商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
「聖騎士は何処だあああああああああッ!!」
チャリオットが小脇に抱える首が叫ぶ、兜の隙間から深紅の閃光と悍ましい黒い靄を垂れ流しながら、立ちふさがる兵士や幻影の戦士を切り捨てなお歩みは止まらない。
乱戦の中にあっても彼の姿や気配はよく目立つ、次々と兵士や騎士が立ち塞がるが暴力の化身となった彼の魔剣になすすべもなく沈むだけであった。
大勢は既に決しているが彼の戦いはまだ終わっていない、戦争に負けようとも勝負にはまだ決着がついていないのだ、滅びて消え去る前にそれだけは終わらせなければならない、これは騎士としての矜持である。
だから彼は乱戦の中を進むのだ、降り注ぐ矢も立ちふさがる戦士も切り捨てて目指すのは先にある祝福の輝きであった。
今、この場において彼を止められる者がどれだけいるだろうか、不撓不屈の精神と疲れを知らぬ不浄の体を持ち、膨大な魂を磨り潰して得た力を振り回す首なし騎士は、人の形をした暴風のようである。
溢れ出る激情は津波のようであり、自らの無能を呪う怒りは火山の噴火のようであり、あらゆる衝撃をその鎧に内包して暴れまわっているのだ、簡単には止められない。
敗北を喫してしまった己に彼は怒った、母親であるエキドナの期待を裏切ったことを恥じた、兄弟姉妹を置いて先に逝くことを嘆いた、魔神への信仰を果たせないことに絶望した。
何もかもを守れず成し遂げられなかったのだ、最後にチャリオットの腕に残ったのは戦士としての誇りだけなのだろう。
既に魔王の因子を持つ者としての価値は消え去った、しかし一欠片の小さな誇りだけは手放せない。
矜持を握る、誇りを握る、思いを握る、そんなチャリオットの掌には魔剣があった。
それだけがあれば、彼は満足であった。
チャリオットの眼前に幻影の戦士たちが迫る、定まった形はなくともシャルルから流れて来る祝福の力を刃に変えて戦っているのだ、そんな彼らを魔剣で薙ぎ払い、次の一歩を踏み出す。
「邪魔をするなああああああああああッ!!」
彼の行進は止められない、止まるつもりもない、百の幻影を退けて千の戦士が前を塞ごうとも、それでも足は進み続けるのだ。
当然ながら無傷ではすまない、大小様々な傷が刻みつけられるのだが関係がないとばかりに無視して魔剣を振るう。
どんな痛痒を受けようとも彼の瞳が向けられるのは祝福の輝きだけだ、全身に突き立てられる鋼の刃を弾き返しながら、避けられぬ攻撃は甘んじて受け入れていく。
幾つかの矢が鎧の隙間に突き刺さり、幾つかの槍も同様に穿たれる、メイスによる殴打で鎧もへこむ、後方にいる魔術師から炎や雷も飛んでくる、気が付けばあれだけいたアンデットたちはチャリオットの傍には見当たらず、見渡す限りの敵に囲まれている状態だ。
だが彼は不利だとは思わなかった、寧ろアンデットが減らされた分そこにあったはずの大量の魂を自らの力に変換出来ている、傷は多くとも存在感は大きくなっているのは間違いない。
対して恐怖に縛られ始めているのは帝国やガレスの戦士たちだ、一歩進むごとに膨れるチャリオットの力に徐々に勢いを無くしてしまっており、突き進む彼の行き先は逃げ腰の兵士たちが現れる始末であった。
単騎で軍勢を相手どれる存在に引いてしまうことは仕方がない、まして相手は悍ましい魔剣を握る首なし騎士なのだ、恐怖を覚えるのは当然のことだろう。
それでも戦士としての責務が剣を振るわせる、恐怖に震えることは許されない。
兵士たちは互いに視線を送り合って阿吽の呼吸で一斉に挑もうとするのだが、そんな彼らの刃を止めるかのように背後から柔らかな光が溢れた。
「……聖騎士よ、汝に決闘を申し込む」
兵士たちの壁が巨大な存在感に押されて左右に分かれる、彼らが作る道の先にいるのは神性を宿したシャルルであった。
チャリオットは彼女に魔剣を向けて決闘宣言を行い、それに対してシャルルは聖剣を構えたまま近寄っていき、間合いの一歩手前でこう返す。
「……この決闘を受け入れる。ワタシの名前と戦神に誓って、全てを賭けよう」
「感謝する、我もまたこの戦いに全てを賭けよう」
シャルルからしてみれば受け入れる必要のない決闘であった、趨勢は決しており結果を盤石とするのならば幻影の戦士や周囲の兵士たち、そして後方で支援している魔術師たちと組んで袋叩きにするのが賢い判断だろう。
だがチャリオットに騎士としての誇りがあるように、シャルルにもまた戦士としての矜持がある、まして神性を宿すまでに至ったのだ、ここから先、彼女の剣には一切の曇りが許されず、許すつもりもない。
決闘を申し込まれたのならば、逃げられるはずがなかった。
「……」
「……」
無言で魔剣を構えるチャリオット、同じように言葉なく聖剣を構えるシャルル、決闘の約定に従って一定の距離を取り、両者は向かい合う。
片や禍々しい靄を身に纏う首なし騎士、片や祝福の輝きと神性を宿した聖騎士、そんな両者の決闘に周囲の兵士や騎士たちは固唾を呑んで見守るしかない。
助太刀や横やりをしようと考える者はいないようだ、二人から放たれる迫力がそれを許さないのだろう。
これは千年先まで歌われる決闘になる、そんな確信が戦士たちに無粋な行為を自制させたのだ、ここが戦場で仁義なき殺し合いの場であることは理解できているのだが、チャリオットとシャルルだけは別世界にいるかのように周囲から浮いているのだ。
それは舞台と観客席の違いのようなものなのだろう、今この場においてこの二人だけに光が当たっており、明らかに隔たれている。
決闘の始まりが何であったのかは誰にもわからない、だが二人は全く同時に踏み出して刃をぶつけ合うのだった。
一呼吸の内に重ねられる刃は目に追うことが叶わず、星々の輝きのように無数の煌めきを迸らせながら衝撃を巻き起こす。
およそ剣と剣が重なり合ったとは思えない程の轟音が戦場に響き渡り、両者を中心に大地が蜘蛛の巣状にひび割れていく、周囲にいる兵士が認識できるのは彼らが作り出す光と闇の軌跡だけであり、尾を引く光だけであった。
「……すげえ」
一人の騎士がそんなことを呟く、その戦いを見ていた全ての者の思いを代弁するかのように。
そして彼は自分が握る剣を力強く握りしめる、新兵を卒業して騎士団に入り、皇帝から直接渡された良質な鋼の剣を。
背筋を走る畏怖とも興奮とも言えない奇妙な震えは、彼が、彼らがいつか夢見た光景を思い出させてくれた、子供の頃に細い木の枝を握って英雄ごっこを繰り広げた日々、あの時の幼く純粋な夢の中にしかなかった英雄の輝きだ。
いつしか忘れてしまった、追いかけることを諦めてしまった夢の中の輝きである、チャリオットとシャルルの戦いはそんな幼い夢を思い出させてくれたのだろう。
彼らの前で繰り広げられるのは剣戟の極地、一握りの者にしか辿り着くことが叶わない、戦士の最果てであった。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
「やああああああああああああああああッ!!」
戦いは拮抗とは言えない、互角にも遠い、チャリオットが何とか食らいつこうとするが、おそらく二歩は足りない差があるようにも思える。
魔剣はシャルルの体に幾たびも迫るのだが、僅かに薄傷を残すだけでそれ以上は届かない、大してシャルルの聖剣は首なし騎士の鎧を焼き切って体にまで深い傷を与えていた。
差は歴然、剣戟を重ねる度に広がっていくような気さえする、だがそれでもチャリオットは後退することはしない、一歩でも引けばかろうじで成立している戦いの流れが破綻してしまうと考えたのだろう。
欠片の躊躇でさえ致命に繋がるという確信があった、ならば前へ進むしかない、例えどれだけ傷を付けられようともそこにしか行くべき場所がない。
チャリオットは敢えて聖剣の切っ先を自らの胸で受け入れる、鎧も体も貫通して巨大な祝福の力を注ぎ込まれることになるのだが、それでもなお受け入れた。
「ぐッ!! ここだあああッ!!」
肉を切らせて骨を断つ、と言うにはあまりにも大胆な行動なのだが聖剣の動きは封じられたのだろう、その身を焼く祝福の輝きに存在そのものを焼かれながらも魔剣を振り下ろす。
だがシャルルには届かない、あまりにも遅すぎると感じるそれが迫るのを見て、彼女は突き刺さって動かない聖剣をあっさり手放すと、半身になって魔剣を回避して迷うことなく拳を打ち付ける。
鎧の上からであっても接触の度に相手の不浄が消滅していく、その身に触れられなくともシャルルと言う存在だけで致命にまで届いてしまう。
あまりにも不利な相性だ、力も技術も先を行かれてしまっている、勢いも傾いていれば冷静な判断すらもできなくなっているのだ、だからこのまま戦えば遠からずチャリオットは消滅することになる。
この決闘は、最初から敗北が決定していた戦いである、せめて死に際くらいは飾りたいという彼の我儘にシャルルが付き合っているに過ぎない。
彼からしてみれば結末が分かっている茶番でしかないが、だからなんだというのか。
既に彼に責任はなく、成し遂げる結果もない、捧げる忠誠も価値を無くしてしまった、僅かに残った矜持だけがそこにある。
届かない相手だからこそ挑む、だから彼はこの決闘を楽しんでいた。
シャルルは幻影の戦士たちを最前線に回しておりこの戦いには介入させないようだ、彼女なりに決闘の作法を守ろうとしているのかもしれない。
「あぁ……強いな」
シャルルのつま先がチャリオットの胸に突き刺さった聖剣の柄を蹴り上げる、すると肉と鎧に固定されていた剣が跳ね上がって大きな傷を残す。
そして胸から鎖骨付近まで移動した刃を握ると、今度はそこから上に引き抜くのではなく、脇腹へと振り下ろした。
「だが……不思議と心地が良い」
大量の腐った血が噴き出てシャルルを汚そうとするのだが、肌に届く前に祝福の力に蒸発させられてしまう。
「戦士として滅びることができるのか……この身には過ぎた最後だ」
魔剣を持つ腕が肩から切り落とされる。
「感謝する……聖騎士よ」
次は首を抱える右手が落とされた。
「そしてすまない、我が母よ、兄弟姉妹よ」
膝から崩れ落ちた。
「我が……神よ」
そこに聖剣が振り下ろされて体は真っ二つとなり。
「……不忠を、許したまえ」
灰となって消えていく。
「あ……あぁ……眩、しいな」
最後にシャルルは、聖剣の切っ先を地面に転がったチャリオットの首へと向けた。
「見事……さらばだ」
「あぁ、さよならだ」
シャルルは彼のことをよく知らない、理解もしておらず、するつもりもない。
目的も信念も願いも将来もわからない、ただ一つだけわかるのは、ここで消滅させなければならないという事実だけであった。
トドメを刺す瞬間、少しだけ寂しく思ったのは気の迷いだと信じたいが、お互いのことは何も理解できなくても、結ばれた縁が物騒なものだとしても、二人の間には確かな戦士の繋がりがあったということだろう。
その血生臭い縁を断ち切るかのように、シャルルは聖剣で転がっていた首を刺し貫く。
灰となって消滅していく強敵の姿を、彼女は見送るのだった。
「……終わったよ」
その言葉は誰に向けられたものなのかシャルル自身にもわからなかった、だが彼女の脳裏に過ったのはアナスタシアの姿である。
「今、行くからな」
周囲に広がる歓声を背中にシャルルは焼け野原になった王都へと走り出した、何もかもが焼け落ちてしまっているが、聖なる結界に守られていた神殿ならば炎にもアンデットにも害することはできないので残っている筈だと考えたのだろう。
そこにアナスタシアもいる筈だ、残党とさえ呼べるほどの数まで駆逐されたアンデットたちを吹き飛ばしながら大通りを駆け抜けて、今となっては周囲に何もなくなってしまったのでよく目立つ神殿へと辿り着く。
すこし外壁や門に炎による焦げが目立つが、神殿は焼け落ちることなくそこに健在であった。
門を潜って本殿へと入り、受付を通って奥にある礼拝堂へと進む、少し前まで多くの同僚や客でそれなりに賑わっていた場所なのだが、今は避難も完了しており静謐な空間と化している。
だからなのかやけに足音が響く、その音は徐々にペースを上げていきシャルルの焦りを現していた。
嫌な予感がする、神性を得たことによる未来視にも近い直感が訴える、この先にあるのはあまり見たくない光景だと。
礼拝堂の扉を開けばやはり直感通りの展開が待ち受けていた、窓から差し込む光が照らす場所に力なく横たわるアナスタシアの姿があったのだ。
「アナスタシア!?」
それを見た瞬間にシャルルは駆け寄って彼女を抱き上げようとするのだが、帰って来た感触と重さに愕然とした、まるで骨と皮しかないような軽さだったからだろう。
アナスタシアの体は老いていた、長く生きた老人の様にいくつもの皺が肌に残されており、今にも永遠の眠りに落ちそうな程に弱弱しい生命力しか感じない。
ついこの間まで、シャルルとそう変わらない年齢の姿をしていたというのに、僅か数日で急激な変化があったようだ。
何が原因なのかと考えれば心当たりは一つしかない、ミリアの話を思い出せばアナスタシアの体はとても貴重な素材であり触媒でもあるというのだ、どんな魔術や呪いや儀式でさえ強引に成立させてしまえるほどの価値がある。
人に神性を与えるという奇跡にどれほどの代償が必要であったかは、今の彼女を見ればよくわかるだろう。
彼女に宿る神秘の全てを使って、おそらくギリギリ……いや、足りなかったのかもしれない。
半死半生の状態で僅かに震えるアナスタシアは、自分が抱き支えられていることに気が付いたのだろう、絞り出すように声を出す。
「あ……あぁ……良かった……あぁ……良かった……至られたの、でございますね」
「……アナスタシア」
「方法が、これ以外に……思い浮かばなくて」
「……」
「そんな顔をしないで……よいのでございます……私は、とても長く生きました……ずっとどこかに、死に場所を……求めて」
「……あぁ」
「聖騎士様には……大きな、力を与えてしまいました……ですが、お仲間を求め、守ろうとする貴女様なら……貴女様だからこそ」
「……あぁ」
「……良かった、これで……やっと」
「……」
今にも消えそうな命の灯が更に弱くなっていく、アナスタシアはそれすらも消費するかのように枯れ木のような手をシャルルへと伸ばす。
その手を彼女は優しく握りしめる、血が通っていないのか冷たい手であった。
「聖騎士様……最後に……祝、福を……頂けま、せんか?」
「……好きなだけ持ってけ」
繋ぎ合った手を介して、シャルルから祝福の力がアナスタシアへと流れていく。
それはとても穏やかで、木漏れ日のように暖かなものであった。
人々の胸に宿る、灯のようでもある。
「とても、暖かい……あぁ、この輝きは……あぁ……太陽のような……月のような」
「……」
「そうでした……世界は、こんなにも美しい……ずっと……暗闇にいて……忘れてしまった光が……思い出せました」
握り合った手から徐々に力が抜けていく。
「……アナスタシア?」
「……大丈夫です……いつかまた、どこかで」
「うん……どこかでな」
「……」
「アナスタシア?」
何も言葉を発さなくなったアナスタシアの体が砂のように脆く崩れ去る、人としての形を無くして灰になり、そのまま礼拝堂の床に広がったのだ。
それを見送ったシャルルは掌に残った灰を指で包み、その感触を肌に刻み込む。
感謝の言葉でも言えれば良かったのかもしれないが、アナスタシアはそれを望まない気がしたのだろう、最後に見せた彼女の表情はとても穏やかなものである。
せめて彼女の魂が安らかに旅立つことを、シャルルはこれまでの人生の中で最も強く真摯に祈るだけであった。
「……アイツは逝ったか」
「……ミリア? ずっとここにいたのか?」
「そりゃいるさね、神殿の長なんだから……避難は全ての者がいなくなってからだ」
「……そっか」
「……この子が死んだのは自分のせいだなんて言うんじゃないよ」
「……」
「ずっと……ずっと死に場所を求めていた、この老体よりも遥かに長い時間を生きていたんだ、面倒な神秘と一緒にね。だから、笑って見送ってやりな……やるべきことをやり遂げて逝ったんだ、穏やかな顔してただろう?」
「……震える声でそんなこと言われてもな」
「……そりゃお前さんも同じだろう」
「ワタシは大丈夫だよ……アナスタシアがくれた力が……うん、ここにある」
灰を握っていた彼女の手が自分の胸へと置かれた、そこにある一度は止まった筈の心臓の鼓動は熱を発している。
「そうかい……なら良かったよ」
「いつかまたどこかで会えるさ……いつか、どこかで」
少しの別れになる、アナスタシアが動かすシャルルの心臓が、いつかどこかで止まるその時に、また会えるだろう。
もしいつかどこかで神様が気を利かせてくれて、出会えることがあるのなら彼女と一緒に旅をしよう、仲間になってキャラバンを作ってみるのも悪くないかもしれない、そんなことを考えながら彼女は涙を拭きとるのだった。
この命が尽きても次がある、そうやって魂は循環して世界は続いていく、いつかどこかで会えることもあるだろう、それくらいの夢は見ていいはずだ。
「さようなら、アナスタシア……いつかまたな」
シャルルの心臓は、確かに今も動いている。