商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
冬である。
それも大樹海の冬季はとても厳しいものであった、いつかの秋を終わらせる獣の猛威に比べればまだ穏やかなのだが、それでも準備や覚悟も無しに挑める寒さではないだろう。
秋の終わりごろから始まった廃神殿での生活や、そこでの生活環境を整えていれば、あっという間に雪が降って来た。
膝下ほどまで積もったそれらは彼女たちの行動を妨げるには十分であり、森の恵みも姿を消して獣たちの活動も緩やかなものとなっているらしい。
物に溢れた文明圏であれば食料も燃料もすぐに手に入れることができるのだが、冬に閉ざされた大樹海でそれらを見つけるのは簡単ではなかった。
店などないのだから当然である、食料も燃料も自給自足が求められるのだ。
雪で白く染まった大樹海に足跡が残されている、獣の物ではなく二足歩行の人間の足跡であった、それが向かう先には白い毛皮のマントと帽子を被ったキャロルがいて、黄金の弓を片手に身を潜ませていた。
太い木々に体を隠して膝下まで積もった雪に震えながらも、鏃の行方だけは真っすぐと獲物へ向けられているようだ。
そこだけはどれだけ寒くてもブレることはない、呼吸と気配を消して弓神への祈りを捧げてからキャロルは矢を解き放つ。
風を切るような音と共に鏃が向かう先は雪の中で戯れる二匹の白い兎であった、まるで最初からそうなることが決まっていたかのように矢は片方の兎に吸い込まれて命を絶った。
もう片方の兎は突然の攻撃に驚き、慌てて逃げ出そうとするのだが、そちらにも逃がさんとばかりに矢が突き刺さる。
矢の主はキャロルではない、彼女とは反対方向にいるミューの放った矢のようだ。
もしキャロルが外した時に備えていたのだが、どちらもミスすることなく二頭の兎を手に入れることが出来たらしい。
「ん……結構、大きい?」
「はい、キャロル殿。冬に備えて脂肪を蓄えていたのかと思われます」
射貫かれた兎の長い耳を掴んでぶら下げると、なかなかの重量感が腕に伝わって来る、人間の頭より一回り大きいくらいのサイズをしており食料としては文句無しであった。
贅沢を言えば鹿や熊のような大型の獲物を狙いたいのだが、冬が深まった状態では姿を見ることが稀である、だがこの兎だけでも節約すれば少なくとも数日は飢えることなく過ごせるだろう、空振りに終わらなかっただけマシと言えるだろう。
二人は兎を持ち上げながら笑い合う、両者の関係を言い表すのならば主従関係が正しいのかもしれない。
キャロルにそんなつもりは欠片もないのだが、房中術による魂の掌握により完全な上下関係が成立してしまったらしい。
それ以降、ミューは臣下のようにあろうとしているようだ、最初は様と敬称を付けて傍らに控えようとしたのだが、紆余曲折の末に殿という呼び方に落ち着いたようだ。
ミューの手には柔軟かつ強靭な木の枝から作り上げられた弓が握られている、タダ飯食らいは許されないと自分で作成したものであり、彼女はそれをわざわざキャロルに献上してから下賜するという行程を挟ませた。
魂が屈服しており、そして彼女は戦士であるのだ、そういった儀式は必要不可欠だとキャロルが押し切られた結果である。
騎士と王、互いの認識にズレがあるのだがそれが今の二人の関係であった。
「血抜きをして、今日食べる分以外は燻製にしよう」
「こちらにお任せください、キャロル殿はお休みを」
「ん……じゃあ私は水を汲んで来る」
「いえ!! そちらも私が!!」
「……いいから、仕事は分担しよう」
お互いの精神的な立場によるズレによって、度々こういった会話が繰り返されることがキャロルの悩みでもある、だが全身を掻き毟って血だらけになられるよりはずっとマシなのだろう。
少なくとも精神的に落ち着いているのは間違いない、トラウマは完全に取り除けたようだ。
「……解体、宜しくね?」
「うぅ……承知しました」
不満はあるようだがミューは受け入れた、兎の耳を掴んでぶら下げながら廃神殿への道をトボトボとした足取りで帰っていく。
それを見送ったキャロルは近くを流れる川へと足を進めた、流水なので冬でも凍り付くことなく流れているのは彼女にとっても喜ばしいことでもある。
更に寒さが厳しきなって極寒とも言うべき気候になればわからないが、少なくとも去年は凍てつくことなく川は流れていた。
雪が降る気候なので川の水も肌を刺すかのように冷たい、キャロルが雑嚢から取り出したのは水筒代わりに使っている獣の胃袋であった。
それなりに頑丈であり、水が漏れることもないそれも自給自足の生活では重宝するものである、綺麗に洗浄して片側を強く結べば水汲みも容易いのだろう。
熊の胃袋を使っているのでかなりの水を入れられる、実際に飲み水だけならばこれだけで問題はないようだ。
キャロルは胃袋を川に沈めて膨らませていく、手にかかる水は刺すような痛みとなっており、あまり長く触れていたいものではない。
「……ん?」
冷たい水の感触に眉を顰めていると、キャロルの視界に奇妙な光がチラついた。
雪が日差しを反射したようなものではない、どちらかと言えば暗闇を照らす松明のような揺らめく光だと表現すべきだろう。
ユラユラと右往左往しながら光は森の中を移ろっている、掌サイズのそれはまるで迷子のようにも見えた。
はて、あれは何だろうか? キャロルのそんな疑問に答えてくれる筈もなく、小さな光は木々の奥へと消えていく。
邪悪な気配は感じなかったのだが、キャロルにはあの光の正体がわからない。
考えても答えは出ないので、わかりそうな相手に聞くことにしたようだ、エルフ以上にこの森に詳しい存在はいないのだから。
森に沈んだ廃神殿へと水の入った胃袋を背負いながら戻ると、そこで兎の解体を行っていたミューにうろつく光の存在を訪ねてみると、彼女は特に隠すこともなく答えてくれた。
「あぁ、それは妖精かと思われます」
「……妖精?」
「はい、掌ほどの大きさで、宙を漂う光なのですよね? ならば妖精たちの一種で間違いないかと」
「ふうん……妖精だったのか」
「しかし珍しい、アレらは人前に姿を晒すことなど滅多にないのですが」
「そうなの?」
「彼らには独自の世界とでも言いますか、特殊な領域を行き来できる力があると長老たちから聞いたことがありますね、そこから顔を出した時にだけ人が認識できると……まぁ、私も先達から教えられただけで実際に目にした訳ではありませんが」
「妖精って聞くと……悪戯好きって印象がある」
「そういった側面も間違いではありません、彼らの領域から出てきて人前に姿を晒す妖精の中には、物を隠したり幼子を迷わせたりなど、悪意的な行動をすることもありますから」
「……妖精の歌は沢山あるよ。悪さして捕まって売り飛ばされたり、戦士に懐いて幸運を与えたりとか、吉兆だって歌われることが多いかな」
「人間の世ではそのような距離感で扱われているのですか……我々の間では悪戯好きであると同時に神々の使いのようなものとして扱われていますよ」
兎の解体を終えて、キャロルが持ってきた水で手と道具と皮を洗うミューはそんなことを言った。
「妖精たちは我々には認識することのできない世界を出入りして、様々な場所に現れるとされています。そういった力を持っているので地上を狭める存在とされているのですね。数百年に一度行われるとされる神獣たちの集会も彼らが手引きするそうですから」
ならばキャロルが発見した妖精も、もしかしたらそういった使命を帯びた存在だったのかもしれない。
キャロルは捕まえて売ろうなんて少しでも思ってしまった自分を恥じるのだった。
「……神獣か」
キャロルはそういった存在とは一度だけ関わったことがある、今も彼女の手にある黄金の弓はまさにその神獣の角から作られたのだから。
呟きと共に彼女の視線が黄金の弓へと向かう、すると釣られるようにミューの視線もそちらに揺れた。
「キャロル殿、貴女の持つ弓には神格とでも呼ぶべきものが備わっているようにも思えます……その、どのような由来の物なのでしょうか?」
「ん……これは鹿の角から作った。神獣の鹿から」
「なんと……ならばまさしく神器と言うことですか。しかしよく担い手となれたものです、神獣の一部から作られたのであれば相応の重みが伴う筈ですが……見たところ普通に持てていますね」
「重み?……ん、凄く軽いよ」
「いえ、重量という意味ではなく、武器の格というべきものです。かつて勇者が振るった天剣しかり、神器と呼ぶべき物には相応しくない者を選別する力があるんですよ」
そうなのか、とキャロルは自分が握る黄金の弓を持ち上げる、これは鹿の角から作られているがまるで重さを感じない、羽毛のように軽々としたものだ。
「そういった神器に選ばれた存在が担い手と呼ばれますね、もし振るうに値しない者が持てば相応の問題が発生するかと」
「……例えば?」
「そもそも持てなかったり、持てたとしても凄まじく重かったり、場合によっては呪いのようなものを貰う可能性もあると聞くが、私も詳しくは……ですが見たところキャロル殿の持つ弓は大きな問題があるように思えません、正しく担い手となれているのでしょう。どのように手に入れられたのでしょうか?」
「鹿神から貰った……助けたお礼として」
「なるほど、では下賜されたとも表現できますね……それならば問題も起きないか」
黄金の弓とキャロルの間には正式かつ強固な縁があるということだろう、正しい手順で彼女の手にあるので問題が起きるはずもなかった。
「もしミューが持ったらどうなるんだろ……やっぱり重たいのかな」
「どう、でしょう……神器も様々ですからなんとも言えないかと」
「ん……試してみる?」
「え、ええッ!? そんな恐れ多い、神器を持つなど!!」
「……でも興味ありそう」
キャロルの言葉を否定できなかったのだろう、ミューは狼狽えながらもチラチラと黄金の弓を眺めていた。
「うッ……それは、その、はい……では、少しだけ触らせていただいても宜しいでしょうか?」
ズイッと、キャロルは黄金の弓を差し出す、それを前にしてエルフの少女は頭を垂れて恭しく両手を前にして受け取って見せる。
しかし羽毛のように軽い筈のそれが彼女の掌に置かれた瞬間、重たい何かを受け取ったかのように両腕が下がってしまう。
「やはり重たい……持てなくはありませんがとても扱えそうにはありません」
「そうなんだ……神器って不便だね」
「正しい担い手にしか扱えぬのが基本なのですから、不思議はないかと」
ミューは手に持った弓をキャロルへ返す、名残惜しそうな、そして残念そうな表情は、弓を扱えないことを嘆いているようにも見える。
「……この弓があれば、あの嵐の悪魔も倒せたのやもしれないな」
その言葉の通りの嘆きが彼女にはあるのだろう、キャロルも大まかにしかミューの事情を聞いていないが、故郷が巨大な悪意によって滅ぼされたであろうことは知っていた。
何もかもを失って魔の眷属に捕らわれていたミューは、キャロルによって精神的なキズを消されたとしても忘れてしまった訳ではないので、寂しげな表情を見せることが多い。
房中術による洗脳で、色々なことが遠い記憶にされてしまったとしても、美しかった故郷や同胞たちの存在を忘れてしまった訳ではないのだろう。
「……冬を超えたら、故郷に戻ってみる?」
「よ、よろしいのですか?」
「ん……元々、案内してもらうつもりだったから、気になるなら確かめればいい」
ミューの事情を聞くまではエルフの国を案内してもらうつもりだったのだ、更に欲を言えば生活に必要な様々な物を手に入れることも考えていた、だがエルフの里は滅んでいる可能性が高いので今は叶わない。
しかし元々は大きな社会が形成されていた場所があり、滅んでいたとしてもそう長い時間が過ぎ去った訳でもない、悪いとは思っているが様々な物資を調達したい考えなのだろう。
「ミューも、自分の目で確かめるべき……うん、その方が良い」
「キャロル殿……はい、その通りですね、配慮に感謝を」
頭を下げて礼をする彼女の肩にキャロルは安心するように手を置いた、冬の間は動くことができないがある程度の方針はこれで固まった。
「でも、まずは……この冬を超えなきゃね」
「はい、このミューリアン、助けていただいた恩を返す為に、必ずやお役に立ちます」
「うん……頼りにするよ」
まずは目の前の寒さを乗り越えることが重要である、ミューの故郷も気になるが、食料や生活のことも重要なのだから。
冬はまだまだ続くのだ、油断はできないだろう。