商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
小王国群を構成する一部が陥落、および壊滅したという情報がガレス王国のフィーリンに届いたのは夜を超えて深夜といった時間帯であった。
昼の激務から解放されて王として夫としての責務を果たした後、妻の鼻歌を聞きながら心地よく眠りについてからまだ数時間も過ぎていない、それでも寝室の扉を叩く激しい音を無視することなどできない。
隣で同じように眠っていたアリーヤに身支度を手伝ってもらい、王として必要最低限の形を作ったら彼は執務室へと向かった。
深夜故に蝋燭のみの頼りない光源しかない、書類仕事には向かない環境だが「寝かせてくれ」という言葉を飲み込んでフィーリンは集まった武官と文官に先を促す。
「アンデットの群れが隣国に押し寄せました」
秘書官の一人が静かにそう告げる、その場にいた全員が眉間に皺を作ることになる説明であったが、無視することなど出来るはずがない。
「そうか……それで、規模は?」
そんなフィーリンの言葉に、現状を唯一理解している秘書官は盛大に嘆いて見せる。
「……詳しくはわかりません。国境にある砦に逃れた難民が押し寄せており、家財も持たずに身一つといった状態です。現地の兵士たちが事情聴取を行ってこちらに寄こしてきた報告書には、大地を埋め尽くすほどのアンデットが現れたと」
「大地を覆う……難民たちから得た情報らしいが、確かなものなのだろうか?」
動揺していた、恐怖によって、或いは追われる立場による錯乱、色々と考えられるがフィーリン自身すら「ないだろうな」という思いがあるのだろう。
それでも確認せずにはいられなかった、もし事実であるとするのなら王の顔を捨ててこの場で盛大な溜息と共に顔を覆っていたのは間違いない。
「事情聴取を行った全ての者が同様の発言をしております、口裏合わせをしていたとは思えませんし、理由もありません」
「うん、そうだろうね……だとすればだ、我々はどう動くか方針を出さなくてはならない」
フィーリンの視線が天井へと移っていく、執務椅子の背もたれが引き延ばされる鈍い音が室内に響くと、その状態のまま暫くの沈黙が続く。
どうすべきか、どう立ち回るか、色々なことは考えなければならない立場にあり、そして間違えられないという立場でもある、だがどれだけ頭を絞ろうと冴えた答えなど出る筈がない、情報が圧倒的に不足しているのだから。
なので、フィーリンは室内を見渡して一人の将軍へと視線を送る。
「やらなければならないことは多いけど、今後の方針を決める為にもまずは情報収集だ。将軍は大至急、国境の砦へと援軍に向かってくれ、大地を覆う程の数が本当に現れたとしたら現地の戦力ではどうしようもないだろう」
「ハッ!! 直ちに向かいます!!」
「早馬でも商人でも伝書鳩でも構わない、報告はしっかりあげてくれ……後は、そうだな、シャルル殿に任せた祝福を宿した武器の数はどうだろうか?」
その問いかけに、秘書官の視線が手元の資料を確認する。
「およそ四千組ほどの数が揃っています」
「だそうだ、将軍、持って行ってくれ……それと秘書官たちは隣国への警戒を呼び掛ける文章の制作に取り掛かって欲しい……それに加えて帝国への援軍要請も必要か、そちらはアリーヤに任せよう」
執務室の引き出しを開くと中には大量の書類が保管されており、その中から外交文章に使う高級紙と押印を取り出すと、羽ペンを持って流麗な動作で文字を書き記していく。
遠回しかつ貴族的な表現で平民が見れば意味不明となる格式ばった文字遣いで記される内容は、簡単に説明すれば「警戒されたし」で済む。
「この手紙を基本にして複製するように……後は、何があるかな?」
「……避難指示を出しますか?」
「そうだね、国境砦から王都の間にある全ての街や村には守備隊を走らせてくれ、悪いとは思うが接収して要塞化する」
もし国境砦を落とされた場合に備えて遅滞戦闘をする計算なのか、幾つもの壁を作ることで迎え撃つ算段らしい、大地を覆う程のアンデットの群れを相手にどれだけ意味があるのかという疑問はあるが、完全な無意味にはならないと判断したのだろう。
「徴兵も視野に入れるべきではないでしょうか?」
将軍の言葉にフィーリンは迷った。
「訓練もしていない上に心構えもないんだ、民兵とすら呼べない者たちを集めてもあまり意味がないだろうとは思うけど、私は武人ではないから判断が難しいな……本当に必要なのだろうか? 今現在雇っている傭兵だけでは足りないだろうか?」
「相手が武装した真っ当な軍隊であれば切り捨てられて終わりですが、アンデットは武装している訳でも連携する訳でもありません、ただ群れるだけですので祝福の武器を……それも槍を持たせればそれなりの戦力にはなるかと、数が多いのであればこちらもそれなりに整えませんと」
フィーリンの視線が揺れ動く、何度か右往左往した結果、最終的に将軍の説明に納得するのだった。
「……わかった、だが基準を設けよう、健康な成人男性を中心に、志願した者だけとする」
それは徴兵ではないのでは? という全員の疑問に、フィーリンは苦笑いを浮かべて見せる。
「徴兵して纏まった数が集まったとしても、大地を覆う程の規模ならば微々たる影響しかないだろう、無駄に死なせるくらいなら避難民の輸送に回した方がまだマシさ」
「それは……はい、承知いたしました」
避難民の中に男手が無ければ速やかな移動とはいかないだろう、そんな王の意見に将軍は納得したようだ。
「さて、基本方針として時間を稼ぐことが重要だ、我が国の保有戦力はおよそ五千……もし本当にそれほどの大群が押し寄せるのなら何をどうしたところで勝ち目はないだろう。情けないことだが帝国の援軍を待つほかない、活路はそこにしかないと私は思う」
ガレス王国の辛い事情である、小王国群はどこも似たり寄ったりの戦力であり大国のような大戦力を保有することはできないのだ。
この五千という戦力は数年に一度開かれる国際会議で戦力均衡を目的として決定されたという政治的事情もあるが、単純に国力の問題でそれ以上の戦力を養うことも運用することもできないという懐事情もあった。
五千、小国同士ならばそれも意味がある数字なのかもしれないが、大地を覆いつくすほどの数を相手にどれだけ奮闘できるのか、正直な心情を吐露すれば泣き叫びたい思いがその場の全員にあるのだろう。
文官も、武官も、揃って表情を曇らせる、だがフィーリンだけは絶望することなく敢えて笑って見せるのだった。
「皆、顔がこわばっているぞ、緊張は大事だが過ぎれば体を重くする、其方たちは普段通りに職務を全うすればいい。文官は書類仕事を、武官は戦いと訓練を、そして私は判子を押すこと……普段通りにだ」
嘘である、この場にいる誰よりも恐れに支配されているのが彼なのだから、それでもフィーリンは気丈に振る舞わなければならない立場にあるのだろう。
彼は王なのだ、ならば配下たちの前で恐怖に震えることはあってはならない、そんな理屈でなんとか笑って見せているのだ。
「我々は命を捨てて無謀な戦いに挑むのではない、生き残る為の活路を求めて戦うんだ……ならば各々の領分で最善を尽くすだけである。異論のある者は?」
「「何一つとしてございません」」
一斉に頭を垂れて恐怖を振り払う配下たちを見て、フィーリンは良く出来た配下を持てたことを喜ぶ。
「よろしい、行動を開始せよ」
王命を受けた配下たちはその言葉に一斉に部屋を退出していく、ただ一人残されたフィーリンはすっかり眠気も吹き飛んだ状態であり、溜まっていた幾つもの書類に視線をやりながら愛用の羽ペンを握りなおす。
だがそれは上手く行かなかった、羽ペンはすり抜けるように彼の手元を離れて執務室の床にふわりと着地する。
拾い直そうと屈むのだが、羽ペンへと伸ばされた自分の腕が小刻みに震えていることにフィーリンは気が付いた。
「ふぅ~~……落ち着け、落ち着くんだ」
王になってまだ数年、未熟であると自覚している身ではあるがこれまで大きな問題も無く国を運営してこれた、ここまで大きな壁は立ちはだかっては来なかったのだろう。
根が小心者、そんな妻の言葉を思い出して、フィーリンは無理矢理恐怖を引っ込めるのだった。
避難命令が出されたことで王都の雰囲気は大きく変化したことをシャルルは肌で感じ取る、警戒を続ける国境の砦から王都の間にある全ての街や村から避難民がやってくるのだから騒がしくなるのも当然である。
大通りや大広場に立てられる看板には軍への加入を求める言葉が目立ち、大量の食糧が用意されて国境砦へと輸送される光景もよく目立つ。
戦いの気配が近づいている、誰もかれもがそれを感じ取っていた。
そんな中で神殿の仕事は毎日大量に押し寄せてくる避難民の支援である、食糧の配給や一時的な宿泊先の確保や天幕の設営など様々であるが、営みの支えとなるという信念を掲げる神殿だからこそ進んで請け負っているらしい。
他の娼婦たちは法衣を纏って王都の各地で働いているようだが、シャルルだけは神殿に押し込められて武器に付与を行う毎日である、それが最大の支援であり最も良い結果を生み出すと誰もが分かっているのだろう。
王宮からもフィーリンの秘書官がやって来て急かされたこともあり、毎日のノルマを増やしているのだがそれでもまだ足りないらしい。
外の様子も、国境に押し寄せて来ると予想されるアンデットの様子も気になるが、彼女には確かめる術もなく立場でもない。
もしかしたらフィーリンに雇われて戦場に出ることもあるのかもしれないが、その時が来るまで付与の仕事は続くだろう。
「……大きな戦いが迫っているようでございますね」
神殿で付与の仕事をこなすシャルルに、アナスタシアはそう言った。
「大量のアンデットが迫ってるらしいな……どうにかできると良いけど」
「どうにか、できるのでしょうか……大地を覆う程の数と噂されております」
「その為にこうして武器をこさえてる訳だし、どうにかならないと全部無駄になっちまうよ」
また一つ祝福の付与を終えた武器を箱へと戻す、そしてまた新しい武器を彼女は握った。
「……この王都も戦場になるのかもな」
「……はい、やもしれません。ですが私はあまり心配はしておりません」
アナスタシアの存在しないはずの視線が虚空を彷徨った、瞳が存在しない故にどこを見ているのかハッキリとわからない彼女だが、神殿の中庭で天を仰ぐような仕草をしていると本当は見えているのではと疑ってしまうかのような雰囲気がある。
眼下にある暗闇で何もかもを見透かすような、もしくはここではないどこかを眺めているかのように思えるのだ、そんなこともあってかアナスタシアが浮世離れした掴みどころのない印象を与えるのかもしれない。
「この地には聖騎士様がおられますので、何も問題はありません」
以前からシャルルは思っていたことだが、アナスタシアの自分に対する評価が妙に高い、聖騎士の力を使えることを重んじているからなのか、それとも別の理由があるからなのか……なんであれここまで大きな期待を望まれるとやりにくいというのが彼女の本音なのかもしれない。
「そこまで言われるほどワタシは強くないんだけどな、アンデットと聖騎士の力がどれだけ相性良くても限界があるだろうし」
「ですが、逃げずに戦われるおつもりなのでございましょう? 聖騎士様はこの国の方ではなく義務も責任もございません、例えこの地を去ったとしても誰も責めないでしょう」
シャルルは付与する為に握っていた剣を瞳の高さまで持ち上げる、祝福の光を宿して淡く輝き鏡のように美しく磨き上げられた剣は彼女の表情を正確に映し出していた。
剣と同様に淡い輝きを宿した姿は神秘的であり神々しさを感じさせるものがある、もし今のシャルルをかつての仲間が見れば本当にシャルルなのかと目を疑ってしまう程の変化があるのだ。
二年と言う時間による容姿の変化という意味ではない、纏う空気や発せられる雰囲気に大きな差があった。
ルールーがシャルルを見て聖騎士団の団長であるアントニウスを思い出したという言葉の通り、巨大で鮮烈な力を宿していることがよくわかる、それこそ歴戦の戦士であるかのように。
そして剣に映った彼女の瞳は宝石のような輝きを宿している、祝福の力を纏っていると以前の人間らしい瞳の色はどこかへ引っ込んでしまうようになったらしい。
どこか神がかった雰囲気は、半神と呼ばれるような存在とよく似ていた。
「まぁ確かに付与の仕事が終わったらこの国にいる理由もなくなるけど……斬っておかなきゃならない相手がいるからさ、変な縁ができちゃったんだよ」
相手をよく知っている訳ではない、この国や他の周辺諸国をアンデットの軍勢で攻める理由も知らない、言葉を交わした回数も少なければ意思も矜持も理解の外である。
だが、互いのことをよく理解できていなかったとしても、チャリオットとシャルルの間には確かな縁があることだけは理解していた。
「アレはワタシが斬る……誰かに任せられない」
きっと相手も同じだろうとシャルルは思う、二人はよくわからないままそれでも確かな縁によって繋がっているのだ。
理屈ではない、理由も必要ない、何だったら感情すら不要である、ただシャルルは初めて首なし騎士を見た時に、そしてチャリオットはシャルルを初めて認識した瞬間にこう思ったのである……目の前のこいつを殺さなければならないと。
ある種の宿命が両者を引き合わせるのである、だからシャルルはこの王都が戦場になったとしても避難するつもりはない。
仮に身を隠して逃げ出したとしても、自分たちは必ずどこかでぶつかり合うことになる、そんな確信がシャルルにはあった。
「それは戦士としての矜持、でございますか?」
「そんな立派なもんじゃないって……ただむかつく相手をぶっとばしたいだけさ」
握っていた剣を軽く振り回す、傭兵剣術であり実利一辺倒の動作である為に優雅さはどこにもないが、慣れ親しんだ動きには言葉にすることが難しい迫力が感じられる。
数えきれないほどに繰り返した流れるような剣捌き、そこには戦士の格が宿っていた。
歴戦の戦士や傭兵だけが持つ凄みとでも表現すべきだろうか、シャルルの年齢で同じ領域にまで至れるのはほんの一握りだろう。
風を切り、虚空を薙ぐ、すると剣に宿った祝福の輝きがそれを追いかけるように光の軌跡を描く。
最初は感触を確かめるかのように緩やかな動作であったが、最後にシャルルは全力で剣を振り下ろすと、光の波動が爆発するかのように神殿の中庭に広がっていくのだった。
目の前にいた首なし騎士の幻影も消え去る、悍ましい姿が綺麗に吹き飛ぶとその向こうにいたアナスタシアと存在しないはずの視線がぶつかる。
縁と言えば、この盲目の神官とも奇妙な縁ができていると彼女は思った、チャリオットとは異なり血生臭いものではないのだが、確かな繋がりがあるのだろう。
友達とも仲間とも同僚とも知人とも異なる、上手く表現できない縁であった。
シャルルとしては友人だと胸を張って言いたいのだが、アナスタシアの態度や感情は対等なものではなく、どこか信奉や敬服に近いものがあるので両者の間には微妙な距離があるのだ。
今も、剣を振るっていたシャルルに両手を結んだ動作をしている、神に祈るかのように。
そしてその度に、シャルルの体は神に近づいていた。