商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
キャロルの言葉の通り、冬を乗り越えることは大変である。
だが努力の成果もあって廃神殿での生活は順調と言えた、足りない物を数えれば両手の指では足りないが、今日明日にでも死んでしまうような限界ギリギリの状態ではない。
生活に必要な様々な水は近くを流れる川から、飢えを満たす食料は秋から準備していた食料や冬の間も活動している獣などを狩って調達している。
勿論だが問題は多い、しかし致命的ではない、それが二人の現状だろう。
時折、魔の眷属であるゴブリンやオークが廃神殿にいる人間の気配を感じ取って襲撃をしてくるが、そちらも問題なく撃退できていた。
多くはない食料と燃料をやりくりし、足りなければ調達して、凍てつく冬を乗り越えるために節制と努力を繰り返す。
キャロルにとってもミューにとっても、互いの存在が支えになっていたのだろう、この寒さの中では互いの体温は重要であった、精神的にも肉体的にもだ。
獣を狩り、燃料を探し、水を調達して、戯れに肌や唇を重ねる、そんな生活を一カ月ほど過ごしていよいよ冬も深まった頃に、キャロルは以前に見かけた淡い光を見つけるのだった。
「……」
廃神殿の一角に大量の毛皮を重ねて作った寝床がある、様々な獣の体毛で身を包むことが出来るので包まれば寒さから逃れることが可能であった、当然ながらキャロルもミューもそこで寝起きしている。
時間は深夜を少し超えた辺りだろうか、毛皮の寝床で静かに目を覚ましたキャロルは、身動ぎしながら視線を廃神殿の礼拝場へと彷徨わせていく。
同じ毛皮の寝床には静かに寝息を立てるミューの姿もあった、眠る前に寒さから逃れるように愛し合ったので互いの全裸の状態であった。
キャロルがキスで残した幾つかの鬱血痕を指で撫でると、ミューはどこか心地よさそうに毛皮の寝床で身を捩る、とてもよく眠れているらしい。
それを確認したキャロルは、僅かに微笑んでから視線を廃神殿の中を漂う小さな光に向けた。
「ん……誰?」
掌サイズの小さな光は、いつか森の中で見つけた光によく似ている、ミューに言わせれば妖精の放つ光らしい。
その光は奇妙な羽音と共に、大きな毛皮のカーテンが吊るされた廃神殿の横穴を通り抜け、迷うように内部を漂っている。
実際に迷っているのかもしれない、フワフワユラユラと漂う姿は目標と言うべきものがないようにも思え、迷子のようにも見えなくもない。
或いは目的がありながらも、それを見つけられない為の右往左往なのか、キャロルには判断できない。
「あっれえぇ……おっかしいなぁ、気配は感じるのにどこにもいない……もう!! どれだけ探し回ってると思ってるのやら、神獣ってなんでどいつもこいつも気まぐれなのよ!!」
宙を漂う妖精はそんな風に憤っていた、半透明の羽を背中から生やして淡い光を纏い、小さな手足を振り回しながら怒りを表しているようだ。
なるほど、とキャロルは納得した、あの姿はまさしく歌に聴く妖精の姿そのものであり、神秘に潜む別世界の住人なのだと理解することができたらしい。
小さな羽と小さな体、しかしかつて神獣を前にした時のような神秘を感じさせてくれる、そんな妖精は憤慨しているからなのか、キャロルを発見できていないのだろう、手足を振り回すだけで彼女を認識できていない。
「ねぇ……聞こえてる?」
「どこにいるのよアイツらはッ!! この一大事に!!」
やはり妖精はキャロルを認識できていない、目の前にいるのに大きな透明な壁によって隔たれているかのようであった。
どれだけ声をかけても反応を返さないので、キャロルは衣服を纏ってから立ち上がって、廃神殿の内部を彷徨う妖精へと手を伸ばす。
優しく包み込むように捕まえようとするのだが、キャロルの両手は妖精をするりと通り過ぎてしまう。
空ぶった訳ではない、確かに捕まえた筈なのだが両手は妖精をすり抜けたのだ。
目の前にいるのに目の前にいない、そこに存在しているのに存在していない、そんな矛盾を孕んだ存在なのだろう。
妖精はまるで夢と現の狭間に存在しているかのように、捉えどころがないらしい。
「えッ、ちょ、なに!? なんで見つかったのよ!! えぇ……もしかして私を認識できてる?」
自分が捕まえられそうになったことで、ようやく妖精はキャロルを認識することができたのだろう。
半透明の羽を必死に動かして、キャロルの手が届かない高さまで慌てながら移動した妖精は、小さな体をビクビクさせながら怖がりながらも見下ろしてくる。
「ん……見えてるよ」
「うっそぉ……人間がこっち側の世界を認識できるなんてそんな筈が、ないないありえないんだけど、えぇ~……ちょっとショックなんですけどぉ」
「そっち側……妖精の世界ってこと?」
「うん、そうそう、普通は認識できないし会話だって成立しないんだけどなんでアンタとはこうして出会えるんだろ? あれ、もしかしてアンタって……うん? 半神? いや、でもちょっと違うような、変な雰囲気ね」
小さな妖精はそう言ってキャロルの周囲をクルクルと旋回しながら観察を始めた。
「う~~~ん? なんだろ、すっごく似た雰囲気を知ってるような気が……え、あれれ、鹿神様の気配を感じるんだけど」
「……これ」
鹿神と言われてキャロルに思いつくのは黄金の弓しかない、首を傾げる妖精にそれを見せつけると、相手は驚いたように口を開けてから、すぐに落ち込んでしまう。
「うあぁぁ、だからどれだけ探しても見つからなかったのか、その弓の気配に引かれて関係ない場所をずっと探してたんだ……うが~~ッ!! ここ最近の苦労はなんだったのよ!!」
妖精は小さな手足を振り回してキャロルに八つ当たりしてきた、圧倒的な体格差があるので全く痛くないが、理不尽だとも思った。
「よくわからないけど……鹿神を探してるの?」
「そうなのよ!! でも見つからないのよ!! 当然よね、全然関係ない所をずっとウロウロしてたんだからさぁ!!」
どうやらこの妖精は神獣を探していたらしい、しかしキャロルの持つ黄金の弓から放たれる気配を鹿神の物だと勘違いしてしまったようだ。
「はぁぁ~……ただでさえ気ままな連中が多いのに、これじゃぁいつまでたっても見つからないわよ」
八つ当たりにも疲れてしまったのか、妖精は風に弄ばれる綿毛のようにフワフワと地面に下りていく、そして廃神殿の床に寝転ぶように着地するのだった。
「もう無理……あぁやだやだ、二年近く探し回ってる訳よこっちは、集まれって神託が下ったのにさ、神獣なんて連中はどいつもこいつも勝手なもんよ。日時を指定しても全然集まらないからさぁ、私らがこうして迎えにいってんの」
「そう……大変だね」
「わかってくれる? 仮にも知性のある獣なんだからさぁ、ちゃんと集まって欲しいもんだよ」
少しやさぐれた雰囲気を持つ妖精は、小さな手で自分の肩を揉みながら視線をキャロルへと向ける。
「なんか愚痴っちゃったけどごめんねぇ、ちょっと疲れちゃったからさ」
「大丈夫だけど……うん、まずは自己紹介したいかな」
その言葉に小さな妖精はまたも首を傾ける、そして何かを思い出したかのようにポンッと手を叩く。
「そういえばそうね、私たちをしっかり認識できる人間と出会うなんてなかなか無いことだもの、何百年ぶりのことかしら、これは仲間に自慢できるわ!!」
「ん……キャロル、そっちは?」
「キャロルね、私はテイタニア……十二妖精が一角にして、冬の王であり春の伴侶、テイタニアよ!!」
ババンッ、と効果音が付きそうな勢いで何故かポーズを決めるテイタニア、それを冷めた目で見つめていたキャロルは、小さな頷きを返してみせた。
「そう、テイタニア……うん、覚えた、宜しくね」
「なんか反応薄くない?」
「……そんなことないよ」
テイタニアはフワフワと漂いながら、何故かキャロルの肩の上に着地した。
「まぁ良いわ、それにしても人間が……うん? 人間? まぁ良いわ、アンタはなんでこんな所にいるのよ、この辺ってエルフの領域だと思ったんだけど」
「説明が難しくて……迷子、かな?」
「ふぅん、人間の領域からめっちゃ離れてるけど、どんだけ方向音痴なんだか……あっちの子はエルフか、これもまた珍しい組み合わせだ」
寒さを感じたからなのか、ミューの眠る毛皮の寝床へとキャロルは戻る。
だがそれで起こしてしまったのだろう、エルフの少女は毛皮の中で身動ぎすると、眠りから目覚めるのだった。
「う、んん……キャロル殿? どうなされた?」
「この子、なんで全裸なのよ?」
肩の上で当然の疑問を投げかけるテイタニアの言葉を無視して、キャロルは自分で脱がしたミューの衣服を集めて渡す。
「キャロル殿?」
「ん……ミューにはテイタニアが見えてない?」
「あぁ、そうかも。ちょっと待ってね、そっち側に出るからさ」
すると、キャロルの肩の上にいたテイタニアの存在感が急激に増していく、目に見えない幽霊が実体を得たかのようであり、それまでは感じることのなかった重さを肩に感じるほどである。
これが、妖精の領域から顔を出すということだろうか、キャロルの目からは特に何も変わった様子はないのだが、ミューにしてみれば突然に妖精が目の前に現れた状況である、驚くのも当然であった。
「ふッふッふッ!! 我こそは十二妖精が一角、冬の王にして春の伴侶、テイタニアである!!」
「なッ!? まさか、妖精女王だというのか……こ、これは失礼をいたしました、御前を汚してしまうなど」
「くぅ~~~ッ、これよこれ!! この感じをアンタにも求めてたのよ」
テイタニアを前にして勢いよく跪くミューを見て、妖精はキャロルの頬をぺちぺちと叩いてくる。
「……君って偉いの?」
「そりゃ偉いわよ、女王だもの、私と同じくらい偉い奴なんて夏の伴侶にして秋の王であるオベロンくらいじゃないかしら。どう? 今から敬ってもいいのよ?」
「ん……考えておく」
「やっぱりこの子の反応が薄い!?」
肩の上で憤慨するテイタニアを、キャロルはそろそろ煩わしく思い始めているようだ、麦の苗でも毟り取るかのように握ると、そのまま妖精の体を毛皮の寝床へと下してしまう。
「偉大なりし女王陛下、私は月の里の戦士階級、ミューリアンと申します」
「うむうむ、やはり月の里の出身者であったか、苦しゅうないぞ楽にするがいい!!」
跪く姿を気に入ったからなのか、小さな体で胸を張って偉ぶる妖精は実に上機嫌である。
ケラケラと笑う様子に加えて、人形のようなサイズなのでどうにも威厳と言うものを感じ取れないのだろう、少なくともキャロルにはそう見えるのだった。
「しかし妖精女王よ、なぜ我らの前に御身を晒されたのでしょうか?」
「んん? 別に理由なんてないけど、まぁ珍しい人間に会ったから流れでさ」
「な、なるほど」
「それより聞いてよ私の苦労をさぁ、もう二年近く神獣を探してるのに見つからないのよぉ!! 空を飛べる奴らはまだ集まるのが早いんだけどさ、鹿とか熊とかは駄目ねぇ、四足歩行の連中は呑気な奴ばっかりよ!! この日に来いって言っても時刻なんて理解してないから来ないのよ!!」
「く、苦労なされたのですね、心中察します」
「でしょう? 挙句の果てに、神獣の気配に引かれて全然関係ない場所を探す羽目になってさぁ」
毛皮の寝床で愚痴る妖精にエルフは律儀に付き合っている、ミューは存在の根源が人間よりもテイタニアに近いので共感しているのかもしれない。
妖精とエルフは遠くとも親戚のようなものだ、人間よりも生物として近いのだから思い合うことにそう時間はかからないのだろう。
「神獣とは……もしや会合が行われるのでしょうか、その手引きをなされているのですね」
「そうそう、妖精女王なんて呼ばれても所詮は使いっぱしりてことね、あ~やだやだ」
やはりやさぐれた様子のテイタニアにミューは苦笑いを返す。
「はぁ~……せっかくここまで来たけど無駄だったわね、一旦帰ってもう一度探してみるわ」
毛皮の上から羽ばたいて宙に浮かぶと、テイタニアは肩を落としながら気まぐれに帰ろうとする。
それを引き留める理由はキャロルにもミューにもない、だが妖精は何かに引き留められるかのように振り返って驚いたかのような表情を見せた。
彼女の視線の先には、廃神殿の中心にある神を象った神像が立っている、長い年月で神殿と同様に朽ちてボロボロの様子なのだが、錆は目立っても埃や泥は一つも付いていない。
それはキャロルとミューがこの廃神殿で暮らすにあたって、挨拶代わりに丁寧に磨き上げたものである、かつてあったであろう輝きは再現できなくても世話になるのだから最低限の礼儀を尽くした形であった。
その朽ちた神像から、神威とでも呼ぶべき力と気配が放たれたのだ。
最初に気が付いたのは神の使いでもあるテイタニアであり、小さな体を凄まじい速度で床に着地させると、冷や汗を流しながらその場に跪く。
次いで同じように冷や汗を流して顔を青くしたミューが、足を毛皮にもつれさせながらも頭を垂れる。
最後はキャロルだ、彼女は自分の中にある力にとてもよく似た力を前にして、耐性があったからなのか焦ることもなく静かに膝を付く。
「 」
言葉はない、そこに降臨した訳でもない、廃神殿にある朽ちた神像を依代にして神が彼女たちに語り掛けているのだ。
耳には何も届きはしないが、奥深くにある魂に直接語り掛けるかのような声が跪く三人に刺さる。
「サボってません!! いやマジでサボってませんッ!! 私は滅茶苦茶頑張ってますよぉ、へへへ、でも少しは休みたいかなんて、できれば百年位は……あ、いえ、ナンデモアリマセン、調子に乗りましたすいません」
揉み手をしながら媚びるような表情をするテイタニアは、沼に沈むかのように頭を床に擦り付けてしまう、そこに女王としての威厳は微塵も存在しない。
だがそれも仕方がないだろう、直接ではないにしても神を目の前にしているのだから。
「そ、それで本日はどんな御用でしょうか? 神様が地上に直接干渉するなんて珍しいですね……えッ、でも……いや、えぇ」
キャロルとミューには内容までわからないが、どうやらテイタニアは神と対話しているらしい。
「はぁ、わかりました……御意のままに」
何かしらのやり取りの後、テイタニアは臣下の礼をしてから媚びるのではなく正しく頭を下げる、おそらく神から下知を受けたのだろう。
すると神像から放たれる迫力が急速に消えていく、神が遠ざかっていくことを察しながら頭を下げて見送るのだが、最後にキャロルは後頭部に神の視線を受け止めるのだった。
神像から完全に神の気配が消えたことを確認すると、跪いていた三人はようやく緊張を解くことができた。
溜息を吐いて体を弛緩していくが、テイタニアだけは未だに緊張を維持している。
「ん……何話してたの?」
キャロルの問いかけに小さな妖精はう~んと首を傾げた。
「神様の一柱から神託を受けたのよ、アンタたちを会合に呼べってさ」
「会合……神獣の?」
「そう、人間が参加するなんていつ振りかしらね、神代の頃はよくあったらしいけど……神秘が薄まったこの時代ではかなり珍しいことよこれは」
「お、お待ちください!! 神獣方の会合は妖精の領域で行われる筈……そこは時間や距離の概念が存在しない世界だと聞き及びます、我々が招かれても遭難するだけなのでは!?」
そういった話はキャロルも歌で聴いたことがある、小さな子供が妖精の領域に迷い込んで姿を消してその二日後に大人の姿になって帰って来たことや、他にも例えば一人の猟師が妖精を追いかけて迷い込んだ末に、なんとか故郷に帰って来たはいいが数百年の時間が流れており村は無くなっていたなど、それ以外にも妖精の世界にまつわる歌は無数にあるだろう。
どれも共通していることは、時間の概念が人間の世界と大きく異なっている点だ。
そこに自分たちが招かれるとするならば、警戒してしまうのも当然であった。
「んん~……それって運悪く迷い込んで来たりした場合でしょ、ちゃんと正規の入口と出口を使えば問題ないと思うけど、時間のズレがあったとしても少しで済むわよ」
「ん……その会合は、絶対に参加しなきゃダメなの?」
「そりゃそうでしょ、神様からのある意味命令なんだから……ていうか嫌って言われても無理矢理連れていくから、無視なんてしたら私が怒られるのよ!!」
その言葉を合図にしたかのように、テイタニアを中心にぐにゃりと空間が歪み始めた、粘度の高い沼が生物を沈ませるかのように、キャロルとミューの周囲に広がっていく。
「キャロル殿!!」
「……ッ!!」
変貌する空間に引きずり込まれながらも、二人は何とか手を伸ばして指を絡ませ合った。
後に残るのは静寂だけだ、湖に石を投げ込んだかのように空間が波打ち、それが消えてしまえば匂いや熱すらも消えてしまったかのように廃神殿は冷めていく。
小さいながらもそこに人の営みがあったなど、今では誰も思わないだろう。
妖精が人を迷わせる、或いは攫ってしまう、そんな歌は世に幾らでもあるのだが、まさかその中に自分が巻き込まれることになると、キャロルはこの瞬間まで夢にも思わなかっただろう。
そして彼女は歌を思い出す、幸運をもたらす妖精の歌を。
あの歌の始まりは何だったか、キャロルはいつかにキャラバンでやった舞台を思い出す。
主演のローレライはとても綺麗だった、彼女が思い返すのはそんなことばかりである。