商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
王都を囲む都市壁は分厚く強固である、小王国群の歴史の中で常に平和の時代が続いた訳でもなく、長い歴史の中で改修と増築を繰り返しながら時に崩壊したりしながらもこれまで王都を守ってきた。
風を受け止め雨にさらされ外敵を跳ね除けてきた歴史を物語るかのように傷や苔が目立つ、しかし都市壁の内側は子供たちが残したであろう落書きらしき物もある。
敵を阻み、内包した者を守る、そうやってガレス王国の歴史に寄り添ってきた都市壁を、フィーリンは王城から眺めていた。
「……」
彼自身にも馴染み深く、生まれた時から見慣れていた壁である、悪ガキたちと一緒に内側に落書きだってしたことがある。
今日もまた王都に近づく脅威を跳ね除けてくれるのだと、これまでの歴史と同様に防いでくれるのだと、楽観視できるほどに彼の心は穏やかではない、寧ろ焦りと心細さから貧乏ゆすりが止まらない様子であった。
踵を小刻みに揺らす度に着なれない鎧が擦れてカチャカチャと音を立てている、あまり王として褒められた様子ではないが周囲に控えている護衛役の騎士は咎めることはしない。
この場にいる全員が似たような状況なのだ、都市壁で行われている戦いの行方を思いながらこの場に待機していた。
「若様、自分も前線に行くとか言わないでくださいよ?」
騎士の一人が見るからに焦っている王にそう言った、彼はフィーリンが生まれた時から護衛役として働いて来た実績のある男であり、付き合いの長さ故か砕けた口調で接しているようだ。
「王様が剣を持って戦うとか、吟遊詩人の歌じゃないんですから……そもそもそんな状況になった時点で負けみたいなもんですから」
「……私は幼い頃、そういう王に憧れたよ。強くて勇敢で、誰かを率いて行ける英雄にさ」
「まぁカッコいいとは思いますけどね、そんな王様に声をかけられたら我々も士気があがるってもんですよ」
「だろう? だが私はどうにもそういう方面に才能がなかったようだ……輝くような英雄にはなれなかった。剣も馬術もせいぜい並程度だ」
「別にそれで良いのでは? 戦うことは我々の仕事であって若のやることじゃありません、王様は後ろでドシッと構えて兵士たちをこき使えば良いんですから」
「勿論、そう納得したさ……ただ思うんだ、もし私に英雄豪傑のような才があったのなら、ルールー卿やシャルル殿のような……或いはかのカムラーンのような力があれば、この戦いもまた違う形を迎えたのかもしれないってさ」
「無いものねだりしても意味ないですよ」
「そう言ってくれるな、不安過ぎて現実逃避したいだけだから」
王城から都市壁での戦いを眺めていると、どうしても不安に駆られてしまうのだろう。
「……正直に告白するのなら怖くて仕方がないんだ、ただただ恐ろしくて震えが止まらない」
「こんな状況なんですから、誰だってそんなもんですよ」
「……兵士たちは違う、あそこで戦っているんだから」
「アイツらだって怖い筈ですって」
「そうかもしれないが……そんな彼らに戦えと命じた訳だ、小綺麗な言葉を並び立ててな」
敗北濃厚な戦いに備えよと伝え、遠回しにだがここで死ねと命じたのはフィーリン自身である。
財産も誇りも捨てて逃げよと言葉にできたら彼個人の心労も少しは和らいだのかもしれないが、それはフィーリンの立場が許さない。
そこには為政者としての打算もあった、戦わずに逃げ回ってしまうとアンデットの群れがそのまま帝国へと向かうことになる……その場合帝国へと逃れたガレス王国の難民たちの立場が極めて悪くなるだろう。
ここで戦い帝国が準備を整える防波堤となる、それと引き換えに難民たちの未来を少しでも明るくしなければならない、そんな王としての判断もあるのだ。
そんな判断で、彼は兵士たちを死地に追いやった。
間違っているとは思わないし謝るつもりもない、それが帝国属国としての立場でありやらねばならないことだからだ……感情が納得するかといえば難しいだろうが。
「……王というのは、本当に難しい」
「あんまり自分を卑下にするもんじゃありませんって、若は若のままでいいんですから」
「無茶を言うな……強くもなく賢くもない男の王道なんてものは誇れるようなものじゃない」
「誇る必要なんてないですって……良いじゃないですか、強くとも賢くなくとも、若はこの国の王様なんですから」
騎士はフィーリンと共に王城の執務室から都市壁の戦いを眺める。
「若が強かったら我々護衛の仕事がなくなって、若が賢かったら文官の仕事がなくなります、それにだって限度があるでしょうけど……まぁ別に若は貧弱でも馬鹿でもないと思いますけど、重要なのはそこじゃないって言いますか」
「うん? どういうことだい?」
「……う~ん、我々が思うに、王様っていうのは別に飛びぬけて優秀じゃなくて良いんですよ」
そこで騎士は顎に手を当てて考え込む、言葉にするのが難しいのか暫くそうして思考してから口を開いた。
「この人を支えたい……そう思わせてくれるのが、王様の器って奴じゃないんですかね」
「……」
「強くなくても、賢くなくても……まぁその方が良いのかもしれませんが、この人の力になりたいって思わせるのも重要ですって」
「私にそのような器があるとは思えないが……」
「そうでもありませんよ」
そこで彼は都市壁から視線を外してフィーリンと向き合った。
「我々がここに残っているじゃありませんか……こっそり逃げることだってできたのに、大勢の戦士たちが戦っている」
「私を守る為ではないだろ?」
「家族や故郷を守る為にってのもあるけど、王を守りたいっていうのも本音ですって……怖いでしょうし恐ろしいでしょうけどそれでも我々はガレスの戦士、この国を守り若様を支えることが誇りってもんですよ」
だから、と騎士は言葉を区切る。
「……ドンと構えてください。そんで貴方と国家の為に死んでいく我らガレスの戦士を、誇りに思ってくださいよ」
「……君たちは強いな」
「少なくとも若様よりはね……だから、貴方を支えるんですよ」
彼はフィーリンが生まれた時から知っている、乳母や教師の目を掻い潜って王城を抜け出し遊んでいたことを、飛びぬけた才覚はなくとも剣や馬術の訓練を怠らなかったことを、兄や父が早くに亡くして周囲の国から若造と舐められながらも政務をこなしたことを。
彼は知っている、いつも隈を作りながら働くフィーリンの姿を。
彼は知っている、自らが仕える王がいつだって国家と国民の幸福の為に働いていることを。
「我らガレスの戦士はここにあり……その雄姿をご覧ください」
「あぁ……あぁ、わかっているさ」
これから死ぬ彼らの戦いから視線を逸らすことは許されない、フィーリンはそう思いながら都市壁での激闘を眺めるのだった。
「報告いたします!! 都市壁の戦いは拮抗とのこと、しかし長くは持つまいとのことです」
兵士の一人が執務室に慌ただしく入ってきてそう告げた。
「わかった、そのまま可能な限り時間を稼いでくれ……都市内の状況はどうなっている?」
その言葉に答えたのは執務室に残っていた騎士の一人であった。
「そちらは順調です、あるだけ広めましたが……本当によろしいんですか?」
「あらゆる方法を持って対処すると決めたんだ、問題はないよ……国家とは、歴史とは、都市ではなく人だ、例え全てが無くなったとしても人さえ無事ならやり直せる、なんて言い訳をさせてくれ」
「勿論です、こちらは不備がないか調査いたします」
それでもなお足りないのだろうな、とフィーリンは思う。
だけどそれ以外にアンデットの大群へ大きな損害を与えられる方法がなかった、手持ちの戦力で最大限の戦果を得られる手段がこれしかない。
「……どれだけ時間が稼げるかな」
フィーリンの呟きは都市壁から届く喧噪に消えていくのだった。
光の波動が膨らんでドーム状になるとそのままアンデットの軍勢へと駆けていく、積み重なって肉と骨で理性無き階段を作ろうとしていたのだが祝福の力によって何度目かの崩壊を迎えた。
既に数えきれないほどに死の階段は崩れているのだが、相手は理性無く彷徨うアンデットたちなので諦めるということはありえない、ただ愚直に進み続けて一から階段を作るだけである。
以前にシャルルと守備隊が一緒になって撃退した時もそうだが、およそ非効率なことであってもアンデットたちは疑問には思わないのだ、どれだけ損害を与えられようと恐れも自重もないので積み重なっていくだけである。
少しでも理性が残っているのなら、自らを土台にして階段を作ろう等と思わないだろう。
積み重なり都市壁の頂を目指すアンデットたち、それを祝福の輝きで弾き返して蹴り落とす兵士たち、一進一退の攻防を既に幾度も繰り返しているようだが、大地を染めるアンデットたちは一向に減る気配がない。
いや、減ってはいるのだろうがあまりにも膨大な戦力を有しているので実感が得られないだけだ、少なくない攻防を既に繰り返しているが勢いそのものは変化がなかった。
多少の損害など無視している、と言うよりは損害がどうのこうのという次元の思考を行っていないからだろう。
ただアンデットたちは進むだけである、火に誘われる虫のように生命の輝きを求めているだけだ。
それに対して都市壁の上で戦う兵士たちは当然ながら理性がある、痛みも恐怖も感じて疲労だって蓄積していく、今はなんとか防御側の利点も手伝って拮抗しているがいつかは押し切られるだろう。
シャルルがどれだけ巨大な輝きを放とうとも、戦場の全てを包める訳ではないのだから。
「拙いな、西側が乗り込まれてる……手が空いている部隊はないか!?」
全体の攻防を冷静に管理していた将軍が発見したのは都市壁の上にまで手を伸ばしたアンデットたちだ、そちらにも兵士たちが祝福の武器を備えて戦っているのだが対処が追い付いていないらしい。
都市壁の上にアンデットが乗り込んだということはそこには無数に積み重ねた階段があるということであり、壊さなければ決壊した堤防のようになだれ込んでくるだろう。
近くにいた兵士たちが乗り込んだアンデットを切り捨てる、二度三度繰り返すが階段を上って来るゾンビたちは溢れるように姿を現す。
一部の足並みが乱れれば別の場所が乱れる、連鎖的に戦線が壊れることは確実なので援軍を向かわせようとするのだが、ガレス王国の戦力は少なかった。
大地に広がるアンデットは数えきれないほどであり、積み重なった肉と骨と灰は傾斜となり都市壁を支えにしながら階段へと変化している、つまり侵入経路はもはや一つではないのだ。
誰もが這い上がって来る相手に集中しており余裕がない、武器と地形という有利を生かしてもこれが限界であった。
いっそ指揮官である自分が直接向かうしかないか、そんなことを思う将軍の目の前を淡い輝きが通り過ぎていく。
シャルルだ、鎧や武器から漏れ出る光が彼女の軌跡を描き流星のように尾を伸ばしながら混乱渦巻く都市壁の上を駆け抜けた。
味方の兵士を鮮やかに躱し、這い上がろうとしていたゾンビをついでとばかりに蹴り落とし、崩れそうになっていた戦線まで辿り着くと祝福の刃が煌く。
瞬きする間に四度、刃の軌跡を描いて腐った死体を灰にすると続くアンデットたちも次々切り捨てていく、そのまま崩れそうになった戦線を立て直すと別の場所への援護へと向かう。
それはまるで戦場を俯瞰して見ているかのような働きであった、彼女が放つ祝福の輝きとも合わさり、どこか神がかった雰囲気を持っている。
戦場を駆ける輝きは多くの兵士たちが目にしたはずだ、そして多くの者がこんな風に思ったのかもしれない。
あぁ、戦神は我らと共にあるのだと。
そんなことを思うほどに、今のシャルルは神がかっているのだ。
ただ彼女がそこにいるだけで周囲の士気が高まる、一度剣を振るえば他者へ勇気が伝播する、敵を打ち砕けば全体の勢いへと変化していく。
英雄豪傑と呼ばれる存在は大なり小なりそういうものなのだが、シャルルはそれが顕著であった、戦神の加護と権能のなせる技なのかもしれない。
声を届け、勇気を伝播させ、思いを剣に宿らせる、そんな英雄の姿は輝いて見えるのだった。
「戦神よ、力を貸してくれ!!」
祈りと共に祝詞を言葉にする、シャルルの言葉を聞いていた近くの兵士は少々雑な祈りのようにも感じたのだが、戦神は気前よく彼女の体に加護を宿らせてくれた。
それだけ彼の神の寵愛が深いのだろう、戦神の加護は彼女の体に宿る祝福の力を強めると更なる輝きを与えるのだった。
「……なんか前よりも力を貰えるな」
シャルルも自らの現状を疑問に思ったようだが、次々と這い上がってくるアンデットたちが思考を辞めさせることになる。
色々と考えなければならないことがあるが、目の前の敵に集中すべきだろう。
既にアンデットたちが築く死の階段は長い傾斜と化している、肉と骨と灰が都市壁を支えにして土嚢のように積み重なっているからだ、死の軍勢を受け止めている部分はちょとした滑り台のようになっており、それはつまりアンデットたちが容易に壁を越えられるということである。
戦いは防御側が、それも頭上を抑える側が有利であるのだが、これだけの斜面を作られれば平野での戦いと変わらなくなってくるだろう。
「うじゃうじゃと厄介な連中だ……おい丸太だ、丸太を持ってこい!!」
「こっちもだ!! ありったけ持ってきてくれ!!」
そんな騎士たちの要求に補給担当の兵士がすぐさま丸太を用意する、それを雑に蹴り落とすとアンデットたちを巻き込みながら転がり落ちていく。
そこに剣に宿る祝福の輝きを放てば死に埋め尽くされていた大地が僅かに垣間見えるのだが、それも一瞬で埋め尽くされてしまう。
「まったく、キリがないな!」
「あの子とこの武器のおかげで何とか持ちこたえられているが、突破されるのも時間の問題だぞ」
「はぁ、はぁ……もとより時間稼ぎが優先だ、奴らを跳ね除けられるとは思っておらん」
もはやこの戦場に身分は関係なかった、騎士も将軍も兵士も民兵も同じ場所で戦っている、同じだけの血を流しているのだ。
騎士はゾンビに齧り取られたのか右耳が存在しない、兵士は鎧で守れていない場所から出血しており、将軍は血と汗と油でドロドロの様子であり、彼らの足元には数百を超えるアンデットの残骸が広がっており斜面の一部と化していた。
一人の兵士が武器と精神と頭上の有利を得て百体のアンデットを倒しても足らないのだろう、ガレスの戦士たちの努力をあざ笑うかのように相手は斜面を這い上がってくる。
押して引いてを繰り返し、積み重なった肉と骨と灰が都市壁の高さまで届くようになるまでに数時間かかった、そこまで来れば負傷と疲労は鎖となって生者の体を縛ってしまう。
未だに敵は大地を埋め尽くしているのに、兵士たちの出血と疲労は深まるばかりである。
斜面を這い上がって来たアンデットを一人の騎士が蹴り返す、指の一部を失ってしまったからなのか剣を片手で扱っているようだ、彼は指揮官である将軍に視線を送ると静かに首を横に振る。
将軍はそんな騎士のサインに頷きを返すと、戦場にいる全ての者に届くかのような声量で叫んだ。
「総員撤退せよ!! 城壁まで引くのだ!!」
指揮官の指示と共に大きな太鼓が打ち鳴らされる、三度叩けば撤退という意味があることは全員が理解しているので動揺は感じられない。
これが武装した軍隊が相手であれば追撃によって大きな損害を被るのだが、移動速度の遅いアンデット相手ならば振り切ることは難しくないだろう。
念のためになのか、指示を受けた訳でもないのにシャルルが殿を引き受けているので都市壁からの撤退は問題なく終わったようだ。
太鼓の音はガレスの戦士たちに交じって戦っていた帝国近衛騎士団にも届いたようで、撤退の指示にルールーは唇を尖らせている。
「おうおう、手前はまだ戦えるんだがな」
「団長はそうでも他の兵士は付いていけません、ここは堪えて撤退を……なぁに、本番はこれからですって」
部下の言葉にルールーは渋々と頷く。
「ここが前座だということはわかっとるわい、まぁ良いだろう……王様の覚悟に付き合うとしよう」
だが彼女はまだ満足した訳ではないようで、殿を引き受けていたシャルルに近づくと巨大な金棒を振り回した、雑な作りの武器であってもこれだけ巨大な物を小枝のように扱えれば止められるものなどありはしないだろう。
都市壁から下りて城壁へと撤退する兵士たちの最後尾、大通りのど真ん中でシャルルとルールーは並び立つ。
「シャルルよ、手前が手伝おうではないか」
「先に撤退しても構わないんだぞ?」
「カカッ!! 馬鹿を言うな、殿を楽しんでこその戦よ、手前を除け者にするでない」
「本当に楽しんでるな……まぁ頼りにさせてもらうよ」
緊張した様子もなく二人は大通りでアンデットを迎え撃つ。
そんな彼女たちの周囲には、異常とも思えるほどに油の匂いが満ちていた。