商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
プロローグ
戦場の雰囲気はとても独特だ。先輩冒険者もそんなことを教えてくれたし、従軍経験のある祖父も似たようなことを言っていた。
飛び交う怒号に振り回される凶器に周囲を焼く魔法、流れ出る血と臓物……確かに彼女が当たり前としてきた日常の雰囲気とは大きくかけ離れているだろう。自分がその戦場に場違いにも巻き込まれてしまったのはただの偶然であり不運でしかない。
そもそも彼女……商人であるエミリーは仲間と共に物資の輸送依頼を受けて拠点としている街から辺境の要塞にまでやってきたのであって、間違っても従軍したのではない。もちろん志願したこともなく、その意思も現在では欠片も存在ぜず、なんだったら雇い主からは見習が背伸びするなと釘を刺されたくらいだ。
「エミリー!!そっち行ったぞ!」
共にここまで来た友人がそう叫びながら剣を振るうと彼女の正面にいたゴブリンの鎖骨に深く突き刺さる。そのまま貫通するかとするかと思いきや胸の半ばでとどまり刃は停止した。そして彼女の脇をすり抜けるように小柄な亜人がこちらへと突き進む。
人間の子供ほどの体躯に汚い緑の肌……ゴブリンだ。
どこで手に入れたのかその手には錆びた包丁と鍋の蓋を持っている。まだ少女の域を出ないエミリーを見つけていやらしい笑みを浮かべながらの突進は残念ながら不発で終わってしまう。ゴブリンの視界の端から飛来した鋭い矢が間抜け面を晒したゴブリンのこめかみを打ち抜いたのだ。
「ありがとうキャロル!!矢はまだ足りていますか?」
物見やぐらの上に陣取るもう一人の友人が問題ないとばかりに別のゴブリンを打ち抜く。正確無比な一撃はこちらに雪崩の如く押し寄せる小鬼の群れの先駆けを穿つ。だが焼け石に水だ、視界に広がるゴブリンは一匹殺した程度ではその行軍を止められはしない。いくらなんでも数が多すぎる、炎が田畑を覆いつくすかのように戦場が緑色に染め上げられていく。
「お前はキャロルの心配してる場合か!!乱戦になる前に決めてくれ」
エミリーの傍らで彼女の護衛をしていた戦士の少女が焦りと共に叫ぶと突進してきたゴブリンを丸盾で受け止め地面へと叩き落とす、冒険者の先輩に教えられたようにきっちりととどめを刺すことも忘れない。
彼女の言葉の通りこの戦いのカギを握っているのはエミリーだ、練り上げた魔力を形に変えるには時間がかかる。ベテランとは口が裂けても言えない彼女なら尚更だろう。
その場で戦っている全ての戦力がその時を待っている、人類側はゴブリンのように陣形を考えない突進などしない。誰もが自らの役目を全うし、忠実に仕事をこなす。もしこの戦場を俯瞰して眺めたらくっきりと色分けされていることが分かる。突然の奇襲、数的不利、正門の粉砕、不利な条件は様々だがそれでも士気が崩壊しないのは日ごろの訓練の賜物だ。つまり門が破壊され内部にまで侵入された事態も想定されており当然のことながら準備も訓練も万全、可能ならば門を破られる前に対処するのが理想だがこの要塞の指揮官は理想論だけで戦う愚者ではないらしい。
粉砕された門の代わりであるかのように槍衾が並び立ちその後ろには武装した兵士が陣取る。隙間を掻い潜ろうとゴブリンの群れが殺到するが大半が苦も無く処理された。
運よく槍衾と人垣を抜けても上空から矢が降り注ぐ、さらに幸運を重ねて奥に進んでも傷は増えるばかりだ。ヘロヘロになりながら戦場の最奥へたどり着くとそこには魔法使いの少女の護衛をしていた戦士が邪魔をする。
幼さの残る……いや、子供とはっきり言ってしまっても間違いではあるまい少女たちを見て幸運なゴブリンはほくそ笑んで股間を熱くたぎらせ、次の瞬間にあっさり殺されてしまった。
「準備が整いました、行きます」
エミリーの声が戦場に響き、それを合図に前線の兵士たちが突撃の準備を開始する。いや、それ自体は既に終わっていた、あとは号令を待つだけだ。目の前のゴブリンたちを槍で突きながらその瞬間を待つ。
戦場の片側、緑色の勢力のど真ん中に突如として火柱が現れたのがその合図だ。炎はうねり、膨大な熱をまき散らしながら膨れ上がり大きな竜巻と化した。
人間側からすれば待ちわびた瞬間であり、ゴブリン側からすれば蹂躙の始まりだ。
炎の竜巻が消えた次の瞬間、兵士は待ちわびたかのように歩を進める。炎に焼かれ、焦がされ、逃げまどい、数の不利を覆されたゴブリンたちはあまりにも脆弱だった。
切られ突かれ踏み砕かれ、瞬く間に死体の山が量産されていく。さっきまでの勢いはいったいどこに消えたのだろうか、一方的で徹底的であり情け容赦ない殲滅である。鍛え抜かれた兵士の行軍を確認してエミリーはその場にへたり込む。
体が重い、魔力の消費もあるが精神的に疲れてしまった。そしてそれは彼女の仲間たちも同様だ。
「あぁ……疲れたな」
そう言ってエミリーの横に倒れこんだのはこの戦いのさなか魔法の発動まで護衛してくれた戦士のシャルルだ。暑苦しかったのか安物の兜を脱ぎ捨てて汗まみれの額を拭う。
「そんな男性みたいに寛いでは品がありませんよ」
足を大きく開いて大の字に寝転がるシャルルを窘めはするのだが、エミリーも強く出れない、彼女もまたクタクタだった。
「お前だってクタクタだろうになんで強がるんだよ……ただでさえ魔術師は貧弱なんだから」
「……いえいえ私にはまだ余力が、むしろこの程度で疲れてしまう前衛の方が貧弱なのでは?」
「なんだとぉ」
両者の間に火花が散る、戦いが終わったばかりだというのに熱が再び宿った。しかしそれはもう一人の乱入者に阻止されてしまう。
「……疲れた」
言葉少なめに倒れこんだのは弓を背負った少女だ。それは先ほどまで物見やぐらの上から矢を放っていたキャロルだった。彼女たちの中でもひときわ小柄な体躯はシャルルと同じように大の字になって疲れを訴えているかのようだ。
「ただの物資輸送だったんですけどねぇ」
エミリーもまた同じように転がった。もう強がってはいられないらしい。
「おい品はどうしたんだよ」
「ちゃんと足を閉じています」
「……」
「オレは十体は倒したね」
「じゃあ私は五十体かしら」
「おい!!じゃあってなんだよ、ならオレは六十体だ」
「私の護衛で後方にいたのですからそんなに倒せるはずがありません」
「……私は百体」
ぼそりと呟かれた言葉に二人の視線がキャロルへと向かう。
そこで張り合うことに飽きたのか、それとも疲れを癒すことを優先することにしたのか、三人は黙って空を見上げた。
僅かに冷たさが混じった風が三人の頬を撫でる。思えば秋も中ごろ、冬の足音が聞こえてくるかのようだ。
「ちょっと遅れちまったな……キャラバンになんて説明しよう。もしかして置いてかれたりしないよな」
「大丈夫よ、秋の収穫が完了して物資や交易品を整えるまではあの町に滞在すると団長はおしゃっていましたし、まだもう少しだけ時間があるはず」
「まぁ事情が事情だし許してくれんだろ、オレたちは巻き込まれただけだしな」
「……でも無茶したことには変わらない」
三人はキャラバンの団長を思い浮かべて眉を顰める。彼女たちに身の丈以上の仕事を決してさせない人物だ、無茶するな無理するな飛び越えようとするな、安全に稼げるに越したことはない。そんな団長が率いるキャラバンなので安全志向が団員にも染み渡っている。
「ですがこれで私たちも一人前かしら、ゴブリンだって倒せたのだし」
「……ゴブリン退治なんて新米仕事の定番」
「数が多かったし、それに思ってたより動けていたから悪くなかったと思うわ」
少なくとも足は引っ張らなかった。エミリーはそう思う。
「いやお前らな……オレたちだけで勝てたわけじゃないからな。いくらゴブリンでもあんだけいれば脅威だっての。そう考えると襲われたのがむしろここでよかったかもな、帰り道で襲撃されてたら今頃は仲良くケツ並べてゴブリンに犯されてたかも」
最悪の光景を思い浮かべて黙り込む、言った本人だけがケラケラと笑った。
「……まぁ運が良かった」
「ええ。至高神の御加護に感謝しましょう」
危険に満ちたこの世界だ、命なんてものは本当に簡単に落としてしまう。
ならばせめて笑いあおう、生きているのだからそれでいい。
危機を乗り越えて安堵し、一つ成長することができた彼女たちは笑いあった。
小説家になろうで連載中のものをこちらにも掲載します、内容は変わりません。