商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
焦り、急かすかのように鐘の音が人気のない王都に響く、天候の観察を行うはずの塔の頂点にある鐘楼を打ち鳴らすのは役人ではなく騎士である。
観測塔から乗り出すかのように前のめりになって遠方を眺める彼らは、山の頂上から顔を出した太陽が照らす黒い波を発見することができた。
王都の周囲に広がる広大な平原、様々な方角へ延びる交易路、それらが西から来た死の軍勢に呑まれて消えていく。
移動速度自体はそこまで早くはない、人が歩くよりもずっと鈍いのだが、だからこそ徐々に近づいてくるという恐怖を増大させるのかもしれない。
数は多いと聞いていた、それもかつてない程の数だと推測されていた、そして早馬による偵察や避難民からの情報提供によって覚悟もできていた……そんな彼らの覚悟ごと塗りつぶすかのように、大地の一部が黒く染められているのだ。
「……イナゴの群れかよ」
田畑を荒らして何もかもを食い散らかして消えていく蝗害といった現象が稀に起こることがある、大量繁殖したイナゴが餌を求めて広がる光景を知識としては知っていたのだが、彼はアンデットの群れをそんな風に例える。
大量の群れというものは恐ろしいものである、小さなイナゴですら太陽を隠すほどなのだから、それがアンデットの群れであるのならば更に恐ろしい。
彼は凍り付きそうな体を強引に動かし、震える手で鐘を鳴らして王都に残った兵士たちに戦いの始まりを告げるのだった。
「どうやら来たようだの」
「みたいだな……んん~、まぁ体調は悪くないか」
その音はここ数日の間に暇さえあれば激しく交わっていたシャルルとルールーの耳にもしっかりと届いたようで、二人は汗を流すために入っていた兵舎に隣接されていた浴場から顔をだす。
慌ただしい気配が城内に溢れているようだが、対照的に二人は落ち着き払っており穏やかに湯船から立ち上がると髪や体を拭き取っていく。
そして湯船で温めた体を解して本日の調子を確かめる、激しく肌を重ねっていたが一方的に活力を奪っていたのではなく、房中術で循環させていたので二人分の熱が合わさって分けられているような状況である、だから体調はそのものは悪くなかった……寧ろ好調と言えるだろう。
水分を拭き取ると服を着てそれぞれの武装を纏う、ルールーは魔術的にも物理的にも頑丈な竜鱗の鎧と巨大な金棒を、シャルルは二年前から愛用してきた為に胸辺りが苦しく感じる鉄板鎧と、同じく愛用の剣だ、どちらもいつの間にか祝福の宿した聖具と化しており、只の武装ではなくなっている。
長靴の革ひもを解けぬように強く締め上げてから籠手も同様に結び合わせると、髪もまた邪魔にならぬように結っていく。
準備はそれで終わりだ、覚悟など既に決めている、後は全力で戦うだけだろう。
「さてさて、敵さんを拝みに行くとするか……なにせ数が多いらしいからのう、楽しみだ」
巨大な金棒を背中に背負ったルールーは楽しげだ、足取りも軽くこれから買い物にでも出かけるかのような雰囲気である。
シャルルもまた似たような状況である、相手を侮っている訳ではなく油断している訳でもないのだが、不思議と足取りが軽いのだ。
大きな戦いを前に高揚しているのかもしれない、戦士の性である。
兵舎から城内へ、そこからフィーリンのいる執務室まで進むと、やはり兵士や騎士が忙しそうに動き回っている姿が確認できた。
ルールーの私室で情事に溺れていたので細かな作戦を聞いておらず知らされてもいない、そもそも防衛戦なので複雑なことなど何もない、戦士はただ剣を振るうだけなのでそれで良いのかもしれない。
もし何かしらの作戦があるのだとすればここで説明されるだろう、その辺りのことはフィーリンと副官の将軍たちに任せきりである。
フィーリンの執務室に入ると大きな机の上には大量の作戦案らしき書類が広げられており、それを囲むように騎士と将軍が並んでいた、未曽有の脅威を前にして最後の最後まで兵士運用や防衛案を練っていたのだろう。
その中心、似合わない鎧姿のフィーリンが入室してきたルールーとシャルルへと視線を向けて微笑みかけた。
「二人ともよく来てくれた、早速だが働いてもらいたい」
「王よ、御意のままに。帝国はこの地を見捨てることはなく、手前は三騎士として武を振るうだけでございます」
流麗な動作で一礼を行うルールーの姿はとても洗練されている、普段の飄々とした態度に隠れがちだが彼女は帝国三騎士の称号を持ち本来ならば卿と呼ばれてもおかしくない立場である、相応の礼儀と作法は弁えているのだろう。
この国の王と騎士や将軍を前にした公の場なのだ、ならば彼女もまた三騎士の一人としての振る舞いが求められた。
シャルルもまた同様に一礼を見せる、立場も身分も曖昧だが公の場なのだから相応しい立ち振る舞いが求められるだろうという判断だ、礼儀作法はキャラバンでさんざん教えられたのでぎこちなさはない。
「両名の働きに期待している」
フィーリンもまた王としての顔と雰囲気で接することにしたらしい、ただあまり威厳を感じないのは慣れない鎧姿だからなのか、着られている感じがどうしても拭えない。
それでも厳かにあろうとするのは、彼なりの意地なのかもしれない。
「西から現れたアンデットの群れ……いや、大群の数は数えきれないほどだ、数万数十万……あるいはもっとか、今も増え続けているらしい、まるで黒い波のようだ」
「それになんの問題がありましょうか? 十万だろうと百万だろうと、勝つのは最後に立っていた方なのですから」
「頼もしい言葉だ、さすがは勇猛な帝国近衛騎士、そんな卿に最前線を任せられるかな?」
「ただ命じください、ならば手前は我こそが帝国騎士とあるだけでございます」
「見事だ、では帝国近衛騎士団には最前線を任せよう」
「はッ!!」
次にフィーリンは隣にいたシャルルを見つめる。
「聖騎士殿もルールー卿と共に最前線を任せたい」
「全力を尽くします……ワタシの名前と、戦神に誓います」
「同じく見事だ……君たち二人には大きな負担をかけることになるだろう、だが謝ることはしない。私はこの地の王であり、何を犠牲にしてでもガレスの火を守り抜かねばならない……勝つ為に大勢の者を死地に追いやるだろう、大量の血が流れるだろう、それでもあらゆる手段を用いて戦うのだ……恨んでくれて構わない」
「まさに、それこそが王の在り方と考えます」
ルールーの返答にフィーリンは寂しげな表情を作る、もう戻れないのだと理解していても未練があるのかもしれない。
「……やはり私は王には向かないな」
そんな呟きは誰にも届かない、呼吸よりも小さなものであったからだ。
「総員、配置に付いてくれ……そして、全力を尽くしてもらいたい」
ここに、後に死害戦争と呼ばれる戦いが始まった。
攻め込むは無数のアンデットの群れ、守るのはアンデットに比べれば僅かとしか言いようがないガレスの戦士たち。
およそ勝ち目の無い戦いであり、事実としてガレス王国では何をどうしようとも結果が覆ることはないだろう。
これは最初から敗北が決定した戦いであり、死が定まった戦いでもある。
流れる水が上から下へと移ろうように、やがて鋼が錆び行くように、ごくごく当たり前で普通ならば必ず到達すべき未来が敗北なのだ。
或いは奇跡でも起きるのならば……いや、起こせなければ待ち受けるのは等しい死でしかない。
遠く、大地を塗りつぶすかのようなアンデットの軍勢を前にすれば、もしかしたらそれでも足りないのかもしれない。
「あれかぁ……多いな」
シャルルが都市をぐるりと囲む石造りの壁の上でそんなことを呟いた、彼女の宝石のような輝きを持つ瞳が捉えるのは、徐々に王都へと近づいてくるアンデットの大群であった。
測量の技術や経験を持たない彼女には細かな数字を弾き出せない、だが蠢く黒い領域は今も広がっており、王都の都市壁近くまで届く頃には辺り一面が死に満ちているだろう。
十万か、その倍か、もしくはもっと多いのか……なんであれ今更逃げようもなく、待ち構えるだけであった。
聞けば周辺諸国とも連絡が取れなくなっているらしいので、小王国群全体に散らばったアンデットの大群は、それこそ数えきれないほどになるのだろう。
彼らの視界にいるアンデットたちは、あれでもごく一部でしかないのだ。
「あぁ……よかった、アイツもいるみたいだな」
押し寄せる黒い波を漠然と眺めていたシャルルは、その中に感じる一際巨大な存在感に微笑んで見せる。
いる、間違いない、姿を確認した訳ではないが確信があった、きっとあちらも同様にシャルルを認識したことだろう。
戦士の因縁と言われたが、なるほどと思うしかない、これは確かに因縁だ。
距離は離れている、言葉も交わす必要がない、付き合いだって長くはない、だというのに両者は血を分けた肉親よりもわかり合っているのだ。
理解しているのではない、ただわかっているだけだ、お互いに存在を許すことができないということを。
この縁を解消するには言葉ではなく武を競うしかない、自分よりも相手に血を流させるしかない、平和的な解決など望めるはずもなく、まさに戦士の因縁であった。
だからシャルルはアンデットの大群の中に首なし騎士と思われる巨大な気配があることに安心したのだろう、面倒な縁をこの戦いで振り払えることを期待しているようだ。
故郷を守るために決死の覚悟で戦おうとするガレスの戦士たちには悪いと思うが、シャルルはこの戦いを前にして高揚しているらしい。
はて、自分はこんなに戦闘狂だったかと疑問にも思ったが、戦神の加護が強まっていることに彼女は気が付いていないようだ。
「弓隊、準備を整えろ!!」
首なし騎士との戦いを焦がれるように待っていたシャルルの耳に守備隊長の指示が届く、どうやら漠然としているうちに弓が届く距離までアンデットたちは近づいていたらしい。
やはり数が多い、都市壁から見下ろす死の軍勢は軽く十万は超えるだろう、しかもそれはシャルルが認識できる範囲での話である。
「さぁ益荒男ども!! 帝国近衛騎士の武威を見せつけてやれい!!」
ルールーはこの地に残った近衛騎士を率いているようだ、彼女の性格が反映されているからなのか、誰も彼もが大きな戦いに期待するかのように瞳を輝かしている。
あれで近衛騎士というのだから驚きである、シャルルはそんなことを思った。
「構ええええええ!!」
都市壁の上に並んだ兵士たちが一斉に祝福の矢を放つ、それはノロノロと言った速度で近づいてくるアンデットたちの先触れへと届いた。
彼らにとって致命的とも言える祝福の力が突き刺されば、ただそれだけで存在が焼き切られて崩壊していくことになる、やはり効果覿面であり先頭のゾンビたちは灰となって消えていくのだった。
だが後ろに続く無数の群れは灰を踏みつけながら進んでいく、そしてまた彼らも祝福の矢に貫かれて灰となっていくのだ。
アンデットたちは動きが鈍いので完全に都市壁に接触するまでかなりの時間が必要になるだろう、弓が届く距離からアンデットたちが壁に辿り着くまで準備してあった祝福の矢が全て尽きてしまうほどに鈍間である。
かなりの数を用意してあった筈であり、同じ数だけのアンデットを処理できた筈なのだが、大地を黒く染め上げるアンデットたちが減った様子はない。
「麦も芋も……まだ収穫できてなかったんだがな」
王都の周辺に広がる広大な麦畑や芋畑は既に呑まれて消えた、牧場も養鶏所も全てが沈んでしまっている。
兵士の一人が寂しそうにぼやくのも当然だ、彼の両親が管理している畑も消えてしまっていた。
せめてもの抵抗とばかりに手元に残った最後の矢を放ち、それが都市壁へと近寄ってきたゾンビの頭を穿つと、後は剣を握り締めるだけである。
彼が……彼らが握る剣には淡い祝福の輝きが宿っていた。
指先で刃を撫でると、その美しい輝きが凍り付きそうな心に熱を灯す。
敵を迎え撃てと、戦士の在り方を忘れるなと、兵士の責務を果たせと、心を震わせてくる。
ぐっと力を加えれば刃から漏れ出る光はドーム状に広がって消えていく、それはアンデットには決して超えることのできない壁であることは間違いないのだが、それにだって限度があるだろう。
あぁ、我々はここで死ぬのだろう……そんな怖気を打ち払うかのように巨大な光のドームが急速に膨らんで駆け抜けていく。
大勢の兵士たちがその輝きに目を奪われたことだろう、そして中心にいる聖騎士の存在を見つけたはずだ。
駆け抜けていく光の壁は都市壁へとあと一歩といった距離まで近づいていたアンデットの集団を焼き払うと、そのまま消えることなく次々と葬ってみせた。
兵士たちの動揺と興奮を背にしたシャルルは、都市壁からアンデットたちを見下ろしながら立て続けに祝福の光を膨らませて波動を放つ。
一度目よりも巨大なそれは幾つもの同胞を踏み越え矢の雨を凌ぎ切ったアンデットたちを一方的に灰とする。
彼らにとって過剰とも言える圧倒的な輝きは正しく天敵の力であり、どうやっても足掻きようのない一撃となってしまうのだ。
小さな蝋燭に宿った火を、大河ほどの水量を持って押し流すようなものだ、ただ群れるだけのゾンビやスケルトンにどうすることもできないだろう。
壁に張り付いた同胞を踏み砕き、その同胞をまたも踏み固め、何度も繰り返して死体の階段を作ろうとしていたアンデットたちは根こそぎ浄化されていく。
不浄の気配も病の元も全てがだ、あまりにも鮮烈で眩い輝きは恐怖に心を震わせていた兵士たちの背中を押した、あの輝きが自分たちの持つ刃にも備わっているのだ、恐れる必要はないのだと言葉なく説明されているかのようである。
「頼む……聖騎士よ、戦神よ、我らに力を与えたまえ」
兵士たちは立ちふさがり、踏み固め、積み上がっていくアンデットの群れへ祝福の刃を向ける、剣先から放たれる光の波動がシャルルと同じ結果を生み出すことができた。
「……これは心強い存在だな」
全ての兵士が同じ輝きを宿した武器を持っている、都市壁の上で指揮を預けられた守備隊長が唸るように手元の武器を眺めていた、目の前の大群を前にかろうじで抵抗できているのはこれがあるからだろうと確信しているらしい。
都市壁の上という防御側の利点すら塗りつぶすほどの戦力差なのだ、大地を黒く染めるアンデットに対してこれ以上ない武器であった。
「奮闘せよガレスの戦士たち!! 我らには聖騎士の加護がある、恐れるな!!」
一人の将軍がそう吠えれば、兵士たちも挫けてたまるかとばかりに声を上げてみせる、士気は悪くはない。
同胞の肉と骨を積み重ねて階段とするアンデットたち、それを切り落とし祝福の力で崩壊させる兵士たち、都市壁という境界を中心に繰り広げられる攻防はなんとか戦いという体裁を保っているようだ。
本来ならば戦いにもならないだろう、押し寄せる津波が何もかもを押し流すようにガレス王国も呑まれて消えた筈なのだから。
だがここにいる戦力がどれだけ奮戦しようとも、拮抗するのが限界であった。
彼らは疲労する、血を流す、痛みに怯えるのだ、どれだけ努力しようともどれだけ勇敢に戦ったとしても、やはり結果が変わることはない。
この戦いの結末は、彼らの死だと決定付けられているのだから。