
「…………ナミ、まさか、未経験、か?」
「ん?……うん」
この身体では未経験である。過去の身体では経験はある筈だけど、ちゃんとは覚えてないし、痛くて苦しくて、気持ち悪かったのは覚えてるわ。
熱を身体が持ち身悶えるのは良くない事で、なのに簡単に受け入れてしまう私は悪い子だった筈。細かい事は覚えてないけど、それを治す為に教育されたのに治らなかったんじゃなかったかな?
「痛い……んでしょ?」
「……ナミが初めてでも、痛みなんざ与えてたまるか。だが、それなら良いHOTEL探してやるよ」
「え?」
「女にとって、初めては特別だからな。良い思い出だけ作ってやるから少し待て」
それ以前に、私がシャンクスに初めてを捧げるのは決定なの?
私、恋人か伴侶じゃないと嫌なんだけど。どうしてその辺は無視されてるの?
そう思って見つめると、声に出してない筈なのに決定だと告げられる。驚く私に、シャンクスはその美声を耳元で響かせて来た。
「ナミを、愛してる。ナミが俺を嫌わないなら、手放す気はねェ」
「待ってシャンクス!私……今は、無理」
「なんだ?血の道か?」
「違う!!」
「なら、問題ねェだろ。……恋人でも夫でも、ナミの望む方になってやる。最終的には、ナミは俺の妻になるしかない」
本来心ときめく告白なのだろうけど、嬉しいけど、でも駄目!それに、何だろう、これで頷いたら二度と部屋から出られなくなる気がするの。
シャンクスは好きだけど、尊敬もしてるし、可愛いとも思うけど、でも……。それでも、ベルメールさん達の生命には替えられない。
「そうじゃなくて!今は、駄目なの……」
「理由は?」
「その……後一億ベリー用意して契約完遂しないと、私の左肩見たなら分かるだろうけど、今所属してる海賊団があって、それで……」
上手く言葉がまとまらない。支離滅裂になってるだろうと思う私の言葉に、シャンクスはその瞳を静かに眇める。
その様子が冷静で、だからこそ少しだけ怖い。でも、だけど、だって……そんな言い訳みたいな言葉が胸の中で渦巻いているの。
「辞めとけ。解決するとは思えねェ」
「でも!……お金で解決できるの。私も皆も開放される。だから……!だから、それまで待って。皆が解放されないと、他は何も考えられないわ」
ベルメールさんやノジコの安全が確保されるまで、私は安眠なんてできない。そう思って言ったそれに、シャンクスは困ったような顔をした。
それから静かに立ち上がり、ドアを開ける。すると雪崩込むように部屋に倒れ込んで来た中には、良く知る顔が沢山いた。
「みんな……」
「ほら、心配でよ!」
「ぶ、無事でよかった!」
「会いたかったぞ!お帰り、ナミ!」
幹部では無いけど、昔馴染みの皆が床に倒れたまま笑ってくれる。それに対してシャンクスは呆れ顔だ。
その直後にベックが顔を出せば、皆が瞬時に起き上がってその場から姿を消した。どうやら皆、剃を使えるらしい。
「流石は赤髪海賊団。全員剃を使えるのね」
「今のは脱兎の如く逃げ出したって言うんだ。……ナミは、使えるのか?」
「うん。剃は使えるわよ。月歩は訓練中。でも、それだけ」
何故か攻撃系は使えないのだから困ってしまう。そんな私にそっと近付いて、頭を撫でてくれるベックについ目を伏せてしまえば、シャンクスがブチブチと何か言い始める。
「お頭、心が狭いぞ。……ナミが金がいると言うなら、持って行って貰っても構わないが……受け取らないだろ」
「うん。迷惑はかけたくないもの」
「なら、俺達も〝協力〟してやるから、稼ぐか?」
にっと笑うベックに私が目を瞬かせると、シャンクスも好戦的な笑みで頷く。そんな二人の様子に笑ってしまった私は、不安も何もかも忘れて笑顔でそれに同意した。
同意してからの動きは迅速で、赤髪海賊団を狙って来た敵船を皆は沈めないように気を付けて戦ってくれるから、私がその隙をついて宝を盗み出す手法をとった。この時に得た宝の半分が私の物となり、残りが赤髪海賊団に入る形である。
これは明らかに破格の待遇で、皆は不満を抱くかと思ったけど案外気にされてない。それどころか普段は沈む宝を大量に得られると、喜ばれてしまう始末。
戦いの無い日は海図を描いたりして過ごして、わかり易く皆から甘やかされていた。そうして過ごす事で、私は忘れていた笑顔を取り戻せていたし、目標金額まで到達するのは恐ろしく早かったと思う。
だからこそ、私が稼いだお金を手に、置手紙をして赤髪海賊団を去ったのは彼らにして見れば突然の事だったんじゃないかな。そうは思うけど、反省する気は無い。
帰らなければならないと言った私を引き留めて、共に行くと聞かないシャンクスを説得するより、抜け出すのが早くて簡単だもの。他の海賊団の大頭と本船幹部を引連れて戻れば、アーロンが許す筈も無いわ。
シャンクスは好きよ。愛してるわ。
多分、幼い頃からずっと、愛してきた。その腕の中にずっといたいと思ってしまうくらいには、依存してる。
シャンクスも愛してると言ってくれたし、私の意思を尊重して抱くのは解決してからと言ってくれた。……まぁ、ほら、抱き締めて眠るのはいつもの事だったけど。
赤くなる顔を抑えて、そっと目を伏せる。切り替えなければ、私には、守るべき人達が居るのだから。
……これで、終わる。皆が解放されて、私も、自由になれる!
あと、少しで……。全てが、終わる。